104話 縋れ求めよ理想の未来
ヤミラミたちはみな、時空ホールの中へと姿を消した。後に残ったのは不自然なほどの静寂と、傷を負い呼吸を荒げながら地に伏すメテオのみ。
「フンッ、ヤミラミたちはみな逃げちまったぞ。お前もなかなかいい仲間たちに恵まれたようだな」
「うぐぐっ……」
体を起こそうとするも、深いダメージに阻まれてすぐに崩れ落ちる。そんな灰色の巨体を、シュトラは静かに見下ろしていた。
ラピスはひとり、神殿の頂上を見上げ、フルートを抱いていた。が、その耳は、低く発せられた声にぴこりと跳ねた。
「本当に、本当にこれでいいのか、お前たちは……」
「これでいいって、当たり前だよ。どうしてそんなこと――」
「いいって言ったろ。俺は時限の塔に行くって」
リィが聞き返そうとしたのを、アルトは言葉を重ねて止める。
「迷ってるくらいなら幻の大地なんかに来てねぇよ。……今更何も言うなよ。もう十分だから」
胸に輝くルビーのペンダントの感触に安堵し、そこに当てた手から伝わる鼓動に一抹の苦しさを覚える。
シュトラもあらかたはラスフィアから聞いていたのだろう、その様子に動揺する様子もなく、言葉を繋げた。
「時が動き、皆が平和になるのであれば、それでいい。俺たちは、そしてキルシェも、そのために協力し合ってきたのだから」
キルシェは命を賭けて協力すると、そう言っていた。それはすなわち、歴史が変わることによって消滅しようとも、という意味を成す。
――皆、覚悟の上だった。その間にどんな葛藤や悲観を抱えたって。自分が選んだ道で、まっすぐに立っていた。
それならアルトだって同じだ。認めたくなくて、嘘だと叫んで、本当だと告げられて、ずるいと罵る。時の歯車が取られたことに安堵していた自分は、果たしてそこにいたのだろうか。
今、自分が幻の大地を踏みしめた意味、時限の塔を仰ぐ意味。すべて胸に抱えてある。これ以上迷うべき理由なんて、自分にはもうないから。
(だから、たとえ)
――この身を、滅ぼすことになっても。
「歴史は、歴史は変えさせんッ!!」
は、とアルトは顔を上げた。眼前にあるのは影をまとった拳。もう倒れていると油断していたせいで、反応が一手遅れた。
舌打ちをして横に飛ぶ。それと同時に、目の前には別の色が弾けた。
「――させるかッ!!」
映った森色はすぐにアルトの視界外へ。攻撃を正面から食らったせいで飛ばされたのだ。
「アルトを庇ったか、シュトラ!」
「うぐぐっ……」
手を伸ばしても届かないくらいの距離にまで飛ばされていたシュトラは、なんとか立ち上がろうと膝をつく。口元を手で覆うが、その隙間からは苦し気な咳が漏れた。
「今の攻撃でだいぶダメージを負ったはずだ! ちょうどいい、お前から始末してやるッ!!」
ダメージを感じさせぬような足取りでシュトラに歩み寄るメテオ。アルトは舌打ちをして地面を蹴る、が。
「う……うおおおぉぉ!!」
それより早くシュトラが前に躍り出た。緑色の細い体は、しかし力強くメテオの腕を掴む。
「ぐっ、何をする!?」
「シュトラ!? 待って」
いち早くその真意に気付いたラピスが、澄んだ瞳を動揺の色に染める。が彼女が声を上げようと、手を伸ばそうと、シュトラの意思は変えられない。
「うぐぐっ、メテオ……このまま、このまま貴様とともに、未来へ帰るんだ!!」
「えっ……!?」
リィは待って、と声を張る。でもその場から動けないまま、立ち尽くした。
「ラピス、ラスフィア、アルト! あとは頼んだぞ」
「……わかった。そっちもね」
シュトラは後ろ手に袋を投げ捨てた。緩んだ口元からは透き通った青色が覗いた。
時の歯車、四つ。それぞれがこぼれぶつかり合って、涼し気な音を奏でた。アルトのバッグに入っているものと合わせて五つが揃う。
冷静に返すラスフィアとは反対に、リィはまだ混乱状態にあった。
「ね、ねぇ待ってよシュトラ、なんで……嘘だよね?」
「いや。俺はこのまま、メテオを道連れに未来へ帰る。もうここへは二度と戻れないだろう。リィ、アルトのことを頼んだぞ」
「そんなの! そんなの、私になんてできないよ、シュトラの代わりなんて」
「やるんだ。お前ならできる。お前たちは最高のコンビだ」
「さいこうの、コンビ……」
アルトの耳にはそのひとことが残って、何度も頭の中で響く。
そんなわけないと首を横に振る。自分がリィにできたことなんて何がある。傷つけ、危険にさらし、隠し事をし、後ろめたい思いのまま今ここに立っている自分が。
