#130 流砂の洞窟
◇◇◇
一瞬目の前が真っ暗になり、ざらざらとした砂の感覚が全身を覆う。上手く息の吸えない現状で、唯一の頼りである片手の温もりで心を落ち着かせていると、そのつかの間空中に放り出された。
ふわっとした浮遊感の後、軽くはない衝撃が来る。身体を見れば、半分砂に埋もれている状態だ。
どうやら、流砂から抜け出たみたいである。上から砂が線のようにさらさらと零れ落ち、麓に砂の山を作っている。シズク達は、その砂の山の上に落ちたため大した怪我もせずに済んだようだ。
砂漠の下の砂の空間は、太陽なんてないはずなのに少し明るかった。流砂が陽光を少しずつ取り込んでいるのだろうか。地下なのにどこか温かみがある。
「地下にこんな空間があったなんて………」
「流砂ってのは、やっぱりこういう空間が無いと起こりえないものなのね。……流砂の規模も大きかったから、この空間も大きいわよ」
あたりを見回せば、かなり遠いところにも流砂の砂が落ちている光景が見える。周りは岩壁のようなもので囲われているここは、洞窟のようだ。
そして。岩が多くなり始めている、この空間の更に奥の方はおそらくダンジョンになっている。
こんな場所があるのなら、絶対に何かが隠されている。二匹はそう確信して目を見交わし、ダンジョンの奥へと進み始めた。
◇◇◇
木々の隙間から漏れる木漏れ日は、まるでここがダンジョンでは無いような雰囲気を醸し出していた。鬱蒼とした森のダンジョンは憂鬱だが、こういう気持ちのいいダンジョンは案外アリかもしれない。
―――――――こんな状況でもなければ、と、フライは宙を見つめながら溜め息をついた。
彼の傍では、辺りをきょろきょろと見回しながら進むパートナーのサンがいる。遥か前方には、先輩であるヘイライとノンドがいる。
二匹で、どちらが先に怪しいものや手がかりを見つけられるか競争しているその様は、先輩でありながら幼い子供のような目で見てしまう。
大きな声の彼らが騒ぐ声を頭の中で右から左に流しつつ、陽光の温もりを感じながらぼおっとサンと二匹で歩いていた。
心の中の真反対の様子を表しているような天気だな、と思う。今の気持ちは曇り空どころか土砂降りだ。太陽なんてどこにも見えやしない。泣きそうである。
「フライ、ぼーっとしてるよ。どうしたの?」
隣のサンが、少し下の位置から上目遣いでフライのことを気遣う。彼女の笑顔は、こんな時でも癒しになる。フライは少し気持ちが軽くなるのを自覚しながら微笑んだ。
「いや……何でもないよ。ただちょっと、あったかくて」
「そうだねぇ。ダンジョンにしては気持ちよすぎるよね〜」
先程から出てくるポケモン達は、レベルは高いが出現頻度は多くなく戦いやすい。サンの天候を操る能力を上手く活かしつつ、淡々と前に進んでいる。
ノンドとヘイライは嬉嬉として、探究心にわくわくしながら謎を見つけようと躍起になっているが、それが全くの無駄であることはフライ以外知らない。
隠されたものなど何も無い、ただの平凡なダンジョンなのに。
(時間の無駄、としか………思えないな)
全部、あの黒い巨体のポケモン……あいつ、ナイトのせいだ。顔を思い浮かべるだけで募ってくる嫌悪感に思わず顔を顰める。
みんなが皆、ナイトを信頼しきってしまっている。完全なる善の側だと信じて疑っていない。とてつもなく危険で、あいつに有利すぎる状況なのだ。そんな中、ただのギルドの下っ端側が声を上げたとしても、きっと誰も聞く耳を持たないだろう。
(俺がこうしてのうのうと過ごしているあいだに、リハンデは………)
今日にも、北の砂漠か水晶の洞窟に現れるかもしれないのに。ナイトは直接行ってはいないものの、ギルドの弟子達と関わったらさらに厄介になる。
本物の中に偽物を紛らせ、その偽物にフライを行かせるということは、ナイトの策なのだろうか。
(……いや、人員はパティが決めたのだから偶然か)
パティまでもナイトの手の内で転がされているとは思えないが、この状態が偶然なのは別の意味でやるせない。
ただただ、この不運続きの中で少しもの幸運が手の内に転がってくるのを願うばかりだ。
「………フライ、最近考え事増えてるよね。ちょっと依頼休む日とか作る?」
どこまでも純粋なサンが、心配そうにフライの様子を伺った。「大丈夫だ」と呟くように返すけれど、それでもサンはもやもやした目付きを消せない。
その黒い目を見つめて、フライは唐突に……何の根拠もなく、猛烈な違和感に襲われた。そしてそれと同時に、いつだったか、モンスターハウスに遭遇して絶体絶命だった時のサンの様子を思い出してしまった。
色々なことがありすぎて頭から抜けていたが、そんなこともあった。とてつもなく強烈な記憶だったはずなのに、なぜか忘れていた。
それを思い出すと、目の前に佇む無垢な顔をしたこのイーブイが、とてつもない恐怖の対象に見え始めてしまった。はっきりとした原因もわからず、いつものような顔を見ているというのに。無意識に、背筋が粟立つ感覚を覚える。
――――――恐い。
その思いが頭の中を駆け巡る。
「フライ………フライ?ほんとに大丈夫?」
