#3 襲撃者達
正直、頭が理解に追い付けなかった。追い付けるはずもなかった。意識を取り戻したら、そこは夕日の綺麗な海岸で、得体の知れない泡が浮いていること以外、何の変わりもない平凡な場所だった。なのに、私の意識を取り戻させてくれたのは、ポケモンだったのだ。二足歩行で、青と黒の体毛を持つ────リオル。
いや、意識を失った人間をポケモンが起こしてくれる、なんてことは、稀でも一応はあり得ることだ。問題は、そのリオルの口から、人間が理解できる言葉が発されたことだ。私のことを心配してくれているような、親切な言葉だったのだが、起こしてくれたことに感謝を述べるより、驚きの方が上回っていた。
何で、ポケモンが喋ってるの。
私の知らない内に喋れるようになったとか?いや、それはありえない。じゃあ何で?その答えはこうだった。
「なんで、って…え、だってポケモンが喋るのって常識だよ?当たり前のことだし、君だってポケモンじゃないか?」
「は?」
何言ってるの、このリオルは。ポケモンが喋るってこと自体おかしいけど、でも私はポケモンなんかじゃない。れっきとした人間よ。そんな事実を、ただ淡々と述べたのだ。でも、リオルの言っている言葉は、私の“事実”と全く噛み合わなかった。
「人間?でも、君の姿…どこからどうみてもピカチュウだよ?」
対するリオルも、それが疑いようのないことであるかのように言葉を紡ぐ。私の常識が、私の全てが、鼻から否定されたように感じた。どうしても信じられない。展開が、とても突飛すぎて。私の姿が、ピカチュウ?訳がわからない、ありえない。
でも、なんとなく視線が低くなっているような気もするし、考えてみたら違和感しか感じない。確かめたい、と、私は浜辺に打ち上げてきている波を覗き込んだ。ゆらゆら揺れている波にうつる自分の姿の、細かく所まで確認するのは難しかったが、それでも自分が人間じゃないことはわかった。黄色い体毛、先が黒く尖った耳、赤い電気袋と、その姿はまるっきりピカチュウだった。瞳が青いことと尻尾が白いことはおかしいと思ったが、今はそんなこと眼中になかった。
何で?何で?
私は人間だったの、それは事実なのに、何でポケモンになったの?というか、ここに倒れるまで、私はどこで、何をしていたの?頭の中で記憶をさぐっても、何も思い出せない。記憶喪失、なのだろうか。でも、本当に何も思い出せない。
「……君、なんか怪しいな」
一人で焦っていた私は、その声で我に返る。声の主は、あのリオルだ。私を心配していた時の声より一オクターブ低くなっていて、明らかに疑いの目でこちらを見ている。
「もしかして…俺を油断させて騙そうとかしてる?」
「は、はぁっ!?そんなことするわけないでしょ!?そもそも記憶も無いんだし、そんなことしても私に理なんて無いわよ馬鹿じゃないの?」
これでも疑われないように言葉を選んでいるつもりなのだが、どうにも過激になってしまう。まあ、相手がどう思おうがあまり気にならないというのが本心だが。
「ふうん…」
記憶を無くしたことを暴露した事で、少し疑う目付きが緩くなったように感じる。それどころか、少しだけ心配しているような目付きに変わり、微かに首を傾げている。その様子を観察していると、いきなりリオルは、こんな質問をしてきた。
「じゃあさ、名前はなんていうの?」
「なま、え?」
ついおうむ返しに聞いた私に、リオルは促すように頷く。名前、名前。記憶が無いなら名前も思い出せない筈だが、何故かそれだけはすんなり出てきた。
「私の名前は…シズク。シズク・サファイアよ」
「へえ…綺麗な名前だね」
と、そのリオルは一変して感嘆したように言う。根っから人…ポケモンを疑うことができないのだろう。
「あ…えと、うん。どうやら、怪しいポケモンじゃなさそうだね。さっきは疑ってごめん。というのも、最近悪いポケモンが増えてて。いきなり襲ってくるポケモンもいて、なんか、物騒なんだよ」
「ふうん」
いきなり怪しむ素振りが消えたリオルは、そう説明した。私はあまり興味が無かったのだけど。まあ怪しまれていないのなら別にいい。この世界の事とか……そういう事件に、実はあまり興味がない。
「で…あんたの名前は?」
「え?…ああ、そうだね。先に名前聞いて自分で言わないなんて失礼だよね」
えへへ、と頭をかく彼を見て、変なリオル、と思ったことは内緒だ。ジト目で見つめていると、リオルはその表情を穏やかな笑顔に変えて自身の『名前』を口ずさんだ。
