#2 黄金色の浜辺
さくさく、と砂を踏む足音が響く。
青い海は地平線の向こうに沈んでいく赤い夕日によって銀色に輝いている。それらを彩るような波音、ちらちらと揺れる炎のような、水面に映った太陽。
そして────
期待通り、クラブ達が砂浜や岩の上に立ち、その甲羅に隠された小さな口から泡を吹いている。その大小様々な泡は陽の光で煌めいて、何とも言えない神秘的なモノを感じさせた。
「………綺麗だなぁ……」
この時期、この時間帯、クラブ達は泡を吹くのだ。どういう意図でそうなっているのかはわからないが、これがこの幻想的な風景を生み出しているのは確かだ。先程までの沈んだ気持ちも、この景色を見て少し軽くなったように感じた。
いつもいつも、落ち込んだときはここに来ている。いつも、と言っても最近はここに来れていなかったし、クラブ達が泡を吹く頻度にもばらつきがあるので、毎度見れる物でもないのだが。
今日、此処に来てよかった、とは思う。けれど、その分何故か喪失感も増していく。こんな時間を無駄にしている俺でさえ、この世界で生きているんだ、と。皆が想いをもって生きている中、何も考えを持たずにのうのうと生きている俺なんかが生きていいのだろうか、なんて。そんな思考が、俺に巻き付いて離れない。
吹いてくる風が体毛を揺らし、泡を更に優雅に漂わせた。ふわり、ふわりと浮いている泡は、無機物ながら必死に生きているようにも感じられる。あと何秒後に割れて消えてしまうか分からない。だからこそその分、精一杯生きているような。
俺は無駄に時間を過ごしているけれど、今日の一分一秒は、最初で最後、たった一度きりしかないんだ。もし、時間が止まってしまえば、幸せに過ごせるのかな、なんて思ってしまう。まあ、そんなことできるはずもないのだけど。生きてるとか存在価値がないだとか、答えの出ないことを追いかけたって、それこそ時間の無駄なのに。
とぼとぼと、波打ち際で雫がぴちゃぴちゃはねるその砂浜をゆっくりと歩く。結局いつものような感じで今日も終わろうとしている。もう、そろそろ帰って夕飯の支度でもしようか……と思った矢先、浜辺に横たわっている何かが、俺の目を引いた。
帰っても暇なだけだ、少しくらいなら寄り道してもいいだろう。別に対した物は期待していなかった。だれかの落とし物だとか、漂流物だとか、そんなもんだろう。
いや、そんなものではなかった。
俺の目を引いたのはポケモンだったのだ────しかも、気を失って倒れている。
「えっ…」
最初は驚いた。まさか、こんなところにポケモンが倒れているなんて、普通ならありえない話だ。すぐに我に返り、俺は性別を確認しようとした。倒れているポケモンは、黄色い体毛を持つピカチュウだった。ピカチュウの、性の判別方法は確か尻尾にあったはずだ。角張っているのがオス、丸みを帯びたハート型がメス。尻尾を見ようと裏に回った俺は、更に驚いた。普通のピカチュウなら、付け根が茶色く、他が体毛と同じ黄色いはずだ。なのに…なのに、このピカチュウは付け根が黒く、他が砂浜でよく映える白色だった。
明らかにおかしい。色違いでも、一部だけ違うなんてことはないだろう。じゃあ何で?あと、このピカチュウの尻尾は丸みを帯びていた。よってメスだと分かる。
とりあえず、彼女を起こしてみよう。そして話を聞けば、色々わかるかもしれない。そう判断して、俺は手を彼女の背に触れる。その体毛は微かに湿っていて、磯の香りもする。満潮時の波をかぶったのかもしれないが、ずっと海を漂流していて、ここに流れ着いた可能性だってある。ということは、衰弱して最悪の事態も考えられる。知らないポケモンであろうと、見殺しになんてできるわけがない。焦りが頂点に達する。俺はそのピカチュウを思いっきり揺さぶった。
「ねえっ!君っ!起きてっ!起きてよーー!」
ゆさゆさと揺り動かすも、彼女の耳はまるで生気がなく、ゆらゆらするだけだった。まさか、もう手遅れってことじゃ?確かにこのピカチュウはすごく冷たい…いや、でも、可能性はまだあるんだ。起きるまで揺さぶってみよう。
「君っ!起きてえええええええ!!」
耳元で、大声でそう叫ぶ。寝ているのならこれで飛び起きるはずだ…でもピクリともしなかった。もう、ダメなのだろうか。半ば諦めかけたその時、ぺしんっという軽い音が響き、遅れて左手にひりひりとした痛みを感じた。
俺の手をはたいたもの、それはさっき見た白い尻尾だった。不機嫌そうにふらふら揺れている。ということは、この尻尾の持ち主、さっきまで倒れていたそのピカチュウは、意識を取り戻したということだ。
よかった……。気がゆるんで、ほっと安堵の息を吹き出す。よかった、生きていて………。
そのピカチュウは、最初はぼーっとしていたものの、だんだん意識が覚醒してきたのか、頭をふるふると振って、こちらをじっと見つめてきた。
そこで俺は、また驚いてしまうのだ。ピカチュウの中でも特徴的だと言えるそのくりっとした黒い瞳とはうって変わって、彼女の目は真っ青だった。海のように青く、空のように澄んでいる。吸い込まれるように美しい瞳。しばらく、俺も彼女の目を見つめ、彼女は困惑したように眉根を寄せた。
まあ、気が付いたら見ず知らずのリオルがいるなんて、困惑しないわけがない。まずはこっちから何か言わないと……。そんな使命感に襲われて、俺は口を開く。
「あ、君…大丈夫?えっと、君、ここで倒れてたんだよ。動かないから心配したよ」
丁寧な言葉を並べたつもりだったのだが、彼女は更に怪訝そうにこちらを見る。まるで何か異常者でも見るような目だ。そして、ぼそっと呟いた。
「なんで、ポケモンが喋ってるのよ」
「え?」
なんで、ポケモンが喋ってるのかって?何でそんな常識的なことを言うのだ。このピカチュウは。ポケモンなんだから、当たり前じゃないか。
そう返すと、更にピカチュウはこう言った。
「何言ってんの。私はポケモンじゃない。
────人間よ」
「は?」
その言葉は、その少女の白い尻尾や青い瞳を見た時よりも、俺を驚愕させた。本当に信じられないようなこと。信じられないくらい、どうしようもなく突飛なこと。それでも、今起こっていることは全て現実であった。退屈な平凡に突如割り込んできた突飛は、不意に起こることで。
私は────人間よ。
彼女は、確かにそう言ったのだ。