101話 大地に足跡残したら
ギルドにもまた、朝は訪れていた。いつもどおりな出来事を、いつもどおりでないメンバーで執り行う。
メロディに関しては言わずもがな。もう一組だけ、普段と違うチームもあって。
「明日は寝ましょう」
磯の洞窟からの帰還後、シイナがそう真顔で宣言したのに、エルファとリズムは渋々ながらうなずき、ギルドメンバーからはむしろそうしろと総出で言われる始末。その結果が今朝である。
目覚まし役たるジオンも、今日だけは寝息を立てる彼らに何の声も立てないまま、部屋を去った。
スイ戦から間を置かずにこれだから、相当無理はしていた。少しくらい寝すぎることは、許してやるのが道理だった。
そんなこともありつつ、ギルドメンバーたちは溢れた依頼の山に顔をしかめた。見る度に増えているのだ。今も、一匹のラッタが依頼の紙を貼ろうとして、場所もないことにため息をついて床の山の頂上に置いた。
決して弊ギルドの片付け能力の低さに由来する惨状ではないのだ。
「お願いです! 北の砂漠近くに住む友人が無事か心配で……!」
時が停止した区域の情報は日々、むしろ日に数回更新されては報道される。それが不安をあおり、安否確認をという依頼を生む。その報道自体は、探検隊が活動するために必要な情報として通知されるのだが、当然一般市民の耳にも入ってしまうのだ。
地下一階、掲示板フロアの半分ほどが茶色の紙製のカーペットに塗られた様子に、ヴァイスはため息をついた。
「お、カフェのにーちゃんたちじゃねーか。どったのさ」
「おはようございます、『かまいたち』さん。私たちも探検隊として、この依頼を手伝いに来たんです」
「へーぇ、そういえば探検隊って言ってたっけか。お疲れさん」
チーム『かまいたち』のひとり、サンドパンはそういうとヴァイスの背中をたたいて依頼の山を崩しに行った。その後ろに、チームメンバーのザングースとストライクも続いていた。
マリーネオは自分たちのバッジの色を今一度確認した。スーパーランクという、一目置かれる目安たるゴールドランクよりずっと上にまで上り詰めた過去が、ここに詰まっていた。
「そういえば、前にコトフィとシェライトがここに来たのってギルドマスターの変更のあいさつのためだったよね」
わざわざ、ギルド「モルト・ビバーチェ」内でも実力の高い彼らのチーム「チェローズ」を寄越したのはそのためだった。変更に伴う諸々の書類は、機密のものも含まれるために、信頼できる探検隊に託していたのだ。
いつしか訪れた、賑やかな綿毛ことエルフーンと、振り回されているハクリューの、相変わらずの具合を思い出して、ふたり顔を見合わせて笑う。
「うん。スコアがマスターで、アルペジオがサブマスター」
「あの二人がギルドのトップなのすごく不思議で、今も実感はないんだけどね」
よく一緒にご飯を食べたり、手合わせをしあったりした仲の、デンリュウとジュペッタのコンビ。自分たちの先輩であったし、実力もあったが、いざトップになったと言われてもピンとこない。
「でもさ、もう少し落ち着いたら、一回帰省してみたいよね! ビバーチェにはもちろん行きたいし、新しいお茶を紹介してもらったりとか……やりたいことたくさんできたなって思ってたんだ」
「うん。あっちにいた時間、もう懐かしくなってる」
「時間が過ぎるの早いよねー……」
マリーネオがそう苦笑するのも無理はなくて。ようやくこちらにカフェをオープンできたと思えば、未来からのポケモンだったり、幻の大地の話だったり。忙しすぎて日が過ぎた実感さえ乏しかったのだ。
ヴァイスは場所の近い数枚の依頼を手に取った。どれも、「知り合いの無事を確認してくれ」という趣旨の見出しで飾られている。
「結局どの依頼もこんな感じだから、気が重いけど仕方ないね」
「うん……。アルトさんたちが時の破壊を食い止めてくれれば解決するにしても、ね」
