#112 緋色の焔華
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熱水の洞窟という灼熱地獄と言っても言い過ぎではないほどの過酷なダンジョンを抜けた先。あと少しで、きっと霧の湖に辿り着ける筈であったのに、その目前で障害物に出くわした。
フライの急な失踪、それに加えて一瞬光ったシズクの翠の眼。少しの間に、分からないことがいきなり増えたような現状に、また信じられないようなものが飛び込んでくる。それは、しんじられないというよりは『信じたくないもの』。
「……危険な……予感………」
大きな足音、地面を伝わって響くほどの衝撃、鼓膜を揺るがす咆哮。一体何者か。そんなことはもうとっくに分かっていたはずだ。だが信じたくないが故現実から目を背けようとしてしまう。
「何これ……こんなの、もう………」
『グラードンが出てくるとしか、思えないじゃないか』。
足音からしても身体が大きく体重も重いポケモンに違いない。普通の大きいポケモンでもここまでずしんずしんと響くものではないはずだ。先程の咆哮も、普通のポケモンが出せるようなものではない。だとすれば、あとは伝説系のポケモンしか有り得ない。麓の石像といい、此処と関係あるのであろうグラードンが。
「嘘……でもグラードンって地底に住んでるんじゃ……?」
「そんなの知らないわよっ………!だって目の前のあいつは、完全にグラードンじゃない!!」
閉ざされた平地の奥から、ついに姿を現した赤色の巨漢。柔らかな日光を浴びて艶めく緋色の硬い印象を受ける身体。腹部は灰色で、赤とは対照的に暗い感じだ。紅い部分には這っているように黒い線が刻まれており、棘も並んでいる。これまた大きな手と足には鋭利な、白銀に煌めく爪が見てとれる。敵を見据えぎらぎらと輝く黄色い眼を見れば、背筋に悪寒が走る程だ。
紛れもない、グラードンの姿。
「グォォオオオオ…………」
歯の間から漏れる唸り声は、シズク達を威嚇しているように見えた。明らかな威圧感。明らかな迫力の差。物理的に身長差もあるが、それでも伝説とただの小さな探検隊とは力も圧倒的に違うんだと見せつけられたような気がする。
「……ッ………」
「そんな……此処でグラードンが来るなんて……!」
「グォォ!お前達!此処を荒らしに来たのか!!?帰れッ!!!」
「……え?喋った?」
その佇みに戦いていれば、グラードンの口からはっきりとした言葉が発せられた。理性を失ってこんなところにいるのだろうと勝手に結論付けていたシズクはそれに驚かされた。野生ポケモンと同じような思考だと思っていた。話せるということは、少なくとも普通に考えることもできる。となれば、多分話も通じるのだろう。それなら『話し合い』という手で解決出来るかもしれない。小さな希望の道を見つけ、シズクは上手く話がつけられるように頭を回転させながら一度深呼吸する。
「えっと………ねえ、私達は此処を荒らしに来た訳じゃないの。勿論何の話も無しに浸入したのはあんた達の警戒心を煽ったかも知れないけど……でも、私達の目的はただ霧の湖に行くことで」
「何っ!霧の湖だと!?我が名はグラードン!!遥か昔から神聖なる霧の湖を常に護ってきた番人だ!!侵入者は生きては帰さん!」
「なっ……!」
「えっ!?いやでも……!そんな、悪どいことをするわけでもないし……!俺達はこの先に何があるのかが知りたいだけだ!!」
「黙れ!!!侵入者が口答えできる立場にあるとでも思っているのか!!」
「此方の話も聞かないで勝手に侵入者って決めつけて話進めようとすんのは無理があるんじゃない!?」
話は出来るが、だと言って話し合いが通じる相手ではなかった。必死に訳を話し穏便に進めようとしているシズク達に対し、身勝手なことを叫んでは唸るだけである。それには流石にシズクも頭に来ていた。頬袋から少量の電気をぴりぴりと流している。
「もう、これは戦うしかないのッ?」
「それしか策は残ってないかもしれない……グラードンは話を聞く気が無いし、きっと追い払う為に攻撃してくる筈。
………けど、グラードンは体重があるため俊敏な動きは難しいと思う。だから、少しでも牽制できれば隙をついて向こう側に走り抜けることも可能かも」
