119話 Time/Dark
「ふざけんじゃねぇよ――お前のための未来なんか、望んじゃいねぇんだよ!」
何もない未来に縋る理由は今消えた。
瞳はまるで太陽のように強く輝いた。胸を張り、右手に時の歯車のような青い光を纏う。
「ほら、来てもらってよかったじゃん」
くすりとエルファは笑って目配せ。スカーフの端を遠い後ろに流して、彼は誰もいない森奥方向を指差した。
「おふたりさんはセレビィを探しに行って? 俺、ラスフィアとコイツ止めてる」
「えっ、でも」
「時の歯車を持っているのはふたりなんだから」
ラスフィアは闇でできた氷柱を従えた。計四本が生成しきると同時に、その切っ先は敵に照準を合わせる。
その姿に、アルトは一度深呼吸をして問いかける。
「……そうやって幻の大地で俺たちに託した結果、星の停止を迎えたのに、ラスフィアはそれでいいのか」
「あんな顔をしといて、今更覆る気は残っているの?」
「ねぇよ」
そう告げるだけなのに、声はそれまでの無愛想で突き放すようなものとは明らかに異なっていた。
アルトはリィと目を合わせてから、一目散に森を駆け抜ける。草木が阻むせいもあって、戦音はすぐに遠くなった。
まずは森の奥を探す。まずは辺りを見て回り、それでも見つからなければ木の上を漁るか……なんて考えたアルトは、それよりもっといい方法を思いつくや否や口角を上げた。
「波導使えば早いだろ」
生き物が放つオーラに、アルトは耳を傾ける。
背後の複数個の反応とは別に、かすかに感じ取れるものがある。目星を立て、進んで、そしてまた波導を読む。繰り返して森をあちこち走り回る。
「――もしかして、あの子?」
アルトが示した方向に駆け寄り、リィは様子を確認する。そこには確かに一匹のポケモンが横たわっていた。
見覚えのあるシルエットだった。ただ、その記憶、すなわち未来世界にいたキルシェと体色が異なる。あちらは鮮烈な桃色であるのに対して、こちらはやわらかな黄緑色をしていた。
しかし、声を掛けても反応はない。呼吸の様子からして、星の停止に巻き込まれたわけでもないようだが、閉じたままの瞼はぴくりと動く程度で開かない。
「うん。……アロマセラピー!」
花畑のように華やかで繊細な香りが周囲を彩る。さっきの黒いポケモンの一手を見るに、相手に眠らされている可能性がある。それならば同じ手法で起こせるのではないか、という判断だ。
だが、なかなか効果は表れない。かれこれ一分は力を送り続けたはずなのに一切の反応がないままだ。リィは不安に苛まれるあまり、技への集中ができなくなってしまう。
「まねっこ――アロマセラピー」
ぼそりと呟かれた言葉に、リィははっとして振り返った。アルトはセレビィの胸に手を当て、鼓動を感じながらリィの技を真似ていた。
「もう一回……!」
起きてくれ、と祈る。耳を弾くときのはぐるまの音色が、時間の経過を伝えていた。
一周。目立った反応はないまま。二周、瞼がぴくりと動いたことにぬか喜び。
三周目に入り、リィはより一層セレビィの手を強く握った。その手がかすかに握り返してくれたような気がして、リィは勢いよく顔を上げる。
「……、あ、れ。キミたちは」
「! 起きてくれた! こ、こんにちはっ。あの、さっそくでごめんね。私たち、過去に行きたいの」
「過去……? 一応聞くけど、星の停止が起こる前、だよね」
「うん。お願いできないかな?」
キルシェとは違い、落ち着いていて中性的な話し方だった。見た目からも察せるとおり、別の個体のようである。
そんなセレビィは、リィの問いかけにゆるゆると首を横に振った。
