#102 沿岸の岩場
三つのグループで相談した結果、シズク、ケンジ、ベントゥ、サン、フライ五匹のグループは海沿いの道からベースキャンプに進むことになった。そこが一番安全だとラペットやシニーに保証されたからだ。実力はあるもののまだ新人。此処はベテランのグループが山や洞窟などから進むべきだと、その場で意見が一致した。
そういう訳で、五匹は今急な崖の上に来ていた。端から見下ろせば足元には豪々と渦を巻き、流れ、荒々しく水飛沫をあげる海が見える。この先に広大に広がる海水が、岩の裂け目部分に入り込み壁にぶつかり、急な海流を生み出しているのだ。落ちてしまえばひとたまりもないだろう。何メートルも上にいるというのに、雫がぴしゃぴしゃと跳ねて顔に当たってくる。磯の香りが染み付いて、いい感じなのか気持ち悪いのか、どっちだろうか。
「ねえシズク、これ着けてよ〜」
「い、嫌よ。付け方改めてくれるんならいいけど!」
ぽっかりと口を開ける洞窟の前では、シズクとケンジがぎゃーぎゃーと論争していた。ケンジが手に持っているのは、特殊攻撃……所謂『特攻』と呼ばれるものを上げる効果があるスペシャルリボンであった。どうやら、それを着けるか着けないかで揉めているらしい。
スペシャルリボンは、小柄であるピカチュウという種族にとってあまりにも大きいのだ。リボンやスカーフなどの装備品は身体の何処に着けても一様に同じ効果を発揮するため、ケンジがシズクの尻尾にリボン結びで着けようとしていた。リボンの淡い桃色がシズクの白い尻尾に合うとかなんとか言っていたが、当の本人はひたすらに嫌がっていた。サンもフライもケンジに乗り気でシズクに迫っているが、彼女が発する高電圧な電気が一定の距離以上近付けまいとしている。一匹の少女に、一枚のリボンを手にしてじりじりと近付く三匹の姿は何処か滑稽で、ベントゥは吹き出しそうになるところを必死に抑えていた。
「でもスペシャルリボンは着けておいた方がいいと思うよ!これからどのくらいのレベルの敵が出てくるか分かんないし!」
「それは分かってるわよ!!でもあんたの言う付け方が嫌なの!そもそも尻尾に着けたらアイアンテールとかするとき邪魔じゃない!」
「シズクが攻撃出さなくても大丈夫な様に俺が守るよ」
「それはない」
未だぐいぐいとリボンを押し付けているケンジからは、ある意味狂気にも見える部分が覗いていた。周りにいるサンとフライもそれに気付いているのだろうか。しかし、何かと楽しそうな雰囲気から除け者にされているベントゥは、入っていきたいような見守っていたいような気まずい空気になっていた。
「着けて!尻尾に!」
「嫌っつってんでしょうがぁあぁ!!!」
辺りが一瞬黄金色へと変色し、バリィッと空気が弾ける鋭い音が響く。遅れて、砂煙がもうもうと上がった。痺れを切らしたシズクが電撃を放ったのである。その剣幕にケンジは完璧にビビってしまっていた。迫っていたサンも動きをとめ、フライは明らかに苦笑と見られる笑みを溢している。
「……ご、ごめん」
「しつこいのは嫌いなの。ほら貸して、私が着けたいように着けるわ」
あっさりと、ケンジの手からスペシャルリボンを取ったシズクは、自分の手首に巻き付けようとリボンを細くしくるくると回していた。ケンジも今回はやり過ぎたと感じたのか、すまなさそうに萎んでいる。
「……何しおれてんのよ……遠征はこれからでしょ?元気出しなさいって」
しかし、シズクがケンジの背中をぽんぽんと叩くと、ケンジはみるみる元気になったようだった。これはケンジの中に何かあるな、とサンは密かに疑っている。
「それで……嗚呼、これが噂に聞くガルーラ像でゲスね」
「あー、聞いたことある。確か、先の長いダンジョンの入口に設置されてる物だよな。探検隊連盟が長年話し合って開発された代物だとか」
話に一段落ついたところで、ベントゥが指差したのは洞窟前に置かれているガルーラの像であった。細かくガルーラの形が掘られている、つるりとして光沢のある像だ。
「ガルーラ像……?何?それ」
