#107 日照り石の使い道
ヘイライについてしばらく靄の中を突き進んでいると、不意にヘイライが大きくて赤い鋏を前方へ向けた。その仕草につられ、彼らも同時にその方向を見つめる。
「あれを見てくれよ!」
五匹は走っていって、ヘイライの指す物体の側に寄っていった。靄で霞んではいたが、近付けばしっかりと見ることができる。この自然溢れる森の奥に、場違いなものが佇んでいた。よく見てみれば、それは石像であった。何か大きなポケモンが象られて作られているようだ。粗い石削りで、見たところ表面はかなりざらざらしている。
その石像は傾いていて、台座の角のところが一部分地面にめり込んでいた。まるで、そこを下に遠いところから落とされたようにも感じられる。
「へえ……確かにこれは気になるね」
「だろ!?こんな森には合わねえし……何かの手がかりなのかもしれねえよな」
気にはなるものの、この石像が霧の湖にどんな風に関わってくるのか想像もつかなかった。此処に置いてあるのは不思議だが、それ以外におかしなところは特になかった。
「これが霧の湖を見つけるためのヒントになると思う?なんかあんまりはっきりしないというか……よく分かんないなあ」
「俺が想像してた『手がかり』ってのはさ、なんか謎めいた文章が書かれた石板……とか!」
「それはあんた本の読みすぎよ」
「サン達の言うとおりな気もするぜヘイヘイ……気にはなるが元々置かれてたやつだったりするかもしれねえし……」
折角手がかりらしいものを見つけたような気がしていたヘイライは、だんだん自信を無くして萎んでいってしまった。そんなヘイライの様子を気にしているのはせいぜいサンぐらいしかいなかった。
「まあまあ、落ち込まないで。確かに霧の湖に関するヒントじゃないかもしれないけど、そうという証拠もないし!諦めないで頑張ろー!」
「うぉぉ……サンは優しいなヘイヘイ……!!」
「あ、くっつかないできもい」
先程までヘイライに慰めの言葉を掛けていたサンは、ヘイライが涙目ですがってこようとしていたので笑顔に嫌悪を滲ませてサッと後退した。フライにはしょっちゅうくっついてるのに……と、ヘイライはまた地面にのめり込みそうなほど落ち込んでいた。
そんな中、フライだけがそのポケモンの石像をじっくりと眺めていた。フライだけが真剣に謎を解こうとしているような雰囲気に、全員が彼の元へ急ぐ。
「なんか分かった?」
「………いや。だが、このポケモン……なんだかわかるか?」
フライが石像を指し、皆がもう一度石像のポケモンを見つめ始める。改めて見てみると、石像の為小さくされているとはいえそのポケモンはかなり大きいことが窺えた。雨風に晒されごつごつになってはいるが、がっしりとしている胴体や鋭い爪などはまだ見てとることができた。
「……私はしらない!!」
「お前は本とか読まないもんな……」
見た瞬間に、知識にないポケモンだと判断したサンは溌剌と手を上げて声を響かせた。その様子にフライは呆れた目付きで彼女のことを見る。その口振りから、あれ、フライほんとは知ってるのかな、とサンは何故だか感じてしまった。何故か、は本人にもよく分かっていない。
しばらくすると、ケンジがぼそりと呟いた。
「あー……俺、多分知ってるかもしれない」
「私も知ってる。見にくいけどね」
「へえー、何て言うポケモンなの?」
「『グラードン』。歴史の本とか、伝説にも結構出てくるんだ。この前挿し絵でグラードンのこと見たんだけど……それと似てるから」
「私もグラードンだと思うわ」
「シズクも本読んでたの?」
「いや………分かんないけど、なんか知ってた」
「ふーん。グラードンって、どういうポケモンなの?」
「伝説のポケモンだよ。すっごい強いらしい。この世界の遥か地底に住んでるって言われてるけど……そんなポケモンがどうしてこんなところに関係してるのかな?」
グラードンの住処は『地底』。対して今いる此処は、地底でもなんでもないただの『森』。一体何処がどう繋がっているのか、ポケモンの正体が分かった途端にまた謎が増えてしまった。
「……それに、今現在グラードンって生きて……まだ存在してるのかしら。古代の伝説ポケモンじゃなかった?
