#105 濃霧の森へ
作戦会議が終わると、他の弟子達は我先にと森の奥へ駆け出していった。自分が一番先に霧の湖を見つけるんだという手に取るように分かる執着心のようなものが辺りに満ち溢れていた。
ベントゥやシニー、ノンド、ウェンディ、ヘイライと、ガルーラ像で準備を終えたら次々に進んでいく。リナーとベコニンの親子は、地下に霧の湖があるのではないかと推測し地面に潜ってしまった。もし地下に湖があるのなら、確かに頼りは彼らしかいなくなるのだが。
そして勿論ミグロ、ディビ、ガナックのドクローズ三匹も嫌らしい笑みを見せながらすたすたと歩き去っていく。彼らが通ったところは悪臭が漂い、その場の全員が顔をしかめた。お前達がこの森に入る資格はない、と誰もが思っているに違いなかった。それはシズク達だって例外ではない。
「さてと……じゃあ、俺達も行こっか。皆に……特にドクローズの三匹には、先越されたくないしね!」
「そうね。ガルーラ像で準備整えてから行きましょ。森の中にはガルーラ像があるかどうか分かんないし」
念には念を入れ、という感じでシズクとケンジはガルーラ像を使い道具の有無を確認した。出発前にお店で買ったり部屋に置いていた木の実を倉庫に入れたりしていたため、倉庫の中はかなり潤っていた。昨日の冒険で使用してしまい足りなくなった道具を少しずつ補充していったが、それでもまだ結構な量が詰まっていた。
「シズク、スペシャルリボン着けてね」
「嗚呼、分かってるわよ。私の付け方で着けるけどね」
「う……うん。そうだよね」
「あんたもなんか付けといた方がいいわよ。霧の影響を受ける……らしいのは私だけだけど、どのくらいのレベルなのかも分かんないし……。
此処に来るまでも苦戦したといえばしたし、こういう森系のダンジョンってあんまいい思い出ないし、正直不安でもあるからさ」
「わかった。油断大敵、だね!」
続けて『安全第一!でも冒険優先!』などよく分からないことを大声で言っているケンジを尻目に、シズクはダンジョンを抜けた瞬間に取っていたスペシャルリボンを巻き直していた。ケンジも同じような種類のスカーフやバンダナを巻き付けていて準備は万端だと示していた。
森の入口に来て、その濃い霧を眺め憂鬱そうに目を細める彼女は、ノーテンバンダナを持っていなかった自分達を恨んでいた。遠征の前にもう少し便利な装備品を集めておけばよかった、と後悔している。この霧を無効にしてしまえばいくらか楽そうではある。過去の自分に対しての執着と恐怖、それ故収まることのなかった鼓動も今は落ち着いてきている。この先冷静さを保っていなければ突破するのは難しいかもしれない。
「ん?あれ?」
準備を終えた後、立ち並ぶ木々が少しだけ開けた場所、所謂森の入口に歩いて来たとき、そこに見慣れた姿が立っていた。ふさふさした茶色い毛並みを持つポケモンと、緑やクリーム色をしていて瞳が鮮やかな翡翠色をしたポケモン、イーブイのサンとツタージャのフライである。
「二匹とも、まだ行ってなかったの?」
「うん。フライにちょっと待ってって止められてさ」
「へえ?なんで?フライ」
「んあ?嗚呼、えっとなーお前達に用があって」
彼らの前で話そうとしているフライは、何故だか少し焦っているようにも見えた。気のせい……かもしれないが、しょっちゅう辺りをちらちら見ているような感じだ。
「何?」
「あのさ、このベースキャンプまで来るときみたいに、僕達四匹で先に進まないか?ほら、霧ではシズクが不利だろうからそっちの戦力も落ちるだろうし、この先どれほど強い敵が出てくるか分からない。だから、人数は多い方が有利だと思うんだ。
それに……お前達と此処まで一緒に戦ってきてさ、結構楽しかったんだ。なんかこう……息が合うっていうか、そっちの戦いかたも見てて面白かったし、また一緒にダンジョン攻略したいって思ったんだ」
