#103 ツノ山
「はあ……鬱陶しくなるほど清々しいわね……」
朝日が、爽やかで明るく、かつ儚い朝日の光が、山肌を舐めるように撫でていた。その明るさが、寝ぼけていたシズクの目を冴えさせた。差すように柔らかな日光はきらびやかで彼女はその美しさに思わず目を見張ったほどだ。
私は記憶を無くす前、朝日を見たのだろうか。そう思ってしまうほどに朝日が新鮮に感じていた。本当に、勿体無い程に。この光を浴びていることが、一体どんなに幸せなのだろうか、なんて考えてしまって。だが朝日が見えないなんてそんなことは北極や南極ぐらいのものだろうし、他に『朝日が見れない』だなんて事は常識的に考えてみれば有り得ないことだ。不可思議な気持ちになってしまった内心を落ち着け、彼女は山々の稜線を浮かび上がらせる黄金色の光線から顔を背けた。
今は、朝のかなり早い時間だと推測できた。朝日が昇るような時間であるし、何しろ彼女自身早く起きてしまったな、と感じていたからだ。
何故こんなに早く起きてしまったのか。それはあまりにも単純明快であり彼女を苛つかせるには充分な話でもあった。
シズクは朝はことごとく機嫌が悪い。所謂低血圧というやつである。だからこそこうなったのだろうが、とにかくこれはシズクと、ケンジしか知らない事だろうと思う。
彼女が心地よく眠っていたとき、ちょんちょんとケンジが彼女をつついた。どうやら彼はテントを別にされたことで理不尽の極みだと腹を立てた模様であり、別にフライと寝るのは悪くないのだが、常に彼女と同部屋で寝ていたためどうにも彼女とじゃないと安心できないとのろがあった。そしてシズクと寝ているサンにも同様に嫉妬心を感じていたので、朝早くにシズクを起こして二人になりたいだなんて想像していたのだ。シズクは恋愛に関して疎いが『話したい』とかそういう依頼については緩いようなところが少しあったため彼もまあ大丈夫だろうと楽観的に考えていた。
だが……まあ想像通り、朝のシズクはとにかく凄まじいのだった。
その時、丁度彼女が幸せな夢を見ていたのもケンジにとっては不運だっただろう。彼女は、自分が月明かりで煌めいた輝きを投げ掛けている宝石達に囲まれて惚れ惚れとしていたのだ。そんな幻想とも言える美しい夢に横槍が入れば、それはキレない訳はないだろう。何しろ、相手はシズクであるのだから。
只今ケンジは彼女の電撃により干され、テントの外に引き摺り出されて岩を枕に眠っている。というか、気を失っているというか。目が覚めてしまったシズクは、今更また眠る気にもなれず、今に至る。
自分のパートナーが呆れ、自分のキレ具合に呆れ、彼女はさっきから溜め息ばかり漏らしていた。遠征が始まったばかりなのに。空は、そんな彼女の気持ちを知ってか知らずか機嫌良さげなのに。憂鬱な心の中を封じ込めてシズクは昇りきった朝日に背を向け、早めにサン達を起こしに行こうと身を翻した。
*
「いくらなんでもシズクのやり方は酷いって」
「うっさいわね。終わったことなんだしどうでもいいでしょ。その時の私にはそれしか案が思い付かなかったのよ」
「俺にとっては結構致命的なんだよ!?」
「あっそ」
サンの事は揺さぶって起こし、男性陣の事は耳元で電気を爆発させて起こしたあと、シズクはまだ寝ぼけているサン、フライ、ベントゥを放っておきケンジの元へと歩み寄った。そして、フライとベントゥを起こした時よりももっと大爆音で電気を打ちならして彼を叩き起こしたのだ。
ケンジはそのやり方も酷いと言っていたが、何しろ起こそうとした自分の事を電気で撃退したシズクのやり方にかなり落ち込んでいた。少しは信頼関係築けてると思ったのに、と俯く彼を、一体どう扱えばいいのか皆目見当も付かなかった彼女は、端から観ればキツい言い方、彼女からすれば精一杯の慰めと思っている言葉を必死に繋げていた。
「はあぁぁ………」
「嗚呼もう!悪かったとは思ってるわよ!でももう解決じゃない、それは!過去を振り替えったって結局何もなんないじゃない!?」
「……うん……」
「だからあんたは弱虫って言われるのよ!」
「う………」
「おいシズク、流石にそれは無いと思うぞ」
「なっ、じゃ、じゃあどうすればいいのよ?私これでもちゃんと慰めてやってるつもりなんだけど!!」
「シズクは不器用だねー可愛いねー」
「サン、お前は楽観的に見るより前にケンジを慰めてくれ。まるで憂鬱の重みに押し潰されそうだ」