あと、大体伝説のポケモンって古代ポケモンよね……普通のポケモンよりは寿命長そうだけど、かなりの古代の事だと、まだこの世界の何処かにいるのかどうかも分からないわよね」
「嗚呼、そういう考えもあるかぁ……そもそもこのグラードンの石像、いつ頃のポケモンが造ったものなんだろう……俺がグラードンを見たのは本の挿し絵だけど、その絵自体ちゃんと書かれてるのかもよく分かんないし……。
でもなんかこの石像は、かなり明確に彫られてる気がするんだ。けど、現代では伝説のポケモンの姿なんて文献でしか残ってないのに不確か。だからこの石像を造ったポケモンっていうのは………グラードンの姿を知っていた、グラードンがいた時代に生きていたポケモン、とかじゃないかな。となると、そのポケモンもかなり昔の……」
「あんたがそこまで考察するとか珍しいわね。でも今は別に誰が造ったとかどうでもよくない?」
「うっ……そうだけど……そうだね」
「まあ、ちょっと石像について考えてみようか。
グラードンか……とりあえずこの石像を色々と調べてみよう。手がかりと言っても、今はこれしかないしな」
フライの指示により五匹は石像の周りをぐるぐると回り始めた。四角く角張った台座に、地面にめり込んでいる部分、グラードンの全身を眺め回すが、しばらくの間誰も声を上げることはなかった。だが。
「あ……ねえ皆!!此方!此方来て、これ見てみて!」
ケンジが大きな声を出して皆を呼んだ。何かあったのか、と四匹は急いでケンジが眺めていた石像の横側に移動した。彼がじっと見ている台座の部分を見てみると、そこには掠れていたが何かの文字が刻まれているらしいことが分かった。
「これ、文字……かな?ちょっと読みにくいけど………古代アンノーン字とかだったら俺読めないんだけど……」
「大丈夫、ちゃんと現代の足形文字だ。読んでみるか……」
ケンジとフライの二匹が文字が刻まれている側面の傍に座り込み、覗き込もうとしているサンやヘイライにも聞こえるように読み上げ始めた。
「『グラードンの命灯しき時……空は日照り……宝の道拓くなり………』内容はこのくらいだ」
「宝の道……ってもしかして、ラペットが言ってた『霧の湖の宝』の事かな!?ほんとにあるのかなあ、お宝!!」
「霧の湖の、宝……か」
満面の笑みで宝に対する執着心を明るく露にするサンは、変わらない溌剌さで瞳を輝かせる。だが、そんな彼女のパートナーであるフライは、何故か妙に無機質な表情で考え込むように声を落としていた。先程、この謎について真剣に議論していた時よりもオクターブ程低くなっている相棒の声に、サンのみが、さっきから感じていた違和感がどんどん膨れ上がるような気がしていく。
「その辺はまだ分かんないけどね……でも、宝に関しては確かに信憑性が高まってるように感じるわ。此処を突破できたらその先に宝があるってことを示唆してるのかしら」
フライの可笑しな行動や言動に全く動じていなかったシズク、ケンジ、ヘイライはまだ宝についての会話を交わしていた。やはり、一番長く付き合っていた自分だからこそ分かったのだろうか。それとも、ただの気のせいなのだろうか。純真無垢なイーブイの少女は、ただ不思議そうに首を傾げただけであった。
謎めいた文面に一同は眉をひそめて、この文章の意味を必死に考え始めた。分かりそうなところから解いていくと、『この先に宝がある』ということぐらいである。古代に書かれた文章の様なので、このような意味深な文はあまりこの時代で目にすることはない。単語にしろ文にしろ、これとわかるものは無に等しかった。どれほど頭を捻っても、閃くものは何も生まれてこない。
「んんー……でもどういうこと?この……『グラードンの命』ってのは」
「一番分かんないのはそれだよな、ヘイ!」
「この石像はグラードンだし、此処に書かれているのもグラードンにまつわること、よね。ということは、このグラードンが何かに関わってくるのかもしれないし……」
「でもさあ、よく考えてみてよ。これ、石像だよ?命を灯すって……一体、どういうことなんだろう」
「見たところ無機物だし、生きてるようには見えないよね。この文が言ってるのは、石像に命を与える……つまり、『動かす』とか、そういう意味合い?」
