#114 神秘的なる光の元へ
***
「シズク、あの」
「あんたが言いたいことは、何となく分かるわ」
「………だよね」
ごつごつした岩壁、水滴の跳ねる水っぽい道を、霧の湖へと向かう集団の最後尾から着いていきながら、微かな二つの声が辺りに反響した。ケンジは、言おう言おうとしてやっと言い出せた、というように声を出したが、シズクにより塞がれている。
彼らは、シズクの眼の変色について、話をしていた。
「私だって、どうなってたのかよく分かんないのよ。気付いたら………宙にいて。グラードンが、倒れてた」
「……そうなんだ………」
突如起こった、虹色の眼。黒く染まった尻尾。それに、グラードンと戦う前に密かに現れていた翠の眼。未知の場所にて出現した、今まで見たことのない能力に、戸惑っているのはシズクもだがケンジだってかなり困惑している。
「……あのさ、グラードン倒したとき………シズクの眼は虹色っぽくなってたんだけど、その前に………グラードンが出てくる前に、シズクの眼、一瞬翠色になったんだよ。気付いてた?」
「さあ……?でも、グラードンが出てくる前は、本能的にすっごい危機感を感じた。………もしかしたら翠の眼は、危険予知能力なのかもしれないわね」
「嗚呼、確かに。それなら頷ける、かな」
そうだとしても、分からないことが多すぎる。彼女の能力については、未だ一つも解決していない。全てが謎で、覆われている。他にある『眩暈の後過去や未来の出来事が見える』というものもあるが、彼女にとって外見的に分かってしまう眼の能力の方が、その正体を知りたいという思いに捕らわれていた。今現在判明している眼の色は、確か『赤』、『青紫』、『紫』、『赤紫』、『虹色』に『翠』。それと『蒼に光る』というのもあったか。いずれにしろ、判明しているのは色だけだ。
それに今回、眼が虹色に光るときは尻尾も黒に変色するということも聞いた。その時はどうやら電気の色も変わっているみたいだ。発電できる電気の色というのは、大体体色で決まっているようなものだが、それ故『黄色』が『青』に変わるというのは滅多にない……というか、普通は有り得ないことらしい。だが、黄色い電気を発するポケモンの発電器官の活動が著しく低下した際、電気ポケモンとしては電気はエネルギーなので常に身体に張り巡らせていなければならないのだが、もしも自分で発電することができなかったなら、他の電気ポケモンからある程度の電気を分けてもらうことも可能である。その時青い電気を発するポケモンから電気を分けてもらえば、分けてもらった当初は青も黄色も操ることは出来るらしい。
しかしそれは今回のこととは全く違う状況だ。周りに電気タイプはいなかったし、シズクが電気を分けてもらったことはない。その辺りもまた謎である。
「……でも………ねえ、ケンジ。ちょっとこの、『虹色の眼』のときと……あんたが言ってた『眼が蒼く光った』時、なんか既視感っていうのかな、そんなのがあるような、無いような気がするの」
「蒼く光った時って………滝壺の洞窟の時、だよね」
『滝壺の洞窟』。チームガーネットが初めて探検に行ったときに通ったダンジョンである。その時の目的は、『トレジャータウン近辺にあるらしい滝の秘密を探る』というもので、滝を突き抜ければ奥にはダンジョンへ続く洞穴があり、そこを通れば宝石が瞬く最奥部に辿り着くことができ、そこにある大きな宝石を押せば水が流れ出て温泉へと流されたという出来事がある。振り返れば既にそれは懐かしい思い出と化していて、二匹は静かに微笑む。
「うん、覚えてる。シズクが言っているのは……流れてきた水に揉まれてる時、だよね?」
「そう。私はほぼ意識無かったんだけど、あんたは見てるんでしょ?実際の、現場」
「………まあ、ね」
水流に押し流され、その強い力に水の中で揉まれていたときの話だ。前も後ろも、右も左も、上も下も全てが洞窟で水で埋め尽くされていて、呼吸が出来ずに苦しんでいた時にそれは起こった。シズクの元々蒼い眼が強く光り、それに共鳴するかのようにオパールのペンダントも蒼く光って少し呼吸がしやすくなり、オパールのペンダントが自分をどんどん引っ張っていってくれたような、そんな感覚。その時、微かに音が頭に流れたことも、ケンジは覚えている。
