122話 廻る音色に耳を傾け
目の前には確かに時の歯車が五つ、然るべき場所に納められた。時の歯車は光量を増していくと、その光で頂上全体を包み込んだ。
それが霧散した後には、まるで時の歯車を納める場所なんて最初からなかったかのように涼しい顔をしている祭壇、それのみだ。祭壇を飾るラインは青に緑に、きらきらと光の粒を弾き出しては輝いているが、それ以上の変化はない。
「ど、どういうこと!? やり方、間違えちゃった……?」
確かに時の歯車に反応したはずなのに、地響きは増大し塔を崩していく一方だ。リィは不安に駆られ、まるで窪みの痕跡なき祭壇にツルを伸ばした。
「なんで地響きが止まらないのっ……!?」
揺れの大きさに翻弄され、後ろ足は階段から投げ出される。そのまま体を支えることさえ叶わずに彼女の体は階段を転がり落ちた。天を覆う雲からはより激しい雷鳴が轟く。それどころかすでに折れた柱に、欠けた壁に容赦なく降り注いで、この頂上を容赦なく砕いていく。
(間に合わなかった……?)
口を開こうものなら舌を噛んでしまいそうだったから、アルトはがっちりと歯を噛みしめたまま輝く祭壇を睨んだ。
そう、光ってはいるのだ。
祭壇に走るディアルガを模した模様も、祭壇全体が鼓動を刻むように、生きているように。
四股でしがみついていた床は崩れ、ふたりは揃って揺れる塔を転がる。降り注ぐ雷霆の眩しさと、崩れ雨のように散る塔の欠片のせいで目も開けられないまま。
間に合わなかったのか。
アルトは瞼の裏に、向かう未来図を描いた。
――とても、おだやかな空間だと思った。
まどろんでいたリィは誘われるように目を開いた。降り注ぐまぶしさに目をつむり直してから、もう一度、忍び足のように瞼を持ち上げる。
床はあちこちひび割れて、時折谷のように大きく口を開けていた。彼女の頭の葉っぱ一枚分先には、折れた柱の先端が見えた。間一髪だったことにリィはぞっとしつつも胸をなでおろした。
「アルト……?」
重い体を起こし、反対側に振り返れば、まだ目を閉じたままのリオルが見えた。その肩にそっと触れると、彼はようやく瞼を動かした。
「あ、れ……。今、どうなって」
雷の気配はかけらもない。体を翻弄する地響きもない。まるで別の場所のようだった。
ぼんやり、そう問うたアルトに答えたのは、また別のポケモンだった。
「ここは時限の塔、頂上だ」
豊かに響く低い声だった。アルトは即座に反応、体を起こしそちらを睨む。
「ディアルガッ!!」
背を駆けあがる危機感に突き動かされるまま、ふたりは自分の利き手に、周囲に、技を構える。しかしディアルガは、粛然として目を伏せた。
「いや、戦う必要はもうない。まずは礼を言わせてくれ。よく、暴走した私を恐れずに、時限の塔の破壊を食い止めてくれた」
「もしかして、元に戻ってくれたの?」
先程までとは打って変わった穏やかで荘厳な語り口に、リィの瞳にぶわっと光が差した。
ディアルガの体は、戦っているときよりも優しい色合いだった。青色は深くありながら透明感がある。それと澄んだ水色のコントラスト、飾り立てる白銀のパーツが荘厳さを演出していた。
綺麗なポケモンだ、と。声に出さずとも、アルトとリィの感想は一致した。
「時限の塔はかなり崩れてしまったが、なんとか持ちこたえた。これを見てくれ」
ディアルガの胸の宝石が輝き始める。しかし、時の咆哮を撃つ場合とは違って、その宝石も放たれる光線も時の歯車のように澄んだ青色だった。
さわやかな風と光に思わず目をつむる。視界が閉じられ過敏になった耳からは、「ときのはぐるま」に似た透明な旋律に聞こえてきた。眩しさが収まった先で見たのは、溢れるほどに草木が茂るどこかの森。
「この映像……テレパシー?」
リィの問いかけに、ディアルガは肯定を返した。
アルトもまた視界いっぱいに広がる景色に目を奪われた。時空の叫びで見る映像より、色彩は鮮やかで画面が広い。まるでその場にいるかのようだった。
さわやかな森のシルエットはどこか既視感があって、アルトは首をかしげる。
「この森、どこかで見た気がする」