「俺は、ケンジ・リウェルジーア。よろしくね!」
別によろしくという程の仲でもないのだが。私は「ふうん」で受け流す。それから、リオル────もといケンジは、笑いながらこちらを窺っているような素振りを見せる。話をしたい気分ではない。今はまず、考える時間が欲しい。
そんなことを考えていると、いきなり何かがぶつかり合ったような鈍い音と、痛みに呻く声が聞こえた。ゆっくりとその方向に顔を向ける。ケンジは背中に痛みを感じているように擦り、砂浜に座り込んでいる。そしてその痛みの原因であろう2匹がそばにいた。青いコウモリのようなポケモン────ズバットと、球体の体、絶えず煙を噴射している穴のついたポケモン────ドガース。どちらもニヤニヤと、嫌らしい笑みを浮かべている。
「おっとごめんよ、ぶつかっちまった」
と、ドガースは全く悪びれる素振りを見せずに、そう抜かした。楽しんでいるオーラむき出しで、その存在自体がどこか不快に感じた。それは、この二匹が放っている僅かな悪臭のせいかもしれない。
「いったぁ…もう、何なのさいきなり!」
「へへっわからねえのか?お前に絡みたくてちょっかい出してるのさ!」
「へっ?」
ズバットの受け答えに、ケンジはその答えが全く予想できないものであったかのように、キョトンと疑問符を浮かべた。2匹は依然とニヤニヤしながら、ケンジの傍に落ちている、くすんだ布袋を顎で指した。
「それ、お前のもんだろ」
その布袋の荒い結び目から、転がり出ている、ただの石ころみたいに見えるそれに、目をつけているらしい。ズバットがそちらへ向かう。
「悪いが…これはもらっておくぜ」
と、ズバットはその石を口でくわえた。その途端ケンジは目を見開いて悲痛の叫びを上げる。私はといえば、この展開にさして疑問を感じない。あの石ころが取られて困る物なのかは知らないけど、興味もないし取り返す気もない。他人のプライベートには、関わるのも面倒なのだから。そして叫びを上げた当の本人は、座り込んだまま、一ミリも動いていなかった。あんなに驚いてそうだったのに、何故?
「へえ、てっきりすぐ奪い返しに来ると思ってたが、何だ?動けねえのか?」
「ううっ…」
よく見るとケンジは微かに震えていた。手には砂を握る力を込めているのに、立ち上がって挑んでいく気配も見えない。一体、どうして。
「意外と意気地無しなんだなあ?さ、いこうぜ」
「ああ、じゃあな、弱虫くん」
ドガースが合図すると、ズバットは石をくわえた口で器用に、思いっきり軽蔑を込めた口調で飛び去る。ケンジはそれを、動かず黙って見送っていたけどどっちにしろ臆病者は好まない。放っておこうと思ったのだが。あの2匹の態度には腹が立つ。対して強くもないくせに、何を威張っているのだろうか。
「…行かないの」
ふいに口から滑りでたその言葉に、私自身も驚いた。ケンジもビクッとする。こんな言葉を私が口に出すなんて。なんか、可笑しいと違和感さえ覚える。
「う…そりゃ、取り返しには行きたいけど…でも、体が動かないんだよ…」
「は?」
怪訝そうに、そう呟いた。訳のわからない事だ。体が動かないなんて、私は経験したこともないし、というか自分に関係する記憶がすっぽり抜けているわけだから、理解できるものもできないのだが。ケンジは一向に動こうとしない。いくらキツイ言葉を浴びせても、何ともならないだろう。私は深く考えないで言葉を放つ。
「行くわよ」
「えっ?」
「あの2匹を追うって言ってんの。私もあの2匹の根拠のない偉そうな言動には頭に来たわ。ぶちのめしたいって思う。でも私はあんたの大切にしてる物には興味無いの。あいつを倒したらそのまま帰ってくる。それでもいいなら来なくていいわよ」
しばらくケンジは俯いたままだった。でもやがて、その真紅の瞳をまっすぐ上げて、立ち上がった。先程のおどおどとした感じとは丸っきり変わっている。
「行くよ。これは俺の問題だから」
さっきまでの臆病だった彼とは違う。勇気の灯が灯った心は、彼の背中を押したようだ。ケンジは転がっていた布袋を首にかけ、あの2匹が去った方向に足を向ける。
「あいつらが行った方向だと、行き着く先は一つしかない」
ケンジが指差す先を見ると、そこらに転がっている岩の連なった穴が、遠くに見えた。洞窟にも見える。あの2匹はきっとあの中にいる。私とケンジは歩いていく。私は、何故ポケモンになったのか、何故記憶が無いのか、わからないまま。