「あの時、私の中で、優しい『何か』が光を送り出してくれたような気がするの。半分気失ってるような状態だったから、感覚も微妙だったんだけど………でも今回のは、はっきりしてた。弱ってたってことに否定は出来ないけど、少なくとも呼吸出来てたし………考えることもできた。
滝壺の洞窟の時と、今回の時、すごく似てる。柔らかい声が聞こえたのも、同じ」
「………こえ?」
彼女の口から飛び出た、今まで聞いてなかった事実と言葉にケンジは思わず聞き返した。声………声。声なのか音なのか分からないけれど、滝壺の洞窟の時はケンジにも音のような声のようなものが聞こえた。あの時は単なる音のように判断していたが、今考えてみれば、成程声に聞こえる気がする。
「そう、声。滝壺の洞窟では曖昧だったんだけど、今回ははっきりと………」
「滝壺の洞窟では、俺も多分、声聞いてる」
「………は?……え?」
「本当だよ。水の中にいたとき………シズクの眼とオパールのペンダントが光った後。何処からか分かんないけど、もしかしたら自分の中からかもしれないけど、聞こえたのは覚えてるんだ」
「………そう、だったの。あんたも………」
考え込むように、シズクは黙ってしまう。視線は何処も見ていないように空中をふよふよと漂い、徐にオパールのペンダントの紐を弄っている。彼女は頭が良いし、何を考えているのか細かいところは分かり得ないけれど、ケンジだってじっくり考えてみたい。
今あるキーワードは『眼の色』と『声』。これだけじゃあ考察や予想さえ立てることは難しい。
「声………声ね。私、もう一つ違う種類の声を聞いたことがある気がするんだけど」
「違う種類の………?」
「うん。でも……あれは、声とは言えない、かしら。どっちかというと叫び声、だった。すごく、悲痛な」
「それは、いつ?」
「林檎の森で。あの毒ガスん中居たとき」
シズクの眼が、赤く染まっていたときのことだ。その時微かに聞こえた声は、とても荒々しく、それでいて物悲しげな叫びだったという。今回の声は『優しくて、鈴のような澄んだ感じのもの』だという。ケンジも優しい声色の方は記憶に残っているあの声と一致する。
「俺が聞いたのも優しい方だったと思う」
「……………そう」
何にしろ、予想したり謎を探っていくにはどうにも情報が足りなさすぎる。この程度では考えても考えても正解に行き着くことはできないだろう。情報を得て、もっと時が経って。その時に証明されるようなものなのかもしれない。こんなことの真実が分かるようなポケモンは、きっと神くらいしかいないのだろう。
「……でも。シズクがそういうこと自分からちゃんと話してくれてよかった」
「話始めたのあんたでしょ」
「へへ、それでもしっかり答えてくれたでしょ。そうやって頼りにしてくれると、嬉しいんだ」
「………あっそ」
ふい、と顔を背けるものの、彼女から怒りや冷たさは感じない。自分をちゃんと受け入れてくれている証拠だ、と解釈したケンジは密かにふふっと笑みを漏らす。
「ねえシズク。確かにシズクには可笑しな能力があるかもしれない。でもさ、そんなものが一つや二つあったところで、気に病むことは無いからね。誰も、そんなシズクが可笑しいだとか気味悪いだとか、思ってないし。シズクだって、その能力で誰かを傷つけてる訳じゃない。だから、自分は変なやつだ、化け物だ………とか。そんなことは、思わないでほしい」
「分かってる、わよ」
そう思いかけてたところだった。眩暈に眼の変色。自分には変な能力が確かに存在する。そんな自分を自分で気味悪がって悶々とした気持ちになっていたのは一度や二度どころじゃない。きっとケンジが受け入れてくれていなかったら、もっと悪化していたのだろう。でも、彼はきっちり受け止めてくれた。能力のことを『気味悪い』とも、『面白そう』とも思わずに、ただただ受け入れてくれた。受け入れて、相談にも親身に乗ってくれて。他人のことにそこまで頑張るっていうのは、彼女にとっては馬鹿らしいことに感じるけれど、それほどでもないんだろうな、と最近になって思えてきている。重く考えすぎて苦しんで、悩み続けてしまうようなことでも、ケンジにかかればまるで風のように吹き飛ばしてくれる。
「………相談乗ってくれて、嬉しい」
「ん?なんか言った?」
「何にも」