しかしそれも可能性の話でしかない。相手は仮にも伝説のポケモン。大地を動かし大陸を作ったとの逸話を残し神話に名を刻むポケモンどある。例え隙をつけたとしても、易々と先に行かせてくれる訳はないだろう。伝説故の大きな力を見せつけられれば、勝機はどんどんと薄れていってしまう。だが、この先にあるだろう探検家が求める『ロマン』を見るためには、何がなんでも乗り越えなければならない山だ。
「相手は確か地面タイプだったわね」
「それなら草タイプのフライが一番有利なのに……!!なんでこんな時に……追い付いてくれればいいんだけど」
「……フライのことは後で考えるって言ったでしょ!?あの大軍を前に囮がいなければ今頃私達は全滅してたかもしれない。そこはフライに感謝しなくちゃ。
ぐだぐだ言ってるようなら、目の前の山を切り崩す方法でも考えてなさい!!!気ィ抜いてたら……殺されるわよ!」
シズクは、サンの戸惑いと困惑、そして後悔を切り替えるために声を張り上げた。普段戦うなんてある意味日常茶飯事ではある。けれど、今回のこれでは訳が違う。相手は伝説。レベルも能力も桁違い。一歩間違えば、他に気を取られて不意をつかれれば、殺されるかもしれない。死ぬなんて何処か非現実的ではあるが、それでも今が命の危機と言っても過言ではない窮地だ。
しかしケンジは何だか、微かだが不思議としっかりした違和感が心の中を駆け巡っているような心地がしていた。何だろうか、これは。この違和感の正体が、分かるようで分からない。そんなもどかしさに襲われていた。
今自分達と対峙しているグラードン。強烈な威圧感や迫力ははっきりと感じることができる。けど、何かが可笑しい。元々は大地を動かしたと言われているポケモンである。此方と喚きながら話をしなくとも、その強大な力で此方を簡単に捩じ伏せる事だって出来なくはないだろう。
神話の本で読んだときのグラードンとは大分印象が違った。本が間違っているということもあるかもしれないが、どうしてもグラードンの今までの仕草が全て不自然に見えてならない。
どんな真実であろうとも、結局はグラードンを倒さなければ何も変わらないのだろう。結果的にそんな答えを出したケンジは迷いの無い眼でグラードンを見つめ、構えた。それに合わせシズクとサンも目付きを鋭くして次にどんな動きも出来るように足に力を込める。
頭上から照らす太陽の光が、これから始まる戦闘のゴングを打った。
***
一方でヘイライを先頭に霧の湖へと早足で向かっていたギルドメンバーは、空に浮かぶ水を湛えた器と地面を繋ぐ洞窟、『熱水の洞窟』入口である岩壁の裂け目前へと辿り着いていた。
ここまで走り抜けてきたのであろう、皆息切れが激しかった。ヘイライは水タイプな為まだいいが、炎タイプに耐性の無い草タイプのキマワリ、シニーやイーブイ程ではないが体毛が多いビッパのベントゥなどが、特に疲れはてているようだった。それでも、流石と言うべきかしっかりとこの先へ進むという意思を見せている。暑いくらいで彼らの信念は折れない。
「はあ、はあ……ヘイライ、洞窟の入口みたいなところがありますけど……この先なんですの!?」
「嗚呼、多分そうだと思う。暑いだろうけど、一気に抜けるぞ!!」
「急ごう!」
ヘイライの呼び掛けにより水分補給していたもの、少し腰を落ち着かせていたもの全員が洞窟の中に足を踏み入れた。凄まじい湿度と熱気に一同顔をしかめるものの、この先に進もうとする気持ちがある限りいちいち足を止めて休もうとは思わない。彼らは今までの探検で培った実力をもとにはだかる敵を次々に蹴散らしていった。
熱水の洞窟中間地点で少しの休憩をとり、そこからまた足を必死に動かして全力ダッシュの形で上へ上へと登っていく中、普通よりも多い足を忙しなく動かし、走っていたヘイライは、近くを低空飛行で進んでいるラペットを見ると、彼が気になっていたことを口に出した。
「ハァ、ハァ………ヘイ!ラペット!ちょっと気になったことを聞きたいんだが……走りながらでもいいか!?」
「嗚呼、いいぞ。なんだ?」
「………ラペットは、知ってるのか?グラードンってポケモンのことを」
「なんだいお前、馬鹿にしてるのか!?私は情報屋だぞ!知ってて当然だろう!!