「おっけー」
うなだれるケンジ、そんな彼の背中をぽんぽんと叩くサン、その二匹とシズクを呆れたように交互に見つめるフライ、ケンジの傍にいるサンに氷のような冷たい視線を投げ掛けるシズク。客観的に見てみるとそれぞれが個性豊かに動くので、面白く楽しく愉快になる。ベントゥは昨日と同じように微笑ましい雰囲気でそれらを見つめていた。
気を取り直して、皆で力を合わせテントを片付けて、眠気覚ましにカゴの実をぽりぽりとかじりながら歩き出した。大体、探検隊というものは朝御飯をきちんと食べることはない。ギルドに入れば尚更で、ちゃんとしたご飯が出されるのは夕飯の時だけで、皆は依頼場に向かいながら木の実や林檎を食べ簡単に済ませるのだ。
今食べているカゴの実は、眠気を覚ませてくれる効果があるのだが美味しいとは言い難い味だ。何だか固いし、こりこりしているだけで味が薄い。シズクはどうやら薄味好きのようでちょっと木の実っぽい仄かな甘味というものを感じるようだがケンジは全く感じることが出来ずにいた。不味いだけである。
「さてと、じゃあそろそろ出発しようか。このまま此処でぐだくだしてても時間の無駄だし」
「そうだね。この山を越えれば着くだろうし……どっちみちもうすぐだと思うよ」
五匹でそれぞれ木の実をかじりつつ、山の中を通る洞窟の入り口へ足を運ぶ。ケンジはカゴの実の、あの気持ち悪い感触を消そうとモモンをかじっている。甘くてジューシーで、此方の方が好きだ。シズクは彼が食べるモモンを羨ましそうに見つめていた。ケンジは、モモンをフライに貰ったのだが、シズクはそういう風に誰かに甘えることを嫌っていた。もっと素直になればいいのに。そう思いながらケンジはシズクの方に身を乗り出す。
「シズク、モモン食べる?」
「いいの?」
「いいよ。なんかすごい食べたそうな顔して此方見てくるし、そんな風にみられたら俺も無視して食べれないよ」
「私、そんな顔してたの?」
「あれ、無意識?」
「さあね。モモン、貸して。一口貰うわ」
ケンジが差し出したモモンを受けとり、シズクはその桃色の果実をかぷりとかじった。果汁がじゅわりと広がり、彼女は幸せそうに目を細める。
(あれ、これって俗に言う『間接キス』ってやつなんじゃ………?)
シズクのかじった跡が残っているモモンを返してもらい、再びかじり出してケンジはふと気が付いた。直接ではないが、間接的に異性が食べたりくわえたりした物を口にすること。考えてみれば、ケンジとシズクはたった今それをしたということになる。
そう考えると、顔がだんだん熱くなってくる。シズクはきっと気付いていないだろうが、気付いてしまった側はどういう対応をすればいいか分からなくなってしまう。赤くなった顔を隠そうと下を向き、彼は俯いた姿勢になる。
「なに、あんた大丈夫?」
「ふぉえ!!?いや大丈夫!!!大丈夫だから気にしないでほんと!!うん!!!!」
「………?」
いきなりあたふたしたり奇声を発して驚いたりする彼を、シズクはかなり怪訝そうな目で見つめている。ケンジ以外に、何故彼がこんな状態になっているのか分かっている唯一のポケモン、サンは、いいねえ、とくすくす笑っていた。
「皆、準備どう?ダンジョン入ったらガルーラ像は無いし、昨日のダンジョンで使った道具もあるだろうし」
「まあ見たところ大丈夫よ。ね、ケンジ」
「んんぬおぅ!!!」
「あんたどうしたのよ、さっきから」
「ななな何でもないよ!!大丈夫だから!」
「全然大丈夫に見えない。ここから先ダンジョンだからずっとそんな調子だと困るんだけど」
「う、うん、うん……分かってる。ごめん」
「ま、とりあえず気を引き締めて行こう!!ベースキャンプまでもう少し!」
五匹でおー!と拳を振り上げ、ベントゥが先頭で歩き、フライは平然と前を向き、ケンジはまだ少しドキドキしていて、シズクはその様子を半分可笑しく、半分呆れながら進み、それを見てサンはニヤニヤとしながら、彼らは山中へと入っていく。
「シズク!!」
「う、ん!」
ズドォンと音がして砂煙が上がる。ついさっきシズクとケンジのコンビに蹴落としを仕掛けてきたウソハチが、ケンジのはっけいとシズクのアイアンテールにより沈んだところだった。二匹は打ち合わせなどしていないのに、息ぴったりでウソハチを叩き潰した。