「あ、私もそれ賛成!シズクとケンジと探検してるのは楽しかったしー!」
「ん、確かにフライの話は正論だと思うな」
「私もそう思う。それに、あんた達と探検して……私も楽しかった、から」
シズクのデレが見えたーと純粋に喜ぶサンと、それにぼそぼそと呟きながら反抗するシズクを見ながら和やかな気持ちになっているケンジとフライは、不意に顔を見合わせてふっと笑った。だがその後もフライが微かに後ろを振り向いたり急かそうとしているような言動を漏らしていたので、三匹とも怪訝そうな感じになりながら先を急ごうと前に歩を進め始めた。
森に入ると、更に霧が濃くなったように感じた。ラペットの話によると、森の奥に行けば行くほど霧が濃くなっていくということだった。ということは、此処はまだ序の口で進めばどんどん視界が悪くなってしまうのかもしれない。
シズクとケンジは一度森ダンジョンを経験したことがあるが、その時は日差しが心地よいダンジョンだった為にこのような鬱陶しい感じの森にはまだ入ったことがなかった。だが、二匹の初めての森ダンジョンでは嫌な出来事続きだったのであまりいい思い出とは言えない。
鬱蒼と生い茂った木々や木の葉は霧と共に日光を遮り、同時に暖かみも消していた。真下を歩く彼らには、気持ちのいいものではない。
「はー、霧が濃いなあ。こういう天候は敵ポケモンが奇襲するには絶好だよね」
「此方にしてみれば面倒臭いことこの上ないけどね」
足元に蔓延る下草を、自分の足で軽く弄りながら話すシズクとサン。どちらも、面倒だという表情を隠しきれてはいなかった。シズクはといえば苛々ぴりぴりと電気を漏らし目を細めている。彼女は確かに短気気味だが、この天候で穏やかになれるのは流石のサンでも無理だった。
(真実を手に入れる為には……此処は絶対に突破しなきゃいけないところ。霧だろうが何だろうが、全部蹴散らして抜け出してやるわ。こんな森なんかに私の意思を挫けさせたりはしない)
苛々しながらも彼女は内心覚悟を、決意をしっかりと固めて前に進んでいた。確かに霧は鬱陶しいが、それだけで自棄になって敵に襲われてダウンなんて、そんなへまは絶対にしない。彼女はちゃんと心に決めていた。
「虫ポケモンとか多そうじゃない?あ、草タイプも多いかなあ」
「まあ、私達が前に森に来たときはその辺が多かったけど。でも此処は未開の地ってことだから予想外のポケモンがいきなり出てくるかもしれないし」
「……とにかく、警戒していくぞ。僕が此処に来る前、君達に言ったこと覚えてるよね?」
「覚えてるわ。警戒心を緩めず注意して進め……そんな感じだったわよね」
「嗚呼。しつこいと思うがその辺は本当に注意してほしいんだ。急に襲われたりして断念したくはないからね」
「そうだよね!よーし、警戒を怠らず進むぞー!」
サンが元気よく手を振り上げて勢いよく突き進むのをフライはちょっと心配そうな目で見ていた。だが、サンはいざとなれば頼りになる。普段は楽観的でお気楽で警戒ゆるゆるな気もするが、実力はあるし強い。そして一応物音にも敏感だったりするのだ。耳の大きいイーブイの特権とも言えるのだが。
「大分歩いた?なかなか階段も見つからないけど敵もいないね」
「そうだな。敵がいないのはいいけど階段が無いのは不安だ」
此処は森ということなので、霧に包まれてはいるが木の実が成っている木も所々に生えていた。林檎やオレンなどをもぎ取りながら、時にはかじりながらぶらぶら歩いている。何の変哲もなくはっきり言って退屈でもあった。代わり映えがない景色な上に霧だの靄だのに苛々させられるので次第に皆の士気も下がってはいた。
「…………んぉ!?うゎあっ!!?」