…………グラードンとは、神話の世界に語り継がれているポケモンだ。時間の神ディアルガや空間の神パルキアなどと並び、伝説のポケモンと位置付けられている。カイオーガとの『海炎の戦い』なんてのは歴史的にも有名な話だ」
「『海炎の戦い』ならまあ聞いたことあるな………そうか、伝説のポケモンかぁ………」
「そうだ。伝説話に詳しい奴なら知っていると思うが、言い伝えによればグラードンは、大地を盛り上げ大陸を広げたポケモンだとされていた」
「へぇ……そりゃすげえ話だな………。
ヘイ!なあラペット、もしも……もしもの話だが、その伝説のポケモンとかいうグラードンと戦うってことになったら……どうなるんだい?」
「はあっ!!?馬鹿言うんじゃない!!戦うだなんてとんでもない!伝説のポケモンだぞ?私達のような普通のポケモンなら最終進化系でも全く敵わない!それこそ伝説のポケモン同士じゃないと釣り合わない程のレベルなんだぞ!?
……もしグラードンに出くわして……戦うなんてことになったら……その時点でもう命が無いと思った方がいい!私だったらきっと目の前にしただけで死を覚悟するな。……それほど強いのだ。伝説のポケモンは……!」
今この瞬間、彼らが走っている洞窟最上部にて自らの弟子三匹が『命の危機』に晒されていることも知らず、ラペットはそう言い切った。
***
頂上にて。伝説のポケモンであるグラードンと対峙しているシズク、ケンジ、サンの三匹は、来るであろう攻撃に瞬時に対応できるよう身体を強張らせていた。彼らは別に喧嘩っ早い訳ではないため、望んで戦おうとは微塵も思っていなかった。来るなら、受ける。隙をついて後ろへと滑り込むことを暗黙の了解として認識し、相変わらず唸りながらたたずんでいる緋色の竜を睨み付ける。
フライの無事はまだ分からないものの、もし此処まで辿り着いてくれたなら形勢は一気に有利になる。勿論あの敵の数をすぐに打ち倒せるかどうかは分からないが、少なくとも生きているであろうことは信じる。ケンジにしてはシズクの眼が翠に光ったのもきになっていたが、余計なことに気を取られていればどうかるかはわからない。
圧倒的な力の差。実力と能力の大幅な違い。勝てるかどうかはわからない。でも頭を使えば、勝てる見込みも無くはない。とにかく第一の目的は『隙をつく』ことだということを見失わないようにしなければならない。敵を見据え、真剣な表情で神経を研ぎ澄ます彼らは、グラードンの動きを察しようとしていた。
先に手を出したのはグラードン。かなり苛ついている様子で鋭利な爪のついた巨大な腕を振り回してくる。そんな単調な動きに戸惑わされるレベルではない。経験を積んだ探検隊である。こんな動作はごく普通の野生ポケモンがやるようなものだ。避けることにはなんの苦もない。相手は地面タイプ、電気タイプは全く効果が無いことを認識しているシズクは、無駄に電撃を撃つよりもノーマルタイプの物理技で的確に攻めていこうと企てる。物理技となるとほぼ全部が近距離になってしまうが、当たったときに与えられるダメージと比べればそこまで問題になるものではない。一方でケンジは、まずは遠距離から攻めていこうと『波動』の線を腕に蔓延らせる。近距離でいこうと決めたらしいシズクを遠距離から援護しようと動きを頭の中で大まかに決めてから、まずは『波動弾』をぶっぱなす。大きな蒼い珠はグラードンの足にぶつかり、体勢を崩す。そこを見計らってシズクは、『アイアンテール』を繰り出そうと尻尾を鋼のように固めながら電光石火で走り出す。走りながら『高速移動』で更に速度を上げると、その勢いを利用して飛び上がり回転を加えた『アイアンテール』をグラードンの足根本付近を切り裂くように叩きつける。よろめきながらヤケクソのようにグラードンは太い尻尾を振り回したり爪を振り下ろしたりしてシズク達の行動を阻んでいた。