その左ではサンとフライがキノココを叩いていた。麻痺させたり毒にしたりする胞子を吹き出していて厄介だが、彼らもまた巧みに体を操ってエナジーボールとウェザーボールを連発で叩き込むことによって打ち倒していた。ベントゥは、そんな戦いを昨日と同様眺めている。自分の戦闘がまた疎かになってはいるが、前衛で戦っているのが四匹であり飛び出てくる敵を片っ端から潰していくためベントゥの出る幕が全く無くなってしまった。戦わないということは悪くはないが、後輩に頼りっきりなのは辛い。どうにか自分も前衛に出ようとするベントゥだったが、彼らの戦いぶりに圧倒されてしまうのだった。
「はあ……やっぱり強いでゲスねえ………」
ぶらぶらと歩いていると、横から凄まじい敵意と気配を感じ、直感に任せて右に飛び退いた。すると、先程までベントゥがいた場所に岩落としが降り注いでいた。さっきシズク達と戦っていたのとは別のウソハチがベントゥを狙っていた。とすると、岩を降らせたのもこいつだろう。後ろから来るとは全く予想出来ていなくて油断していたベントゥは、応戦しようと足に力を込めてウソハチを睨み付けるように構えた。
ぐっと後ろ足に力を入れてウソハチに真正面から向かう。トップスピードで突っ込むように突き進み、頭突きを繰り出そうとする。が、正面から突っ込んだのがいけなかったのかウソハチには軽々とかわされた。キッとブレーキを掛けて素早く方向転換し、ウソハチの方に視線を向ける。
だが、背後にウソハチの姿はなかった。何処にいったのか、ときょろきょろしていたら、横腹に強烈な一撃をくらった。吹っ飛ばないように踏ん張って横を見ると、そこにいたのは姿をくらましていたウソハチがいた。野生の癖に妙に強いじゃないか、と歯を食い縛る彼は、次の攻撃に移ろうとする。
今度は前足に力を込め、転がるを仕掛ける。しかしその時、目の前に迫ったとき、ウソハチが急に泣き出した。かなり凄まじい泣きかたであった。甲高い声でわんわんと喚き、耳がぐぉーんと唸るような感じで、ベントゥは思わずウソハチの前で足を止めてしまった。それを狙ったかのようにウソハチは突然泣くのをやめ、悪戯気な悪い笑みを浮かべた。
嗚呼そうか、『嘘泣き』だ。
蹴落としを繰り出してくるウソハチを目の前に見るが避けるには絶対に間に合わない。此処は無理に避けて半端に当たるより、防御を固めて一度受けてからもう一度攻撃するのが得策じゃないか。そう考え付いたベントゥは『丸くなる』で応戦しようとした。丸くなることで急所を隠しているため、そこまで大きなダメージは受けない筈だ。しかし、ウソハチの蹴落としはベントゥの背中に思いっきりめり込んだ。ベントゥは丸くなった状態のままぶっ飛び壁に激突した。そういえば嘘泣きってポケモンの特防を二段階ほど下げる特殊技だった。丸くなるは防御を上げる技だが、特防も一応『防御』の分類に入る。つまり防御も少しは下がるものなのかもしれない……それに気づいたのは、壁にぶつかった後だった。
後頭部を打ったのか頭がくらくらする。更に、そんなぐったりしたベントゥにとどめを刺そうとウソハチが乗り出してきた。岩落としの構えだ。このまま上から大量の岩を被れば無事でいられるか確証が持てない。
上から大小様々な大きさの岩が降り注いでくる。嗚呼、これで終わりなのだろうか。遠征中だというのに、遠征の場に辿り着けもしていないのに。これで終わってしまうのだろうか。抗おうにも、どうにも身体が動かなくて、避けることも叶わない。諦めて目を瞑ったその時。
「ッ……ベントゥ!!!」
甲高いソプラノの声、次いで何かが弾ける衝撃音、轟音。ぱらぱらと砂が顔にかかるが、それ以外の感覚はなかった。隣に腑抜けのように立っていたウソハチは、自らが降らせた岩が粉々に砕け散った光景と新たに登場した敵を呆然と見つめていた。
「ベントゥ、大丈夫!?」
「だ、大丈夫……でゲス……」
「あんたはそこで休んでて!私がやるから!」
シズクはベントゥに向かって、バッグに入っていたオレンを投げて食べるよう指示した。ベントゥは、横にころりと転がった、投げられた青い木の実に甘えることにして、オレンをかじり岩壁にもたれかかってウソハチとシズクを眺めた。
「ったく、此処の敵は妙にレベルが高くて苛つくわ」
