#73 心の内
爽やかな夕方の風が、体を撫でた。
嗚呼、気持ちいい。まるでこの世のいさかいが消え失せていくように、優しい自然の風景、空、夕日。何もかもが美しいのに、私の心は醜いのだろうか。
ケンジに向けて私の意見を言ってすぐ、私はギルドを出た。失望しきったような、気が落ち込んだような、あいつの目を見たくはなかった。
十字路付近にあるベンチに腰を掛け、私は独り思いに耽っていた。
正直、ギルドに戻って探検隊を続けようか悩むところだった。ケンジに向けてあれだけ啖呵を切っておいて、今更部屋に戻って平然と過ごすだなんて、無理にも程がある。戻るつもりもなかったし、別にこのままでも大丈夫だとは思っていた。
そもそも私がギルドに入ったのって、この世界について知るため、食糧と寝床を確保するためだったはずだ。ケンジと話が拗れてまでここにいる必要は無い。今ではもう、技の出し方だって分かるし制御も出来る。ダンジョンにも普通に潜り込んでいるしそれなら独りでも食糧確保くらいは出来る。
無理してここにいる必要は無かった。そこまでギルドや探検隊について執着もしていない。私は普通に、そこらにいる一般のポケモン達と同じように、味気の無い日々を過ごせば良い。ダンジョンに入って食糧集めして、毎日野宿で、独りぼっちで、たまに見かける探検隊を見て『嗚呼、今日も大変そうだな』なんて思ったりして。
そして真実から遠退いて、私は何も掴めず、何も出来ずに死んでいく。誰にも知られず、誰にも気にされずに野垂れ死ぬんだ。何も、知れずに。
「そんなの、惨めすぎるわよ」
そんな死に方嫌だった。せめて最期の瞬間まで、誰かといたい、と不意に思ってしまった。でもその『誰か』が、ケンジな訳ない。私は実際あいつが好きでは無かったのかもしれない。
好きでもなければ嫌いでもない。聞かれれば『普通』で済ませられる、ただのそんな関係。特別なんかじゃない。ただの共働人。気が乗れば話すし、気が乗らなければ適当にあしらう。私がお金や道具を手に入れる為に一緒にいるだけの奴。仲間なんかじゃない。私にはそれくらい分かっていた。
どうせいつかは、こうなるんだろう。そんなことは知っているつもりでいた。遅くても早くても、どっちにしろいつかはこうなる。少し長続きしただけだ。こう喧嘩して、私が毒を吐いて、バラバラになるのは当たり前だ。私がこんな性格で、あいつがあんな性格なんだから。
遠征にいくだとかいう話も出ているけど、そんなの私には関係無い。遠征がどうだろうと遠征に行けるメンバーが何だとか、興味無い。興奮するあいつに、私がただ付き合って、不自然にワクワクしてただけ。
あいつがどう思おうと、私には関係無いから。あいつがどんな気持ちになろうと、別に私が困ることはない。だからこんなつっけんどんな態度を取れるのだろうか。それも別に、どうでもよかった。
「はあ……」
結局、振り出しだ。ギルドに入ってあまり何かが進展するような事も無かった。唯一分かったことがあったとしたら、それはルリアを助けにいったり滝壺の洞窟に行った時に発動した変な眩暈の後不可思議な夢が見えること。そして今日林檎の森で感じた、何かが沸き上がってくるような変な感じ、そして急に燃えるように熱くなった目。だが、それが、私が人間からポケモンになって記憶を無くしたことになんら関係は無いだろう。
私は実質、何も変わっていない。時折、私はケンジに影響されて少し変わったんじゃないか、とか思ったことはあった。でもそれは違う。私は変わっていると思い込んでいただけに違いない。私が変わったことなんて、何一つ無いんじゃないか。嗚呼もう、よくわからなくなってくる。
私があいつに言ったこと、『ケンジの事を仲間と思っていなければ信じてもいない』という言葉は、本心だったのだろうか。私は、そうだと思う。そう、思いたい。
人間の頃はどうだか分からないが、私は周りにいるポケモン達を百パーセント信じている訳ではない。というか、信じられない。複雑な感情を持っている生き物と言うのは嘘をつくし、裏切る。私は知っている。ポケモンも人間とさして変わらないということを。皆、皆嘘をつくんだ。信じたって裏切るんだ。その時に傷付くのは自分自身。信じるなんて、馬鹿なんじゃないのか、と。自分を傷付ける行為なんじゃないかと。私はずっと、そう思って生きていたのだ。無論、記憶が無いため以前の私が思っていたこと、なんて分かる筈も無いのだが。
嗚呼、これで終わりか。あいつとの生活は。
これで良かったのだと、私は言い聞かせるが、自分の意思に反してふつふつと沸き上がる後悔は、無視できるものではなかった。
どうして私がこんな気持ちにならなければいけないのだろう。私はこれで良かった、それでいいじゃないか。後悔なんて気持ち、私が今何故感じてしまうのだろう。
ただ、心にぽっかりと穴が空いたような心地がしたのは、間違いではない気がしていた。何かが抜けてしまった。私があいつの部屋から出た途端、私の中から何かが抜けてしまったのだ。
本当に、これでよかったのかな。
後悔、よのうな、自分にのし掛かる自責の念。別に、別に私はあいつの事なんか、何とでも思っていない。赤の他人、それだけの関係の筈。なのに、どうして。どうしてこんな気持ちになってしまうの。
「ッ……もう……わかんないわよ……」
ベンチに座ったまま、手に顔を埋めた。もうこのまま無心でいたい。何者にも邪魔されたくない。このまま、放っておいてほしい。
「シズクちゃん」
その時、横の方から気配が現れ、声が掛けられた。