確実にダメージは与えられている。タイプ相性もあり効いてないというわけではないようだ。見た目的には硬そうなグラードンの身体に思いきり尻尾をぶつけたシズクも、そこまで傷を負っていたり反動で体力を削られているという訳ではなさそうだ。
「……………?」
それを見ながら、戦闘が始まる前にも感じた違和感がケンジを襲っていた。なんだろうか。何かが違う、と本能が訴えているような感じだ。こんなのが本当に『伝説』と謳われるポケモンなのだろうか。
「………伝説のくせに、身体振り回すしか能が無いのかしら?」
挑発のように呟かれたシズクの言葉に、彼女も同じように思っているらしいことをケンジは察する。何にしろ、その辺りの謎はグラードンを倒さないことには何一つ判明しない。
シズクは先程発動した『高速移動』をもうひとつ上乗せさせ、二匹のアシストをする。頭上を見れば照りつける太陽。きっとこれは『日差しが強い』状態になっている。グラードンの特性が発動したのだろう。恐らく『日照り』。天候が変わっているということは、此方にもメリットにならなくもない。『日差しが強い』で炎タイプとなったウェザーボールをサンは勢いよく打ち出す。炎タイプは相性が悪いが、威力は二倍になる。普通並みにダメージを与えることはできる。ウェザーボールを連発したあと、サンは渦巻く紫のエネルギー体を喉の奥に溜め始め、シャドーボールの準備をする。グラードンは『切り裂く』を使って四方八方から飛んでくるウェザーボールを裂いて、そのままサンに向けてふりかぶる。いち早く気づいたサンは未完成のシャドーボールをグラードンの腕に向かって撃ちながら横っ飛びで避ける。
グラードンの意識がサンの方に行っている間、ケンジは手に『はっけい』のエネルギーを込め、後ろから狙おうと電光石火で走る。ケンジは、前方にいたシズクと目を合わせると、彼女の方に走っていき突き出されている尻尾に飛び乗った。シズクは重みの増した尻尾を思いきり振り上げ、ケンジを上空へ弾き出す。飛び上がった彼は、近くの突出した岩の天辺に一瞬着地し体勢を整えると電光石火で脚力を上げグラードンの首もとへと降りていく。グラードンが顔を向けるが間に合わず、ケンジのはっけいは見事に直撃した。
痛みに呻き、グラードンは急にシズクの方を向いて巨大な『マッドショット』を打ち出す。間一髪でかわすが、マッドショットがすぐ横を通ったことで彼女の体毛が逆立てられる。効果抜群の地面タイプの技だ。もし当たったら……想像するのもおぞましい。恐怖から顔を背け、シズクは再び電光石火でグラードンの背後にまわる。上手くいくかどうかは分からないが、少し考え付いたことがある。タイミングを見計らうように彼女は感覚を更に研ぎ澄ましていく。
斜め上にサンがシャドーボールとウェザーボールを連続で飛ばす。だが真正面だったためグラードンが鬱陶しそうに手で払っただけで簡単に消されてしまった。エネルギーを最大に溜めて一発吐き出すか、小さめでも連発で多く飛ばすか。質と量、どちらがよりダメージを与えられるのかはわかり得ない。