「あ、シズクは知らないか。えっとね、なんか仕組みは知らないけど……トレジャータウンとか他の街にあったりする倉庫と連動してて道具の出し入れが可能になる設備だよ」
「へえ、便利な物があるのね。どうやって使うの?」
「んっとね、まずこの大きい方のガルーラの目に手を当てるんだよ。そうしたら本人認証されて開けることが出来るようになる。
開けるのは簡単だよ。これ、縦に皹みたいなの入ってるからそこに沿って開けてけばいいだけ。本人認証されてるから倉庫の中身は手を当てたポケモンが使ってる物になるんだ」
説明を終えたケンジを前にシズクはその像に手を走らせる。目の付近はなぞりながら、彼女はぼそりと呟いた。
「目が青くなってるわね。不思議玉……ワープ玉でも応用してるのかしら」
「んー、仕組み的には確かそんなだった気がする。よく分かんなすぎて、僕途中から理解しようとするの止めたからね」
とにかく、この世界の何処かにいる頭のいい誰かが作り出したんだろうと完結させ、ガルーラ像は便利な道具として固定した。どうやらガルーラ像は二種類あるらしく、倉庫とやり取りできるもの、ダンジョン内の中間地点の目印として置かれているだけの物がある。目印として置かれているものの傍には敵ポケモンが寄ってこないらしく、探検隊には重宝されているという。
「あっし、見るの初めてなんでゲスよね……遠征に行くのも初めてだし、とにかく緊張してるでゲスよ……」
「遠征初めてなのは私達も同じだから大丈夫!堅くなったって敵ポケモンに引っ掛かるだけだし、リラックスして行こうよ!」
「うん、サンの言うとおりだよ。初心者同士頑張ろ!
……さて……まず、不思議な地図を見てみよっか」
そう言って、ケンジ、フライ、ベントゥは地図を取り出してその場に広げる。シズクとフライは上から覗き込むようにして見る。現在地を指してみると、そこはギルドのある場所から南東にいった場所だった。
「今いる場所が此処で……皆で落ち合う所がここだよね」
ケンジの指が、大陸を横断するように伸びている山脈地帯を抜けた麓を指す。そこに向かうには、山を越えるしかないだろう。
「とりあえずは、此処まで抜けることを今日の目標にしてみよっか」
その山脈地帯の一歩手前、山の中腹地点にも見える場所にサンがペンで印をつけた。
「妥当だな。人数と実力と……距離を考えていけば一日でそのくらい行ければ充分だ」
皆に囲まれて地図を手にし、計画を伝えていたケンジを眺めながら、シズクはふとケンジが成長しているということを間近に感じていた。今まで付いていくことで精一杯だった筈の彼が、今度は皆を引っ張っていっている。リーダーシップを取っているのだ。これは素晴らしい成長に感じられた。対して、目まぐるしい成長を遂げる彼と釣り合えるほどに変われているのか、シズクは同時に不安でもあった。
だが、今まで一緒に過ごしていた身として、彼の成長というのは喜ばしいものであった。例え自分がそれほど変われていなくとも……これから、変わっていけばいいだけだ。
「……あれ?ねえ、此処よく見たら入口が二つあるよ!」
「え!?それは困るでゲスねえ!」
洞窟の入口はいきなり分かれ道になっていた。本道にも思える大きな道と、詰め込まれたように存在する小さな道だ。
「どっちに行く?」
「大きい方でいいんじゃないの?なんかそんな気がするし……いざとなったら抜けられるでしょ」
「嗚呼そうだね。いざとなった時の穴抜けの玉」
「じゃあ、早速行こうか!」
海沿いのダンジョン、洞窟、湿っぽい空気。これは水タイプや岩タイプが多いのでは、とシズクは推測していた。そうなればタイプ相性的に抜群である。それでも念のため、シズクはスペシャルリボン以外にも防御スカーフを装備していた。ケンジは、最初に貰った波動リボンと攻撃スカーフを着けている。どんな所でも油断は禁物という言葉の表れにも見えた。
水タイプが多いというシズクの推測は、確かに当たっていた。早速岩影からクラブが飛び出てきたのだ。しかし水タイプ相手ならようしゃしない。彼女は瞬時の動きで太めな電撃をぶつけた。