「いや……そうかもしれないし、違うかもしれない。情報が不確かで分からないが、無機物を生物にするなんて、僕は聞いたことない。それに本物のグラードンなら、何処か地底深くにいるだろうし」
指を顎に当てて唸り、フライは石像を前に脳内をフル回転させているようであった。ケンジは文を何度も何度も読み返しているが、だからといって対した情報は得られなかったようだ。落胆したようにグラードンを眺め回している。シズクもフライと同様何か考えているように見える。彼女は頭が良いから、きっとケンジやサンよりは一歩手前にいってそうだが、それでも閃いた様子は見せなかった。
サンは、ひたすらに疑問に思っていた。フライの様子がなんだか可笑しいと。伝説やお伽噺は好きそうだったが、そこまでのめり込むほどでもなかったし、何しろ推理やミステリー的な展開はどっちかというと嫌っている方だった彼が、何故かこの霧の湖へ行くための謎解きには前のめりに参加している。いつもならこんなことも無かったのになあ、と彼女は思う。しかし、それも少しだけ頭の隅に引っ掛かってただけだ。初めての遠征だし、それでちょっと張り切ってるんだろう。謎めいた手がかりっぽい物も見つけたし、この謎を解けば少しは前進できるのだろうし。だからあのフライも、頑張って推理しているんだ。そのくらいにしか考えていなかった。
「……謎を解くには、これじゃあどうしても情報が少なすぎるよな、ヘイ!一文一文何かの隠語みたいにも読めるし、具体的にどうすればいいのかも全くわかんねえぜ」
「そうだな、ヘイライの言うとおりだ。
だが……情報と言っても、この霧の中探すのはきっと不可能だ。ばらばらに探したとしても迷うことだってあるからな。今は、この石像と向き合って先へ進む方法を考える方が得策なんじゃないか」
半ば諦めかけたようで、自棄になったのか手当たり次第で飛び出そうとするヘイライを引き留めるような言葉をフライが口に出す。それもそうか……と、ヘイライはどっちつかずの顔でまた石像を眺め始める。
そんな中、ケンジは何故だか、何かを決意したような表情をしていた。
「……シズク、ちょっといい?」
「いいわよ」
ケンジと話をすることを少しは渋るだろうと思っていたケンジは、シズクが余りにもあっさり考えるのを放棄したのを見て驚いた。だが、実は彼の考えに気づいていたのかもしれない。そう思えば不自然ではない。
「俺に、考えがあるんだけど」
「奇遇ね。私もよ」
やはり、そうか。彼女の目をしっかりと捉えた瞬間に、彼はそう悟った。同じ事を考え、同じようにそれを実行に移そうかどうか悩んでいたのだということを。
「やっぱり?……俺の考えは、シズクが持ってる能力を使うってことなんだけど」
「私もそれを考えていた。……このまま考えてたって、結局はどん詰まりで終わりそうだし。この先には私情もあるから、出来ることはやってみたい」
────フライは、何か知っているのかもしれないけれど。
そう言おうとして、彼女は直前で口を塞ぐ。『フライが何かを知っている』。それは、ただの勘だ。証拠なんてない。直感で思っただけの事であり、不確かだ。そんなことを彼に言ってどうする。今は霧の湖へと進む方法を探すのが最優先事項だ。関係がない上に不明確なことについて話し合ったって所詮は時間の無駄である。
「じゃあ、使うってことでいいわよね?」
「うん、まあね……。
でも、お願いだから無理はしないで。最近はあまり発動してないみたいだけど、あの眩暈の能力が発動した時、シズクはいっつも苦しそうなんだ。だから……シズクの体調が悪くなるなら、使ってほしくないんだけど……」
「別に、平気よ。いつもはちょっと頭痛がするだけだし、時間が経てば、治るから」
そしてシズクは、ケンジに背を向けて石像を睨み付けた。
眩暈の能力が発動する時の、条件は、二匹ともなんとなくだが分かっていた。これまで発動した時に行った動き、見たこと……それらを照合すれば、案外簡単に分かることだ。
眩暈からの映像を見るには、何かに触ることが必要だ。ルリアが誘拐されるときは、ルリアの触った林檎に、また誘拐犯のギルナ本人に触れたことから未来を見ることが、また滝壺の洞窟へ探検に行ったときには滝に触れたことで過去を見ることが出来ていた。いずれも何かに触っている。そしてそこから見ることのできる映像は過去か未来に起こった、もしくは起こる場面だと言うことも分かっている。
