貴方に華と花を
冷たい雨が、頬を濡らした。
何処までも無慈悲で、冷淡で、哀しくなるほどに冷たい水。今、自分の頬を撫でている生暖かい滴とは真反対だ。空を見上げれば、そこあるのは憂鬱の曇天。震えるほどにおぞましい黒雲でも、呆れるほどに晴れやかな晴天でもなく。どちらともつかない、地味な『灰』。
拳を握って震えていたって、私に出来ることなんてない。泣くことしか、もう出来ない。誰かに迷惑を掛けることしか、私には出来ないんだ。何をしたって、何を考えていたって、結局私の回りにいる誰かが犠牲になってしまう。私の為に身を張って逝ってしまう。
しとしと、しとしと。振り払っても振り払っても、現実は何処までも着いてくる。来ないで。来ないで。私は苦しみたくない。訴えても聞こえないふりをして。そして、この現実を造りだし私を追わせているのは他でもない私自身なんだって気づいて。まとわりつく湿気。水、雫、塵と涙。それらはずっと、私に着いてくる。
どうして、どうして。どうしてこうなってしまったのだろうか。全部全部私のせいなのに。なにもしてないヒトが、いなくなってしまう。
嗚呼、苦しい。
「プル、今日は何処に行く?」
「あたしは何処でもいいよ。ライは何処に行きたいの?」
「んー、私は……あ、あそこの喫茶店とかどう?」
「いいねー」
今日もまた代わり映えのない日々を過ごしていた。古くからの友人……一般的には『幼馴染み』とかいう関係であるプリンのプルと商店街に出掛けて買い物したりケーキ食べたり。平凡ではあったけど、別に悪くはない日常だ。
私がプルに提案した喫茶店は最近オープンしたらしくて話題にもなっている店だった。混んでいるかと思っていたが以外とヒトは少なく、すんなりと入ることができた。前から此処に来てみたかった私の気分は絶好調でもあった。
店内はとても落ち着いた雰囲気で大人な感じだった。ゆったりとした照明に木目調が目立つ自然な机や椅子。柔らかなBGMに傍にある観葉植物。なるほど、人気の理由が分かる気がした。
私達は窓際の二匹用の白いテーブルについた。人数分の赤いチェック模様がついたランチマットが置いてあり、洒落てるな、と改めて感じる。プルはカフェオレを、私はミルクティーを注文して背もたれに身を預けた。
「はあ……なんか平凡だよねえ」
少し時間が経ってから呟いたのはプルだった。運ばれてきたカフェオレを口元で揺らしながら憂鬱そうに溢している。
「確かに。昨日も今日も、そして多分明日も……同じような日が過ぎていくって退屈だよね。でもまあ、私はそれでも楽しいと思うんだけどねー」
「そお?」
「うん。プルもさ、そんなネガティブになんないで。ポジティブに生きれば、楽しくなるかもよ!」
「どうだかね〜」
相変わらず暗い目元のままプルはカフェオレをずるずると啜る。
プルは、いつもなら楽しくて喋るとかなり面白い性格をしているのに、こういう平凡だとか突飛だとかの論争や人間関係の話になるととことんネガティブになる。その時は大体無表情だし、笑うとしても作り笑いだからその雰囲気のプルが私は嫌いだった。
「……ライは、いいよね」
「なんで?」
「だってライは、進化すればキュウコンになって、千年くらい生きられるんでしょ?千年生きてたら少し世間は変わるかもしれないし、そしたら……というか、千年生きる時点でもうそれこそ突飛な出来事だし。私もそのくらい生きられたらなあ。私、進化したって結局はプクリンだしさ、なんというか、つまんない」
「そ、そんなこと言ったって……それに、実を言うと私はキュウコンに進化するつもりはない。千年生きてたら確かにプルが考えていることが起こると思うけどさ、それ以前に進化したらどんどん私の周りから親しいポケモン達が死んでいっちゃう。それは嫌なんだ」
「ふーん。私だったら絶対進化してるけどね。あーあ、私とライが入れ替われたらなあ……私、プクリンとかプリンとか嫌なんだよね。可愛いだけでまとめられてナメられて」
「でも、自分の人生嘆いたってなんにもなんないじゃないの」
「ほんと、いいよね、ライは。そんな楽観的にもの見れてさ。フン、単細胞だから?私なんていちいち物事を深く考えすぎちゃうんだよね。複雑で。だからライが羨ましいよ」
