103話 流れる音色に耳を澄ませば
「ラピス……?」
ヤミラミに一撃を打ち込み、リィの元へ帰るかと思われたラピスは、その場でぴたりと止まった。リィが首をかしげる間にはもう、彼女は走り出していた。
「そっちの援護なら仕方ないね。ラピスが対処法教えてくれたから大丈夫」
向こうの戦況を確認する暇さえ与えないヤミラミたちに、リィは持てる力を尽くして応戦する。きっと大丈夫だから、と。そう信じていたから。
ラピスは走りながら一点に向けて十万ボルトを放った。もちろん、そんな集中力でまともな威力など出るわけもないが、今はそれでよかった。一番の目的は「隙を作ること」なのだから。
目論見の結果さえ見届けぬまま、ラピスは一目散に走る。走り抜けた。
「危ない、から」
なんて、ため息をついて、不愛想に手を握る。そんなふたりを、不可視の力が掴み、投げ飛ばす。舌打ちのような音と共に、技名が叫ばれ、それを打ち消すべく新たな影の波が展開される。そのせいで二人を浮かせた力は途中で途絶え、身長くらいの高さから地面に叩きつけられはしたけれども。
「今度は、間に合ってよかった」
なんて、小声で言われたのを、聞き逃せなかった。
ラピスは擦った傷跡の砂を払うと、メテオの攻撃をいなしているラスフィアの動きを注視しながら、アルトに問いかけた。
「……助け、いる?」
「あー……いいよ。ヤミラミ先に倒してもらいてぇ」
「そ。じゃ、……気を付けてね」
ラピスはメテオを指さすと、まるで銃を撃つかのようにして閃光を放った。助けはいいと言われながらも、電磁波の置き土産をしていくのが、彼女らしかった。
「クッ、叩き込めると思ったんだがな」
メテオはアルトを冷ややかに睥睨した。隙をついて時空ホールに叩きこめば、戦力を欠くことも、相手を動揺させることも、もちろんメテオ本来の目的さえも達成される。――そんな企みは見事水の泡と化した。
「させるわけないでしょう。もっとも、ラピスが気づいてくれるとは思わなかったのだけれど」
二人分を時空ホールの引力に逆らってサイコキネシスで飛ばすこと、さらにそれを向こうの攻撃を受けながらも、一定以上飛ばすまでそのまま耐えなければならないこと。文字で書けば簡単だが、やっていることは想像を絶する高難度だ。素人にできる代物ではない。
ラスフィアはメテオの脇腹に回り込むと、「だましうち」を勢いよく叩き込む。向こうが体勢を崩したタイミングが、チャンス。
アルトもそれを真似て、向こうの懐へと突撃する。今度は時空ホール側に行かないように留意して。
「だが、結局それか」
メテオの目が妖しく光った。それと同時に、アルトの心臓は掴まれたかのように急激にに収縮する。
「い……ッ!!」
呻くのも一瞬、それは元に戻って、後は単に不自然な悪寒が走って冷や汗が伝うだけの、技の効果外の反応だけが残る。
だが、確実に、何かされた。それだけはわかるが、でんこうせっかで距離を取っている間も、体に異常が残っている様子はない。
「シャドーパンチ!」
「でも、動くしかねぇし。まねっこ――シャドーパンチ!」
いくらゴーストタイプの技だとしても、物理技に関してはだいぶん慣れたものだった。向こうの軌道を見切り、避け、目に焼き付け、再現する。
メテオの頬は確かに殴れた。だが、何か違和感が残った。
「それ以外に打つ手がない、違うか?」
耳元で言われ、はっとする。まねっこを使った後の消耗が激しかったのだ。それは体力的なものとはまた違うが、確実に残力を減らされたような――。
「『うらみ』でまねっこさえ封じれば、貴様はゴーストタイプに対して戦えなくなるだろう? だからずっとそればかりだった。そうだろう、フフフッ」
勝ち誇ったような笑みに、アルトは苦い顔をする。
あとこの技を何回打てるのか、体感でもそう多くはないし、それで倒し切れるほど相手の体力は削りきれていない。アルトの得意とする格闘技も、ノーマル技も、向こうの言う通り相性的には無効になってしまうのだ。
だから不利だと知っていた。メテオの相手も、ヤミラミの相手も、厳しいと知っていた。
だから、無策で飛び込むようなまねなんかしてなかったのだ。
「別に、まねっこがなくたって戦えるよ。だって」
ラスフィアと目を合わせる。わざわざ「彼女に」特訓に付き合ってもらった理由は、きちんとあるのだから。
彼女も一旦目を伏せると、小さく微笑んだ。行ってみろ、という合図だった。
「もう一度……っ!!」
アルトは先ほど失敗した技を、もう一度構える。両手を合わせ、深呼吸をして、技のイメージを整える。
「悪の波動!!」
アルトから伸びた影は猛り、波紋のように広がり行く。合わせた手を放し、腕を広げれば、それは影と影を繋ぎあわせて波紋を広げ、メテオへと押し寄せる。
