#85 一人と二人
「あー……結構あるのね……」
ガーネットの部屋で、私は腰に手を当てバッグを見下ろした。藁のベッドに挟まれて転がるように置いてある一つの大きなバッグ。気付けば探検隊になってからかなりの時間が経っている。バッグも、それを表すように擦れていたり汚れていたり、とにかく、使い込まれた感があった。
私からバッグの整理を申し込んだのは、昨日やり残したものを自分で片付けたかったという事もあったが、何よりケンジに任せちゃ駄目な気がしていた。何か色々なものを入れ込んだバッグを前にして、気合い入りすぎて馬鹿みたいなことになってしまいそうな、勘がしていた。
………いや、それすらも口実だったかもしれない。本当に本当の事を言うと、彼に少し休みを与えたかった、ただそれだけなのだ。
仕事だから仕方がないと言えば仕方がないのだが、毎日依頼ずくしは流石に気が滅入るのだと思い始めていた。入門当初、直後からぶっぱなしていた私は、疲労をあまり感じていなかった。ケンジの事はそれほど気にしてもなかったし、私はそれで大丈夫だったから続けていたけど、考えてみればあいつは一日依頼八件にかなり愚痴をこぼしていた。今考えてみればあの時の私は自分勝手だったな。今考えてみれば。
ベッドの上に座り込み、バッグから取り出した不思議玉を、白めの布で磨き始める。今日の、晴天の日の光で水色の玉が反射してキラキラ光った。綺麗だ、と思わず感じる。
昨晩取り出した傷んだ木の実は後で袋にまとめて処分しようか。倉庫にも行ったし、今日で準備は万端なんじゃないか……?遠征当日がどうなるのか分からないけど、その日に準備時間があるんなら、また考えなきゃいけないし。
玉を布が擦るキュッキュッという音が辺りを満たす。向こう側からリナーとノンドの見張り番コンビの声が聞こえる。嗚呼、今日も賑やかだなあ。不自然にほのぼのした気持ちになる。私もやっぱり、何処か柔らかくなっているのだろうか。
湿って不発しそうな爆裂の種をゴミの山に投げ入れる。すでに私の周りには、使わない道具、使う道具、ゴミ、と分けられた山が並んでいた。普通の大きさに見えるバッグは、見かけによらずかなり沢山物が入る。全部出してみれば、こんなに入っていたのかと驚かされた。
とりあえず使う道具はバッグの中に戻し、使わない道具はまとめて倉庫に入れる為置いておく。ゴミは袋に入れてラペットに提出。
やってみれば、言うほど時間のかかる作業ではない。ぱっぱとやれば直ぐに終わった。
後は依頼を選ぶだけなのだが、紙の束……依頼書を見れば、やり残した依頼が随分あった。今日はこれをやればいいだろう。お尋ね者討伐三件、救助二件。少なめだが、まあ。
大分軽くなったバッグを肩に掛け、キィ、と軋む扉を開ける。朝礼場にいるポケモンは少なくなっていて、リナー等が会話しているだけだった。ラペットも今は自室に戻っていて、青色の扉から時折紙の捲れる音や忙しなく何かを捺す音がひっきりなしに聞こえてくる。気にしたことはないが、世界中に点在するギルドは探検隊連盟というものに所属しており、仕事の成し遂げ量や稼いだ金額を書類にまとめて提出しなければならないらしい。一ヶ月ほどそれをサボると倒産するとかなんとか。親方の名を持つパティは、中はどうだか知らないが見た目子供っぽくてあんまり仕事しなさそうだ。だから一番弟子と名乗るラペットがそういうまとめ役を買って出ているのだろうか。ギルドが潰れるのは嫌だけど、ラペットがどんな仕事をしているのかなんて正直言って興味がない。私がひたすらに不服なのは、報酬が取られるということだ。
依頼掲示板のある階には、毎度毎度多くのフリーの探検隊が足を運んでいる。今はもう慣れたが、初めて見たときは他人が数え切れないほど佇んでいて虫酸が走ったものだ。あの時の感じ、今も思い出せる。
ギルドから外に出て、建物のある高台から下を見下ろすと、ケンジともう一匹のポケモンが目についた。あの様子だと、カフェに行く様子だ。ケンジの傍にいるのは____薄水色の四足歩行、藍色のダイヤ型をした模様が胴体に付いていて、耳も角張っている、全体的に白っぽい印象があるポケモン、グレイシアのリアンだ。二匹で、楽しそうに笑いながら何かしら話している。
にこにこ、にこにこと、周りから見ても何だか和やかな雰囲気。あれなら私が中に入らなくてもいいかもしれない。けど、何か気になる。それに、感じる。以前は感じたことのない感じだ。あいつは私以外の女の子にも、あんなに楽しそうに笑えるんだ。あんなに綺麗に笑えるんだ。何でか、どうしてか分からない。でも、あの二匹を見て変な気持ちが沸き上がったのは、確かだ。
*
「ふわぁ〜。今日もいい天気〜」
「余所見してると足元掬われるぞ、サン」