呟いた彼女の頬からは微かな電気がぴりぴりと漏れる。少量だがそれは辺りの空気を張り詰めさせた。ウソハチは、また岩落としの体制をとる。電気タイプの彼女にとって岩タイプや地面タイプの攻撃は効果抜群だからだ。再び降ってくる岩を軽々とよけたシズクは、電光石火で二転三転しながらアイアンテールを用意し、回転を加えた鋼の尾をウソハチの脳天に叩き込んだ。
それでもまだ倒れずにふらふらしているだけのウソハチに、シズクは真正面から電気ショックを真っ直ぐに飛ばした。意識も漫ろだったウソハチは避ける術もなく電撃に当たり、哀れにも倒れ込んだ。
「た、助けてくれて……」
「お礼はいらないわ。困ったときはお互い様、よ」
自分の無力さを改めて感じてしまい落ち込むベントゥを他所に、シズクは自分が『困ったときはお互い様』なんてことを言うなんて、と一人考えに耽っていた。自分は一体、いつそんなことをいう性格に変わってしまったのだろうか。
それから階段を十個ほど抜けると、皆の動きにも疲れが見え始めていた。五匹とも切れが無くなり始めている。
「疲れたか?ぶっ通しでここまで来たからな……ちょっと休憩するか?」
「うん、その方がいいかも」
「あ、それじゃあさ、あそこの広めな所で休憩しない?」
「賛成」
彼らはケンジが指す場所に向かって疾走した。だが、そこにいたのは安らかな休憩タイムではなかった。プテラ、モルフォン、アゲハント、クヌギダマなど面倒な敵が揃っている空間だった。
「何これぇ……休憩出来ると思ってたのにぃ!!!」
悔しげに地団駄を踏むサンは鬱憤晴らしに近くのアゲハントに強力な一撃を叩き込んだ。それでもアゲハントは倒れない。根気よくすいとるを繰り出してくるのだ。
「うぁあ……!めんどくさいーーー!!」
瞬間、サンの周りは黄色のオーラで歪んだ。突然サンの周囲は怪しげな黒雲に覆われた。雲の合間から、時折パリパリと電気が弾けるような音がする。
「おいサン、やりすぎなよ!」
「分かってる!」
バリバリィッ。黒雲から現れた太い稲妻はアゲハントもろとも包み込んで貫いた。アゲハントは抵抗することも断末魔をあげることも出来ず、静かに倒れた。
一方、シズクはプテラと、ケンジはクヌギダマと戦っていた。プテラは鋼タイプもあるが飛行タイプでもある。シズクの電撃は一応効くことが出来るのだ。ケンジは、クヌギダマの自爆を考慮して波動弾による遠距離戦を試みていた。
「くっ………」
プテラの炎の牙がシズクを掠める。口から漏れる少量の炎が宙を舞い、火花を散らす。それらを避けて、彼女は尻尾を地面に打ち付け空中に飛び上がりプテラと同じ視点になる。
次は翼でうつを仕掛けるため体制を整えているプテラを睨み付け、プテラよりも一瞬早いタイミングでシズクは電気ショックを打ち出す。それは見事プテラの胸を貫いた。だが、それだけでは倒れてくれないのだ。
シズクが地面に降り立った途端に空中で翼でうつが打ち出された。地面に降りていてよかったとほっとして、シズクは電光石火でプテラの真下にスライディングで潜り込み上に向かって電撃を発射した。今度は決まった。プテラはつんざくような鳴き声を残して黒煙を立ち上らせながら地に落ちた。
「うわっ!?近付いてこないでよ!!?」
ケンジは、波動弾でクヌギダマと戦っていたが、クヌギダマがいちいちケンジの近くに来るので自爆を苦戦していたケンジにとっては非常に面倒な状況になっていた。
「くそっ」
はっけいを出すが飛んで避けられ、更に接近してくる。さっさと倒したい彼は、自爆覚悟で、フルパワーのはっけいを繰り出すことにした。
「ッ……!」
手のひらに最大級の威力を込めてクヌギダマのごわごわした肌にぶつける。この一撃でクヌギダマの体力は尽きたらしい。クヌギダマの体から僅かに赤い光が漏れ始める。
必死に離れようと足を動かすが、この距離では届いてしまうだろう。クヌギダマが自爆したとき、その爆風によってケンジは仰向けに吹き飛ばされた。
「っと……全く、お前は賭けが多いんだよな」
「ぅお!?ふ、フライ?」
爆風で吹っ飛んだケンジを、壁にぶつかる前に蔓の鞭で彼のことを捕まえてくれたのだ。壁にぶつかっていたらちょっとヤバかったかもしれない。ケンジはフライに猛烈に感謝した。
そうこうして五匹はその場に屯していた敵を全て倒し休憩を取ったあと、体力が回復した彼らは猛烈な勢いでダンジョンをクリアしていったのだ。この山のダンジョンは13階であった。その時にはまた疲れてはきたが、とにかく彼らはベースキャンプまで辿り着いたのだ。