#96 胸に秘めた気持ち
「非常に眠いわ」
「俺もだよ!同感だよ!!だから先に寝ないでもうすぐ夕飯なのにああああシズクーーーー!!」
「うっさくて眠気が覚めたわ」
「そっか良かった……お言葉ですが俺を特殊な目覚まし扱いしないでよ〜」
「別に良くない?」
「良くない」
「あっそ」
お料理教室が終わったあと、俺達は二匹で部屋に戻ってきた。料理が完成したらもう解散だったようで、あの場にこれ以上いる必要が無かったのだ。俺達が部屋に戻っても誰も咎めなかったし、他のメンバーもちらほら外出するだの部屋に行くだのしていた。サンとフライは、まだ輝かしい雰囲気の中、アップルパイを楽しんでいたが。
「それで……どうなのよ?お……美味しい?」
話に一段落ついたとき、藁のベッドに腰掛けていたシズクが上目遣いで此方を見てきていた。何のことを聞いているのかは明白である。俺が手にして口に運んでいる、件のケーキだ。
「うんっ!すっごく美味しいよ」
「……そう」
冗談抜きに別格だった。手作りだから、ということもあるだろうが、そこら辺に売っている市販のケーキとは大違いであった(勿論市販のケーキを批判している訳ではない。あれはあれで美味いし。ただ、シズクが作ったから別格に感じているだけだと思っている)。苦味のあるチョコレート、甘酸っぱいマゴの実クリーム、その上にトッピングされた清々しい甘みのモモン、そして彩りよく飾られている飴細工やラズベリー。
俺にこんなものが作れるとは到底思えない。記憶を失ってはいても、元々人間であったと言っても、シズクはどうやら料理が得意そうであった。
「シズク料理上手いねー。俺絶対こんなの作れないよ」
「レシピ見てやっただけだし大したことしてないわ。サンのアップルパイとか、ウェンディのホールケーキとか、シニーのワッフルとか、そっちの方が断然レベル高いし」
「それでも、シズクが作ったから美味しい!すごい!」
「何それ意味わかんない」
毒舌ながら、彼女はちょっと嬉しそうに頬を赤らめていた。素直じゃない彼女も、だから可愛いと言うべきか。
「ねえ思ったんだけど……シズクって綺麗だよねえ。美少女ってやつかな」
「は?何よいきなり。馬鹿言わないで。私よりサンの方が可愛いじゃない。あんたもああいう素直な子が本当に好きなんじゃないの?」
「んー、確かにサンも可愛いけどさあ、俺はシズクの方が、好きだよ」
「あっそう。ありがと」
そっちの意味じゃない。苦笑いしかけて俺はその表情を引っ込めた。シズクは鈍感がままでいい……うん、それでいい……。
その後もいつものようにちょこちょこ話したりして、あっという間に時間が経った。カップケーキは完食したが、まだチョコレート風味が口の中に残っていてどこか気持ち良かった。窓の外では、空が水色から綺麗な茜色と緋色のグラデーションになっていて、その反対側に目を逸らすと、だんだんと群青と黒が迫ってきていた。
もう夜か。本当、時間が経つのって早い。
しばらく感傷に浸っていると、不意に扉の向こうから微かに鈴をちりんちりんと鳴らす音が聞こえてきた。ウェンディによる夕飯の合図だ。
「シズク、夕飯!行こ!」
「元気良いわね、あんた」
相変わらず表情が読めないが、不機嫌オーラは出していないシズクを連れ、俺は部屋を出て食堂まで駆け出した。ケーキは食べたけれど、それでもお腹は減るものだ。
磨かれた木のテーブルに置かれた木の実料理は、昨日と変わらず輝くようにそこに置かれていた。お料理教室とかの出費で料理が少し少なくなるんじゃないかという俺の読みは外れて幾分かほっとする。量も、美味しさも変わってはいなさそうだ。
テーブルの周りを囲うように座った弟子のポケモン達は、ラペットとパティがやって来て『いただきます』の号令が掛かるのを今か今かと待ち構えていた。ノンドやヘイライは、ラペットとパティが来るのが遅いと大声で愚痴っている。俺も実際ノンドとヘイライに倣いたい気分だった。というのも、まあいつものことなのだが。
全員が食卓について数分後、ラペットとパティが扉から姿を現した。パティは相変わらずセカイイチを頭に乗せて転がしたりと弄んでいる。
ラペットが来たことで、皆には目の前の料理に目を移した。ラペットの話も聞かず、勝手に『いただきます』を言おうとしている輩もいる。
「じゃあ!いただきまーー……」
「ちょっと待ったあああぁぁぁぁ!!!」
しかし言い終わる前にラペットが口を挟んだのだ。料理に飛び掛かる直前で止まったノンドは、少し前のめりの体勢になっている。
「今日は皆に知らせたいことが___」
「そんなことはどうでもいい!!早く食わせろやゴラァァアアァ!!!!」
「食べ物を目の前にしておあずけとは何事だ!!」
「もうお腹ペコペコですわあーー!!」
「ヘイヘイヘエエェェーーイ!!!」
そしてそんなラペットに向けて、食べ物には物凄い執着心を持つ弟子達が力の限り叫び、食卓中をブーイングが飛ぶ。まるでわんわん唸るように反響し、ラペットは若干呆れ顔で場を鎮めるために声を張り上げた。
「静粛に、静粛に!!そんなこと言ってお前達、ご飯食べたらそれ以降話を頭に入れる気がなくなるだろう!」
「うっ……」
「さて、お知らせとは、皆も気になっているであろう、遠征メンバーの事だ」
