108話 リミット・バレット・ハーモニー
ディアルガの叫びが塔を揺らす。体を彩る夕焼け色のラインはより一層光り輝いて、それは高貴さを遥かに凌駕する禍々しさを際立たせる。
頂上を吹き抜けるのは一閃の風。崩れ落ちた壁のせいで、風は遮られることなく大気を揺らし、時が動いていることを証明する。――あと何度、これが吹き抜けるか。
瞳を閉ざし、深呼吸をして、胸に手を当てる。
大丈夫。まだ自分の灯は消えてない。
延々震える床をバランスよく蹴り飛ばして、アルトは右手をぐっと握りしめる。
「はどうだん!」
まずは遠くからの一手。投げ飛ばした青空色は、しかし深い藍色と滾る橙が織りなす弾に呑まれて消える。
何の技だ、目を凝らす。それが無駄足と気付くまではまばたき一回。
「向こうもはどうだんか……っ」
使いやすいという実感を持っているからこそ、その厄介さに頭を抱えたくもなる。
生きる者を追わんとするその軌道は、避けるアルトを追い続ける。身をかがめたアルトを撃ち逃したかと思いきや、上空で大きく旋回、再び隕石のごとく落ちる。
ディアルガがまた叫ぶ。塔は一段と強く揺れる。挑戦者二人、突き上げるような揺れにバランス感覚を失う。
「は、葉っぱカッター!」
「しんくうは!」
床に投げ出されたアルトは、仰向けの姿勢のまま手を伸ばす。放った光はちりばめられた葉を従わせて、ディアルガの藍橙の弾を穿つ。
到底殺し切れる威力ではない。力の奔流を歯を食いしばって耐えしのぐ。
息を吐く。焼けるような肺から溢れたのは熱に浮かされたような荒い呼吸。
続くダンジョンに強敵との連戦。これだけで息は上がってしまっていた。喉元に手を添えて気を紛らわせ、なんとか息苦しさを軽減する。
「はっけい!」
身をかがめたまま相手の足元を狙う一撃。柱のような足は橙色をカチカチと明滅させていた。
一発を撃ち込み、その反動に身を任せて距離を取りつつ相手を今一度確認する。
「全然効いてないね……」
「そりゃそうだろ。じゃなかったら未来で普通に倒してこっちに来てたし、幻の大地にメテオたちが来ることもなかったろ」
あくまで冷静。わかりきったことだったから、今更焦りも困惑もない。
正面から戦って勝てる相手とは思っていなかった。思いたくても、無理だと分かってしまっていた。それは未来世界でのシュトラたちからも裏付けられる。
最低限のラインは祭壇に到達し、そこである程度の時間を確保すること。
そのために必要なのは、ディアルガの動きを止めること。――結局、やるしかないのだ。
気を引こうにも、理性と狂気の狭間に揺らぐディアルガはそううまくは動いてくれまい。だからこそ、倒すことでしか安定な時間は担保されない。
ディアルガの叫びに震える床を蹴飛ばし、弾けた欠片が宙を舞う。体術も効かない相手とあって、アルトからしたら戦いづらいことこの上ない。ゴーストタイプよりはマシかもしれないのだが。
「きしかいせい!」
懐まで潜り込んで、渾身の力で殴り飛ばす。びくともしない強じんな鋼の体の重みだけがじんと手に残る。痛みに悶えてなどいられないと、追撃に移るわけなのだが。
「――きゃあっ!!」
そんな悲鳴が突然耳を貫いた。だが、アルトは同時に違和感を覚える。
今、技を使っていたか?
音もなく、爪を薙いだ様子もなく、柱のような足はアルトの目の前にあるままで動いてはいない。ディアルガの体の影に隠れていたアルトにはわからなかっただけで、はどうだんでも繰り出していたのだろうか――。
ひゅん、と体を貫く音がした。まばゆい光が瞬く間に広がっていく。本能が知らせるのは危険のサイン。
咄嗟にディアルガの後ろの方へと体を走らせ、回避へと移る。
「グオオオォォォーーーッ!!!」
叫ばれると同時に、床は一段と大きく揺れ、走っていたアルトは簡単に投げ倒された。その目の先で、ぱらぱらと、やけに涼しげな音がリズミカルに鳴る。
それは、綺麗な石だった。
石と言っても、透明で、揺れる床と一緒に転がっては虹色の光を跳ね返した。まるで、幻の大地で散々苦しんだあられのようでいて、明らかにそれと異なる光を放つ。まるで「宝石」のような石だった。
つまむほどにちいさなそれに思わず手を触れる。思わず手を弾きそうになるほどに熱かった温度はそれによって冷めて、ほんのりとした温かさだけが手に残る。
見とれそうなほど美しくて、ずっと抱きしめていたいほどに暖かくて、ほんの一時の幸福がそよ風のように甘美へと誘惑する。
「――大丈夫、アルトっ!?」
それは、咳き込んだ声によってぷつんと中断させられる。はっとしたアルトは自分の手の中に視線を落とす。
「石、いや宝石……? 違う、それより」
状況を整理しようか。
リィの悲鳴が聞こえた。ひゅんと嫌な音が突き抜けた。地面が揺れた。そして細かい宝石がぱらぱらと降り注いだ。
つまりこの宝石の正体は――。
「っ、あっ!?」
体を穿つ衝撃に殴られ、身を抱いてその場にうずくまる。重い、重すぎていっそ軽い。明滅する視界と揺さぶられる脳が、この場から逃げろと警鐘を鳴らす。
「はあっ、っ、あっ」
「アルト! ねぇ、しっかりして……こほっ、うっ」
