すいーとたいむ
「ねえねえ、ルラ姉ちゃん」
「なあに?クリア」
「ほら見て、あそこのクレープ屋さん。ね、前来ようって言ってたよね」
「そうねぇ………」
妹であるチルットのクリアが、まだあどけなさの残る仕草で雲のようなふわふわの羽を向けた先を見ると、そこには先週と変わらずクレープ屋さんのワゴンが佇んでいた。
そういえば、先週もこの広場に散歩に来ていた。そして、前は見なかったクレープ屋を見つけ、食べたいと駄々をこねるクリアを「今日は時間が無いから」と宥めて、更に「来週また来ようね」と約束して帰ったんだった。私はとっくに忘れていたが、彼女は覚えていたのだ。今朝しきりに、また散歩に行きたいと言っていたのはそのせいか。
おまけに今日は充分時間がある。行って損するものでもないし、私自身興味があった。
「そんな約束、してたわね。分かったわ、いってみましょう」
「やったあ!!」
真っ黒な目を喜びにきらきらと輝かせ、踊るように飛び跳ねてクレープ屋の列に加わるクリアに、私は付いていった。此処のクレープ屋、先週と比べればかなり認知度も高まったのか客が増えていた。まばらにいただけだったのに、今や店員と思えるハリマロンが、赤文字で『最後尾』と書かれた看板を片手に出動するほどだった。そんなに美味しいのだろうか。私の興味は更に高まった。
クリアに乗せられて並んだようなものだったが、実際私が行きたかったんじゃないか。そんな考えがどうやら正論な気がしてかて思わず苦笑する。行きたかったのならクリアに乗せられるのではなく自分から言えばよかったのにな。全く、大きくなるととことんひねくれてきて困ったものだ。
「ルラ姉ちゃん!姉ちゃんはどれにするの?」
「私?んー、どうしよっかなー」
店の前に構えられた、クレープの種類をサンプルとして置かれているショーウィンドウを私は覗き込んだ。実に様々な種類がある。クリームやアイス、更にはケーキまで詰め込まれたボリュームたっぷりのクレープから、シュガーバターのように控えめなもの、レタスやツナを挟んだご飯系統のものまで沢山。
皆が皆美味しそうなものばかりで、迷わない訳はなかった。クリアは目を輝かせて、ショーウィンドウの硝子に張り付くようにしてサンプルを眺めていた。私もそうしたい気分だったが、大人なのだし自分を制さなければ。
「決まった?」
「んん、もう少しー」
春から夏に向けて、強くなってきた日射しが照り付ける。
# # #
「……博士」
「何」
「外、出ませんか?」
「…………」
場所は、暗くて無駄に広くて、埃っぽい研究室だった。電気はついておらず、灯りの元は蝋燭と窓から差し込む金色の陽光だけ。その光が白く濁った埃の空気を照らしていた。
うず高く積まれた本の山。足場を見付けるのに一苦労しそうなほどに紙くずが散らばっているフローリングの床。数え切れない程の書物が詰まっている本棚。そんな息苦しい空間に、一つだけ隙間があった。そこには、箱を引っくり返して作られたような机が何個も並び、この部屋にたった一つの蝋燭がその上でちらちらと光っている。そして、その机に伏せるようにして紙に何かを書き付けたり、手元にある本を物凄い勢いで捲ったりする一つの影と、その影の脇に立ち退屈そうな顔をしているもうひとつの影。
「博士、聞いてます?」
「黙ってて、あとちょっと」
博士、と呼ばれたのはクチートである。そしてその脇に立っているのはアブソル。このクチートは、世間一般でいう『考古学者』という肩書きを持っているが、実際には全て趣味であり公で成果を発表することも余り無い。しかし考古学関係のお偉いさんは、このクチートの能力を褒め称えていた。故に、様々な資料や現物、大昔の石板などを送り付け、調べるように言い渡している。クチートも謎解きは好きなので断るわけはなく、このように資料で溢れ返った部屋で何日も何日も黙々と作業を続けるのだ。