シズクは、小さくて短く、体毛で覆われてふわふわしている指を石像になぞらせた。ごつごつという岩の感触。湿っぽい蔓や苔が蔓延っている台座。撫でるようにそれらを触っていく彼女のことを、ケンジは心配そうに背後から見つめていた。
そして、
………………………………………きた。
ぐらんぐらんと視界が歪む。白濁した黄緑色の世界は、どんどん形を失いただの液体になって零れていく。頭の片隅が僅かに痛む。足元がふらふらと縺れていく。倒れ込まないように、一瞬だけ現実世界での意識を保って石像に体重を預ける。彼女がふらつく姿を、ケンジは自身の体でひっそりと隠す。
その時の彼女の目の前は既に闇に染まっていて、目映いばかりの閃光が走る。
『そうか!此処にッ!!此処に───があるのか!!』
始まった時よりも直ぐに、シズクは今いる場所に戻ってきていた。眩暈も頭痛もふらつきも、何もかもが消えている。身体を支えていた右手からは石の冷たい感触が伝わってきていた。
(今の…………あんたは、誰?……今のは誰の声……?)
見たものを頭の中で消化しきらない内に、また彼女のことを激しい眩暈と頭痛が襲う。考える間もなかった。潜っていた思考の海から、無理矢理引っ張り出された感じだ。再び石像に置いている手に力を込め、頭に響く声に耳を傾けていく。
『………なるほど。グラードンの心臓に日照り石を嵌める。……それで、霧は晴れるのか。流石だな!やっぱり俺のパートナーだ!』
この声も、最初の声色と同じだった。同じ響き、同じ音程。同一人物が発する声だとは容易に想像できる。ただ、問題は……彼女がこの声に覚えがあることだ。現在彼女が持っている初めの記憶は、海岸でケンジに起こされたことだが、そこからの記憶の中では聞いたことがない声の筈なのに。なのに、何故か知っている。ベースキャンプで感じたようなもの、なのかもしれない。何かが、心の片隅に僅かに引っ掛かっている。答えは喉元まで出てきているのに、その先に進んでくれない、はっきり分からないこのもどかしさ。
もどかしさと格闘していた彼女は、近くにケンジ達がいることを忘れていたようであった。ケンジに話しかけられて、ふっと我に返る。
「シズク、大丈夫……?もう、終わった?」
「あ……だ、大丈夫よ。連続だったのは吃驚したけど、もう平気……」
声のことについてまだ気になってはいるものの、今は目の前の問題に挑まなければならない。声のことは後からでもきっと考える時間があるはずだ。だから、それは一旦置いておこう。
さて……シズクは、今見たこと……正しくは聞いたことだが、それを整理しようとする。しかし、整理しようとした時、また新たな疑問が浮かび上がってしまった。ルリアの時も滝の時も、みな『映像』を見ていた。頭に映像が浮かんでいた。それにより場所や、出てくるポケモンの正体を導き出せた。今回だって映像が見れるはずだ、そう思っていたのに。
何故、今回は声しか聞こえなかった?
何か可笑しかった。この状況では特に映像を見て、視覚的に情報を手にいれたかったのだが。そんなときに限って声しか聞こえないなんて。しかも連続で発動したし……この能力の特徴の変化が、場所により変わっているのか、それともただ単に偶然、こんな風になったのだろうか。能力の正体自体もちゃんと分かっていないのに、その上特性に関してもまた何処か変わってしまって。謎が膨らみすぎていってしまう。
「シズクほんとに平気?能力の副作用とかあるのかな……もしあれだったら休んでもいいんじゃないかなって思うよ」
「ッ……大丈夫、大丈夫だから」
妙に心配性の彼を諌めて、シズクはもう一度考え込み始める。声に感じる違和感、能力の特徴の変化。悩みはまだまだあるが、今考えるべき事柄は違うじゃないか。自分を落ち着かせて、今度こそ謎を紐解こうと乾いた唇を舌でぺろっと舐める。
あの声は何を言っていたか……霧を晴らす方法。そんなことを口にしていた。どうやら、『グラードンの心臓』に『日照り石』を嵌めれば晴れるらしいが……その単語一つ一つが何を言っているのか見当がつかない。何かの隠語か、暗号か?