「……何、それ。そんなに言う必要無いじゃない。私が単細胞っていうのは百歩譲ってそうかもしれない。でも、何?深く考えすぎることを悩んでいるなら、それを直すように努力ぐらいすればいいじゃない。私のこと馬鹿にするだけしてさ、何もしないで愚痴ばっか言うなんて有り得ない」
「じゃあ逆に聞くけどさ。ポジティブに生きようとして何か変わった?何か突飛な事でも起きた?」
「それは……私、別に突飛を望んでなんてないもん。平凡な中にも突飛はあるし、私はそれで楽しい。それでいいと思ってる」
「思考がつまんないね。だからいつまで経っても、台詞も何も与えられないで惰性に流されてるだけのモブキャラなんだよ」
「なんでそんなこと言うの?突飛な事なんて結局漫画とかゲームの中とかなんだよ?夢を見るのはいいけど、それに取り憑くのは駄目じゃない?」
「ま、どうせライは千年生きられるんだからね。私はあと数十年くらいで死ぬし。あーあ、こんなだったらもう、一回死んでロコンに生まれ変わりたいなー」
「……死ぬなんてそんなこと……」
「さ、帰ろ。暗くなっちゃってごめんねー」
投げ遣りな感じに言葉を発したプルは、まだ半分も飲んでいないカフェオレを机に置いたままさっさと行ってしまった。私はミルクティーを一気飲みしてプルを追った。
帰り道も暗かった。その上、雨が降りそうな雲行きだったから更に憂鬱だった。プルは突飛だの平凡だのの話は極力しないようにしていたが、溜め息をつきまくっていて私も鬱な気持ちになっていった。
プルは死にたいと言った。それが本音なのか冗談なのかはわからない。知ってはいけないような気もする。でも、もしプルが自殺だなんてそんな傾向を目にしたら真っ先に止めに行かなくちゃいけない。昔からの付き合いだし。それに……最近、私達が通っている高校で自殺したって事件があった。その子は苛められていた。その苛められていたのも、大体原因は私なんだ。私は昔から苛められやすい体質で、その高校でもひっそりと苛められていた。それに気付いて庇ってくれたのかその子なのだ。それからはその子が標的にされてしまった。私はといえば、内心ほっとしていた。救われたのに見て見ぬふりをして、亡くなってしまってから猛烈に後悔した。なんて、馬鹿なのだろう。
そんなこともあり、私達の間では普通のポケモン達よりも『死』が身近なのだ。この上にプルも死んでしまったら、なんて考えたら、耐えられなくなってしまう。
そんな考え事をしていたからだろうか。私はまた馬鹿なことをしてしまった。馬鹿で、取り返しのつかないことを。
「ライ!!!」
プルの悲鳴ともとれる声が鮮明に聞こえたあと、横から衝撃を受けて少し吹っ飛び地面に叩き付けられた。何故だ、何故プルは私をいきなり突き飛ばしたのだろうとそちらを見たのと、轟音が聞こえてきたのが、同時で。
「プル_____」
ガァン、と耳をつんざく衝撃音。目を閉じて宙を飛んでいく友の姿。無情にも、そのまま突き進んでいく大型のトラック。一瞬、何が起こったのか理解できなかった。
だが、直ぐに脳が動いた。そうか、私は無意識に車道を歩いていたのか。そして非情なトラックが私のところに突っ込んできて……プルが、私を庇ったのか。
「プ、ル……プル、プル!!プル!!!!」
人形のように横たわる彼女の元に急いだ。傍らに膝をつき、止血をしようとティッシュを取り出したり必死に声をかけてみたり、救急車を呼んだりしたけど。でも、知っていた。もう手遅れだって事ぐらい、知っていた。プルの目は眠っているように閉じられている。手を握っても温もりを感じることができない。
救急車で連れていかれるプルを見送ったが、もう駄目なんだということは察していた。希望なんて持てなかった。
いつのまにか雨が降りだしていた。それは私の涙のようで冷たかった。周りからも冷たい視線を感じる。こそこそ、あの子の不注意のせいで。ひそひそ、あの子が気付かなかったから。さわさわ、ほんと可哀想に。
どうして、と。今はその気持ちが強かった。どうして私なんかを庇ってくれた。どうして私なんかを救ってくれた。どうして私なんかを命を賭けて守ってくれるんだ。こんな馬鹿なロコンが死んだって、悲しんでくれる誰かなんてどうせいない。今だってもう、私を助けてくれた友達はこれで皆いなくなってしまった。私が馬鹿なせいで皆を死なせてしまって。それなら私が死んだ方がいいのではないか。