「残念だけど難しいんだ。星の停止によって時間の連続性は失われた。今から先の未来には行けても、星の停止が起こる前に時渡りをすることはできないんだ。壁にぶつかるというか、超えられない谷があるというか」
「時の回廊は? 私たち、それを使って、星の停止した未来から帰ってきたことがあるの」
セレビィは苦い顔をした。
「……僕ひとりの命を捧げるだけじゃ足りないね」
「そ、それは」
必死に訴えかけていたリィは口をつぐんだ。そうまでして作られたものとは知らなかったのだ。
だがそれがなければ過去には渡れない、星の停止は変えられない。リィは震える前足をぎゅっと踏みしめて、再びセレビィの時の歯車色の目を見つめた。
「私たちでできることならなんでもする! 助けられるように頑張るから、何か手伝えることあったら言ってみてよ」
「その前に。僕はとあるポケモンに狙われている。だから今すぐにできない頼みをするべきじゃないんだけど、これ以外に方法がないんだ」
追っ手はきっとあの黒い影のようなポケモンのことだろう。アルトとリィは、一度呼吸を整えるセレビィを固唾を飲んで見守った。
「時の歯車を僕にくれ。四つ……いや、可能なら五つ。その方が早く安全に作れる」
「それなら! それなら今あるよ! アルトが一個持っててくれてるよね?」
「まさか」
アルトとリィが取り出した時の歯車、計五つにセレビィは目を丸くすると、すなわち流れる音色に耳を澄ませて本物かどうかを確かめた。そして理解する。彼らが星の停止を食い止めに行くつもりだと。
「わかった。これを使って僕は時の回廊を作る。時の歯車は壊れるけど、過去に戻れば元通りのものがあるはずだから」
セレビィは五つの時の歯車を自分の回りに寄せた。
「ただ、ひとつだけ。もし星の停止を食い止めたら今ある未来も、その先の未来も消える。……未来から帰ってきたってことは、見知ったポケモンもいるんだろう」
「それはもうわかってる。俺自身がそこから来たからな、消える覚悟もできてるし、消してもいい……っていう言い方は良くねぇけど、星の停止を変えなきゃいけないなら」
瞬間、アルトの足元の影がぬらりと動いた。それはポケモンの形――あの、星の停止を望んだというポケモンの形を為した。
「ナイトヘッド」
「嘘だろ、っ。はっけい!」
咄嗟に技を撃ち、その反動を活かして後方へと距離を取った。効いた様子がないのは、咄嗟のことで錬度が低かったためか、相手のタイプのためか、はたまたレベル差がありすぎるせいか。――それ次第で、このバトルの動きやすさが変わる。
「僕は時の回廊を作って来る。その間、アイツを食い止めていてくれ!」
セレビィは叫ぶと同時に、時の歯車と共に姿を消す。戦火を受けないようにするために軽く時渡りをしたのだろう。
それに降りかかろうとする影を、波導で、葉で、なんとか食い止める。
「なんでここまで追って来やがった……」
セレビィを眠らせたのが彼であれば場所が割れていることには頷ける。問題はそれを足止めしてくれていたふたりの存在だ。
相手は何も答えないまま、両の手を闇に溶かす。あくのはどうにしてはゆらゆらと不安定な動きをしていて、対するふたりは未知なる技の対応策に頭を巡らせる。
「ダークホール」
「はどうだんっ!」
「えっと、たしかこうっ……しんぴのまもり!」
リィがこれを選んだのは、何かしら状態異常にさせる技だった場合への対策だ。あまり使う機会の多くない技で発動には手間取ったが、相手もまた溜めに時間をかけていたのでぎりぎりで間に合った。
アルトのはどうだんを受けてもその全貌は掻き消えることはなかった。ふたりを闇が包むが、しかし何も痛みは生じない。
「……厄介な」
技の失敗原因となったリィを、そのポケモンは冷ややかに見下ろす。