トレジャータウン周辺に避難してきたポケモンたちからも、その類の依頼が多く出されていて、お尋ね者の依頼も埋もれる始末。そもそもお尋ね者の依頼も、今は急がれていなかった。――特にこの状況下、救える命を救うべき、とされるから。
訪れる探検隊たちが何枚も依頼を持っていこうとも、溢れた依頼が片付く気配は一切なかった。
頭を打つは降りしきる弾丸。それは着実に体力を、そして体温を奪っていく。あいにく、それを防いでくれる屋根なんて都合のいいものはここにはなかった。
「いたぞ! アイツを倒せば……!」
シュトラが睨む先には、緩慢な動作で歩む白い巨体、ユキノオーがいた。
「しんくうは!」
「メランクルスタロ!」
アルトの右手から放たれる波導と、ラスフィアの生み出した漆黒の氷柱がまっすぐにユキノオーに向かう。が、向こうは葉っぱカッターで威力を殺し、木の幹のように太い腕を薙いで余波を受け切った。
その程度の行動は、今まで出会った他の個体もしてきた。だから、無策ではない。
アルトはその間にでんこうせっかで背後に回っていて、そこからふたたび「しんくうは」で首筋を狙う。そちらに気が向いた隙に、今度はラスフィアの悪の波動が足元を穿つ。
「まねっこ――悪の波動!」
トドメはアルトの放つ悪の波動。練習も道半ばのまま幻の大地へ来てしまった以上、この訓練も今やれるだけをやる必要があった。
「寒っ……あられなだけで寒いのに、近づくと余計に冷気が」
アルトはその場で足踏みをしてぼやいた。指先の感覚が消えそうなほど寒くて、今すぐにその辺を走り回りたいくらいだが、体力の無駄遣いもできないのだ。
「さむい……」
リィは小さくなりながらとことこと進む一行についていっている。タイプの問題もあるし、彼女自身が特に寒がりなのも災いして、フロアに問答無用で「あられ」を降らせるユキノオーがいる環境下では、思うように戦えていなかった。
ユキノオーを倒したかいあって、あられは今しがたアルトの足元に転がったのを最後に止む。代わりとして現れたのは、まばゆい、まばゆすぎる日差しだ。
「これだと今度暑いんだよな」
「風邪引きそう……。こんなに温度変化あるなんて思わなかった」
目まぐるしい天候変化で、気温はみるみる上がり、アルトは額に浮いた汗を手の甲で拭った。
先頭を歩いていたラピスは、部屋の入り口で足を止めると、そっと中を覗き込んだ。中には二匹、トロピウスとブニャット。どちらも起きて部屋を闊歩しているから、気づかれるのは時間の問題だった。
「あたしがトロピウスの方に行く」
「わかった」
アルトとラピスは目を合わせ、部屋へと駆けだしていく。気づいた敵が大口を開けて叫べば、ラピスのフルートは旋律を紡ぐ。
「冷凍ビーム」
トロピウスの羽は凍り付き、飛べぬ彼はより一層猛る声を響かせる。
その反対側では、アルトがブニャットに手をかざし「はっけい」を打ち込んでいた。
「体力あんのはわかってんだよ!」
アルトがそう言った瞬間、ブニャットの左前脚は地面に埋没。そこから飛び出したシュトラが、ブニャットの腹に重い殴りを入れた。
倒れこむブニャットが戦闘不能であることを、アルトは確認しようとする。が、それも途中で遮られた。
「――悪の波動!」
「原始の力!」
揃った声が狙いを定めるのは、上空を悠々と舞う夕陽色、カイリューだった。アルトたちの何倍もある体躯は、技一つ受けるだけで大けがしかねない攻撃力を備えていると主張してやまない。
二人の技を受け、痛みに叫んだカイリューは、そのまま一気に高度を下げる。ドラゴンタイプでも強力な技、「ドラゴンダイブ」のために。
「きゃっ!!」
リィの眼前の地面は、彼女一人落ちてしまうほどのクレーター状にえぐられる。小柄なリィは弾き飛ばされ、口に砂ぼこりをいただく。
「サイコキネシス!」
「これでも食ってろ!」
飛んできたタネは、大きく開いた口に吸い込まれる。思わず相手がごくりと呑み込めば準備完了。ラスフィアの念力による拘束が解けてもなお、カイリューは動きを止めたままだ。
