#93 ウェンディのお料理教室!〜それは甘酸っぱいクリームで〜
カシャカシャと、金属と金属がお互いの身を擦り合う音が、楽しげな話が飛び交う室内に無機質に響いている。未だ繰り広げられる雑談に、時々相槌を打ちながら私はボウルに入ったクリーム色の生地を泡立て器でかき混ぜていた。
「そうですわねえ、私の初恋は……まだ幼い頃でしたわあ。11かそこらの歳だったのを覚えていますの〜」
「へえー!で、そのポケモンはどんな感じだったの?」
「顔は確かにイマイチでしたけど……それでも、本当に優しくて優しくてイケメンな性格のライチュウでしたわ〜」
「そうなんだー!何だか会ってみたいなあ。それで、そのあとは?」
「そのあとはですねえ、そのライチュウ……ジェームズというんですが、そのジェームズが転勤族の生まれでして。引っ越すとかで別れてしまう日が来たんですの」
「えっ!?何それ切ない!!」
「ですわよねえ。私も最初それを聞いたときは本当に驚いて……そして悲しくなりましたわ。いつも傍にいて当然だったはずの彼が、手の届かない所に行ってしまうだなんて……。しかも、彼が引っ越す場所はこの大陸の真反対なんですのよ。手紙でやり取りとかも考えたんですが、私と彼はそこまで親しく話す関係でもなくて。彼は、私達と過ごしていた集落の中でも人気だったんですけど、隅でひっそりしていた私に気付いてくれて声掛けてくれて……それが私にとってはものっすごく嬉しかったんですわあ。一目惚れってやつですわね、それからずっと彼のことを考えていまして。でも、彼が近付くと恥ずかしくて話せなくて……そんな状態で、まともに会話したことも無い感じだったんですの。だから私から手紙でのやり取りを申し出るなんて、なんだか気が引けてしまって」
「あー、分かる気がするよ!あんまり話したことのない男の子に不意に優しくされて惚れちゃうとねえ……分かる分かる」
「そうですね、そんな恋もありますよね」
「うんうん、そうなんですわよ。だから私は、彼が引っ越してしまう前日に思い切って告白することにしたんですの」
「えっ、本当!!?うわあ、何それ超萌える展開!!別れの直前に好きな彼に告白……これから離れてしまうけれど、好きでいてください!なんて、すっごいいい!!」
「ですわよね、ですわよねえ!!!私も一瞬そんな展開を想像してうっとりしてましたわ。今だから言えることですけども……。
それで私、前日に彼を呼び出して、人目のつかない場所に連れてきたんです。そして『ずっと前から好きでした』って、言ったんですのよ」
「うおお!!告白方法のもはやテンプレですね、その呼び出しと言い方!シンプルでそれもいい!」
「こ、答えはどうだったの!?」
「まあまあウェンディ、人生はそう簡単に行かないものなのよ……。
告白して数秒後、彼には『ごめん、本当にごめん。でも、君の気持ちに答えられないんだ』って言われてしまいましたわ。実は私が告白する一日前、私の友人であるミツハニーの……スルガというんですが、彼女にも告白されていて、今好きなポケモンがいないから引き受けたんですって。要するに先を越されたって訳ですわ。やっぱりこういうのは早い者勝ちなんだなって、その時初めて強く実感しましたわ……」
「うう、切ないねえ……時間の問題だったなんて、あと二日早く言っていればなんて惜しい状況だったなんて……」
「ええ、そうですわ。そのあと失恋のショックであまり笑えなかった。彼が引っ越してしまうと家に引きこもりがちになったり。でも一つだけ良いことは、彼と文通することの許可を貰って、ずっと手紙でやり取りできているということですわ。
今思ったことですけど……誰かを好きになるのって、ある程度の覚悟が必要ですわよね」
「そうね……。
誰かを好きになれば、別れる覚悟も、失恋の覚悟も、していなければいけませんからね。失恋や別れに恐怖して誰も好きにならないというのも、また虚しいですし」
「感動的な言葉だあーー!私、異性と関わる機会中々無かったからそういう経験は無いんだよね……いいなあ、恋愛してみたいなあー!」
「いやあ、サンはフライがいるじゃないですかー」
「んん、フライはまだ友達感覚だもん」
「友達から恋人に発展、ということもありますのよ」
「いいねそれ」
集中してレシピを読み込み、一生懸命手元を動かしている私のすぐ傍でシニー、サン、ウェンディの三匹が恋愛話に花を咲かせていた。皆が各々の感想を口にし、それぞれの恋愛経験を逐一語り始めている。
サンの切りかけの林檎はまな板に並んでいる状態から動いてないし、シニーはワッフルを焼くための型付き鉄板を暖める作業から進展しえいない。件の鉄板はかなり熱くなっているのが伺える。ウェンディのみが話しながら作業を進めていくという芸当を繰り広げていた。小さめなホールケーキを作っている様子のウェンディは、生クリームを製作中であった。
「あ、ねえねえシズクの恋愛事情教えてよ。ケンジとはどんな感じなの?」
「は?別にどんな関係でもないわよ。ただ、その……仲間、というか、パートナーみたいな」
「でもさあ、異性同士で探検隊とか、計らずともなんか意識しちゃうもんじゃない?」
「そうかしら?私はよく分かんないけど」
「恋愛に鈍感だと今後(ケンジが)大変かもしれませんわよ〜。でも、そんなとこもシズクだと可愛いですわっ!!!!」
「うん、まあ今も(ケンジが)大変そうだよねえ……」
サンが徐に、手元に置いてあったシナモンの小瓶を弄りながらシニーの言葉に頷いて肯定した。何のことを話しているのか未だよく分からない私は首を傾げる。その様子を見て、何故だか三匹は朗らかに笑っていた。
「さてさて皆、手が動いてないわよ〜」
「え?……あっ!林檎切ってる途中だった!!」
「あ、あつっ!!この鉄板の熱さ尋常じゃないですわぁぁーーー!!!」
「シニーが放っておいてたのが悪いと思うんだけど」
「正論ですね」
「シズクもウェンディも辛辣ですわ!!
ウェンディ、ちょっと濡れた布巾ありません?」
「ん、今出すわ」
シニーが鉄板に触れて熱くなった手先(葉先)を擦りながら言ったことに、ウェンディは笑いながら頷いて水場に浸してあった布巾を一枚シニーに手渡した。投げてよこさない限り、ウェンディは本当におしとやかだと思う。
「ウェンディって静かで……何処かの令嬢みたいよね」
「ふふ、そんなんじゃないわよ。静かっていう自覚はないけど、よく言われるのよねえ。私ってそんなに静かかしら?」
「ウェンディは無類の怪談好きだったよね、確か」
「あら、それじゃあ何か怪談でも話しますか?」
「きゃーーー!!!やめて!!怪談はやめてですわ!!!」
「冗談よ、冗談。だからシニー、騒ぐのは止めてよ」
相変わらずというか、何というか。煩いのはこのギルドではもはや日常として定着しているようだ。そんな楽しそうな光景に私もふっと微笑を漏らしながら、混ぜている生地の中にチョコレートの粉末を入れた。