#1 赤い影
空はすでに茜色に染まっていた。平凡な街並みはいつもと変わらず、そこに佇んでいる。
────ここは、草の大陸。
そよ風によってさわさわと揺れる草花が特徴的で、自然豊かなその場所。
その中でも特に有名な施設────探検隊育成の為のギルド前に、俺はいた。目の前には、格子の張られた穴。その前を、俺は何分、いや何時間うろうろしているのだっけ。長い時間、俺に踏まれた土が、焦げ茶色に変色しているのが目に入る。
どうしよう。
いや、でも。
心の中で迷いを続けるも、一向に覚悟を決められない。
どうしよう、どうしよう。
迷って迷って迷い続けて、知らない所に足を踏み入れるのは嫌だ、今日はもう帰って、いつも通りの日々を過ごそう、なんて、頭のどこかで考えている自分を憎んだ。今日もまた時間は変わらずに、昨日と同じように過ぎていくくせに、俺は一体ここで何をしているのだろうか。
明日も明後日も同じなら、全くの無駄じゃないか…。ずっとこんなことが続くのは駄目だ。今日こそ、今日こそ、と決めたではないか。
「…勇気を、振り絞らなきゃ」
呟くように、でもはっきりそう言うと、俺は一度だけ深呼吸して、穴に張られた格子の上に立った。大丈夫、大丈夫。念仏のように心の中で大丈夫と、唱え続ける。怖がることなんてない、あとは耐えるだけだ、と。
一瞬の沈黙のあと、穴の下から、よく響く子供の声が聞こえた。
「ポケモン発見!ポケモン発見!」
「誰の足形?誰の足形?」
「足形はリオル!足形はリオル!」
「うああっ!?」
野太い声と子供の声の交わりに、俺は急いで穴から後退した。その途中でどて、としりもちを着いてしまう。いきなりのことで、まだ心臓がドクドクと、脈打っている。
周りに誰もいないのは承知のことだが、自分の姿があまりにも惨めだから恥ずかしく感じてしまう。唸りながら立ち上がって、再び、そこに鎮座しているギルドを見やる。
今日もダメか、と溜め息をついた。
そうだ、俺がこのギルドに足を踏み入ろうとしたのは、今日が初めて、なんてことはない。この穴の上にも立っているし、あの声も聞いてるはずなのに、あと一歩が踏み出せず、妙に腰が引けてしまう。改めて、自分の情けなさに腹が立った。
「これを持ってここにくれば、勇気も出ると思ったんだけど」
俺は徐に、首から下げた布袋から、一つの石の欠片を取り出す。それは陽の光を受けて燦然と輝き、俺の気持ちを知らずにきらびやかだった。
「でも、ダメだった。…俺って本当に臆病だよな…」
長い溜め息をつき、その石の欠片を、手の内で弄んでから再び布袋に戻す。石は何も知らず、無機質に布袋の底に落ちる。それが、余計虚しく感じてしまって。その虚しさを紛らわせようと、布袋を掴む手に一瞬だけ力を込めた。
「…また明日、頑張ろ」
自分に言い聞かせるように呟くと、ギルドに背を向けた。一回寝れば、明日になれば、何かが変わるかもしれない。馬鹿な程に、無意味な一縷の望み。
また明日、また明日と。
昨日も同じ言葉をつぶやいた気がする。でも結局、今日もダメだったのだ。また明日、と見えもしない未来に願いをかけて、自分を騙しているだけじゃないか。それがわかっているのに、一刻も早くこの場から立ち去ろうとしている自分がいた。
ゆっくりと歩き去る、俺の、夕日によって赤く染まった影を見つめた。
また今日も、同じような日々が過ぎていくのか。平凡で、何の変わりもない毎日。退屈で退屈で、“いつも通り”の時間。友達といえる友達も、恋人も、家族もいないし、また明日も同じようにギルドに挑戦して諦めて、同じ日を繰り返して、終えて。そんな何もない日々を少しだけでも変えようとして、独りで旅をして、ここまで来たのに。
変えようとして?違う、“憧れ”だったのだ。
幼い頃から冒険とか、伝説とか、隠された財宝だとかが大好きで、そういうことの探索を本職とする探検隊は、小さい頃からの“憧れ”であり、“夢”だったのだ。その“夢”が、あと一歩、手を伸ばせば届く所にあるのに。
嗚呼、俺はなんて弱虫なんだろう。
なんて臆病なんだろう。
そんな負の言葉を並び立てたって何にもなりはしないのに。どっちにしろ今日はもうすぐ暗くなるし、もう一度ギルドに挑む気力なんて無い。名残惜しいような目でもう一回だけギルドを振り返ると、俺は足早にその場を去った。
*
先程までギルドの前をうろうろしていたポケモンが去ったあと、茂みの中で一部始終を見ていたその2匹が姿を現した。
「おい、今の見たかよ」
「ああ、見たぜ」
「さっきうろうろしてた奴…あいつ何か持ってたよな?」
「ああ、ありゃあきっと御宝だぜ」
そう言葉を交わして、2匹は卑しく
嘲笑った。
「狙うか」
「おう」
*
ギルドから街へ続く階段を下りて、十字路に、俺は佇んでいた。左の道へ行けば街があり、その先をずっとまっすぐ行った所に俺の住み処がある。ここから見える店は暗くなった時の為にランプを出していたりもする。どっちにしろ食料調達は昨日充分な程の出来栄えだったので、店で厄介になることもないだろう。
今日も昼間、ここの街で必要物資の調達をしている、バッグに探検隊の証をつけたギルドの弟子達が来ていた。彼、彼女らから見れば、俺はただ時をぶらぶら過ごしている一般ポケでしかないのだ。
俺もそっちがわのポケモンになれたら、なんて。
羨ましく思うと同時に、またむなしい気持ちになって、俺は俯いてしまう。今日は早く家に帰って夕飯を済ませて寝ようか。
いや、その前に。
今の気分の時に、行きたい場所があった。この十字路の南に伸びる道を行った先にある所だ。そうだ、あそこはいつも落ち込んだ気持ちを吹き飛ばしてくれる。こんな落胆した今、ぴったりだ。
ふう、と息を吹き出して、俺はその方向へと足を向ける。
風は依然と草木を揺らしていた。