岩の道を、突起に引っ掛からないよう足場を選びながら進んでいると、しばらく歩いたところでマルヴィナが「こちらです」と言って立ち止まる。
「もう、大分暗くなってるな」
「結構時間経ってるんだね」
「もう夜か………」
先程まで晴れやかな水色の大空だった気がするが、今空を見上げれば晴天だった空は黒く塗りつぶされていた。よく見れば夜空は濃紺にかもしれないが、こんな遠いところからでは黒にしか見えない。その色の変わり様は、かなり時が流れたことを妙に意識させた。
「辺りが暗くなってきていて、少し見辛いかもしれませんが……………前をご覧になってください。此処が、霧の湖です」
「………うわぁ……」
目の前の光景の、その美しさには、言葉を出すのも難しかった。ただ感嘆の声が口から漏れるだけだ。この情景を言葉で言い表すなんて、そんなこと出来る筈もない。それほどまでの、美しさ。
シルクのように表面が銀色に光るように見えて、まるで澄んだ水色の宝石のように透き通る純水の湖。その湖は、暗い夜空に映され黒く佇んでいる訳ではなく、しっかりと輝いて自分の存在を主張しているようだ。漆黒の夜空には、星とはまた言いがたいほどの光が瞬いている。赤や青、緑に黄色。そんな大粒の光が強く、弱く、呼吸しているように煌めいている。湖からドーム状に沸き上がる神秘的な蒼翠の光もまた、湖に命を宿すもののように感じられる。
眼に映るどれもこれもが綺麗で綺麗で。
「凄い………こんな高台に、こんなにも大きな湖があるなんて………想像以上の風景だ」
「光を灯しながら飛んでるのは、バルビートとイルミーゼかしら?此処に来るまでのダンジョンで、何匹か見たけど」
「はい、そうです。バルビートとイルミーゼは主にこの辺りを住み処にしているのです。ダンジョンに入り込んで理性を失っている者も何匹かおりますが、基本は害のない野生ポケモンなので」
「………まるで、星みたい」
口ずさむように呟かれたシズクの言葉に呼応するように、バルビートとイルミーゼが放つ光は、ちらちらと笑うように漂っている。
「………此処は、地下から絶えず水が沸き出ることで、大きな湖が作られているのです。此処に来るまでに通った熱水の洞窟………あそこは湿度が酷かったはず」
「嗚呼、そういうことか………」
マルヴィナの解説にフライが静かに呟いた。熱水の洞窟の湿度が、こんな幻想的な風景をつくっているとは思ってもみなかった。あの尋常じゃない暑さにも、まあなんとなくだが頷ける。
「………それで、ですね。あそこの……湖の中央に、ドーム状に光っているものが見えますでしょう?」
「ええ、見える。あの、蒼翠の光のことよね」
「はい、そうです。前に言って、よく見てみてください」
マルヴィナが促すまま、四匹はゆっくりと前に進みだす。示された先にある、湖の中に佇んでいる何かを見ようと僅かだが身体を乗り出して。光を発しているのは、エメラルドグリーンの何かだった。眼を凝らして見れば、それは六つの突起が付いた歯車のようである。蒼い矢印が突起に沿って彫られている。その全てを含んでも、神秘的なのに変わりはなかった。
「すごい綺麗…………ね、シズク?」
「……ぁ……ええ、そうね」
見惚れるような美しい光。それをじっと見つめている彼女の眼は、何処か揺らいでいる。
────────────何、あれ………
蒼翠に光る物体をこの眼にしっかりと入れ、認識したその瞬間。とくん、と一つ心臓が音を立てた時から、不可思議な緊張と興奮が身体と頭の中を駆け巡る。感じたことがないほどに、どくんどくんと音を立てる心音。手を伸ばせば届くのではないだろうか、という距離にいて、その光る物体をを今すぐこの場から取り去りたい。そんな思いさえ浮かび上がって何処か自分が怖くなる。
正体の分からない不自然な胸騒ぎがさっきから彼女を混乱させていた。ドキドキする。分からないけど、ドキドキするんだ。どういうことなのだろう。胸騒ぎが大きくなるのに比例して荒くなっていく息。それを隣にいるケンジに気付かれない様にするのもまた一苦労で。
「……………時の歯車………」
「えっ!?あれが!?」
ぽろりと零れたサンの一言にケンジとシズクは眼を見開いた。一時ギルド内を騒がせたあの時の歯車が、今目の前にあるというのだ。俄には信じられないが、成程、それならばあの神秘さにも納得できる気がする。誰も訪れたことのない隠された秘境。そこにある、知られてはならない世界の核。見てはいけないものを眼にしているような、そんな感じまでしてきてしまう。