「ぐおおっ、離せ、離すんだぁッ!!」
「もう少しだ、静かにしてろ!」
シュトラはより一層腕に力を込めた。何倍もの体重を持つヨノワールを抑え込むためには、今シュトラが持つすべての力を振り絞る必要があった。
「アルト。俺はお前に会えて幸せだった」
はっと顔を上げた。アルトの頭を駆け巡っていた思いはぴたりと止まる。
「そんなわけ」
「ある。お前と出会わなかったら、星の停止を食い止めようだなんて思えなかったんだ」
「知らねぇよそんな話」
自分の中には残っていない、過去の自分の話。自分が知らないだけで、過去の自分は周囲に希望を与える存在だったとでもいうのか。わからねぇよ、とアルトは舌打ちをして、霧に霞むニンゲン時代の記憶を地面に叩きつける。
「お前が覚えていなくなって、俺を変えたのがお前である事実は変わらないんだ。――感謝してる」
「…………っ」
言われたってわからない、嘘だって言いたいのに、シュトラがそんなこと言うわけもないから。繋ぐべき言葉もわからないまま、言われたことはとんとんと胸を打つ。
「じゃあな、みんな。別れはつらいが……後は頼んだぞ!」
シュトラはまっすぐにメテオを睨んだ。持てる限りの力で地面を蹴って、その身を宙に浮かす。
「待たせたな!」
「ぐわああぁぁぁ!!!」
二人の体は波立つ闇に溶けていく。シュトラの頭になびく葉の先端までも、一瞬のうちに呑み込まれた。二人を隠した時空ホールは満足げに、一筋の光を弾かせて消滅する。
本当に、瞬く間の出来事だった。
「シュトラ、どうして……」
身冷えするほどの静寂に包まれた遺跡で、リィは声を震わせた。
「わかれがつらい、って、その気持ち痛いほどわかるよ。皆未来で出会って、ずっと一緒にいたんだもん。別れるのって、すごくつらいよね」
「ちが……」
そういう意味じゃ、ないんだ。なんて声にならないまま、風に流されていった。
(あれは俺たちとシュトラのことじゃない。リィと別れること、リィがひとりになることを言ってたんだよ。歴史を変えたら、みんな消滅するから。リィと一緒にいられるのも、この冒険が最後って、そういうことなんだよ)
アルトの胸の奥はぎゅっと締め付けられる。
過去に渡ってきたアルトたちに、失うものなんてなかった。悲しませるものなんてなかった。そうだったから、それなのに。
――やっぱり、言うべきか。そんな思いがアルトの胸を掠め、そして通り過ぎた。今言って何になる。言うならすべて終わらせてからでも、それでも遅いけれど、今リィの歩みを止める理由はない。だって、今シュトラとの別れを前に、こんなにショックを受けているのだから。
「虹の石船、動かさないと」
リィはひとつひとつ、時の歯車を拾い集める。吸い込まれそうな青緑色に、しかし感動できる心はないままだった。四つを集め、自分のバッグに大切にしまい込んで、伸ばしたツタで潤んだ瞳をぬぐう。
「未来で待っててよ、シュトラ。私、絶対に時の破壊を食い止めて、未来をいい世界に変えるから。シュトラが幸せに住める世界に、キルシェが太陽を見れる世界に、きっと!」
誰も、それに頷きはしなかった。目を逸らして、俯くのみ。でもリィの目にそんなものは映らない。拭った直後の視界の端では、まだはっきりとは見えなかったから。
「シュトラのためにも行こう、時限の塔へ!」
リィはひとり宣言して、石畳の階段に足をかけた。踏み外さないように、一段一段を見据え、確実に登る。
そして――旋風は頬を掠めた。
「未来からの刺客、闇のディアルガの側近。……期待はしていたのだがな」
「えっ?」
頬の横を、まるで光のような速さで駆け抜けた風をもってして、リィはその存在に気が付き顔を上げる。
神殿の頂上を仰げば、逆光に顔を隠した一つの影。それでも顔の横に伸びる長い角と、光を透過する純白の体毛は、リィたちに種族を伝えるには十分であった。
「スイ?」
「貴様らと会うのは初めてか。名を知っているのは……大方あの草蛇のせいか。リサウンドのふたりであれば良いのだがな」
白銀の体毛が、風になびいてさらりと揺れた。
夕焼け色の体と、グラデーションのかかった大きなツノをもつ、色違いのアブソル――スイ。
幻の大地にいるはずのない、そう勝手に思い込んでいた存在だった。ただ、ひとつわかるのは。
――彼もまた、障壁であること、それだけだった。