流れる雨粒だってもう気にしていられない。このまま雨に打たれていれば、炎タイプの私は死ぬかな。手っ取り早く死ぬのなら川か海に飛び込むのもありかな。それより鋭利な何かで自身を刺せば。
今すぐ消えてしまいたかった。二人も友達を殺してしまった殺人者の私なんて、死んでしまった方が百万倍マシに決まってる。このままずっと走って走って走り続けて、知らない場所で死んでしまえばいい。そしたらプルにも会える。
嗚呼、そうしようか。周りの目なんて、自分を呼ぶ声なんて全部無視して、走り続けようか。
考える前に身体が動いていた。目線に背を向けて必死に足を動かし、走り出す。目的地なんてない。何処かに辿り着くのかとか知らない。誰もいないところで、誰にも心配されないで命を終わらせたい。
足が縺れて、泥にまみれて、擦り傷も切り傷も掠り傷も付いてしまって、それでも休まずに、ひたすら前に、前に進んで。
泣きながら走って目の前がぼやけていく。次第に灰色の街並みが消えていったのも、私は知ることがなかった。初めて街の外に出たのだと気づいたのは、辺りに広がる鮮やかな花を見た時だった。種類は違うように見れるが、赤や桃色の可愛らしい色で。少しの間だけ、今まで何を考えていたのか頭からすり抜けてしまった。一体いつ、こんなところに来てしまったのだろうか。がむしゃらに走っていたから、着いてしまったのか。
顔は涙でぐしゃぐしゃで、頭の中も誰かに掻き回されたようにぐちゃぐちゃで。でも、雨に濡れて水滴を滴らせている足元の花を見ていると、ちょっと和らいだ気がした。
「こんな天気だと、どうにも憂鬱になりますよね?」
突如、背後から声が掛けられた。びくっとして振り向くが、その前にこの声は危険なものではないと察していた。優しげで柔らかな声色だったからだ。私の後ろには、暖かな緑の香りを漂わせている雨に濡れているリーフィアが立っていた。濡れてはいるけれど、私のように濡れ鼠のような惨めなものではなく、何処か美しさを感じさせるほどだった。
「こんにちは。此処は『思い出が集う花畑』。貴女は何処から、どんな悩みを持ってやって来たんですか?」
謎めいた挨拶をしたそのリーフィアは思いっきりにっこりと笑った。何故だろうか。その笑顔に私は安心していた。しかし知りたいことも物凄く多い。
「あ、あの……すいません、こんなとこに迷い込んでしまっていて……でも、此処は一体何処ですか?貴女は……誰ですか?」
開口一番こんな質問攻めにするなんて失礼だと思ってしまったが知りたいという好奇心には勝てなかった。私は最初に謝ってから聞きたいことを口に出した。リーフィアは嫌そうな顔を全くしないで、笑ったまま答えてくれた。
「ええ、聞かれると思ってました。先程も言いましたが、此処は思い出が集う花畑です。ポケモン達が住む街とはかなり離れている場所にあるのです。私はこの花畑の守護者、リーフィアのファウです」
「は、はあ……ファウ、さんですか。えっと……ちょっと、まだ聞きたいことが。思い出が集う花畑、とか、貴女が此処の守護者とか、どういう意味なんですか?」
「そうですね、思い出が集う花畑、というのは実は此処に咲いている花が由縁なのですが」
そう言ってファウは、足元の二本の桃色の花を指して見せた。その二本の花は色が同じ感じだが形が違うようだ。一つは小さな花で沢山の花が集っているようだ。もう一本は百合が桃色になった感じの花で、美しい。
ファウはまず百合のようにも見える花を指した。
「この花の名は『リコリス』。花言葉は“悲しい思い出”なんです。で、こちらは……」
今度は、小さな花の方を指す。
「『ビンカ』という花です。花言葉は“楽しい思い出”」
「……真逆の意味の花ね」
「そうですね。確かに真逆とも受け取れます。でもね、同じようにも私は思えるのです。悲しい思い出があれば楽しい思い出もあり、楽しい思い出があれば悲しい思い出もある。この二つはきっと、表裏一体のようにも思えます。
思い出に纏わる花が一面に咲いている花畑、それが思い出が集う花畑の由来です。そのため、自分の思い出をもう一度思い出す必要のあるポケモンしか此処に来ることはできません。貴女はそれに当てはまったのです」
「思い出を……うん、そうかもしれない」
「是非、お話願えますか?貴女の抱えている悩みを」