「はい、そうです。あれが時の歯車です。
私はあそこにある歯車を護るため…………遠い、遠い昔から永久に此処を護るために、存在するのです。私達守護者の中で伝わる伝説によれば『来るべき日まで護り抜くべし』ということです。来るべき日が何なのか…………それを教えることは、きっと今は無理な話でしょうが…………。
今まで、様々な手を尽くして此処まで辿り着き侵入しようとする輩は数え切れない程いましたが、その度に私は、ここより前の場所で造り出したグラードンの幻影により追い払ってきたのです」
「幻影………ていうことは、グラードンは…………あれは、本物じゃなかった………の?」
「ええ。私の念力により生み出した幻影です。意思もある、本物に似せてつくったもの。このように…………」
ケンジが興味深そうにマルヴィナを問い詰めれば、彼女は穏やかな笑みを見せながらすっと優雅に片手を挙げた。強力なエネルギーが発されるのを感じた。マルヴィナは依然眼を瞑ったままの状態で意識を集中させているように真顔で手を動かしている。すると、徐々にマルヴィナの隣に赤い巨体が出現した。まるでホログラムのように明滅を繰り返しながらも、段々と形が出来ていく。
仕上げとばかりにマルヴィナが手を一度振り上げると、グラードンは完全に出来上がり、彼女の傍らに静かに佇む形となった。しかし意思も持ち威圧感もそこまで違わない代物。…………見ただけでは本物と間違えてしまいそうな出来である。相変わらず。
「………すごい」
「私も一応『神』に分類される種族でありますから、念力などパワーは常人より遥かに高い能力値になっているので。普通のエスパーポケモンがやっても、こうはならないでしょう。
しかし所詮は偽者………幻影です。見た目だけに惑わされてはいせませんよ。これから先も。グラードンという強大な敵を前にして、戦わず逃げ出した者もかなり多く見ました。………私にとってはその方がいいのですけれど。あの姿は、かなり滑稽でしたよ」
「………ま、そうよね。じゃあ私達は、幻影とずっと戦ってたって訳ね。それなら、あの脳の無さにもなんとなく納得がいくわ」
「貴女方は幻影と戦い、そしてそれに打ち勝ち、更に先へと進んできた………此処に到達するものも少なくはなかったのですが、そういった者達には、今度は私が自ら『記憶を消す』という手段を使い、情報が外に出回ることもなく、時の歯車を見られることもなく、此処を護ることが出来ていたのです」
「記憶を、消す………………あ」
『記憶を消す』というマルヴィナの言葉に、ケンジが僅かに声を漏らす。それに気付いたのはシズクのみであり、その言葉の意味を理解できるのもシズクだけである。記憶を消す能力。ユクシーという種族は他人の記憶を抹消することが可能だという話。それを聞いたが故に、なんとしてでも霧の湖へ行きたいという思いは増したのだ。
それは、そう。シズクの記憶の事である。ケンジと出会ってから既に記憶を無くしていた彼女に、自分が何者か、直前に何処にいたのか知る術はなかった。今回の話を聞いたとき、彼女は『自分が一度此処に来たことがあるんじゃないか』という仮説を立てていたが、果たして実のところはどうなのだろう。その辺りの真相はユクシーに聞こうということで二人の間で話が決まっていた。
あとはタイミングである。シズクは自分のプライバシーを知られるのを嫌がるし、察せられるとまた面倒だ。とりあえず、サンとフライの意識が時の歯車に行っている今しか、チャンスは無いと見る。
「あの、マルヴィナ。ちょっといいかな?」
「何でしょう?」
「マルヴィナに聞きたいことがあって。此処に来るとき言ったよね?『聞きたいこともあるけど………』って」
「嗚呼、言っていましたね。では聞きましょうか………?」
「此処から離れた所で話すのでいいかな?………あ、霧の湖を監視できるぐらいの距離で大丈夫だから」
「………分かりました」
そうしてマルヴィナ、ケンジ、シズクの三匹は、サンとフライが時の歯車を見つめているのをいいことに湖から少し離れた場所………一方でマルヴィナが湖の様子をちゃんと見ることができ、かつあの二匹に話し声が聞こえないような位置までこっそり移動してきた。