洞窟だというのに、どうやら此処には岩タイプはいないようだった。それどころか飛行タイプのキャモメなどもいて、彼女にとっては喜ばしい限りだった。電気をあちこちに飛ばしていく。此処のダンジョンは、ほぼ彼女の独断場だった。
「シズク、あんま無理しないでよ!」
「分かってる!!」
今度は水の波動を放ってきたトリトドンに電気ショックをぶつけるために飛び上がったところだった。空中で体勢を整え、打ちやすい所で撃つ。標的を逃さず電撃はトリトドンに直撃する。
「さっすが、シズク強いよね……っと!」
褒めようとしたサンは、いきなり飛んできた水鉄砲に頭を下げることとなった。水鉄砲を放ったのはトリトドンであった。この辺りはかなりトリトドンが多いようである。サンは敵の方に電光石火で突撃し、その勢いに体当たりをプラスしてぶつけた。
フライはそこから少し先でミニリュウと戦っていた。ドラゴンタイプということで強力な技を放ってくるがひらひらと避け続け、辺りにグラスミキサーの葉を飛び散らせていた。
「ケンジ後ろ!避けて!というか伏せてて!」
シズクの指示が洞窟内に反響して、それに反応したケンジが後ろを確認する間もなく地に伏せる。その上をシズクの電撃が飛び、小さな爆発音が鳴る。それでも倒れなかった敵ポケモン、トドグラーは再びケンジに向かって突進してきた。ケンジはトドグラーが近づいてくる頃合いを見計らって至近距離から最大威力のはっけいをぶつける。電撃を浴びた上にはっけいがぶつかり、トドグラーは哀れに壁に激突した。
「ナイス」
「ありがと」
そんな後輩達の戦いぶり見て、ベントゥは思わず感嘆の声が漏れていた。実力の差が浮き彫りになるようで悲しくなるが、しかしその戦いぶりから目を離すことが出来なかった。目の前には殺意を剥き出しにして佇むタマザラシがいるというのに、どうしても自分の戦いに集中することが出来ない。
一匹一匹の戦いかたを見てみると、それぞれに個性が現れていて、見ていて楽しくなるのだ。
まずはシズク。元々冷静であり頭脳も明晰だ。それ故、動きに全くと言っていいほど無駄が無い。遠距離技が得意ということもあってか敵が近づいてくる前に倒してしまっている時もしばしばある。彼女の持つ器用さも相まって離れた敵にも的確に電撃を当てられていた。また、その電撃も非常に威力が高い。ピカチュウという種族は攻撃力が高い種族ではあるものの、シズクのレベルは桁違いだった。それに加え攻撃、回避の転換が実に素早いのだ。背後から忍び寄られても、例え囲まれても、まるで後ろが見えているかのように狙いが正確だ。近距離に関しては、主に遠距離で使っていた技をそのまま使っている。近くで浴びせることで威力も上がるため、それらは一瞬で倒せていた。また、電撃だけではなく、アイアンテールや電光石火など別タイプの技もある程度覚えているようだった。
ケンジ。ケンジは種族上、近距離を得意としている。電光石火で距離を詰め、はっけいや噛みつくで仕留める事を得意としているようだ。敵を惑わすためかくるくると回ったりステップを踏んだりして物理攻撃を仕掛けるなど、近距離戦闘において敵無しなんじゃないかとベントゥが感じた程だ。しかし、遠距離技は覚えられているのが大体波動弾くらいであり、その波動弾がまた強力ではあるが、まだシズク頼っているような節が見受けられた。だがそれもまた少しのことで、ケンジも普通は飛び出てくる敵を遠かろうが近かろうが見境無しに吹っ飛ばしていた。
サンは、生まれつき身に付けている『天候を操る』という能力をフルに生かした戦い方をする。天候を操る、とはいっても大規模なものではない。此方に影響は全く無く、平穏そのものであるがサンの周りは、時に炎天下、時に豪雨、時に突風と天気がころころと変わっていた。サンはどうやら自分が持つ可笑しな能力をそこまで気にする性格ではないようで、うじうじと隠すよりは前向きに捉えて便利ならば使っていく方針で突き進んでいるように見えた。楽観的なのはいいことである。それに、天候が変わることで威力を増すウェザーボールを連発したり、最近覚えたらしいシャドーボールを撃ち込んだり、かと思えば電光石火で勢いをつけ強力な体当たりを仕掛けたりと行動が自由奔放で気まぐれなため次にどう動くか敵はおろか味方も把握できていなかった。しかしサンは放っておけば勝手に敵を倒してくるので邪魔な訳ではなかった。
