#86 柔らかで和やか
「……遠征なあ……」
燦々と陽光が降り注ぐ中、妙に感傷に浸っているような声を出したポケモンのいた。黒を主体とする四足歩行のポケモン。頭や足などには金色に光る輪の模様に描かれている。瞳は、炎が燃えているように赤色だ。ブラッキー___サンの兄とされる一匹、ラック。
見た目的には何を考えているのか全く分からない。本人に自覚は無いようだが、生まれつきというか何というか、とにかく反応が遅い。何年か共に過ごしてきた兄妹にさえ、目を開いたまま寝てるんじゃないかと噂されたことだってある。それは身内でしか知らない笑い話であるが。
ラックは今、一匹だけで行動している。ほぼ毎時ラックと一緒にいるエーフィ、ランは、今日はいない。実を言うとラックは、シズクと同じく独りが好き派だ。そしてランは出来る限り大人数で喋り合いたい派だ。つまり真逆。分かり合える筈は無いと言えた。本当に二匹が双子なのか、疑ってかかるポケモンは今までに数え切れないほどいた。その度にランに何かと脅されたりして何も言わなくなってはいるが、それでもやはり気になるというものだ。双子というのは大体似ているものだと思うが偏見だろうか。
本日の天気は雲一つ無い快晴。遮るものがない太陽は、光を地上に降らせ、その光の恵みを受けて植物が大きく育つ。まるでサンが、天候を『晴れ』に変えた時みたいだな、とラックは少しだけ考える。いや、そんなことは無いだろう。今のところサンが天候を操れる範囲は自分の傍……今、自分が存在する場所の近くのみだ。遠いところまで影響を及ぼすことはないと、サンが探検隊を始める前に検証済み。それも、昔と今比べても変わってないのだし、今更急激に変わることはないと思う。
そして、ラックは一つ、考え事をしていた。それは言わずもがな遠征の事についてだ。何が心配か……実際それは漠然としたもので、自分でもよく分かってはいない。ただ、遠征に行くというその場所について、何だか変な感じがするのだ。
実は、助っ人と言われる彼ら、ラック達シニアディ兄妹とドクローズの三匹には前もって遠征へ向かう場所を知らされていた。というか、仄めかされたというか。ラック達には曖昧だった。ドクローズにははっきり言われていたらしいが。詳しいことは分からない。そもそも、ラックはドクローズが嫌いだった。臭いから、とそういう理由もあるにはあるが、気配的に感じるものに、微塵も大物感が無い。ゼロだ。もはや皆無。弱いということは一目瞭然だというのに、妙に態度が図々しくて偉そうで、頭のいい、強い、格好いいなんて自負している気がする。一度面と向かって『お前ら馬鹿だろ』と言ってみたい。他人に言われるのではなく、自分で。しかし、あまりあの三匹に会うことが、最近全然無い。何故だろうか。ギルド内でも、夕食の時しか見かけない。
まあ別に、あんな奴等になんて会わない方がいいんだけどな。
感情を顔に出さないラックであっても、心の中ではかなり色々なことを考えている。口に出さないのは、口に出す価値も無いと自身で感じているからだ。他人にとって本当にいらない関係なのかは判断できないけれど、ラックが話すことは滅多にないのだから。それでも恋愛沙汰になると乗ってくるのは何故か。自分でも、実はよく分かっていなかったりする。
「……ま、行ってみればなんとかなるか」
独り言のようにぶつくさ呟くラック。そんな彼のことを気にするポケモンは他には誰もいなかった。ラックは首を少し上げて伸びをすると、再び前を向いて歩き出す。前から駆けてくるランの小さな姿を見て、『また煩いのが来たなあ』と、何処かで思っていたり。
*
「それで?話したいことって?」
「そこまで深刻な話じゃないってば。ただちょっとねえ、ケンジと……ケンジ君とシズクちゃんについて聞いてみたいっていうか」
「……君付けじゃなくていいよ……」
わいわい、がやがやと、広すぎることもなく狭すぎることもない店内で、俺とリアンは向き合い、これから始まるちょっとした雑談に花を咲かせようとしていた。
今、俺達がいる場所は、パッチールのカフェ内だ。店主のパッチール、サマルが、客から受け取った食糧をシェイクしてドリンクを作るというシステムで経営している店。トレジャータウンには、このような娯楽的な店が皆無だったため、このカフェに訪れるポケモン達は連日増えている。中には、『常連客』と胸を張る者さえいるのだ。所謂人気絶頂の店。快適で、過ごしやすくて。俺もシズクもサンもフライも、このいい雰囲気のカフェが大好きであった。
そしてその中の、一つの小さめなテーブルに腰掛け頼んだ飲み物に口を付けながら頬杖をつき、リアンとの話をしようとしていた。俺は橙グミのジュース、リアンはカゴティーに舌鼓を打っている。濃厚なグミの味が広がるこの感じ、好きだ。サマルの即席手作りドリンクは、かなりの評価がとれそうなほど美味しい。