「それで?聞きたいこととは?」
「うん、それが………言っていいよね?シズク」
「そこ言わないと話になんないでしょうが」
「だよね。
…………えっとね、唐突で信じられるかどうか分かんないけど………此処にいるピカチュウ………シズクっていうんだけど。シズク、元々は人間だったんだって」
「はっ!?」
「あ、ちょっと声小さく」
突然の告白にらしからぬ素っ頓狂な声をあげたマルヴィナに、ケンジが口元に指を寄せて『静かに』と伝える。慌てて二匹の元に顔を寄せひそひそと小さな声に戻るマルヴィナは話の続きを促す。
「…………それで?」
「そう、人間なんだけど…………でも彼女、どうやら人間だった頃の記憶が全部抜け落ちちゃってるみたいで。何にも覚えてないんだ。
だから………シズクは以前、霧の湖を訪れてマルヴィナと出会い、そこで記憶を消されたんじゃないかって仮説を立ててみたんだけど。勿論推測の段階だから、全然分かんないけどね。それと、此処の麓辺りにある、霧の深い平地がギルドのベースキャンプ場なんだけも、そこに着いたとき、なんだか前に此処に来たような………懐かしい感覚を思い出したって言ってる。
…………ど、どうかな。なんか人間が此処に来たとか………そういうことってあった?何か知ってたりする?」
「それは………いえ。此処に人間が来たという記憶は私の中にはございません。それに………私が記憶を消すことができるのは、霧の湖に来たという記憶のみ。全ての記憶を消すというのは、私の力でも遠く及びません。
ですので、そこの………シズクさんが記憶を無くし、ポケモンになってしまったというのは………また、別の原因ではないかと。
しかし………考えられることがあります。遥か昔には、この世界にも人間というものはいたという話らしいですが………ポケモンとの争いの末絶滅し、ポケモンだけの文明が築き上げられていますよね。ということは、人間がこの世界にいるというのは………おそらく、平行世界……『パラレルワールド』のようなものから呼び寄せられたと判断するのが正しいように私は思います。
昔、絶滅していたと思われる人間の生き残り………………そんなことは、きっと無いでしょうね………ですが、あなたが人間だと言うのなら………嗚呼、私には分かりかねませんが………」
「平行世界………そんな考え方も、あるのかな」
思い通りの答えが得られずがっかりしていたが、そんなところに飛び出した『平行世界』という言葉。シズクは元々この世界の住人ではなく、異世界から呼び出された存在ということもどうやら有り得るようだ。そんなこと、考えたこともなかったが、やはり物事は見方により変わるのだろうか。
とはいえ、真相についてはお預けだ。可能性の話はするも、真実がわからなければ結局のところ意味がない。振り出しに戻ってしまうが、此処で何も得られなかったというのは嘘になるだろう。
「ま、結論で言えばシズクに関する収穫は無かったことだけど………」
「……別に、最初からそういうことは考えてたわよ………」
口ではそう言うものの、何処か少しがっかりしたような音を含んだ彼女の声に、ケンジは心臓がぎゅうっと鷲掴みにされているような感覚に陥った。嗚呼、シズク可愛いな。ひたすらにそう思いながら彼女の頭をぽんぽんと撫でたが、いつもならそういうことをされると反抗する彼女が今日に限って大人しくそれを受け入れていた。その様子にちょっとにやけていたが、これも彼女のいつもの気まぐれかな、と思うと悲しくなってきた。
二匹のそんな関わりを見て、マルヴィナも笑みを隠しきることは出来なかったのである。若いっていいですね、とぼんやりと考えていた。
「そういえば、お二人って今いくつぐらいなんですか?ギルド入って探検隊として活躍されているようですが………かなりお若いように見えますし」
「そういうプライベートなことも聞くのね」
「ええ、少し気になったものですから………」
お茶目な表情で穏やかに笑うマルヴィナは、先程までの警戒心に満ち溢れた『守護者』とは一変、一匹のポケモンというような顔をしていた。それに、シズクもふっと微笑む。
「えっとね、俺は今14歳!で、シズクは13歳………だと思うよ。見た目的には………」