静かな中で急にケンジが奇声を上げてぶっ倒れた。隣を歩いていたシズクは、霧のせいでケンジの姿があまりはっきり見えなかったため反応が遅れ、それでも冷静に地面に倒れている彼のことを淡々と見つめていた。
「何やってんの……」
「あ、シズク、横!敵!」
ケンジの叫び声で呼び寄せられたらしい敵ポケモンが生け垣を、がさがさと音を立てながら出現した。今まで敵が来なかったのは比較的静かに歩いていたからか、それとも先に行った弟子達が薙ぎ倒していった為敵が少なくなっていて偶然現れたのか。サンがシズクに注意を呼び掛け、強烈な殺意を感じ彼女が屈んだ瞬間、サンの撃ったシャドーボールがシズクの頭上を真っ直ぐ横切ってたった今現れたノコッチにぶち当たった。ノコッチは生け垣の後ろ側に飛んでいき姿が見えなくなる。
「ふう、やっぱいるんだなあ、敵は」
「で?ケンジ、どうしたんだ」
「あ、あのねえ……なんかに躓いて……ごめんシズク」
歩みを止められたことに対しムカついていたシズクに尻尾で横腹を強く殴られたケンジは、まず彼女に謝ってから今しがた自分が躓いた物体を見下ろした。ケンジの両手にすっぽりと収まるくらいの大きさの石だった。それは微かに、暗い赤色に光っている。
「うわあ……なんかすごい綺麗な石だなー」
「ほんと、きれいね」
石を見下ろすケンジの横から覗き込んできたシズクの目は僅かに煌めいていた。その両目には赤い石が輝きながら映っているのが見える。嗚呼、やっぱりシズクは綺麗なものが好きなんだな、と改めて思い一人で笑みを溢しているケンジ。好きなんでしよ?と聞いても素っ気なくあしらうけれど、そういうところがありながら素が垣間見える彼女を、また愛らしく思ってしまうのだ。
「なんだろうな、これ」
この石に興味を持っているような言葉を出すフライであったが、彼の言い方がなんだか棒読みにも聞こえた。気にしすぎだろうか、でも、と頭の中にはてなマークを浮かべ続けていたサンは、とりあえず目の前の問題を解こうと再び下を向く。
そんな彼らの視線を感じながらも、ケンジは石を手で包んで持ち上げてみた。シズクも触りたそうに指をむずむずと動かすが、それは誰にも気付かれない。
「おお!!これすごいよ!なんか温かい!!なんていうか……引火した木炭みたいな……いや、違うな。んー……どう表せばいいのか……」
ケンジは一度迷うが、直ぐに閃いたように頷く。
「………なんかね……生き物みたいだよ。内側から熱を出してるような……日光を閉じ込めたみたいな、その光が石の中で燃えてるみたいな。そんな温かさだなあ」
そんな彼の表現に、三匹とも頭の中で想像できたように数回僅かに頷いた。石だというのに、暖かい。そんなものは、一体なんの石なのか、全員の意識はそちらの方に傾き始めた。
「何だろうね?溶岩……ではなさそうだよなあ」
「中で炎が燃えてるみたいだな。見た感じでも赤く光ってるように見えるし……もしかしたら、炎の石とかだったり」
炎の石とは、ポケモンが進化する際に用いる石である。ポケモンは大体レベルが上がると進化するが、このような道具を使わなければ進化できない種族もいる。サンなどがいい例だ。ちなみにシズクの進化も石が必要である。
「炎の石、かあ……なるほどなー。見たことないけど、言われてみればそんな感じも……するようなしないような」
「も、もし本当に炎の石なら私触っちゃだめじゃん!ブースター……も悪くないけど、私リーフィアかニンフィアに進化したいんだよなあ……」
「サンみたいに進化後の種族がいっぱいあるって、かなり悩みそうだし大変よね。一回進化したらもう戻れないし……」
「うん、そうなんだよね。でもそれも結構楽しかったりするんだよ。沢山選択肢があるから、それで悩むのも面倒ではない!