ファウに隠すつもりはなかった。私は、全てを包み隠さず話した。プルのこと、高校の自殺のこと、後悔、死の身近さ。ファウは時折相槌を打ってくれたりしたので話しやすかった。話終えると、ファウは同情したような目をした。
「……辛かったでしょうね」
「そう。私のせいで友達が二人も死んでしまった。だからもう……私も、死んだ方がいいのかなって思って。だから前も見ないで走ってきて……此処に辿り着いた」
「自分に責任を負わせて死のうとするポケモンは数えきれませんね。しかし私はそんなポケモン達の心境が理解できません。
貴女の場合……考えてみてください。貴女の友人のプルさんは、何のために貴女を守ったのでしょうか?貴女に生きていてほしかったからですよね。プルさんが命を張って貴女を助けたのに、その勇気を無駄にしてはいけませんよ」
「……でもっ………そう考えることもできるけど……それでも私は、まだ苦しいの。全部全部私のせいなんじゃないかって。死んじゃった二人は私のことほんとは恨んでるんじゃないかって。恨んで死んでいったんじゃないかって……」
「そう考えているから、そうなってしまうですよ。思い込みは、時に自身を破壊します。もう少し楽観的に見てみたらどうですか?勿論、友人が死んでしまったことを楽観的に見ろと言っているのではありません。死を簡単に打ち消すには私達はあまりにも弱すぎて……力不足です。けれど、プルさんや貴女を庇ってくれたそのポケモンも、『貴女を庇う』ということは自分で選択し進んだことです。貴女に幸せになってほしいと願ったからこそ、自らを滅ぼしてまで貴女を救おうとしたのです。彼女達は自分で自分の人生を選んだ。貴女もそんな彼女達のように生きてみてはどうですか?貴女は余りにも他人に執着しすぎているように見えます。そのことに関しては……もう少し、楽観的でもいいと思います」
「……それは、確かに。なんだか、会ったばかりから、貴女と話して胸の中のもやもやがすっきりしたみたいに感じるの」
「そうですか……それでは貴女は、悩みが解決したということですね。それでは短い間でしたが、そろそろお別れです」
「……え、え!!?も、もうお別れ……なの?なんで?もうちょっと……話してたいのに………」
「残念ですが、此処は悩みを持つものが迷い込み、そして解決していく場所です。悩みが解決したのならば、もう此処にいられる死角は無くなってしまうのです」
「そんな………!!」
「大丈夫です。貴女はもう大丈夫。でも、いつでも私を思い出せるように、贈り物を渡そうと思います。此処に迷い込めたポケモンは、貴女初めてなのです。この世のポケモン達は皆、貴女のように友達想いでもない。だから友達を失っても、泣くことはありますが貴女のように強く悩むことはないのです。その点で、私は貴女が素晴らしいと思っていますよ」
相変わらず微笑みを崩さず、ファウは少し私から離れて、ヒガンバナにも似た薄桃色の花を摘んで戻ってきた。そしてその花を優しく、私に差し出す。私は半分無意識にそれを受け取った。
「この花は『ネリネ』といいます。私が一番好きな花で、今まで少しずつ育ててきたのです。なので、私を思い出せるようにこれを渡します。この花は私が直接栄養を分けて育てたので枯れることはありません。ずっと、枯れることはないのです」
「ありがとう……ねえ、また……また、会える、かな」
「それは分かりませんが……貴女が強い悩みを持ったとき、また来て下さい。いや、私のことを呼んでくださっても構わない。直ぐに飛んで行きますから。貴女は独りではありません」
「うん、わかった。ありがとう、ファウ。私、貴女のこと絶対に忘れないから!」
優雅に手を振るファウにもう一度精一杯の笑顔を向けて私は花畑に背を向けた。いつの間にか空は晴れていて雲間から太陽が見えている。
ほんの数分、いや数秒かもしれない。とにかく、ほんの少しの間だった。けれどその時間で私はファウの言葉に救われ悩みを晴らすことができた。これからはプルもいない生活になってしまう。ますます孤独感は強くなるかもしれない。でも、大丈夫。プルには天に向かって謝るけど、それでプルが戻ってくるはずはない。それは知っている。起きてしまったことは戻せない。過去には戻れない。
大切なことをファウに教わった気がする。不思議だったけど、柔らかな時間だった。また、会えるだろうか。会えると、いいな。
ネリネの花言葉“また会う日まで”