「へえ、そうなんですか。普通、そのくらいの歳だと戦闘力もまだまだだと思っていたんですが………案外、そうでもないのですね」
「そうね。ケンジも大分強いし、私も最近は戦うことに慣れてきたし。そこらの探検隊と、多分もうあんま変わんないんじゃないかしら」
「そうですね…………歳で見くびるのは、いけませんね」
他愛のない話も一段落つき、マルヴィナ、ケンジ、シズクは時の歯車が漂う湖の近くまで戻ってきていた。サンとフライは相変わらず歯車に惹き込まれているようだ。三匹が此処から離れた時と格好が変わっていないように思える。それほどまでに意中になるものなのだろうか。時の歯車というのは。
しかし、美しいものである。再び光を見つめ始めれば、あっという間に幻想的な世界に引きずり込まれるようだ。綺麗で、綺麗で、見とれる。惚れ込んでしまう。
これほどまでに美しい景色を邪魔するようなものなどあるだろうか?湖のさざめきも、風の囁きも、バルビートとイルミーゼの羽音も、全てがこの情景にプラスされ湖の美しさを引き立たせているようだ。
周りの全てをプラスのものに変えてしまう…………そんな風景を邪魔するものなんて、
「うっわぁ〜すぅっごぉーいきれいだねえーー!!」
突如、皆の意識がいっていないところから溌剌とした陽気な声が響き渡り、このいい雰囲気を木っ端微塵にぶっ壊した。はっと眼を醒ましたような感じの彼らは、一度頭を振って雑念を追い払ってから声の出所を探す。
横を向いただけでそれは見つかった。桃色の丸っこい身体。間違えるはずもないその風体は、我らが親方、プクリンのパティである。流石の破壊力…………というか、なんというか。美しさの余韻でさえ、頭から消し去られてしまった。
何を考えているのか分からない表情で、この気まずい空気の中パティは自由に動き回る。此処を護らなければならない筈のマルヴィナでさえ、この唐突さに固まってしまっている。………仕方ないだろうが。
「時の歯車かあ♪残念♪時の歯車は、さすがに持って帰っちゃだめだもんね〜♪」
るんるんるーんと効果音がつきそうなほど軽快な足取りで湖の縁に立つパティは、ケンジが呼ぶ声に答えず、光と歯車の景色をじっくり……眺めたのか分からないが、「わぁー♪きれーい♪すごーい♪」と一人で楽しそうに感嘆の声を上げている。どこに突っ込めばいいのか、これは本当に分からない。
シズク達四匹の言動と行動でなんとなく察しがつくものだとは思うが、目の前の桃色ポケモンのあまりの自由さにマルヴィナは思わずケンジに「このかたは………?」と聞いている。そうするのも、確かに無理はない。
「…………えっと。俺達のギルドの親方だよ。プクリンのパティ・アール。一応実力はすごい……らしいけど。普段はいつもあんな感じで」
「初めまして〜♪ともだち♪ともだち〜♪」
呆気にとられるマルヴィナに近寄って、満面の無邪気で純粋なスマイルを見せるパティ。なんだろうか、これは。なんだかシリアスだった雰囲気だったのに、この和やかさはなんだろうか。何を考えているのか、パティは先程マルヴィナが念力により造り出した幻影のグラードンにも近付き、「わーい♪君凄いね♪初めまして〜♪ともだち♪ともだち〜♪」と挨拶している。呆然と誰も喋らないなかでも、パティのお喋りは延々と続いた。
「それにしても、素晴らしい景色だよね〜♪来てよかったよ〜♪ルンルン♪」
こんな状況に関して文句の一つでも言えば、問答無用で湖ごと吹き飛ばされるであろうことはなんとなく分かっていた弟子四匹は、何か言おうとするわけでもなく、ただただパティの行動を眺めているだけであった。
***
一方、チームガーネット、エメラルドを追う形で熱水の洞窟を走り抜けていたギルドメンバー一行は。今丁度、先程までシズク達が激戦を繰り広げていた広目の場所に辿り着いていた。まだ戦いの跡は消えていないが、彼らはそれを気にするより先に進むことをひたすらに考えていた。
「…………此処が頂上かしら?」
「はぁっ、やっと、着いたですわね」
今まで全速力で走っていたせいで、かなり息を切らしていたシニーが立ち止まった。炎タイプばかりで相性の悪いダンジョンを駆け抜けてきて疲れているのは分かるが、まずは先に進まなければ、という思いもある。
「一息ついてる場合なんかじゃないぞ。急ぐのだ!」
