#98 不安と期待
「んん〜、いー天気だなあ〜」
朝日が、窓から差し込んできている。朝の訪れに、心地よく囀ずる鳥の声がする。山の稜線を浮かび上がらせるような光に目を眩ませながら、エメラルド共用の部屋ではサンが起床した。
起き上がり、藁のベッドに腰かけて寝ぼけ眼をごしごしと擦る。一瞬ぼーっと、依頼の事を考えていると今日は遠征メンバー発表の日だとふっと気が付いたのだ。何処までも馬鹿で抜けている自分の事に呆れながらも、サンは日光を浴びながらうんと伸びをした。
まるで何かを祝っているように素晴らしい天気だ。今日これから、一体どれほどの不安を味わうのか知らずに呑気なものだとは思うが、出発となればこれ以上のグッドなコンディションはない。これで選ばれなければどれだけ気が滅入ってしまうのだろう。サンは頭の中で悶々と考えながら少し項垂れた。
サン自身、今までかなり頑張ってきたと自負していた。何かと競争してるみたいに大量の依頼をこなして、ラペットに誉められたことだってある。今はもうシズクとケンジが入ってきて、新入りという訳でもないし、経験も充分に積んでいる筈。そんな感じに意気込むが、まだ不安が心を襲って何とも言えない気分になっていたのは事情だ。
もしも落ちてしまったら……もしも選ばれなかったら、どうなるのだろうか。サンは気分が落ち込む気満々であった。そんな彼女の事を、きっとフライが慰めてくれるのだろうか。それに、サンが落ちて兄妹だけ行くなんて情けない話しはない。
すごく、不安だった。行きたいけれど、自信がなかった。自信を奮い起こそうとしても、どうしても風船が萎むようにその時間が縮んでいってしまうのである。
多分、シズクとケンジは、今のサンより倍くらい不安になっているだろう。当たり前だ。ギルドに入ってから初めての遠征。士気の上がるギルド内。噂が飛び交い、宝の発見や秘境の事を常に耳に挟む日々。自分も行きたいと、何度思ったかしれない。しかも、パティ直々に『新入りは普通入れないが、今回は候補に入れることにした』と言われたらしいのだ。期待しない訳がないだろう。しかし彼らは一度ミスをしていた。ラペットからの最重要依頼『セカイイチの収穫』に失敗したのだ。後に聞いた話によると、あれはドクローズの邪魔が入ったことによるミスだったらしいので、はっきり言えば彼らの責任ではない。けれど、ラペットがドクローズを何故か尊敬しているので損をしただけなのだ。あの時は、ラペットを非常にディスったものだ……。
期待され、落とされる。もしかして選ばれるんじゃないかと思う自信と期待、ミスをしたという事情と不安。対極の二つの気持ちがごちゃ混ぜになっているんじゃないか。そもそも、冷静なシズクは置いといて、素直になんでも受け入れちゃう性格で悩みやすいケンジは、今頃心の中がどうなっちゃってるのか分からない。
それはそれで、サンの不安の種であった。
「あー不安だなあー。………?……フライ……?」
声に出せば不安が紛れるとでも言うように、サンは比較的大きめな声で、しかし棒読みで言葉を呟いた。その時、いつもならこういうとき反応してくれる相棒の姿が、隣にいなかったのである。最初は眠ってるのだと思って片付けていたが、見てみれば藁のベッドは主を無くし、空間にひっそりといるだけだった。毛布はきちんと畳まれ藁の上に置かれている。妙に几帳面な相方だと今更ながら気付いたサンであった。
「あっれー、可笑しいな。フライ、何処行ったのかなあ」
声色からはそこまで心配しているようにも見えない。そこまで心配するような事柄でもないが、フライが朝勝手に何処かに行くと言うことは今まで無かった。彼は若干低血圧な所もあるしどっちかというと朝は苦手な方だ。いつもちゃんと早起きしているけれど、サンが気付かないほど早くに起き、かつ出掛けるなんて。フライらしくない、と言えばフライらしくない。
以前、サンに嘘をついて夜出掛けてしまった時はあったけれど、あれはあれでフライに事情があったんだろうし。今回も何かあるのか、それとも不安になって早く起きてしまって、散歩とかに行っているのとどちらかだろう。ふわあ、と背伸びをし、折角起きたんだからフライを探しに行こう、とサンもベッドを抜け出て部屋を後にした。
*
「さあーて、遠征初日だなあ、今日は。誰が最初に起きてくることやら……やれやれ」
同時刻、朝礼場にて。弟子の皆よりも一足以上に早く起きたラペットは、親方の部屋前に陣取り爽やかな朝日を堪能していた。毎日忙しなく、こんな風に日光を感じる機会も少なかった。遠征出発前、そんなことを考え、ラペットはしみじみと感傷にひたるのであった。