それに、この先にあるもの。此処に……一体何があるというのだろう。そこだけ、まるで電波がずれたようにノイズが混じっていて聞こえなかった。耳を澄ます前に、その言葉はもうすり抜けていたのだから、どうにもならなかった。
キーワードは『グラードンの心臓』と『日照り石』の二つである。『グラードンの心臓』は、石像に彫られてる文にもそれらしい事が書いてあった。『グラードンの命』。命を灯せた時、空は日照り、宝の道が開く……。
石像には命はない。いくら考えても、どんな技を使ったとしても、無機物に命を吹き込むなんて無理な話だ。この世界の常識でもどうやらそれは当然らしい。だから『グラードンの命』だとか『グラードンの心臓』は隠語の可能性がある。そして……もし、『グラードンの心臓』が『日照り石』のことを指しているワードだったら?
それは有り得る。となると今度は、『日照り石』が何なのか考えなければならなくなる。それに、『グラードンの心臓』が『日照り石』なのかどうかもまだ分からない。けれど……『日照り石』。霧を晴らし、空を日照らせる為の石、という風に聞こえる名前だ。この石像の何処かに、『心臓』である『日照り石』を嵌めれば、そうすれば空は晴れる……。
そう考えていくとこの推測が当たっているような気がしてならなかった。何故だか分からないが、『それは正解だ』と、彼女の心の中でわんわんと唸っているような感じがするのだ。
本当にそうなのか?もし、石像に石を嵌めれば空が晴れる、としよう。だが『日照り石』とはなんだ?彼女の推測通りなら、『日照り石』が必要不可欠になる。それが無ければ、たとえ謎が解けたとしても進むことができない。『日照り石』……空を晴れさせる石。そんな効果があるのなら、石は晴天のような鮮やかな空色をしているのだろうか?………いや、待て。
『心臓』というヒントがある。『日照り石』を『心臓』と置き換えれば何となく想像が出来なくもない。
私なら、心臓を絵で描くとしたら、どういう風に描くだろう?どういう風に表すだろう?世間一般に知られる『心臓』とはどういう色で、どういう形をしている?
「………あ」
お先真っ暗な脳内に、奇跡的に閃くものがあった。それは暗闇の中を、前方を照らして走る貴重な光に見えた。彼女はそれにすがることにした。
心臓のような、赤い石。それなら、見たじゃないか。ギルドの中でも、トレジャータウンの中でもない。ついさっき、私は確かにそれを目にした。それを目にし、そして……。
濃霧の森に入って直ぐに起こったことだ。そこまで重要な事だとも思っていなかったから忘れていたのだが、今になって思い出していた。ついさっき繰り広げられたあの1シーンが、頭の中で蠢いていく。
『…………んぉ!?うゎあっ!!?』
静かな中で、ケンジがいきなり奇声を上げてぶっ倒れる。霧のせいでよく見えていなかったシズクは呆れた声を漏らした。
『何やってんの……』
『あ、あのねえ……なんかに躓いて……ごめんシズク』
ケンジはシズクに少し謝ってから、今しがた自分が躓いた物体を見下ろした。ケンジの両手にすっぽりと収まるくらいの大きさの石だった。それは微かに、暗い赤色に光っている。
『うわあ……なんかすごい綺麗な石だなー』
『ほんと、きれいね』
『なんだろうな、これ」
彼らの視線を感じながらも、ケンジは石を手で包んで持ち上げてみた。シズクも触りたそうに指をむずむずと動かすが、それは誰にも気付かれない。
『おお!!これすごいよ!なんか温かい!!なんていうか……引火した木炭みたいな……いや、違うな。んー……どう表せばいいのか……』
ケンジは一度迷うが、直ぐに閃いたように頷く。
『………なんかね……生き物みたいだよ。内側から熱を出してるような……日光を閉じ込めたみたいな、その光が石の中で燃えてるみたいな。そんな温かさだなあ』
『何だろうね?溶岩……ではなさそうだよなあ』