ノリで、『気が合いそうだから』なんて理由でリアンに着いてきてしまったが、これ見たらシズク、どんな風な顔するかな。なんて言われるだろう。少しだけ、不安でもあった。シズクって地味に嫉妬深そうで。俺が言えることでも無い気がするけど、今は都合よく忘れることにする。しかし、リアンが俺とシズクについて話したいこととは一体?そこまでリアンが気にする事柄も無いと思うけれど。それとも俺の知らないとこで何かしら気になるとこがあったとか?それにしてはリアンの顔が僅かにニヤついているような。
「話したいこと……というか、気になるとこというか。
あのさあ……はっきり言ってケンジとシズクちゃんってどんな関係なの?一応同部屋で寝起きしてんでしょ?気になるとかないわけ?感じないほうが可笑しい気もするけど」
「あ、嗚呼………」
リアンが聞いてきた内容に、思わず苦笑いした。嗚呼、やっぱりそういうことか、と。男女のコンビで探検隊とかすると、そういうことをよく聞かれる。俺はそこまで追及されたこともないけど、フライが自らの体験談から話してくれた。ギルドの弟子達とか、トレジャータウンの住民達だとか。いちいち茶化されてもううんざりだと、ご丁寧に愚痴まで添えて。
最初は本当にそうかと疑ってはいたものの、時が経つにつれフライに共感できていった。女子っていうのはそういうことでからかわれてうんざりしないのだろうか。サンはしなさそうだ。逆にはっちゃけそうだがシズクはどうだろう。ガンを飛ばして終いには電撃飛ばすかもしれない。そういえば、俺の事を茶化してくる男性陣は、シズクの前ではあまりそんなこと言わなかった気が。やはりシズクはヤバイと思われていたのか否か。
「別に対しては……普通に仲間だし。俺はそうでもなかったりする、けど、シズクが何しろそういうのに鈍感らしいからさ。俺もあんま深入りはしないようにしてる」
「ふうん、そう。シズクちゃんは敏感そうだけど。恋愛スキャンダル系には疎いのかな」
「そーかも」
呟くように答えながら、コップに並々と注がれた橙グミジュースをズルズルと吸う。ひんやりとしていて気持ちいい。とか、頭の隅でひっそりと考える。シズクはもうバッグの整理終わったかな。そしたら此処に来るのかな。シズクの事ばっかり考えて、リアンの話に入っていけない俺がいる。
「ケンジはどっちかというと鈍感に見える」
「さあ、どうだか……自分じゃよくわかんないけど。そこまで鈍感では無いと思う」
「そう」
そうしてリアンは、前足に持ったコップを不安定に口元に運びながら、視線を宙に漂わせた。何かを考えているように見える。ちらちらとリアンを盗み見ながら、俺もドリンクを少しずつ啜る。
「……あのさ」
しばらくしてリアンがぼそりと口を開いた。宙に浮いていた視線はいつの間にか下に降り、俯く姿勢になっている。
「あたし……ちょっと、羨ましい。ケンジとシズクちゃんの、そういう関係」
「……?どういう関係?」
「んー、分かんないかな。だからつまり、お互いに意識はしてないけど、でもちょっと距離はだんだんと縮まってきてる、みたいな関係」
「へ、へえ?」
無理に口角を上げるがリアンの話の意味が分からなかった。思わず首を傾げると、リアンはクスクスと笑う。シズクと違ってリアンはよく笑う。シズクも笑えば可愛いのにな。
「あたしも一時、フリーの探検隊でさ。『もどき』って感じかな。でも一応パートナーがいた。
けど、あたしとそのパートナーは全然気が合わなくて。本当真逆だった。ケンジとシズクちゃんみたいな感じだったけど、そうじゃなくて。お互い無関心みたいな。あたしは元々性格が冷たいし、パートナーの奴はあたしが照れ隠しっぽく言った暴言受け入れちゃうし。素直すぎて歪んでたの。何度も喧嘩した。それで仲直りして距離が縮むなんてこともなかったし、どんどん間の壁が分厚くなっていた。探検隊は好きだったけど、こんな奴とはやってても無駄かなって思ってあたしから解散を申し出たのよ。そしたら向こうは駄々捏ねて……めんどくさかった。
大体探検隊のパートナーってのは仲良くやってけるもんなのよ。だけど、あたし達は失敗した。だから成功したあんた達が羨ましい。ケンジはとにかく羨ましいわ。あたしとパートナーみたいな性格のコンビで、喧嘩したけどそれでまた寄りを戻して今楽しくやってんだから。そういう感じ、羨ましいのよ」
言い切ったリアンは何処か悲しそうに見えた。俺だって最初、こんなコンビで大丈夫かと思ったし、シズクと口論になっときは『嗚呼、失敗しちゃったな』って思った。決して成功しただなんて考えたことはなかった。でも、リアンから見れば俺達は『完璧な成功例』に見えるらしい。実はそうなのだろうか。あまり意識したことはないけど、今すごく楽しいというこの状況に、俺は胸を張っていいのだろうか。
実際、分からないけど。
「だからね、成功したあんた達には、上手くいってほしいわけ」
先程から一変、リアンは一切汚れの無い満面の笑みでそう締めくくった。