ほぅ、と向こうは愉快そうに目を細めた。アルトが悪タイプの技を自力で、まねっこなしで扱えるようになっていたのは盲点だったからだ。
「だが威力は低いッ!!」
対抗するのは「かげうち」。威力のほとんどは掻き消えて、ただの黒いさざなみへと落ち着いてしまう。
「でもこれでわかったでしょう。もうアルトは無警戒でいい相手でないと」
「フッ、そうだな。ニンゲンだった頃に比べれば、な」
そんな記憶アルトにはない。残ってはいないけれど、でもきっと、あの頃よりはずっと強くなれたから。
アルトは再び両手を合わせ、全神経を集中させる。不完全だからこそ、伸びしろがあるのだ。
「「悪の波動!!」」
ラスフィアのものと、アルトのものと。同位相で干渉したそれらは、振幅を大きくして一つの技となる。息を合わせなければ最大値をとる点を同定できない――そこまで含めて、特訓の成果だ。
アルトは一歩引いて、再び悪の波動の溜めに入る。威力の低さは時間をかけて補うのが確実という理由からだ。その間前線に立つのはラスフィアの役割。自身の周りに影の氷柱を四つ浮かせると、順に揺らぐメテオの影へと解き放つ。
影がより一層大きく動いた。いくつかかわされるまでは予想通りだったのだが、向こうに青白い炎が光った時点から流れは変わる。
「おにび」
青い炎は気ままにゆらめいたかと思えば、目にもとまらぬ速さで頬を掠め、体にまとわりつく。かと思えば、自由に飛び回って体のあちこちを熱しゆく。
アルトもラスフィアも、それによるやけど状態に苦い顔をした。技を構えようにも、体を蝕む熱と痛みのせいで思うような集中を得られないのだ。回復用のいやしのタネを食べる時間を稼ぐにしたって、どちらか一方はこの状態のまま猛攻に耐えねばならない。
が、そんな迷いなどしている時間はない。
「アルトは一旦下がって!」
「逃がすか、かげうち!」
指示通り後退しようとしたアルトの足を、どこからか伸びた影が掴み、横へ薙いでバランスを奪う。が、そこで終わっては不利が重なるばかりに終わってしまう。
「悪の波動!」
相手がその相殺にかかった隙にと、ラスフィアは再び氷柱を生んで自身の周りに待機させる。メテオが技を仕掛けようとすれば、それを順に放って阻止する。
そうしてくれればアルトとしては十分だった。都合よくバッグの一番上にいたいやしのタネふたつを奪い取ると、ひとつを自分の口に投げこみ、真っ二つに噛み千切ると同時に地面を蹴った。
「ラスフィア!」
アルトが投げたもうひとつのタネを、ラスフィアは器用にキャッチ、自分の口に含む。
午後のティータイムを思わせる優しい香りと共に、体中に点在していた不快な熱はすっと消えていった。思わずリラックスタイムとはいきたくなるが、状況はそれを許さない。
メテオの手が凍り付いたかと思えば、それはアルトのみぞおちを狙って襲い来る。避けきろうにも蓄積したダメージで足が重かった。まともに受けたアルトは、数メートル飛ばされ、地面に転がされる。
(息苦しい……)
ただでさえ随分と体力を使って息が上がっていたところでこれだ。咳き込んだせいで酸素は枯渇、視界が重なる。立ちあがる間は視界が真っ白になって何も見えなくなる始末だ。
焦点の合わない視界を閉ざせば、頭の房がふわりと持ち上がる。まだ未熟であれど、波導で相手の動きを読むことくらいはアルトも容易くできるまでになっていた。
かげうちを飛んで避け、酔ったように体の感覚が消えつつもなんとか無事に着地。目を開けば、戦場は優しい光に包まれていた。
「――月の光」
ラスフィアの頭上に浮かぶのは、光の粒をまとった満月。ふわふわと上昇していったかと思えば、それは弾け、光の雨となって降った。
雨はアルトに、そしてヤミラミと戦っていた三名の元へ注いだ。暖かな光に包まれれば、のしかかっていたダメージは徐々に和らぐ。
(そっか、水晶の洞窟でも使ってたっけ)
あのときは敵対していたせいで厄介な技だと思った。だがこうして、味方全員で回復の恩恵を受けられる立場になれば、そのありがたみは身に沁みる。
それは、あの時アルトと同時に戦線に立っていた、リィだって同じことを思っていた。
「なんだろう、この光?」
降り注ぐ光に首をかしげたのは、敵であるヤミラミたちだって同じだった。
「ラスの月の光。……ちょっとは回復した?」
「あっ、あれかぁ……! うん、体が楽になったよ」
リィはにこっと笑うと、すぐに気持ちを切り替える。
今彼女とラピスが共同で相手をしているのは二匹。もう二匹は既に戦闘不能にまでは追い込んであった。
「遅いぞ」
「わ、シュトラ。そっちはもう戦い終わったの?」
「あぁ。できれば早く倒してあっちに合流したい」
