1話 波音のなかで
「よし、今日こそやってやる……!」
時は空の端が赤く染まり始める頃。
ポケモンのプクリンを模した建物の前で、一匹のチコリータが独り言を呟いていた。彼女の手――正式には蔓――には怪しげで不思議な模様が描かれた石。足元一歩先には格子のはめられた穴。
すうっと静かに息を吸い込む。どうやらこのチコリータは、この建物の中に入りたいらしい。それをこの見張り穴が見えない壁となって、邪魔をしている。
大丈夫。静かにそう呟く。決意を秘めた瞳で、恐る恐る足を踏み出した。
「ポケモン発見! ポケモン発見!」
突然穴の中から、元気な男の子の声がする。まぁ突然声がしたとなれば驚くのは当然だ。もちろんこのチコリータも例外ではなく、びくびくと震えてしまう。
「誰の足型? 誰の足型?」
穴の奥で、謎の問答が繰り広げられる。
(あと少し、あと少しだけ我慢して、自分……!)
「足型は……」
「うあああ、やっぱ無理です! ごめんなさいいいいぃぃっ!!」
弾かれたようにその場を立ち退くチコリータ。大声で謝りながら、建物と反対方向に全力疾走した。
その目からは、今にも小さな粒が落ちようとしていた。
「足型、見失いました……」
「やれやれ、またか……」
穴の向こうのこんな会話も、彼女には知る由が無い。片方の声がため息とともに言葉を漏らす。
「遠慮などしなくていいのにな……いい加減、ワシも疲れる」
その余韻が消えた頃、別の場所からの声がした。
「おい、今の見たか?」
チコリータが走り去った後、近くの物陰から二匹のポケモンが姿を現した。一匹はドガース、もう一匹はズバットと言う種族だ。
二匹とも怪しげに薄笑いを浮かべている。小さな子が見たら指差しながら泣き出しそうな。あまり親切な顔とは言えそうにない。
「珍しそうなものだったよな、あれを売り飛ばしたら……ケケッ!」
おかしな笑いを残し、二匹はの夕陽のきらめく海へ目を向けた。
目指すはあの、不思議な石。
「やっぱり、いつ見ても綺麗……!」
時は夕方。空が茜色に染まり、一日のなかでも特に美しい時間帯と彼女は称す。
今チコリータが居るのは、先ほどのところを南へ行ったところにある海岸。ここでは、夕方になるとクラブたちが泡を吹くことがよくある。その泡と海、夕日が合わさった光景は、時間を忘れるほど綺麗だと言う。
チコリータはその光景を目に焼き付けているかのように、しっかりと魅入っている。
今日も素敵だ、と視線を辺りへ動かしたときだった。
「あれは……何?」
普段はない、青と黒の物体。不安で締め付けられそうになりつつも駆け寄ってみる。するとそれは彼女が思ってもみないものだった。
「嘘……ポケモン、だよね? どうしてこんなところに……」
それは紛れも無く、小さなポケモン――リオル。
傷があり、呼吸はしているが浅く早い。軽くつついてみても反応は無い。……意識が、無い?そう気付くと、パニックに襲われる。大丈夫、この子は生きているから。でも、意識が。カラカラに乾いた喉から、なるべく大きな声で呼びかける。
「ねえ、大丈夫? 目を覚まして……!」
「ん、ぐっ……?」
しばらくの呼びかけの後、リオルは眠たそうに目を開けた。チコリータは安堵感からぺたりと座り込む。
「良かった……キミ、ここで倒れていたんだよ。大丈夫?」
チコリータがそういうと同時に、リオルは怪訝そうな顔をしてチコリータの顔を覗き込む。
そして一言。
「お前、なんで“ニンゲン”の俺と身長そんなに変わらねぇんだ?」
「え?」
“ニンゲン”という聞きなれない単語に、首をかしげる。数少ない知識を引っ張り出しながら、リオルに恐る恐る話し掛ける。
「ニンゲンって、おとぎ話の存在でしょ? 私から見る限りは、キミは立派なリオルだよ……?」