ラペットがその事を口に出した途端、先程の騒ぎが嘘のようにしーんと静まり返った。全員がラペットが発するであろう言葉に耳を傾け、不安ながらも好奇心を胸に抱いている。
皆が自分に、真剣に集中しているということに気を良くしたラペットは胸を反らせ、言葉を紡ぎ出した。
「その遠征メンバーを、親方様は先程……決断されたようだ♪」
「と、とうとう決まったんでゲスね!」
「メンバーの発表は明日の朝、朝礼の時に行う。また、メンバーが決まり次第出発しようと思っている。楽しみにしていてくれ♪
それでは……待たせて悪かったな。改めて__」
「いっただっきまーーす!!」
元気な声が響き渡り、それを合図に料理にかぶりついた。ジューシーであり、旨い料理を口一杯に詰め込んで、俺は一時幸せな時間を味わったのである。
*
「はあ……いよいよ明日ね」
「う、うん、そうだね」
夕飯から戻ってきてから、何故だか俺達の間には謎の緊張感が生まれていた。ラペットから、『遠征メンバーが決定した』と聞かされたからだろうか。食堂で『ごちそうさま』を言う皆の顔も、何処かひきつっていた。
誰が選ばれ、誰が残るのか。祈っても願っても、きっと結果はもう決まってしまっている。無駄な事だと分かってはいても、願わずにはいられなかった。受かりたい。選ばれたい。皆と遠征に行って、何か大発見して、「大変だったけど楽しかったね」って言って帰ってきたい。早く結果を知りたいのと同時に、もし選ばれなかったらどうしよう、どうせ選ばれないのなら、結果なんて聞きたくないという二つの思いがごちゃまぜになって、結局不安が増すだけであった。
「今日はもう、早く寝るわよ。どうせ朝早いんだし。
……あんたも、ごちゃごちゃ悩んでないで」
「……うん」
藁のベッドに毛布を敷き終え、その中に潜り込むように沈み込む。若草のいい匂いは、悩みごとをしていた頭に爽快ではあったものの、その悩みが大きすぎた。早くベッドに入ったはいいものの、これから数時間は眠れないかもしれない。
それに、もしも俺達が落ちた時のドクローズの嘲るような顔が思い浮かび、苛立ちが募ってきた。最近は身を潜めているのか俺達にちょっかい出してこないが、それでもムカつく奴に変わりはない。あんな奴等に見下されるのも嫌だし、何よりあいつらが喜ぶような事は極力避けたかった。ゲスい笑顔は見たくない。
「……シズク、起きてる?」
「起きてるわよ。こんな早くに寝れる訳ないでしょ。なんか頭の中一杯だし」
「やっぱり、シズクも不安?」
「……ちょっとは」
「そっか。……そうだよね……。
ねえ、あのさ、俺達結構頑張ってきた方だと思うんだよね。入門当初は一日依頼八件こなしたり……探険行ったり、とか。確かにセカイイチのことは、仕方なかったけど……それでもさ」
「まあ、そうよね。今まで色々やってきたわ、私達」
「うん……セカイイチの事でペナルティはあるかもしれない、けど……でも、まあ、ね」
「その辺は……何とかなるんじゃないの?」
「でも……確かに頑張ってきたけど、これで落ちたらまだ努力が足りなかったってことかな?それでもさ……俺、落ちても悔しくはないよ。なんてったってまだ新入りな訳だし。今までも頑張ったけど、それよりももっと頑張ればいいよね」
「………そうね」
「……不安だなあ……」
「ッ、うじうじしてたって、しょうがないわよ。いつもと同じに明日はくる。メンバーは発表される。悩んだって、意味無いわよ。それに、来るものは来るわ。来たときに、受けて立てばいいの。何事も、そうなのよ」
「そっか……分かった。なんかすっきりした……ありがとね、シズク」
「別に大したことしてないんだけど」
「俺にとっては大したことなんだよ。
………じゃ、おやすみ、シズク。受かると、いいね…………」
___シズクの前では見栄張っちゃったけど、悔しくないなんてそんなことはない。落ちたら絶対悔しいに決まってる。吹っ切りたいけど、まだ不安でどうも駄目だ。
(___あんなこと言ってたけど、落ちればあいつは相当がっかりするでしょ)
___それに、オパールのペンダントの事とか、謎はまだまだある。それが今回の遠征で解けたりするかもしれない。そのチャンスをみすみす逃したくない。
(___悔しくないとか何だとか、ほんと強がりはやめてほしい。苦しいなら、私に言ってくれればいいのに)
(……今回の遠征に向けて、一番張り切ってたのはケンジ。私じゃない。私は遠征に対して、それほどワクワクはしていない)
(だから、私は別に遠征に行けなくてもいいの。多分、そこまで気にならない。一人行かせられるというなら……ケンジが行かないといけないわ)
(それよりも、私の持つ二つの能力。物に触るとその物の過去や未来がみえたりする、あの力。あの能力、遠征に活かせたりしないかしら)
(それに、林檎の森で感じた……何かに浸食されるような感じ。私が私じゃなくなるみたいな、そんな感じがしたあのこと)
(あんな能力が、遠征で活かすことが出来るの?……もしも能力が暴走して、皆が、ケンジが傷付いたら……私はどうすればいいの?)
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