『中で炎が燃えてるみたいだな。見た感じでも赤く光ってるように見えるし……もしかしたら、炎の石とかだったり』
一通り議論したのち、ケンジは何か大切な物かもしれない、とバッグに石を滑り込ませた。
特に気にすることもない、何気ない日常のシーン。ただダンジョンを歩き……そして、石を拾っただけ。その石だって、彼女はそこまで気にしていなかった。ダンジョンには結構変なものもそこらに落ちているし、あまり特別なものであるはずがないと、そう思っていた。否、思い込んでしまっていた。それで放っておいてしまったから、今の今まで気付かなかった。
だが……今、はっきりと分かる。
私が心臓を描くなら、間違いなく赤で、歪な丸の形で描くはずだ。赤いが、少しだけ黒みの混じっている赤。それとケンジが拾った赤黒く光っている石。そして感覚。中で何かが生きているような、蠢いているような、血が脈打ってるような、暖かみのある石。
ぴったり当てはまる。何もかも。そうだ、心臓だ。赤くて暖かい心臓。それはあの石の持っている条件に合う。
それなら……なら、何処かに窪みがあるはすだ。声は、『日照り石』を『グラードンの心臓』に嵌めればいいと言っていた。それなら、この石像の何処かに嵌められる場所があるはすだ。
シズクはまだ不安そうな顔をしているケンジをそっちのけにぱっと駆け出した。いきなり動き出したシズクにケンジは吃驚して、三秒程間を置いたあと「シズク!!?」と声を発する。そんなことは気にせず、シズクはサン、フライ、ヘイライがまだ固まって話し合っている塊よりも少しだけ右の、グラードンの胸元辺りに走り込んだ。触りながら探してみると……あった。ケンジの拳が収まりそうな程の窪みが。誰にも気にされず、そこに在った。
「ケンジッ!!!」
「!?何!!?」
ついに謎が解けたかもしれない。目の前が暗かった筈なのに、どんどんどんどん道が拓けていく。花が咲くようにぱあっと。その行く先を心の目で追いながら、シズクは燻っていた何かが明るくなったことに爽快感を覚え、同時に興奮していた。
「あんたの……あんたが濃霧の森で拾ったあの赤い石、まだ持ってるわよね?」
「も、持ってるけど……それが、何?」
「いいからちょっと出して」
シズクとケンジ二匹の言葉の掛け合いに、サン達三匹は反応して彼らの方を向いた。ケンジはシズクの剣幕に押されてバッグから先程拾った赤い石を取り出す。その石は彼の手の中で赤い光をちらちらと漏らし続けていた。
シズクは落ち着くために一、二度深呼吸する。自分でも無意識の内に精神が昂っていたようで、それを鎮めるには少しばかり時間を要した。ふうっと息を吹き出すと、シズクは自分の能力を悟られないような説明をして皆を説得する。
「『グラードンの命』っていうのは……『心臓』っていう意味でも捉えることが出来るでしょ?その方向で考えると……ケンジが森の中で拾ったその石が、どうにも心臓に見えて仕方なかったの。
確認してみたら、この石像に胸に窪みが在ったのよ。だからもしかしたらって思って……」
「はあ、なるほどな……」
「さっすがシズクは頭いいよねー」
彼女の、かなり論理的な説明に皆が納得する。ケンジは、シズクが何を見たのか知らされてはいなかったが、この短時間で見たことからここまで導き出せることに感心していた。
「じゃあ、ケンジ……」
「うん、分かってる!」
ケンジは先程出した赤い石……もとい『日照り石』を、シズクが指し示した窪みへと嵌める。まるで窪みは、何かが嵌まるのをずっと待っていたかのように石を迎え入れ、パズルのピースのようにぴったりと収まった。
「やった、嵌まった!!」
「ちょっ……おいお前ら離れろ!早くッ!!!」
シズクの案が正解だった、と喜ぶ間も無かった。日照り石が窪みに入った途端、地面が揺れ出した。まるで、石像から振動が伝わって広がっているみたいだ。こんなこと考えている暇も無いのに、ケンジはそう思ってしまっていた。フライがいち早く揺れに気付いて全員に逃げるよう言い渡した。