「えっ……は!? 俺が、リオル?」
そういって自分を見回すリオル。
青と黒を基調にした体、頭から垂れ下がる黒い房、青くて大きな尻尾。どこから誰が、どう見てもリオルだ。
「えっ、俺、こんな姿じゃ……」
何度も姿を確認しながら、一人戸惑うリオル。その顔には確かに焦りが浮かんでいた。これでは話が進みそうにない。
「えっと、よくわからないけど……とりあえず自己紹介かな。私はリィ・フォルテッシモ。キミは?」
「俺? えっと……アルト。アルト・エストレジャ」
「アルトかぁ……かっこいい名前だね」
にっこりと微笑んでみると、アルトも緊張がほぐれたようにぎこちなく笑ってくれた。リィはアルトに対して聞きたいことが山のようにあるのだが、いかんせんどうまとめるのかが難しい。質問を色々と考えているとき、現実はそれを上手く阻んでくれた。
なぜか、リィに紫色の物体がぶつかってきたのだ。しかも二つ。
背後から倒されて砂浜に倒れこむリィ。その拍子に、リィのカバンから石のようなものが転がり出る。それは紛れも無く、プクリンの建物の前で大事そうにしていた、あの石。砂に半分埋まったそれを、片方の紫が無造作に拾い上げる。
「おおっと、これは誰のかなぁ〜? さては落とし物かな?」
「こんなところに落ちてるんだから、誰のものでもないだろ?」
「それもそうだなっ!」
違う、それは私のだ。叫ぼうとするけど、喉元で声が突っかかる。突然の出来事に呆然とするほか無いリィとアルト。だが、これだけは分かった。
紫色の物体たちは、その石を持ち去ろうとしている。何も言わないリィ達を尻目に、嘲笑を浮かべる二匹。
「へへっ、取り返さなくていいのかなぁ〜?」
「けっ、その程度の事もできないのか? 相当どうだっていいものなんだな、これ」
「違、っ……」
見下したような喋り方。それは焦りを抱えたリィの心をどんどん追い詰めていく。
「何だ、ビビってんじゃねぇかよ」
「へっ、本当に弱虫だな」
石を掲げてこちらに背を向け、最後にこう言い残す。
「じゃあな。弱虫君」
紫色の二匹は近くにあった洞窟に笑い声を響かせつつ入っていった。一連の流れを静かに眺めていたアルトはすぐに砂浜 を蹴る。しかし、数歩走ったところで大事なポケモンが着いて来ないのに気がつく。その場から振り向いてリィを視界に捉える。
リィの目には涙が溜まり、今にも零れ落ちそうだ。赤色の目と夕陽色の涙は綺麗ではあるが、アルトはそんなことを気にしない。
「……私の、大事、な宝物、なの、に……っ」
どんどん弱気になっていくリィ。自分が大事にしていた宝物を奪われたのだ。それも、なぜあのようなことを言われねば。頬を一粒涙が伝う。
それを見たアルトは、表情を変えずにリィの眼の前に立った。
「リィ! お前が取り返さずにだれがアレ取り戻すんだよ!」
感情に身を任せ、リィを叱咤する。当然リィの心は更に追い詰められる。が、その言葉にはっと気付かされた。
そう、私が行かなきゃいけない。いけないけど、どうやって。方法を探して顔を上げるとアルトと目が合った。目つきは悪いけど、頼もしくも思える瞳だ。
「アルト……あの、私の宝物、一緒に取り返して貰えますか?」
「もちろん、俺も最初からそのつもりだった。1人でここに置いておかれるのも嫌だったしな」
さっきとは打って変わって、にっこりと微笑むアルト。リィはその顔を見て確信した。
――アルトなら大丈夫。一緒に行けば取り返せるはずだ。
「じゃあ行くか。この洞窟だよな?」
「うん、ありがとうね」
あいつらを倒そう。二人はアイコンタクトを取り、海の香りのする洞窟へと足を踏み入れた。
けれどその中で、確かな決意を胸に秘めながら。