言うが早いか、あなをほるの構えとして地面に潜ってしまった。リィも狙いを定め、ヤミラミたちへ葉のプレゼントを贈る。
「避けられなくしてやる、から」
ラピスが呟くとともに、その場に氷のように澄んだ音が響き渡る。途端、ヤミラミたちの足は凍り、彼らは寒さに囚われる。リィの技を相殺するツメの動きも鈍った。
この攻防に尽力するあまり、ヤミラミたちは、もうひとつの脅威をすっかり意識の外に追いやってしまった。
「ウイイィィイッ!?」
地面から飛び出たシュトラの一撃に、片方のヤミラミは高らかな悲鳴を上げる。
「終わりにするぞ、リーフブレード!」
続けざまにもう一方のヤミラミへと斬りかかる。シュトラの素早さもあって、ヤミラミは回避はおろか、防御策の欠片さえ行えぬまま直撃を味わった。
リィは葉を、ラピスはフルートを、それぞれ構える。
「葉っぱカッター!」
「冷凍ビーム」
重なった声から放たれた得意技はトドメの合図。叫びながら地面に伏したヤミラミを、ラピスは冷ややかに見下ろした。
一応全員戦闘不能にまでは持ってこれたが、いつ回復するかはわからない。かといってこれ以上の攻撃をするのは倫理の一線を超える。
「構っている暇などない。行くぞ」
最善は、とにかくメテオを倒すこと。三人の意思は重なり、もう一つの戦禍へと飛び込んでいった。
まずい、と本能が伝えていた。
向こうだって相当なダメージを負っているはずなのに、技の威力はむしろ高まっていくばかり。それは「絶対に負けられない」という本心から湧き出た力なのだろうが、渾身の力で殴られたふたりは今まで以上に重い一撃を食らっていた。
それだけなら、よかった。
「これで……終わりだアッ!!」
二人の目に映るのは漆黒。ヨノワールの腹部にある口が大きく開いたのだ。アルトは思いもしなかった行動に唖然としたが、ラスフィアはそうではない。彼女の頬を冷や汗が伝った。
「大きな技をしかけてくる……!」
「チッ、あの溜め込み方だと相殺しきれるかもわかんねぇよ!」
口に集まる黒い光は瞬きするごとに倍の大きさになっていく。想像を絶するような威力を得ているのは明白だった。
「ふたりとも! 大丈夫……えっ、おなかの口が開いてる!?」
「まずいな、避けきれるか?」
焦りに霞む思考に流れ込んだのは、そんな声たち。ヤミラミたちを倒したシュトラたちが援護に来てくれたのだ。
が、それで好転とはいかない。メテオの身長を超えるまで肥大化した球体に、たとえ全員で応戦したとて、溜める時間が間に合わなければ相殺は厳しい。
(……おなかのくち?)
動きを注視していたアルトの頭で、ぱっとチョンチーが光った。
「なぁ、あれをはじき返しておなかの内側にぶち込めねぇ!?」
「そんなことができるのか?」
「……難しいと思う」
アルトの提案に対して、シュトラとラピスの反応は芳しくなかった。あの質量の運動の向きを真逆にする、なんて言葉でいう以上に難しいのだ。
対して肯定的なのはラスフィアとリィ。ラスフィアはすっと標的を見据え、技の溜めに入る。
「でもそれが最善手だとは思う」
「もう時間がないよ、やってみよう!」
「――くらええええぇぇっ!!!!」
リィが語尾を言い切る前に、メテオはエネルギーを解き放っていた。
アルトたちからすれば、見上げるほどに大きなエネルギー弾だった。即席で溜めた技に、頼れるほどの威力は伴わない。けれども、全神経を集中させれば、話は別。
それぞれの攻撃が一度に、迫りくる球体を迎え撃つ。
押され気味だった。押し返せてくれと、祈った。更なる集中を注いで、攻撃の手を強くした。
ふっと圧迫するような力は弱くなった、かと思えば、それは来た道を戻っていく。
「――があああああぁぁッッ!!!!」
遺跡を揺らすような叫びがとどろき、その中にどさりと重い音がのしかかる。自身の持つ力の結晶を、それも急所に受けたのだ。
影さながらの球体は、次第にほどけて薄れていって、相手の現状をアルトたちに、そしてヤミラミたちに明かしていく。
確かな感覚があった。あったけれど、目の前の現実を信じられないでいた。
「め、メテオ様が……」
ヤミラミの一匹が立ち上がり、そう震える声でつぶやいた。他のヤミラミたちも起きあがって、きょろきょろと仲間たち同士で顔を見合わせた。
「た、倒されたああぁぁぁーーー!!」
「「「「ウヒィィィィイイイーー!!!!」」」」
息ぴったりの叫び声を響かせたかと思えば、彼らは一目散に時空ホールへと飛び込んでいった。リィが「待って」というのさえ耳に入れぬまま、六つの影は瞬く間に吸い込まれていく。
「ほ、本当にやったの……?」
ラピスは澄んだ瑠璃色の瞳を揺らしながら、静寂が支配した場でフルートを抱いた。