今回向かう場所、そこは、未だ他の探険隊も解明出来ていない謎が溢れる場だ。噂や伝説だけが生き、場所のみ確認されているだけ。まさしく『未開の地』と呼ぶに相応しい場であった。もしそんなところに莫大な宝があったとしたら……いや、その場所の謎を解くことが出来たら、このギルドの人気はうなぎ登り。お宝と合わせて弟子も沢山入り、依頼の報酬をがっぽがっぽ回収……そしたらこのギルドは全国で五本の指に入るくらいの金持ちギルドになるかもしれない。
ラペットが遠征を企画したのも、実際は赤字回復の為が半分だった。勿論残りの半分は探求心からである。ラペットだって腐っても探険隊だ。
ちょこちょこと身体を前後に動かしながら妄想し、幸せな気分になっているラペットの隣では、食事係であるチリーンのウェンディが早起きして丹精込めて作った弟子全員の昼食、夕食をグループごとに分けて容器に詰めていた。その他、遠出になるため道中で野宿することになるかもしれないというウェンディの提案で、テントなどのキャンプ用具も食糧と共に荷物として並んでいた。
この働きぶりには感心しているラペットは、ウェンディの手伝いをしようと厨房に立ち寄ったのだが、「一人だと確かに大変ですけど誰かいると邪魔なので」とあっさり追い返されてしまったのだ。
まあそうかもしれないが好意でやろうとしているのだ、此方は。そこまで切り捨てられると悲しくなるじゃないか……頭の中では楽しい想像をしているが、朝の出来事を思い返して複雑になるラペットだった。
と、その時弟子の部屋へ続く通路から一枚の葉っぱが飛び出した。三股に分かれた蔦の葉である。まぎれもなく、フライだ。こんな早い時間にどうしたのだろう、とラペットは訝る。ノンドの目覚ましはまだかかっていない。
「ん?フライか?どうした?」
「あ、嗚呼……ラペット」
何処か堅苦しいような苦笑いのような笑みを顔に張り付けながら、このギルドに最近入ってきた有能な弟子……ツタージャのフライは翡翠色の瞳を此方に向けた。
「ちょっと、頼みがあるんだ」
「なんだ?……あ、メンバーのヒント教えるとかダメだからな!!?」
「そ、それは分かってるよ。メンバーなんてもうすぐ聞けるもんだし……僕の頼みは」
フライは、ウェンディにすら聞こえないように小さな声でラペットの耳元で足早に話した。変な頼みではなかったものの、ラペットは少しだけ顔をしかめた。
「そんなこと頼んでどうするつもりだ」
「まあ、出来るならってだけだがな」
「そうか……まあ、一応親方様には交渉しておくよ。だが、変な頼み事だな」
「それは……」
「あっフライー?」
後ろから溌剌な声が響き渡った。見れば、茶色いふわふわの毛玉がフライに向けて笑顔を向けていた。その声に反応してウェンディが作業中の手を止めて「おはようございます、サンさん」と挨拶した。サンも「おはよ〜」と気の抜けた声色で返すと、フライの方に駆け寄ってくる。
「もー、フライ何処行ってたのさ?起きたらいなかったから地味に心配してたんだよ」
「お前の事だから地味に心配もしてなかったんじゃないのか?」
楽しそうに話しながら部屋の方に向かっていく二匹の弟子を見ながら、先程感じた違和感が抜け落ちたラペットは微笑ましくその背中を見送るのだった。
*
「んおぉぉぉおおおきぃぃぃいろぉぉぉおおおお!!!!朝だぞぉぉぉぉぉおおおう!!!」
遠征当日だというのに、目覚めの悪い朝になってしまった。まだ眠いーと駄々をこねているケンジを引っ張り、シズクは朝礼場へと足を運んだ。
いつもより五分前に起こされたことに不服そうな弟子達がぶーぶーと騒ぎながら並んでいる光景を見て、今日がいつも通りの日々に見えて仕方がないシズクは、数秒今日が遠征当日でありこれからメンバー発表があることを完全に忘れていた。ケンジもそのようであったが、彼の場合シズクとはパターンがちがかった。
「そういえば今日……メンバー発表だね」
「そうね」
「落ちたらどうしよう……」
「まあ大丈夫なんじゃないの?」
「でももし……落ちたら……」
「その時はその時考えれば」
「落ちたら……………」
「……なんか鬱陶しいわねあんた、今日」
「うぅ…………」
ケンジは完全なるネガティブ思考に陥っていてシズクでさえそこから彼を引っ張りあげることは不可能だった。周りから見てもその構図はかなり虚しく、悲しいものだった。
「ケンジ達……というかケンジ、結構滅入ってるものねえ」
「お前はどうなんだ」
「え、私?うーん、確かに不安だし選ばれたいって思うけど……そこまでは」
「……単細胞って羨ましい」
「何か言った?」
「いや」
此方も此方でサンとフライは能天気な会話を繰り広げていた。緊張感がほぐれるような雰囲気だが、皆が皆そういう訳ではないものだ。
後ろの方で待機していたドクローズの三匹とサンの兄妹達も、そして朝礼場に集まる弟子達の間にも、待ち受ける『突飛』を察している者にも、ただならぬ不安感、緊張感、期待が満ち溢れている。