淡々と攻撃、防御を繰り返すケンジは、じわじわと確実に敵の体力を削っていっている。慎重に電光石火とはっけいを駆使しているかと思えば、『こらえる』を発動させてから最大パワーの波動弾を近距離で当てに行ったりもしている。シズクの『高速移動』で素早さの面にしてはシズク、ケンジ、サン側に傾いているようだ。しかし、やはり体格の差もあって多少力負けしている部分もある。ダンジョン内であれば余裕で敵を打ち負かすことができそうな威力の攻撃を当てても動じず、まだそこに立っている。かなり渾身の力をぶつけてはいるものの、耐えられると堪えるものがある。
ケンジが『波動弾』を波動の段階にほどいて身体に纏い、電光石火でぶつかりにいく。波動弾に電光石火の威力を重ねたケンジ渾身の一撃は、グラードンにもかなりの傷を負わせたらしい。足元が僅かにふらついているようにも見てとれる。そこを見逃すシズクではなかった。先程思い付いたことを実践にうつそうと電光石火を最大パワーで発動させて飛び出す。グラードンのような巨体に攻撃するには、背中の方が有利といえば有利だ。だがグラードンの場合、これまた棘付きの尻尾がぶら下がっているためどちらも安全策とはいえない。それでも微かな可能性に賭けてシズクは片手にピリピリとした電気を溜める。大きさからして全体に効くかどうかはわからない。でもやってみる価値はある。彼女は電光石火のスピードを少し緩めると、尻尾の付け根辺りを狙って溜めていた電気をぶつけた。飛び上がって広い背中を狙わなかったのは、反射的に動いた尻尾に押し潰されることを危惧したからだ。ゴツゴツと堅い身体に潰されれば無事でいられるかどうか。
「あっ………!」
だが彼女の読みもまた甘かったのかもしれない。計画通り電気をぶつけられたのはいいが、その大きな尻尾が横凪ぎにシズクを襲ったのだ。飛び上がって避けるにしても余裕がない。彼女は両手を地について、可笑しな格好の逆立ちのように尻尾を前に押し出しグラードンの尻尾と交える形にした。瞬時に尻尾はアイアンテールの状態にしてあったため、彼女の尾とグラードンの棘がまるで剣のようにギリギリと甲高い音を響かせる。
それでも、力でグラードンに勝てる訳はない。最初は少しスピードが収まったが、完全に力負けしたシズクは上空へと弾き出される。尻尾の棘が腕に擦ったせいで、彼女の腕にはぱっくりと開いた傷口ができていた。そこから鮮血が散り黄色い体毛を赤黒く塗らす。
「シズクっ!!?」
「しまっ…………!!」
無事に着地、させてはくれないようだった。空中で身動きの取れない彼女に向けて、グラードンが勢いよくマッドショットを放つ。嗚呼、これはヤバイな、と迫り来る泥の塊を見つめシズクは皮肉にも一瞬だけ冷静な自身の思考に気持ちを委ねる。効果抜群の技を真正面から全て受け、彼女の身体は向かい側にあった岩壁に叩きつけられる。茶色い泥で身体を濡らしながら、シズクは地面に一直線に落下した。
「かはっ……」
意識が朦朧とする。全身がじんじんと痛む中、マッドショットと激突した身体の前と切り裂かれた腕が特に鋭く痛む。動こうにも全く身体が動かず、シズクはその場に倒れ付した。
「シズクッ!!!」
一向に起き上がってこないシズクの方にケンジが真っ先に駆け出した。サンも目を見開いてシズクのところに駆け寄ってくる。グラードンの猛攻はまだ止まらないようにも見えたが、その中でサンは異変に気付く。
「足が動いてないッ……!」
そう。シズクが頭の中で練り上げた計画は、グラードンを麻痺させることだった。足を麻痺させれば少しは楽になるだろうと考えてのことだった。電撃は効かないが、麻痺状態にならないというわけではない。シズクは尻尾の付け根部分に『電磁波』をぶつけていたのだ。
「ナイスシズク……!でも………」