悶絶する中ではっきりと聞こえるリィの声。それもまた苦しそうではあるけれど、耳鳴りの最中明確な判断などできやしない。
外界の情報の一切を遮断するような耳鳴りとめまいの中、かろうじて、口元にひんやりとした水滴の流れを感じる。リィがオレンの実を使ってくれたから。そうわかったのは、効果が表れてきてからようやくわかった。
「……ありがと」
「だ、大丈夫……? 結構、つらそうだったけど、ごほっ」
「リィの方がよっぽど」
「ううん。私はいいの。アルトが無事でよかった」
改めて見て、全然大丈夫そうではなかった。いつもなら笑って見せる顔も、そんな余裕はないのだろう、苦しそうに目を細めている。
「何したんだよアイツ。この石もたぶん、アイツが作ったやつだよな」
「時の咆哮っていう技、じゃないかな……。ディアルガだけが使えるっていう、伝説の技。この石、ダイヤモンドも、たぶんその技でできたものだと思うの。ディアルガの胸の宝石ってダイヤモンドみたいだし」
散らばるダイヤモンドの欠片を改めて眺める。見る分には綺麗だが、フィールドにこうも飛び交ってもらっては、安易に動けなくなってしまう。宝石の中でもトップクラスの硬さを誇るダイヤモンドだ、その欠片を踏みながら走るのは自殺行為足り得る。
「まぁ、納得した……。リィがその前に受けてたのは?」
「その前? えっと、私も時の咆哮受けちゃったから、前っていうと、アルトと効かないねって話するよりもでしょ」
「あ? じゃあさっきリィの声聞こえた気がすんのって」
「時の咆哮のときだと思うよ……? なんで?」
きょとんとした目に見つめられて、アルトはより混乱する。
声が聞こえ、技の前兆のような音が聞こえ、ダイヤモンドの雨が降って、少し遅れて不可視のダメージを受ける。同じ技を受けたはずのリィの「大丈夫」が聞こえたのはダイヤモンドの降ったとき。つまりアルトよりはだいぶん前である。回復なしには動けないほどの威力を、ディアルガの正面で受けたリィが、こんなタイミングでアルトの安否など心配できるわけないのだ。
「タイミングおかしくねぇか……」
そう呟くと同時に、アルトの頭にぱっと光が差す。
「『時間を司るポケモン』」
その言葉をつぶやくことで、アルトの中の疑問は静かに答えを与えられて溶けていく。
「時を司る」ポケモンに授けられた、「伝説」なんて言われるほどの技。時間の流れを狂わせることくらいできてもおかしくはない。
(厄介すぎんだろ)
時間という絶対的な概念さえ覆すのは想定外。ディアルガの特性をもっと知っていたとしても、アルトはその発想には至れなかったと自分で思う。
時間の流れを狂わせる効果のほどは、同様にそれに巻き込まれているアルトに定量的な評価なんてできやしない。ただ、アルトとリィの間でも時間のずれが生じるとなると、連携も乱されて、一緒に戦うことがむしろ足かせになってしまうほどの難題になるのだ。
しかもこれに関しては対策のしようもないとあって、技の封印手段を持たないアルトたちはさらにその性質に苦慮することとなる。
「え? っつーかアイツ、今動いてねぇよ、な?」
心配に浸りかけたアルトは、はっと違和感に引きずられて現実に帰る。あまりにのんびりしすぎた。そんな焦りとは裏腹に、先ほどからディアルガはつま先一つ動かさず、なんなら絶え間なく叫んでいた声さえ途絶えたままだ。
「本当、だ……。えっ、今、時間の流れおかしくなってるのかな?」
「わかんねぇけど、でも」
――今が、最大のチャンス。
アルトはダイヤモンドをひとつ蹴り飛ばして、一気に祭壇へと駆ける。足裏を突きさすダイヤモンドの感触も知ったこっちゃない。リィに回復してもらった体は、それまでに比べたら随分と軽かった。
リィもそれに同じことを思ったのだろう。重そうな体を無理やりに走らせ、祭壇へと向かう。
「グオオォ……」
「……復活したか」
「そ、そんな! 今なら時の歯車納められそうだったのに……っ」
悔し気なリィとは裏腹に、祭壇に立つアルトは冷静だった。
欲しい時間は確保できた。そう、断言できたから。
「来いよ、ディアルガ」
「グオオオォォーーーッッ!!」
そう、手向けた言葉は絶叫にかき消され、発言者の耳にさえ届かない。
再び塔が揺れ始める。ディアルガの瞳はより一層深くて暗い赤色に染まり、体に走る橙のラインは妖し気に光る。
「時限の塔、破壊、許さ……ァァァアア!!」
床を突き落としてしまいそうな足音と共に、ディアルガはアルトの方へと歩を進める。そのたび、柱のヒビは深くなって、ぱらりとかけらを取りこぼしていく。
「アルト! 危ないよ!」
「わかってるよ、そんくらい」
伸ばされたリィのツルをそっと断って、迫りくるディアルガを正面から見据える。
崩れた壁から吹き込む風が、涼しくて、生きてきた中で一番心地よかった。
「――ごめん」
ぽつり、そう呟く。振り下ろされるディアルガのツメを見据えたまま。アルトは静かに瞼を下ろした。直後、頭上からの破壊音、頭を打つ数多の欠片。同時にアルトの体は勢いを消さぬドラゴンクローに弾き飛ばされた。
脳が焼けるようだった。階段から無造作に落ち、平衡感覚を失う。薄く開いた目で確かに見えたのは、猛るディアルガの背中。
砕ける音が、胸の奥で心地よく響いた。