「さすがは幻の大地に選ばれるだけある」
その瞳は冷たく、それでいて見定めるように確実にリィを捉えていた。無意識のうちにリィの足は後ろに下がる。
そのとき、相手の後ろで爆発が生じた。余波になびくスカーフをリボンを、それぞれ押さえて、すぐそこにまで大きくなる足音に安堵する。
「っ、エナジーボール! ごめん逃した!」
「でも無事にセレビィは見つけられたのね」
「ふたりとも! 良かった……」
また眠らせる技を使われていて、リィがおらず回復できなかったら――なんて懸念は杞憂だったようだ。リィは安心感から少しだけ頬を緩ませた。
前に立った鮮やかな草木色の彼に、アルトは問いかける。
「アイツ……ゴーストタイプ?」
「いや、あくタイプ。状態異常技がすんごく面倒なねー。さっきみたいになっちゃバトルにならないしさ、カゴのみ食べちゃった」
エルファはぺろりと舌を出した。アルトとこのポケモンが話している隙に食べていた、と彼は付け足した。
「でもさぁ? 動き封じたと思ったら影に逃げ込むのずるくない? そんなのゴーストタイプじゃん、あくのくせに」
「それでさっき逃がしたっつったのか……。とりあえず、戦いづらい相手ってことだよな」
アルトは揺らぐ相手の影を見据え、腕を後ろに引いた。勢いよく前に振り出すと同時に、そこに生まれた青い球が勢いを持って飛び出した。
「はどうだん!」
相手はそれを一瞥すると、ひとこと。
「時の咆哮」
「は……?」
その技名、たしかに聞き覚えがあった。呆気にとられたが最後、まばゆい光が暴れ狂ってその場の全員に襲いかかる。
あれほどの威力はないまでも、軽いアルトたちの体は容易に倒された。直後、ぱらりとリィの葉に露が落ちる。先まで伝い、滴り落ちたそれに、リィははっと目を見開く。
「一瞬、時間動いた……? 技の効果?」
「だろうな、ディアルガのときも流れ方おかしくなったし」
それが星の停止を一瞬だけ、限られた範囲で溶かすのだとしたら皮肉なことなのだが。
動かない草を掴みながら、アルトはそれを使った張本人を唖然と見上げる。
「ディアルガじゃなきゃ使えないと思ってた……」
「普通は、そのはずよ」
ラスフィアが冷静に分析するが、技の効果でようすみ状態の相手は何も答えないままだった。ディアルガのそれと明確に違うのはダイヤモンドが飛び散らないことくらいか。
いずれにせよ相手が動かないのはチャンスだ、攻撃の手は緩めない。草タイプ二匹は息を合わせて、風に舞う鮮やかな葉を展開する。
「リーフスパイラル!」
「グラスミキサー!」
リィのは春らしい柔らかな新緑、エルファのは夏の日差しを力強く得る深緑の葉だった。
アルトは、彼らの放った葉を次々に浴びるポケモンの背後を取る。右手に神経を集中させ、技名:しんくうはを心の中だけで唱える。
「――気づかれていないとでも思ったか?」
「っ、まじかよ」
ちょうど回復したところだったらしい。相手はすぅっと移動することで難なく回避しつつ、アルトの横に立つ。
まだ視界の範囲内だった。アルトは距離を置こうと後ろに飛ぶ――その動作まで読まれていた。アルトの細い首は黒いポケモンの手にちょうど収まってしまう。放せ、と足掻く間もなく、バックステップの先にあった木の幹に叩き付けられた。
「もう一度聞こう。オマエはこの暗黒の未来を、その先の未来もろとも滅ぼす気か?」
「あぁそうだよ。そんなお前の我儘を守るくらいなら、今ある過去を、時間があるままに守ってやる」
「残念だ、その倫理に期待したのに」
アルトの首を絞める握力は一層強まった。縋るように息を吸いながら、相手の手首を掴む。
「はっけい!」