……もしシズクがイーブイだったら、何に進化してみたいとかある?」
「私はエーフィかグレイシア。どっちかというと、可愛いよりかっこいい方を求めるわ」
「あはは、シズクらしい〜」
炎の石だと決まったわけではないが、サンが考えている将来の進化のことを、この石で狂わせる訳にはいかないと、ケンジはその石をしっかりとバックの中に仕舞い込んだ。バックの中からも、その石がまだ熱を発しているようで布を通しても暖かく感じることができた。
*
相変わらず濃くなるばかりの霧と格闘し、ほぼ手探り状態で彼らは前へ前へと進んでいった。赤い石を拾った直後に階段を見つけ、それ。昇るとまた、いつもと同じようなダンジョンのように敵が見境なしに飛びかかってきた。此処に来る途中に通ったダンジョンよりも強かったりする敵ポケモン達があちこちに屯している上に、霧という目隠しでどんなに警戒の糸をぴんと張り詰めていても、死角から飛び出てこられれば反応することが遅れ、避けられたとしてもぎりぎりであり、体力もすり減り掠り傷も増えていった。
「……霧がほんとうざったい!!」
前方をぼやけさせ、その上電気タイプの技の威力が大幅に下げられるこの気候にシズクは苛立ち、愚痴も込めて先程毒の粉を勇敢にも真正面から振りかけてきたポポッコにフルパワーで電気ショックをぶつけた。普段ならフルパワーで出すことは滅多にないし、出したとしても皆一撃で倒れてくれるというのに、このポポッコはそれに耐えた。上手いように相手にダメージを与えられないもどかしさに腹が立ち、彼女はぎりぎりと歯軋りをする。
「くっ……ッ」
構わず体当たりで止めを刺そうとしているポポッコを右に少しずれることで避け、勢い余ってシズクの場所から数十センチほどはなれたところで止まったポポッコにアイアンテールを下から繰り上げる。ポポッコは上空に打ち上げられて倒れた。
電気技が思うように効かないのなら、必然的に物理技を使うことになってしまう。物理技は一応覚えてはいるが、近距離戦闘は彼女にとってやりにくかった。今まで遠距離技に頼っていた為、相手に近づいてから攻撃を繰り出すとなるとどうしても一瞬の隙が出来てしまうのだ。普通は近くに寄ってきた敵に、まず近距離技を放っていたのだが、今回は近付いて、離れていくなどと動く敵に自分から向かっていかなければならない。波動弾を覚えるまでほぼ近距離で戦っていたケンジの苦労が、今彼女には改めて理解できていた。
「シズク、無理はしないでね!キツかったらまず逃げて!」
ケンジの呼び掛けに答えるつもりで右手を軽く上げて、彼女はもう一度目の前の道を、その先を睨み付ける。この鬱陶しい霧の中からいち早く抜け出したかった。
「ねえ皆、聞いて!
私の推測だけど、ダンジョンに霧の湖がある可能性は少ないと思うの。勘だからどうだかは分かんないけど……でも、とにかく進むことだけを目標にしない?霧の中では湖が何処にあろうが見つけることが困難になる。まずは先に進んでいって、霧を晴らす方法を見付けた方がいいと思うの!」
「僕はシズクに賛成だ!ダンジョン内に湖があるとしても、この霧では見つけることができそうにないからな!」
「私も賛成!!」
「俺も!」
それからは、誰かが階段を見つける、もしくは階段らしきものを見付けた場合他の皆に呼び掛け、その辺にいる敵は出来るだけ無視して階段に飛び込みひたすらに前へ進むことを目的とし、歩む速度を速めていった。