#69 白昼の出来事
林檎の森の奥底は開けた場所で、真正面に大木が植わっていた。当たりに生える木々とは比べ物にならないほど、大きかった。
そして、その大木に比例するように巨大な林檎が数個生っていた。日の光に照らされ、真っ赤に熟した林檎がつるりと光を反射して煌めく。下の方にいる俺達にも、その姿がくっきりと見えた。
しかしそれよりも、俺には気になることがあった。そして同時に、シズクがここまで異常な程焦っていた理由が瞬時に理解できた。ダンジョン内でも少しは感じていたが、そこまで気になるものではなかったためスルーしていた。だが、ここに来てはっきりと分かる。この場所に悶々と立ち込める、鼻に付く臭い、悪臭。
紛れもなかった。
「……あいつら……」
きっと向こうは、どこからか俺達を見ているだろう。しかし、俺達がそちらがわに気付いているのには気付いていないようだ。どこから襲ってくるのか、どこからでも予想できる。警戒心を、俺もシズクもピン、と張り詰めた。
向こうが俺達の気持ちに気づいていないのなら、深く隠れようとせず何処かにいるだろう。叩き潰すなら、そっちから出てきてもらって、ヘラヘラしている間に隙を突くのが得策か。
「……あるねー、セカイイチ」
「そうね」
セカイイチの木に近付きながら呟く。シズクもそれに反応し、俺の後に言葉を紡ぐ。心なしか、臭いが近くなってきたような気がした。
「どうやって採ろうか?」
「でっかいからね、この木。届きそうもないわ」
あいつらを呼び出す為に、わざと間の抜けた会話をしあった。これに乗ってくれば、あいつらは偉そうに、せせら笑って姿を現すだろう。
「どうやって採ろうか、だって?そんなの簡単じゃねえか。ククッ」
計算通り。
悪臭を撒き散らしていた張本人達……ドクローズの三匹が、セカイイチの木の上から姿を現した。そんなところにいたのは予想外ではあったのだが、ここにドクローズがいるのは当に分かっていた。どこにいようと、結局は同じである。
「やっぱりいたか……」
「へへっ、お前ら、来るのが遅かったなあ」
ズバットのディビが、下衆な笑い声で俺達を嘲った。嗚呼、腹が立つ、頭に来る。どうして、こいつらが。
「じゃあ、ここに来るまでの間、ダンジョン内で食糧食い尽くしてたのあんた達ね?
………木の爪痕も」
「ケッ、意外と観察力鋭いんだなあ……。
そうさ、俺達だ」
「俺達はお前らが来るまで、セカイイチを食って待ってたんだ。かなり遅かったんで全部食っちまう所だった」
そう言ってミグロは悪臭のするゲップを思いっきり吐いた。辺りの臭さが一段階跳ね上がる。
このままずっとここに居座られたんじゃ、ここの木の実が悪臭やガスにやられる可能性があるかもしれない。さっさと片付けて、さっさとギルドに帰省しなければ。
「……どうやら、あんた達を倒してセカイイチを手に入れるしか、他に道は無さそうね」
「そうだね、シズク」
ドクローズを見据え、らんらんとした敵意をみなぎらせる。しかしドクローズは余裕ぶって、未だニヤニヤしていた。
「まあまあ、そう警戒すんじゃねえよ……。
俺達はお前らの仕事に協力しようと思ってたんだぜ?」
「ッ……馬鹿言うな!」
「そう熱くなんなって。お前らさっき、どうやって林檎を採ろうか話してたよな?」
それは実際、こいつらを引っ掛ける為の罠だった。やってみればどうとでもなる事だ。このくらいの木なら、登れるだろうし。
しかし、その事実を知らないドクローズの三匹は、見下した笑みを零す。
「そんなの簡単だ……見てみな!」
ミグロが、木から一、二歩離れ、背中を丸めて一気にスピードを上げ大木に突撃した。ドスゥン、と音が響き、木が、それに生っているセカイイチがゆらゆらと揺れ、茎から実を離し、ぽとりぽとりと地面に落ちてきた。
「な?簡単だろ?ほら、さっさと拾ってギルドに帰れよ」
そう言われても、俺とシズクは動かなかった。目的のセカイイチは直ぐそこにある。だがセカイイチを採りに行けば、あいつらに背中を見せることになる。それだけは避けなければ。いつ攻撃されても可笑しくはない。
「何だ?取らないのか?」
「……そんなこと言って、何か罠とか仕掛けてるんだろ?」
聞くまでもないことだった。あいつらの事だから、このまますんなり帰してくれる訳がない。
「驚いた!こいつら全然騙されねえ!」
「少しは脳があるって事か。だが実力的には俺様に遠く及ばねえよなあ……ククッ」
「……あんた達みたいな無能が考えてることなんて、お見通しなのよ」
シズクの、この言葉は効いた。そもそも馬鹿な三匹である。挑発にはいとも簡単に乗ってくれるのだ。ミグロは、見せしめ、とでも言うように、足元に落ちていたセカイイチを一つ取り上げ、かじりつこうとした。