そう叫び、手に溜めたエネルギーを開放する。同時に葉や闇の力が追撃に掛かったおかげで、敵の手は緩んだ。アルトは即座にでんこうせっかを発動してその支配をくぐり抜けた。
まだ呼吸が苦しい状態での疾走で、頭はぐらりと揺れて五感が薄れた。まるで宙を走るかのように、地面を蹴った感覚も朧げだ。
「大丈夫? あんまり無理しないでね」
(少し休んだ方がいいのはわかる、けど……)
リィに声を掛けられたところで、アルトは戦い続けることを選ぶ。それは反発心なんてものではない。どうせ皆に前線を任せて休もうとしたって、影を縫って移動できる相手はそれを潜り抜ける。だったら無理にでも動いた方がマシと考えて、酸素の足りない体を無体にはたらかせてはどうだんを構える。
でも、目標点は消えた。
「えっ……?」
ふわり、と体が浮く。そして、辺りは暖かな光に包まれていたのを確認する。今目の前にあった戦禍は一切の面影を残していなかった。
「なんだこれ、どういう……」
困惑するアルトとリィの耳元で、息苦しそうな声が聞こえた。
「時の回廊、なんとか形にはなった。今は時渡りをして、キミたちをそこまで運んでいるところだ」
「セレビィ! そっか、うまく作れたんだね」
セレビィはふたりの手を引きながら説明を続けた。未来世界で、ディアルガたちに囲まれた際にキルシェが行ったのと同じ手法で、戦場をすり抜けているのだ。
腐っても時渡り。時の回廊を作るのに時間はかかったとして、それが通常時間にして何日と、それ以上だったとしても、アルトたちが過ごしている時間帯に戻るときに少し調整して時を渡れば、あたかも一瞬で製作が完了したように見える、というわけだ。
「急ぎで作ったから大した過去にはいけない点はすまない」
「大丈夫だよ。時限の塔だけやり直せりゃ十分だから」
「ありがとう。……アイツも、僕が時の回廊を作った時間まで追いかけてくる可能性があったからね」
アルトたちを未来世界に連行する際に、トレジャータウンに現れた時空ホール。アルトはメテオが作ったものと推測しているが、同じようなことがあのポケモンにもできるのだろう。
ぱっと眩しい視界に新しい色が混ざった。時の回廊だ。未来で見たのと同じように、吸い込まれそうなほどに澄んだ青色を呈していた。
その前には砕け散った時の歯車の残骸がばらばら広がっていた。そのカケラも、断面も、時の回廊の光を浴びて宝石さながらに輝いていた。
「……げほっ、かはっ! くっ、ぁ」
瞬間、後ろでどさりと音が聞こえた。慌てて振り向けば、セレビィが苦し気に地面に伏していた。
「大丈夫!? まって、すごく苦しそう」
「この程度なら軽い方さ。時の歯車、四つだったら……ごほっ、もう少し、苦しかったかな」
セレビィはしゃくりあげるような呼吸に乗せてそう告げた。
時の回廊を作るにあたり、「命を捧げる」と述べていた。体は本当に限界に近いのだろう。それでも安全のために、最期の力を振り絞って時渡りで移動してくれたことへ感謝は尽きないし、セレビィの強い思いに共鳴する。
「本当はこんな未来、僕も嫌なんだ。時の流れが正常じゃないのは苦しいし、何より物寂しい。誰だって望みたくはないさ」
消えてしまうポケモンたちには悪いけどね。
セレビィはそう付け足して、アルトのまっすぐな目を縋り求めるように見上げた。
「頼んだよ。全部、壊してくれ」
「もちろんだよ。……
現在で待っててよ。私たち、絶対に星の停止を食い止めるから」
「繋いでくれた過去、無駄にはしねぇよ」
アルトとリィはそれだけ言い残して、砕けた時の歯車を超えた。青い光に飛び込めば、無重力に溺れていく。
ここに残した約束も、未来へと結んだ約束も、出発の朝に交わした約束も。その全てを今、果たしに行く。