言われる前に逃げ出していた。揺れは収まるどころかどんどん強くなってきていた。出来る限り石像から離れた場所まで後退する。充分な距離まで下がった時、石像の眼が紅に発光した。同時に身体も白く光り始め、辺りを輝かせていく。目が潰れるかと思うほどの目映さで、シズクはぎゅっと目を瞑った。瞼の裏で青白い光の残像がまだ踊っている。
しばらくその場で蹲っていると、光が収まったのを瞼の向こう側で感じた。彼らはゆっくりと目を開けると、この場の光景にしばし呆然とする。
「……………うっわあ………」
「空……ね。こんなに、眩しかったなんて」
ついさっきまでもんもんとした霧で覆われていたのに、見通しの悪い白濁した世界だったのに。天から差す太陽の恵みの光は水滴が垂れる草原を燦々と照らしていた。
煌めく透明な日光は、長い間霧の中にいた彼らの身体浴びせ、靄のせいか半ば憂鬱としていた気持ちも拭い取ってくれたようだった。暖かい日差しは濡れた大地を舐めていき、蒸発し水蒸気と化した雫は辺りの湿度をさらに上げていた。だが、それすらも何故か気持ちよく感じるのである。
「綺麗〜……」
「ん………ぅぇ……?え、え!?ぅわあっ!!?」
「へっ?……!?」
ふと、太陽を仰ぐようにケンジが空を見上げたのだ。綿菓子のように浮かぶ雲、例えるならば白い光球と言える太陽、絵に描いたような青空。けれど、彼の目に映ったものはそのどれでもなかった。
あまりにも予想できないこと。あまりにも奇想天外で有り得ないこと。なのにそれは、確かに“そこ”に実在した。
「まさか、あれが………!」
「霧が晴れてやっと分かった。今まで霧の湖が誰にも見つらなかった訳が。
……そりゃあそうだよね。霧があったんじゃあ、遠くまで見通せることなんて出来やしない。霧が晴れなければ……俺達も此処をうろうろしているしかなかったんだから」
「ヘ、ヘイ!それってさ、まさか霧の湖は………あの上にあるっていうのか!?」
「俺はそれしか考えられない。だって他に……それらしいところも無いでしょ?」
アクアマリンの如く煌めく空に浮かぶそれは、まるで巨大な器のようだった。大地で形作られたその器は、中にたっぷりと湛えた銀色の純水を幾筋も幾筋も地に注いでいた。注がれた水が辺りに池を造り、それらが“湿気”という恵みを与えていた。
浮かぶ器は長年、霧と雲の更に向こう側で下で蠢く探索者達を迎え、そして送り出していたのだろう。誰も見つけることが出来なかった理由。長く『未開の地』と呼ばれていた由縁。それは霧に隠されていたから。そこに在る謎も神秘も、丸ごと覆い隠されていた。誰にも見つかることがないように。誰にも、見つけることが出来ないように。
空の『器』は一本、界下の世界を繋ぐ塔を残していた謎を解くことができた冒険者を待ち受けるように、その一本の塔が地の器を支えていた。
霧の湖は、あの上にある。晴れた空を見上げ、全員が確信した。
「へ……ヘイヘイ!!すげえじゃねえか!!
それじゃあ、おいらは一旦ベースキャンプまで戻って皆に知らせてくるぜ!お前達は更に先を目指してくれよ!!」
一頻り感動を味わったあと、ヘイライはガーネットとエメラルドの四匹を残して颯爽と立ち去っていく。ヘイライが忙しなく足を動かす音が遠くなっていき、やがて聞こえなくなる。
「それじゃあ……行こうか。霧の湖へ!」
この先に待ち構える、神秘と謎へ。彼らは真っ直ぐな視線で湖を見上げて先へ進んでいく意思をはっきりと示す。
何があるのか分からない。どんなものが、どんな敵が待ち受けているのかも分からない。それでも進んでいくしかないのだ。……何故なら彼らは、『探険隊』なのだから。
「そんな簡単に、行かせる訳ねーだろうが。クククッ」