アルトが投げつけたのは「しばられのタネ」。端的に言えば、相手を動けなくするためのタネだった。
「駆け抜けるぞ!」
シュトラの一声に、全員が休む間もなく彼を追う。
このダンジョンはとにかく敵のレベルが高かった。ブニャットのような高耐久、ラムパルドのような高火力、カイリューのような空中戦に、天候をわがままに変えるユキノオー。
おまけに数が多い。先ほどのように、二、三体相手にするのも珍しくないし、モンスターハウスにだって出くわす。
それらと逐一戦っていては、ディアルガと戦うための体力も、時間も。何も残らないから。
『動きを止めることができたらそのまま駆け抜ける。倒すことばかりに気を取られるな』
これが今回の方針だった。もちろん、進むべき道にいれば倒さざるを得ないのだが、こうして戦闘を最小限に抑える場面も数多くあった。
それだけ速度に尽くしても、体力の温存を試みても、想定以上に削られていき、それが各位の焦りを生みつつあった。
リィの息が上がり、アルトも足が重くなりつつあった頃。階段を抜けると、一段と明るい場所に出た。
周囲を見渡し、その広さ、風音一つ感じないほどの静けさから、ダンジョンの突破を知る。
「ここが、遺跡……?」
怪訝な顔をして、ラピスは小走りで駆けていく。やがて、まっすぐに伸びた通路の道半ばで、彼女はぴたりと足を止めた。二番目に追いついたシュトラは一瞥しただけでその先に行き、次に着いたラスフィアは彼女と同じ方向を見上げた。
「古代ポケモンの壁画……」
目の前一面に大きく描かれているのは、桃色の愛らしいポケモン。絵の横には、そのポケモンと"ニンゲン"らしき形が並んでいる絵があった。
「古代には、ニンゲン、普通にいたのかな」
未来にいたときから人間なんて身内以外で見たこともなかったラピスは、目を細めてそう呟いた。掠れていて、本当にニンゲンなのかどうかも危うくはあるのだが、彼女にはそうだと認識されていた。
ゆっくりと歩いてきたリィと、それに歩幅を合わせてきたアルトも、連なる壁画群に目を奪われる。
「あ、これグラードンだよ……!」
「本当だ、青いポケモンと戦ってる、のか?」
霧の湖で見た、圧倒的な力を持つ伝説のポケモン。マグマのような深い赤色の体は鮮明に思い出された。
懐かしいね、なんて言葉を交わしながら、続く壁画を見に歩む。
「……ディアルガ」
次の壁画で、アルトは足を止めた。これもまた、他のポケモンと対になるように描かれていた。
が、壁画のディアルガは、アルトの記憶のものとは違う。アルトが見たのは、燃え盛るような橙色の模様をもった、赤くたぎった目をしたものであって、絵のように青系統で統一されたさわやかな色合いではなかった。
「時の破壊で暴走する前のディアルガね。……こっちの色の方が、私は好きかな」
ラスフィアはそれだけ言うと、すっかり小さくなったシュトラの影を示して「早く行かないとね」と述べる。いつもなら微笑みなり苦笑なりするはずなのに、今日に限っては無表情のままだった。
壁画の波を、さながら歴史を超えるかのように走り抜ける。やがて外的な風が吹いたかと思えば、壁は途切れ、外の景色が視界いっぱいに広がる。
「わぁ……」
目の前にそびえる長い階段の頂上で、シュトラの細長い葉が風にはためいている。ギルドを彷彿させるような階段を、リィは浮き立つ足で一気に駆け上がった。
神殿のような場所の頂上。たどり着いたリィは、ぱああっと顔を輝かせた。
「わ、床にも模様がある!」
「磯の洞窟にあったものと同じだな」
リィはぴょんぴょんと跳ねて模様を覗き込む。視界はたいして変わらないが、上から眺めたいという思いがはやったのだ。
そのうち、リィは一つの違和感に気が付いて、首を傾げた。
「ここ、くぼみがあるよ?」
「そこの石碑に説明が書かれているんじゃないかな」
ラスフィアに促されて、皆が艶やかな黒色の石碑を覗き込んだ。普段読んでいる足形文字ではない、別の記号が一面に彫られている。