それに困るのは、クチートの部下のような位置にいるアブソルの方だった。アブソルも考古学は好きであったし、研究をすることにもワクワクするものを感じていたが、クチートのようにやり込むことは出来なかった。そもそも、何日も外に出ず引き込もって作業をするだなんてアブソルの性格に反していた。だがクチートは引きこもり体質だった為に、滅多はことがない限り外に出ようとしない。アブソルが無理矢理引っ張り出すこともしばしばだったが、そんな時は必ず数日間口を聞かない日々が続いてしまうのだ。
けれど、今日は梅雨明け一番の良い天気。少し外に出て気晴らしをしたいと思ったアブソルはクチートに声を掛けてみた。しかしクチートは作業に没頭するふりをしているようで、聞いてもくれない。どうしたものか、とアブソルは深い溜め息をつく。
「ねえ、最近は全然外出てないじゃないですか。ずっと引きこもってるなんて不健康ですよ。少しくらいで良いですから……」
「……太陽、嫌い。行きたくない……」
「そんなこと言ったって……あ、博士。実は最近、この辺りにクレープ屋が出来たらしいですよ」
この言葉は聞いた。アブソルがクレープのことを口に出した瞬間に、クチートが勢いよく此方を振り向いたのだ。食い付くような視線に若干たじろぎながらもアブソルは上手くいった、と口角を僅かに上げる。
「食べたい、クレープ。場所、何処?」
「この家の近くの広場ですよ。じゃあ早速、行きましょうか?」
うん、と頷いたクチートは、アブソルよりも前に立ちたったっと行ってしまった。さっきまであんなに嫌がってたのになんだこの変わり身は、と内心半分呆れながら、アブソルはクチートを追って輝かんばかりの光溢れる外へと、約三週間ぶりに飛び出した。
「あれ、ルラ達じゃないですか?」
「ほんとだ。ルラと……クリア」
「あれ、ビリー達じゃん。外出るの何週間ぶりよ?またキルトさんが部屋に籠ってたんでしょ?」
「わーい、ビリーさん!キルトさーーん!!」
広場のクレープ屋には、アブソルの友達であるチルタリスのルラとチルットのクリアが並んでいた。ルラは、アブソル……ビリーと、クチート……キルトの名前を呼んで、クリアは満面の笑みを浮かべて手を振っている。
まさか、此処で友人に会うとは思いもしなかった。ビリーは何処か清々しい想いを抱く。ビリーとルラは、所謂幼馴染みという関係であり、小さな頃から仲が良かった。大人になってからは会う機会も少なかったが、ビリーがかの著名な考古学者、キルトと共に研究できるとなってからは、度々妹のクリアを連れて家に顔を出していた。そこでキルトとも話したりして、結果かなりの顔見知りになったのだ。
「外出は三週間ぶり。博士がなかなか外出ようとしないんだもん」
「そりゃあ、キルトさんの性格を考えたら当たり前よね」
「ねえねえ、キルトさんは何にするの?」
「私は……このチョコバナナ……」
ルラとビリーが話している傍らで、キルトとクリアはショーウィンドウを眺めている。どのクレープにするか話しているらしく、チョコバナナに即決したキルトはそのクレープのサンプルを見つめていた。
「あっねえお姉ちゃん!前のヒト行ったよ!」
「うん?嗚呼、何にするか決めた?」
「決めた決めた!!このストロベリーチーズケーキ!」
クリアが指差したメニューは、チーズケーキに苺ソースがかかり、更に生クリームもトッピングされた豪華なものだった。
「またこんなの……ちゃんと食べれるの?」
「食べれるもん!!」
ふわふわ、と小さな羽をぱたぱたしながら訴えてくる妹の可愛さに負け、私はそのクレープを買ってやった。私はブルーベリーカスタード、ビリーはツナサラダ、キルトは念願のチョコバナナを買い、それぞれ色とりどりのクレープを手にして席についた。
「美味しいわね」
「おいしー!!来て正解だったよね!」
「そうねー」
「おいしい。チョコバナナ」
「博士がそう言ってくれて良かったですよ」
久々の日光を浴び、気持ちよさげに伸びをするビリー。これからまた数週間あの部屋に籠るのだし、今の内に浴びれるだけ浴びようと、まるで光合成をする植物のように光を浴びる彼。勿論、クレープをかじることも忘れない。
「ねえ、ビリー」
「なんですか、博士?」
「たまには外も、いいよね」
クリアとルラの雲のような羽が、陽光で銀色に煌めいた。