#32 ある声
「じゃあ俺達もそろそろ帰ろ」
カクレオン兄弟との話にキリがついた頃、ケンジがそう提案した。私も頷いて帰ろうとしたが、さっきの二匹が引き返してきていた。何事だろう、と見ていると、ラルがカクレオンのお店のカウンターに林檎を一つ置いた。
「うん?どうした?」
「グーンさん、林檎が一つ多いです!僕達こんなに買ってません!」
するとグーンは相変わらず笑顔で返す。
「それは私からのおまけだよ。二匹で仲良く食べるんだよ」
「えっ!?いいんですか!?」
「ありがとうございます!!」
純粋な二匹と優しいカクレオンの会話が場を和ませる。周りを歩くポケモン達も心なしか頬が緩んでいた。それは私達………いや、ケンジも同じだ。ぺこぺこと頭を下げた二匹は、また小走りで立ち去ろうとした。しかしルリアが道中で石に躓き、転んでしまった。その拍子に彼の手から林檎が転がり落ちころころ、と私の足下まで転がってきた。私はその林檎を拾うと、わずかに付着した砂を払って急いで近付いてきたルリアに手渡した。
「はい。……気を付けてね」
「あっ……ありがとうございます!」
ルリアは大切そうに林檎を受け取ると、兄であるラルの方へと走っていった。二匹はそのまま楽しそうに会話しながら街の奥へと消えていく。
「可愛いなあ、あの二匹。シズクも子供には優しいんだね」
「うっさい。私は年下にだけ優しいだけ」
子供、といっても私達もギルドのメンバー達から見ればまだまだ子供だろう。前にケンジの年齢を聞いてみたところ今は14歳なのだと言う。ケンジによると、私は13歳に見えるらしい。自分の年齢なんて知らないが、そんなに離れてはいないだろう。
じゃあそろそろ帰ろう、と足を踏み出した時、ふいに目眩が私を襲った。くらくら、くらくら。頭痛を伴うその気持ち悪い程の目眩に、私はカクレオンのお店の柱に手を掛けた。その時、目の前に見えていた全ての光景も、聞こえていた音も、感触も嗅覚も全てが消えた。暗闇を走る一筋の閃光が目の前に浮かび、闇を突き抜ける程鮮明な声が聞こえる。
『た……助けてっ!』
その瞬間何もかもが元通りになった。柱の冷たい感触、わいわい、と賑やかな声、カクレオン二匹とケンジ。私は柱の根元に座り込み、荒い息をしていた。
「シズクっ!大丈夫!?」
「大丈夫ですか!?」
「え、ええ。大丈夫。ちょっとふらついただけよ、心配しないで。さっさとギルドに戻るわよ」
このことをグーンとピールに知られてはならない。知られたくない。私はさっさと話を切り上げてケンジの腕を引っ張りギルドの方へ足を向ける。
「ケンジ、さっき声聞こえなかった?助けてっていう声」
「へ?いや、聞こえなかったよ?ねえシズクどうしたのさ?さっきからなんかおかしいよ」
「うっさい黙って」
ケンジが口を閉じ、私は考えに没頭する。突然の目眩、そしてあの声。一体何が起こったのか、理解することはできない。だがはっきりと言える。あの「助けて」と言っていたのは、ルリアだ。気のせいなどではない。確かに聞こえたのだ。ルリアが、助けを求める声が。でも、どういうことだ?あの時ルリアは楽しそうにラルと話していた。助けを求めなければならない危機的状況ではなかった。至って平凡な一場面だった。なのにあの声が聞こえた。ダメだ、全くわからない。考えれば考えるほど思考の糸が誰かの手によって崩されていくように掴めない。もし記憶があったのなら、わかっていたことがあったのだろうか。ケンジはこのことを「悪い夢」と言う。私もそれで終わるのが一番平和なのだと思う。とにかく今、気にすることではないか。