そしてフライ。彼はシズクの様に冷静沈着で、常に敵の動きを分析しているため的確に技を当てに行っている。進む、避ける以外ほぼ動かないような戦い方だ。グラスミキサーや蔓の鞭などを巧みに使い、一定の範囲に敵が入れない感じになっている。敵は勿論、味方でさえもフライの周りに踏み込んでいけば巻き込まれそうな勢いだ。しかしフライは聡明であり、攻撃だけでは終わらない。光の壁や守る、宿り木の種なども一応覚えているようで、防御や体力回復まで戦闘中に行っているのである。またサンの扱いにも慣れていて、テンションがいきなりハイになったりしている彼女を上手く援護したりと活躍している。
辺りで軽快に動き回る後輩の姿を眺めていると、自然に自分の方が疎かになってきていたベントゥは、タマザラシが放っていた水鉄砲に一秒程気付くのが遅れてしまっていた。気付いた時には水の塊は直ぐ目の前に来ている。当たる、と覚悟し目をぎゅっと瞑るが、想像していたような、水圧に顔が押される感覚や冷たさも感じることはなかった。恐る恐る目を開けると、そこには飛んできていた水鉄砲を弾き飛ばしたのだと思われる波動弾の影が飛んでいた。
「ベントゥ!大丈夫!?」
「だ、大丈夫でゲス……ありがとうでゲス」
後輩に助けられてしまうなんて、先輩としての顔が立たないではないか。自分の実力の無さに半分絶望、半分呆れてしまった。けれど、その分頑張らなければ、とベントゥは再び前を向いた。
「ねえ、今階段何個くらい越えた?」
「今で十個だったよ。
あ……ねえねえ見て!!あそこ!!階段あるよ!」
ケンジが指差したその先を見てみれば、そこには岩場に燦然と佇む荒い石削りの階段があった。上から覗き漏れ出ている光を見る限り、どうやらそこを越えればこのダンジョンは終わりらしい。
「大分階層は少なかったんじゃない?……まあ洞窟だからこんなもんか……」
皆がたんっと踏み切って階段を全速で登った。その先に出てみると、涼やかな風が吹いていて心地が良かった。洞窟の中も涼しかったがやはり外と中は違うものだ。
「抜けた……みたいでゲスね。ふう……ダンジョンの中では緊張しっぱなしだったからほっとしてるでゲスよぉ………」
「でも、まだベースキャンプまではかなり距離があるみたいだよ」
広げた地図を覗き込むようにして全員が顔を出す。ケンジが指差していたところは、ダンジョンに入る前目標として印をつけておいた場所であった。ベースキャンプは丁度この山の麓にある。とりあえず今日の目標は果たした訳である。
「それでも、大分近くまで来たよね。あと一息だよ。此処の山を越えればベースキャンプにたどり着く」
「でも、今日はどうやら此処までね」
少し顔を上げてみれば緋色と茜色のグラデーションに染まった空が目に映る。反対側を見てみれば、そこはもう群青になり始めていた。こらから進んだとしても夜行性のポケモン達によって行く手を遮られるかもしれない。どっちにしろ夜のダンジョンは危険だ。
「これはもう野宿しか無さそうだな」
「あ、あっしお腹空いてきたでゲスぅ……」
ベントゥの言葉と同時に、お腹の鳴る音が辺りを満たした。それに被せるように笑い声が響き渡る。
「私も疲れたわ。今日はずっと戦ってた気がするし」
「嗚呼、シズクは休んでてもいいよ。何しろ今日前衛で一番頑張ってたのはシズクだしね」
それからはウェンディの作った美味しすぎる弁当に一行は舌鼓を打ち、寝る際のテント決めで少しだけ揉めた。テントは二つあったのだが、その内一つで疲れきっていたシズクが既に眠っていた。そんな彼女を置いておいて、シズクと寝たいと仄めかし続けるケンジやベントゥにまるで遺伝なんじゃないかと思われる程ランと似ている暗黒微笑を浮かべたイーブイの少女が強制的に納め、この件は落着したのである。
ケンジはひたすらに不満げだったが、その頃のシズクは幸せそうな寝顔を浮かべていた。