「え、ええ、分かってますわ、ベコニン」
ダグトリオのベコニンに急かされて、皆重い足を必死に動かすことを再開する。ダグトリオという種族は、足はどうなっているのだろう。皆とは少し違うから、疲れないのだろうか……。
とりあえず、あと少しだと直感した彼らは、口を開けた洞穴の中へと、迷いなく突き進む。水っぽく、ごつごつした岩の道を抜ければ、そこには─────
「ぎょええぇぇぇぇえぇえぇーーーーーっ!!?」
マルヴィナが造り、そのままに放置していた幻影のグラードンが。
それを視界に入れ、巨体の姿をしっかりと確認したその瞬間に、全員が立ち止まり驚きにパニックしたような声を上げる。ラペットは、聞けば少し引くような見事な奇声を上げ、シズクの眉間に皺を作り込んでいる。最初に出会って、どうしようもなく驚いた自分達だって、こんな反応はしなかった、とケンジも思っていた。
「あ…………あれは………グ………グ………グウウウウ………」
「はっきり言ってよ!グラードンってえぇ!!!」
「きゃーーーーー!!」
「へ、ヘイ!おいら食べても不味いぞ!!食わないでくれーー!!!」
「一番食べられそうなのってヘイライよね」
「まあ確かに」
ラペットに続き、頭が真っ白になったようで声がどもっているノンド、それに突っ込むシニー、まるで何か恐いものを見せられた時のような、女子の鉄板とも言える叫び声をだしたウェンディ、訳の分からない命乞いをするヘイライ。それに冷静に突っ込んでいるシズクと、彼女に同意するケンジ。
サン、フライ、マルヴィナも何処をどう突っ込めばいいのか分からなくなったこの状況に、なんだか気まずい空気を纏っていた。対して彼らの親方であるパティは顔色一つ変えず、騒がしいギルドメンバーを眺めていたが、やがて口を開く。
「やあ皆♪どうしたの?」
この状況で『どうしたの?』と聞くのは間違っているような気もするが、そこはスルーしなければ。
「お、親方様!どういうことですか?グラードンがっ………!」
ラペットは、信頼する親方パティが現れたことにより落ち着いたらしい。声はまだ上ずっているが、少なくとも冷静にはなっているようだ。グラードンがいるという事実は認めたから、早く倒してくれ、とパティに訴えているようだ。「情けない格好」とシズクが呟いている。どうして彼女はラペットのこととなると辛辣なのだろうか。………予想はつかなくもないのだが。
「嗚呼、グラードンは気にしなくて大丈夫だよ〜。
そんなことより見てごらんよ♪今丁度噴き出し始めたんだよ♪」
「へっ?」
パティの言っていることが全く理解不能な彼らは、とりあえずパティについて奥へと進む。湖に近づくにつれ、その風景が徐々にはっきりと眼に入ってくる。──まるで、夢幻のような風景が。
平面で揺れていた湖から、噴水のように多量の水が噴き出している。天高く突き上げるような、圧倒される水の量が上へ上へと伸びている。それだけでも美しいが、その噴水を更に彩るものがある。
噴水の周りを、鮮やかな光を撒き散らすバルビートとイルミーゼがふわふわと飛んで漂っている。その光に色付けられ、赤や青に染められた噴水は、見る者を圧倒するような幻想的な光景だ。波紋の広がる湖も、全てが美しく、見とれてしまう。
「うわぁ………綺麗………」
「綺麗でゲスねぇ〜…………」
それを一目見たギルドメンバーはあまりの美しさに感嘆の声をそれぞれ漏らしている。「綺麗」と呟くしか、この光景を例えられる言葉がまるで無いのだ。無理に『宝石のようだ』とか言っても、当てはまらないような。そんな景色。
「この湖は時間によって間欠泉が噴き出すんです。まるで噴水のように。そして、水中からは時の歯車が発する光が…………また空中からはバルビートとイルミーゼ達が噴水をライトアップして、あの様な美しい光景が造り出されるのです」
「………きっと、さ。霧の湖のお宝って、この景色のことだったのかもね♪一生遊んで暮らせるような量の金銀財宝なんかじゃない…………それよりも、ずっと心に残る、自然が造り出す綺麗なお宝♪」
マルヴィナの説明を聞き、独り言のように呟くパティの言葉に、全員が無意識に頷いていた。確かに財宝を見つけ出すのは嬉しいが、これはまた一味違う、ずっとずっと想い出に残って永遠に輝き続ける、かけがえのない『宝』なのかもしれない。パティも時にはまともな事を言うものだ。