その隙を逃す彼女ではない。シズクは電光石火でミグロに近付き、まだ口に入る前の、ミグロが前足片手で持っていたセカイイチを一つ、勢いでかっさらった。周りにいたガナックとディビは一瞬反応が遅れたが、背後にいるシズクに攻撃を仕掛ける。その軌道を電気ショックで逸らし、セカイイチの木に当たらないようにしたシズクは、幹を軽く蹴って飛び上がり、こちらがわに戻ってきた。流石の身体能力。とりあえずだが、一つは手にいれた訳なのだが。
「お前ら……!親切にしてたら調子乗りやがって!」
叫ぶミグロだが、何故か攻撃をしては来ない。不思議に思うが、深くは気にしない。セカイイチ一つを持って帰ったって、きっとこれじゃまだ不足している。どうにかして、あいつらの足元に散らばっているセカイイチを回収したい。
「おい、お前、リオル……。
見たぞ、俺達より後に来た助っ人のエーフィとブラッキーに妙にビビってやんの。やっぱお前は、いくら自分を騙したって……どうせ臆病者で!弱虫なんだよ!」
「……ッ……!!」
ミグロの言葉を聞いた瞬間に、怒りが、悔しさが、身体中を駆け巡った。こいつらは自分の過去を知らない。知らないのだが、それでもそれに関することを、俺が臆病者だと、弱虫だと、勇気が無いただの雑魚なんだと、肯定される言葉を聞きたくない。
「ケッ、所詮、俺達と戦ったときからなんも変わってねえって訳か……」
「確かにオーラもおんなじだしな。妙に強くなったとかに威圧感とかも全然感じねえ」
「ケケッ、違えねえ!」
「…………………!!!」
嗚呼、嫌だ、嫌だ。苦しい、辛い、悔しい。こいつらッ……許さない。
「一緒にいるピカチュウだってよぉ、へっ、ひ弱そうだなあ、折れそうじゃねえか!どうせ弱いお前らになんて、何にも出来ねえんだ!」
三匹は、大口開けて馬鹿みたいに嗤った。その笑い声が、辺りにガンガン響くように聞こえる。
悔しかった。ただ単に、悔しかった。
あいつらに一体、俺の何がわかるというんだ。シズクの何がわかるというんだ。今すぐ飛びかかって、この自分の手で殴り飛ばしたかった。それしか、今俺の頭にはなかった。
電光石火で近づくために、未だ笑っている三匹に一歩近付き、足に力を込めた。もう、我慢出来なかったから。
しかし、その時、何かが俺の腕を掴んだ。シズクだった。俺の目をじっくり見据えていた。その彼女の瞳の奥で、『赤』の炎が、チラチラと燃え上がっているのが見えた。青い硝子を通して、その奥で燃え盛る炎を見ているようだ。そして、シズクの触れている手を通って、彼女が小刻みに震えているのが微かにわかった。ドクローズの怒りのせいか。それとも。
「……今は駄目。……我慢しなきゃ、嵌められる」
「そんなこと言ったってッ……!」
俺の心を舐めるように燃える怒りは、もはや俺の理性を奪いそうになっていた。落ち着け、と。そう思ってはいるのだが、何だかすごく冷静な彼女に、何故か頭に血が上った。
「我慢しろって……!何だよ!シズクは俺の事を知らないから、そんな事が言えるんだろッ!!?」
腕を大きく振り、彼女の手を思い切り払った。シズクは少し俺を見つめ、その瞳の奥の『赤』は、更に勢いを増した。そしてシズクは目付きを鋭くする。体はまだ、震えたらままだったが。
言ってしまった後、俺は今俺がしたことに気付き、猛烈な後悔に苛まれた。いくら怒っていたとは言え、何故シズクにあんなことを。だがシズクは、さして驚いた様子を見せなかったのだ。まるで「当然」だと言うように。
ドクローズは「なんだ、仲間割れか?」と、ニヤニヤしながら此方を見ていた。それを見て、また怒りが燃え上がる。
「とりあえずシズク、あいつら倒そう」
俺が話し掛けても、シズクは無言だった。後でちゃんと謝ろうと心に決め、まず目の前の問題を片付けようと怒りの炎を鎮火させる。
「クククッ俺様を倒すだと?偉そうに」
一言漏らすとミグロはガナックを呼び、ディビは後ろに下がる。二匹は並び、勝つ気満々な瞳を向けた。
「俺様の本気がどんなもんか……見せてやろう!
…………『毒ガススペシャルコンボ』!」
ミグロの尻から、ガナックの口から、濃度の高い毒ガスが排出される。二種類のガスは瞬時に混ざり合い、俺達の方へと向かってくる。
「……!ケンジ、波動弾!」
シズクが少し後ろに下がりながら叫んだ。俺は頷き、シズクにどんな思惑があるか知らないが、もうもうと広がるガスに匹敵するほどの巨大な波動弾を造り出し、撃った。
_______ポケモンの技は、気体であろうと液体であろうと、エネルギーの塊であり、ぶつかれば_______
パァン、と何かが破裂する音が響き渡り、毒ガスと波動弾がぶつかったことにより巻き起こった爆発の衝撃と爆風、黒煙が俺達を襲った。