「たしかに、行ったことある場所かな? リンゴの森ではないし……キザキの森は?」
「それか! あそこ、時が止まってたはずなのに」
目に映る森は風に揺れ、焦点を合わせられた一枚の葉からは露が滴り落ちた。
紛れもなく、時が動いている。そこに時の歯車がなくとも。
映像は次々と流れた。
どこかの洞窟の奥らしき場所と、そこで何かを見つめる紫色の小さなポケモン。
笑い合いながらくるくると踊るイルミーゼとバルビート、それを微笑んで見つめるユクシー。
ばしゃりと飛沫を上げて凪いだ湖面を躍らせ、時の歯車があった場所を縦横無尽に飛び回る楽し気なエムリット。
今まさに色を取り戻している様を、目を丸くして見つめるアグノム。そこには、あの未来で「水晶の洞窟に行っていた」なんて告げた三匹から成る探検隊も一緒にいる。
『最初来たときなんてそれどころじゃなかったけど……えっ、こんなにきれいな場所だったの!?』
『ボクがここで番人をする幸せもわかってくれるかな』
『最高だねぇ、いつまででも見ていられるよ』
「本当だね……改めて見たら、すっごく綺麗。また行きたいね」
アルトはそのリィの言葉には何も答えないまま、答えから逃げるように映像に一層見入った。
きゃっきゃとはしゃぐ三匹からは目を逸らし、時が動き始める方向をじっと見つめる一匹。彼は何も言わないまま、目元に手を添えた。
続いて切り替わった景色は、淡い夕色に染められて賑わいを見せる街だった。行きかうポケモンたちに、リィは思わずツルを伸ばす。
「トレジャータウン! ギルドの皆もいる……!」
街を行き交う探検隊たち。ヘイガ二は出会うポケモンに大きな赤いハサミで挨拶をしていた。カクレオン商店の前には夕飯の材料調達だろうか、チリーンとその手伝いらしきグレッグルが見える。カクレオンの顔が隠れるほどの巨大リンゴ、セカイイチが今まさにチリーンたちに渡されていた。
「っあ、みんな、みんな無事なんだね。本当に、良かった……っ」
あの未来で嫌というほどに目に焼き付いた、まったく同じの違う景色。それが彩られ、動きを持ち、いつも通りを取り返す。
リィの瞳で抱えきれなかった涙が、潮風にそよぐサメハダ岩に落ちた。
やがて映像は幻の大地を映し出す。大地はまるで机から落としたガラスのようにばらばらと砕けているし、その上にある時限の塔は至る所が崩れて窪んでいた。壁が抜け落ちた穴の先からは雲色が覗く。
それでも、残っている。徐々に上空の雲が切れていくおかげで、その姿はみるみるうちに明るく照らされていく。
そこで旅はおしまい。まるで世界中を旅したかのようにたくさんのものを見て歩き回った気がした。
ディアルガは一度空を仰いで眩しい太陽に目を細めた。
「時限の塔は残り、時が戻ったことで、止まっていた各地の時間も再び動き出した。星の停止は食い止められ、世界の平和は保たれたのだ。ありがとう。全てはお前たちのおかげだ」
「やった……。私たち、世界の平和を守れたんだ……っ!」
夢想のようなふわついた感覚が大きかったが、ディアルガのその言葉を経て、それは「実感」という形に固まっていった。
動き出した時間を祝福するかのように紡がれる旋律の中、ディアルガは語り続ける。
「しかしまだ、全てが収まったわけではない。私もこれからすぐに時限の塔を修復しなければいけない」
アルトとリィは改めて頂上の様子を見渡した。壁はほとんどが崩れ落ちているせいで、風が無遠慮に吹き込んでくる。先のテレパシーで見たように、塔は今にも崩れそうな風貌なのだ。
「幻の大地もだいぶ荒れてしまったが、それでも虹の石船は動くはずだ。ラプラス――セイラも待ってくれているはずだ」
「うんっ。本当に、良かったぁ……!!」
ぱあっと華やいだ笑顔で、リィはぺたりと座り込んだ。ぎゅっとバッジを抱いて、風になびくリボンの感触にくすぐったそうに声を上げて笑って。
今まで見た中で、何よりも輝いているその顔。アルトもつられて頬がゆるんだ。
「リィ。……トレジャータウンに帰ろう」
「あ――」
そう、不器用に笑いながら差し伸べられた手に、リィは言葉を失った。