「…………シズク、見てる?ほんと、綺麗だよね………」
「………そうね」
「………あのさ。今回此処に来て………シズクのことがちょっと分かるかもしれないって期待してたけど、結局何も分からなくて残念だったよね。でも、俺は………此処に来れて、皆と一緒にこんなに綺麗なものを見れて…………シズクと見れて。嬉しいんだ」
「…………何よ、それ。いちいちキザよね、あんた」
「へへ、まあね」
「………私も嬉しいわよ。あんたと、来れて」
(来てよかった、とは思う。遠征にいこうってなったときは、まだ此処に私に関する何かがあるかもしれないなんて、知らなかった訳だし。その辺はまた、時間をかけて少しずつ紐解いていけば大丈夫なんだと思う。
でも…………それならそれで、少し不思議なことがある。マルヴィナは、私のことを知らないと…………人間が此処に来たことはないと言っていた。けど、なら………なんで私は此処に来たことがある気がしたんだろう。どうして、時の歯車を見たとき不可解な胸騒ぎがするんだろう。ちょっと、矛盾してる気がするけど、私の感覚にもマルヴィナの言っていることにも、多分間違いはないと思う…………分かんないけど。ギルドに帰ってからも、考えられることはある………かな…………)
「………色々とお騒がせしました♪そしてほんとに楽しかったよ♪ありがと〜♪ともだち♪ともだち♪」
相変わらずのルンルン気分で語尾に音符がついているのが見えるように話すパティ。湖の光景に見とれていた者も、彼の声ではっと我に返っていた。その言葉を受け取ったマルヴィナは、俯きがちだった姿勢から顔を上げ、何かを決意したように声を紡ぎだしていく。
「…………私は、貴女方の記憶を消しません。かなり迷いましたが………貴女方を信頼することに決めました。ですので、此処でのこと……歯車のことは、秘密にすると約束してくれませんでしょうか」
「うん。ありがとう!勿論、分かってるよ♪最近時の歯車が奪われる事件もあってなにかと物騒だしね。
此処のことは誰にも言わないって、約束するよ。プクリンのギルドの名に懸けて」
パティは笑顔で頷く。最近の世間を考えれば当たり前のようなことだ。時の歯車が奪われている、という前代未聞の事件が起きているなか歯車と面と向かって出くわしたことで責任は重大になりうるだろうが、ギルドのメンバー達は皆責任持って約束をすることが出来るだろう。
「よろしくお願いします」
「それじゃぁ、僕達はそろそろお暇しますね♪」
「帰りは充分にお気をつけください。夜道はどんなときでも危険なものになり得ます」
「うん。分かってる♪ラペット!」
「はっはい!親方様!!」
グラードンに向かって奇声を上げ、湖に見とれて惚れ惚れして、と感情を表すのに忙しくしていたラペットは、急にパティに呼ばれて少々上ずった声で返事をした。
「えー、それでは皆っ♪ギルドに帰るよーっ♪」
「おおーーーー!!!」
出発の時のような、威勢のいい掛け声と突き上げられた拳。だが、遠征の前とはまた違う、価値のあるものを見いだしたような、少し成長した達成感のような、誇らしいようなものが混ざった声だった。
長かった遠征も、物語が一つ終結を迎えるように終わりがくる。楽しみにしていたのに、今となればそれはもう過去のことだ。色々あった、少し突飛な遠征になったが、それぞれが得るものを得たことだろう。それが今後どう繋がっていくのか、それはまだ分からない。何故ならば
「…………人間………もしあの方が人間だと言うのならば…………いずれ来る日に必要な存在になるのかもしれない…………。
今は分からないことだけど、あの方には…………あの子には………不可思議な何かを感じた………『サファイアの護り』を引き継ぐ者が現れたというのなら、きっと……来るべき日に起こる大災厄が近付いてきている証拠かもしれない…………。
その時に、もう一度此処は使命を帯びるのかもしれない。眠っているであろう『翠の石』を護るためには、私も何としてでも時の歯車を護り抜かなければならない。………指導者が、使命を知って訪れるまで………」
未来は、『今』から見えるものではないのだから。
光は漂う。うねりは激しさを増す。波紋は広がり、次々に世界を侵食する。全てが、変わる。