水で湿った岩が、足音に合わせてぴちゃぴちゃと軽やかな音がして、光に照らされて煌めく雫が飛び散る。濡れた地面はつるつると滑って、フライの注意は的確だ。思考が別のところに飛んでいっちゃったら、滑って転んじゃうかもしれないな。私はよくこけるけど、転ぶのは痛いし好きじゃない。
「へへっ、そうだね〜」
「元気なのはいいけどさあー」
二匹でぴちゃぴちゃ、ぴちゃぴちゃと音を立てて道を歩く。時々飛び出てくるポケモンは、大体水タイプということでフライの草技により次々と崩される。いやあ、やっぱりフライは強い。私は全然、力的にはまだまだフライに遠く及ばないよ。でもそれを言うと、いつもフライから小突かれる。謙遜してるのかな、照れてるのかな。どっちにしろ、その流れで私がからかうんだけど。
さて、現状を説明しよう。只今私、サン・シニアディは、相棒であるフライと依頼をこなしている途中だ。川に近いダンジョンで、フライがいるためかなり楽。私も、天気を『日差しが強い』状態にしてフライをアシストしている。水タイプのポケモン達は、いきなり太陽が照りつけるこの状態に慌てて動きが乱れているから余計やりやすい。勿論、理性を失って元から頭は使ってないんだろうけどさ。
日光が水を刺激して、雨上がりみたいな匂いが辺りに立ち込めている。池に浮く蓮の花とか綺麗だなあ、と呑気に考えていたら、その湖からハスブレロが飛び出してきた。うん、なんとなく予想は出来てたような、出来てなかったような。出てきたハスブレロは、ウェザーボールで一掃した。天候が変わってるから威力が強くなる。ハスブレロは降っとんで、湖を囲む岩に激突した。頭打ったけど、大丈夫かな。
「ねえ、前から思ってたんだけど、サンってどうしてウェザーボール使えるんだ?ウェザーボール使えるイーブイって聞いたことないんだけど……技マシン?」
「ううん、違うよ?技マシンは使ったことないし……気付いたら使えてた、みたいな?私の天候変える能力と合わせて結構便利に使ってるよー!」
「へえ。そんなこともあんのな〜」
平凡な会話をしながらも、進んでいく。目の前を水と草が飛び交い、辺りに散乱する光景を、無意識に見つめていたりする。
シズクとか、フライとかにも、目の色だとかかなり可笑しいなあと思うことはあるけど、実際私だって色々不思議だったりするんだよね。『天空の卵』とか、今まで気にしてはいなかったけど、さっきフライに指摘されたウェザーボールの事とか。別に今の生活に支障は無いしいいかな〜って気楽に考えていたけど、こういうことは気にしなきゃ駄目なのかな?私には無理かな?
「今思ったんだけど、フライって結構シズクと仲良かったりする?」
「え!?何!!?サン嫉妬!?明日は槍が降るかなあ!?」
「へっ?何それフライ酷い!!
嫉妬じゃないよ、嫉妬じゃない!私さあ、いわゆるたんさいぼー?ってやつだから、そこまで複雑に考えないしー。あんな警戒心強いシズクと仲良いって、フライもかなり警戒心強かったりするから意外かなー、みたいな」
「いや、それは……普通にギルドの仲間だし話してるだけだよ」
「ふうん。ま、ケンジは嫉妬しなさそうだし」
「いや、どうだか……」
思いのまま言ってみたらフライは苦笑いして固まってしまった。え、私変なこと言った?言ってないよね?こっそりだけど、フライの事を伺い見る。
「ケンジは結構……嫉妬するほうだよ。最近だと特に。僕がちょっと世間話するだけでなんかオーラがどす黒かったり」
「へえ?ケンジもそんななんだあ。シズクはどうかな?嫉妬したりするのかなー。私ケンジと話したりするから」
「さあな。でもシズクの場合……恋愛に疎かったりするじゃん?だから嫉妬してもそれが嫉妬だとは気付かなかったりするんじゃないか?」
「あー有り得る」
今まで過ごして見てきた限り、シズクは色々物音に敏感だったりするけど、ケンジが仄めかすあの甘酸っぱい感じに全く気付いていない。恋愛に鈍感、とはこういうことなのだろうな。シズクらしいといえばシズクらしいけど、もう少し気付こうとしてもいいんじゃないかって思う。じゃないと必死にアピってるケンジが可哀想……。
「どっちにしろ、時が経てば何とかなるだろ。今はとりあえず、目の前の依頼をこなすぞ。もうすぐ遠征なんだし、怪我しないようにな!」
「はあい!!」
前足を上げてフライに意志を示す。
光を受けて瞬いた池の水面の、オパールみたいに輝いている。やっぱり太陽は大好きだ。綺麗だし、心が洗われるみたい。フライが、まるで流れる様に打ち出す蔓の鞭は、緑色の宝石……エメラルドとか、ペリドットとか、つるりとしていてそんな感じにキラキラしている。
こんな日常が送れることに、感謝しなくちゃいけないのかなあ。でも、この世界以外の危険な土地で生きたことのない私には、まだ分かんない事だ。