「これはアンノーン文字、要は古代文字ね」
「よ、読めない……」
「そのための俺たちだ。未来で勉強してきたからな」
シュトラの言葉に、ラスフィアもうなずいた。
二人が石碑を解読する間、リィとアルトはもう一度頂上の様子を眺めた。頂上は何匹ものポケモンが乗れるほど広く、その三方には階段が伸びていた。
「この階段降りていったら他の壁画見れたりすんのかな」
「……! そうかも! 時の歯車納めたらみんなで見に行こうよ!」
「……あぁ」
屈託のない笑顔を不愛想に流すアルトに対しても、リィは「緊張かな」なんて思っているから疑心など覚えていない。一歩離れて眺めていたラピスはそっと目を逸らした。
「わかったぞ」
シュトラの一声は、いつもより高揚の色が見えた。
「ここそのものが虹の石船になっているみたい。そこのくぼみに遺跡の欠片を嵌めれば動くそうよ」
「そっか! じゃあさっそくやってみるね!」
華やいだリィの頬を、冷たい風が撫でた。ラピスの耳はぴんと立ち、ラスフィアは目を伏せて「やっぱりね」とつぶやいた。
「――そこまでだッ!!」
そんな声が、場を揺らしたから。
「ウイィィィーーーー!!」
息のあった六重奏と共に頂上に飛び上がってきたのは、鋭いツメを白い歯と共に輝かせる、六つの紫色。彼らの目は、比喩なく宝石のように、澄んだ色をして光を跳ね返していた。
囲まれた以上、できるのは背中を合わせることくらいだった。
シュトラは現れたもう一匹、浮きながら悠々と歩む影ををキッとにらみつける。
「メテオ。……どうしてここにいる」
メテオは種族柄の大きな手を広げ、目を細めた。
「フフフッ、簡単なことさ。お前たちは必ずここにやって来る。であれば、探す手間をかける理由もない。ディアルガ様にここへ直接飛ばしてもらえばいい、それだけさ」
「そういえば本拠地は時限の塔だったわね。ここにも難なく降り立てたと」
「そうだ。さぁ、悪いがまた、未来まで来てもらうぞ。――ヤミラミたちよ、コイツらを連れていけ!」
「ウイィィィーー!!!」
連行されながら、来たのとは別の階段を下りていく。
階段の下で待っていた広間。そこにあるものを見て、ラピスの顔がはっと青ざめる。
「時空ホール……!」
それが示す意味は明確。トレジャータウンで、皆を未来に行かせてしまった後悔が、再び彼女の胸を打つ。
二度とあんなことしない。未来になんか、行かないんだ。
「ヤミラミたちよ、コイツらを時空ホールに放り込むのだ!」
「ウイイィィィィーーー!!!!」
ヤミラミたちが飛び跳ね、自分たちの腕に力を溜め始めた。
目配せをするまでもない。全員の意思はとっくに一致していたのだから。
瞬間、彼らを取り囲んでいたヤミラミたちは弾き飛ばされる。五名一斉に攻撃を繰り出したのだ。
「ほう、この期に及んでまだ抵抗するか」
凛とした顔で、戦闘態勢に入る五名に、メテオは目を細めて嗤った。
「フン、当たり前だ! 俺は俺のやるべきことをするだけだ!」
「ここまでたどり着いた以上、あなたに邪魔されて終わるわけにはいかない」
「暗黒の未来なんか、二度と行きたくない。行くつもりもない」
「みんなのために、未来を変えるって決めたから、約束したから」
「――絶対に、俺たちは、時限の塔に行くんだよ!!」
悩んだって、苦しんだって。最後に辿り着いた決意はそれだった。
こんな中途半端な場所で妨害されて終わる道理などどこにもないのだから。アルトは愉快そうに笑うメテオを睨み、歯を食いしばった。
「フッ、無駄なことを。まぁいい、倒してから未来へ運んでも同じことだからな」
ヤミラミたちのツメがより一層鋭く光る。メテオの目が妖しく光る。
彼らの背後では、時空ホールが退屈そうに大口を広げ、禍々しく渦巻いたまま。メテオは高らかに声を張った。
「この不利な状況の中、お前たちがどのくらい抵抗できるのか――見せてもらおう!!」