「サン、俺がとりあえずシズクを………あそこにある岩の窪みに連れてくから、サンはグラードンの気を引いてもらえない?」
「了解!任せといて!!」
サンが走りだし、真反対でシャドーボールを打ち出したのを確認したケンジは、シズクを岩の窪みに連れていく。丁度シズクがすっぽり入りそうな広さだ。そこに彼女を寝かせ、バッグからオレンの実を取り出して絞り彼女の腕の傷にかけていく。半分はシズクに渡して、体力の回復を促そうとする。
「シズク、とりあえず腕の傷の処置はしたから、あとはこのオレンかじってちゃんと休んでて。俺はサンの援護しに行くから………いい?」
「……ハァ………ハァ……」
荒い息をしている。とても苦しそうだ。ケンジはシズクの手にオレンを握らせてその場を去ろうとした。しかしその時、手首を掴まれる感覚に襲われる。振り向けば、シズクが肩を上下に揺らしながらも彼の手をしっかりと掴んでいた。
「…………シズク……?」
「ッハァッ…………私も…………まだ………」
「ちょっ……駄目だよシズク!休んでないと死んじゃうかもしれない!シズクが死ぬのは嫌だから、休んでて!!」
「ッ……でも…………」
「シズク、聞いて。今は休まないといけないよ。命の問題なんだ……」
「ハァッ…………ハァ……」
緩んだ手から腕を抜いて、小さな黄色い手をゆっくり身体に横たえるようにする。眠るように目を瞑っているシズクを一度見ると、ケンジは走りながらはっけいを構えて応戦しに行く。
(…………………)
身体中が痛い。手にオレンを掴んでいる感覚はあったが、それを口に運ぶ気力さえない。息をするたびに肺が痛むし、まるで重りを乗せられたように身体が重い。
さっきケンジの手をつかんだのは、私もまだ戦う意思があるということを伝えたかっただけ。今の状態でまともに戦えるとは思っていなかったし、戦おうとは思えなかった。
けど、悔しかった。そう、悔しかったんだ。二匹はちゃんと戦っているのに、私だけ此処にいるのがなんだか嫌だった。グラードンは今麻痺しているようだが、もう少し頭を働かせていればこんなことにはならなかったのかもしれないのに。私の不注意がこんな事態を招いたんなら、これで霧の湖に辿り着けなかったら私のせいだ。
戦いたい。まだ、戦いたい。
諦めたくない。こんなところで、止まっていたくない─────
──────力を与えましょう。貴女が望むのならば。
不意に身体が軽くなった。さっきまで錘がぶら下がっていたように重くて動かなかった身体が、何故だか軽い。起き上がっても全く痛みは感じないし、どうやら体力も回復しているようだ。自分の鼓動と呼吸の音がやけに煩く聞こえる。けど、周りは普通よりも静か。
気配を繊細に感じる。グラードンの動き、サン、ケンジの動き、技の向き。それだけじゃない。彼らが次どちらに動くか。何を考えているかも曖昧に分かる。地についている自分の足がいつもよりも地面の感触を細かく感じている。足が地面にぴったりとフィットしているようだ。走り出せば周りの景色がぼやけるほどにスピードが出る。
彼女は飛び上がった。考えるよりも先に、本能が身体を動かしているように。尾を硬めアイアンテールの形にしたその純白の尻尾は、一瞬の内に漆黒に飲み込まれる。『黒』は黄金色の電撃と共にシズクの身体を包み込む。
その光から垣間見える彼女の眼は。
まるでシルクのような銀色に赤、蒼、黄、翠が踊る、空に浮かんでいるような鮮やかな、オパールのような虹色。
その虹色は彼女にまとわりつく黄金色と漆黒と共に渦巻いて、星のように煌めいた。
今まで姿を現すことのなかった『漆黒の
虹』は、この瞬間に覚醒した。