「あ、嗚呼……大丈夫。大丈夫、だ」
あからさまな作り笑いだ。口角がひくついているのを感じる。彼女の澄んだ声が耳元で囁く。いつも通りの、心地いい響きだ。フライの姿が映るほどにきらきらと潤んだ彼女の黒い瞳。いつも通り、綺麗なのに。
(………どうして)
どうしてこんなにも、違和感と恐怖しか、浮かばないのだろうか。
(……僕の、パートナー、なのに)
かなり長い間、一緒にいたのに、こんなことを思うのは初めてだった。彼女を信じられない自分も、なぜだかわからない恐怖の対象となってしまうサンのことも、全てが信じられなくなっていくようだった。
信じたいのに、本能のようなものが邪魔をする。どうしてなのだろう。サンは、どこも連じゃないのに。何も、悪くないのに。
本当に泣きそうだ。根拠の無い感覚だと言うのに。
フライは、小さく「心配しないで」とサンに向けて伝えた。まだ不安そうだが、サンは「そっか」と言って、話すのをやめた。
こんなにも自分のことを心配してくれる彼女にたいしてこんな感情になるなんて、なんだか失礼ではないか。さっきの感覚は、気のせいだったかもしれない。
とにかく、楽観的に考えるしか今は方法が無い。フライは一度深呼吸をして前を見据えた。
何も無いことを願うしか、ない。
◇◇◇
流砂の洞窟は、北の砂漠のダンジョンよりもいくらか楽だった。勿論地面タイプや岩タイプは多いが、屋外ではなく洞窟なため風がなく、砂埃によって視界が遮られることがやい。
足元にある砂も、砂漠の砂のように隠れられるような量はない。乾いた黄土色の地面に、さらさらとした砂が乗っかっているような感じだ。辺りには大きめな岩がごろごろと転がっている。そこから敵が飛び出してくることはあるが、砂に隠れられるよりも戦うのは楽だ。
北の砂漠でのサボネアの厄介な戦いを経験したあとだったので、このコンディションには大分感謝する。
それに、危惧していたほど地面タイプが多くないのも幸運だった。地面技を使うポケモンもいるが、タイプが地面ではないのならシズクの電撃でまともに戦うことが出来る。
今、シズクは目の前に飛び出てきたクチートと対峙している。ケンジは少し向こう側で、サンドパン相手に戦っているところだ。サンドパンの砂かけによって少しばかり目くらましされているようだが、北の砂漠で受けた砂嵐に比べればなんでもない。ケンジは持ち前のスピードでサンドパンの背後に回り込み、はっけいをその背にたたき落としている。サンドパンの屈強な身体には、一撃必殺とまではいかなかったようだ。ふらつきながらもまだ立っている。
よそ見をしていれば、クチートは頭から生えている……ような形の大きな口のようなものを振りかざし、挟むを繰り出そうとしてきた。咄嗟によけ、その口はシズクの足元にあった砂をばくんと食べた。
あの口が本物なのかわからないが、ホラーなものに出てきそうな感じだ。見た目の可愛らしさと相反して不気味さを醸し出している。
クチートが頭を振りかぶり、その大きな口をもう一度こちらに向けてきた。また、挟むの猛攻だ。今度は転がって避け、電光石火を足に掛けて飛び上がり、空中で体制を整えた後クチートに向けて十万ボルトを発する。
クチートはそれをおおきな口で防いだ。勿論、その口もクチートの一部であるためダメージは負うが、そのまま正面から受けるより軽減される。
あの口は、かなり厄介だ。シズクはめんどくさそうに目を細める。
「……全く………素直に受けてくれればいいものを」
呟いた後、クチートが構えるよりも前にシズクは走り出し、クチートとすれ違う間際にアイアンテールを的確に急所に当てていた。口で防ぐ間もなく、クチートは呆気なく倒れた。
スピードにかけてする勝負は体力と集中力を消耗する。何も考えないまま攻撃するだけで相手が倒れてくれるダンジョンなら楽なのに、と彼女はどこに向けるともない悪態をついた。
丁度同じ頃にサンドパンを倒し終えたケンジが、近くに置いてあったワープ玉を取りながらシズクの方に駆けてきた。
「終わった?」
「今丁度」
ワープ玉をバッグに入れ終え、二匹は歩き出した。
道のりは順調だった。やはり洞窟という状態が彼らにとって楽なものなのだ。相変わらず木の実や林檎は落ちてなかったが、グミは多く見つかった。砂がそこまで多くないせいか、道具が砂に埋もれて見つからない、ということがあまり無い。
そのせいか、北の砂漠のダンジョンよりも、不思議玉や種がたくさん落ちているように感じた。
そして時々、毒々しい紫色の、どろどろした得体の知れないものが落ちていることもあった。あからさまに危ないものですよ、と主張しているような見た目に、シズクは最初何かのポケモンが道具に擬態しているものだと思って反射的に電撃を放った。
結果、その得体の知れないものは電気で黒焦げになった。ポケモンではなかったようだが、道具であったとしても拾うものはいないだろう。
「あれはベトベタフードって言う道具なんだよ」
「ベトベタフード?フードなんて言葉似合わないけど」
あれがフードなんて呼ばれているのか、と意味わからないと言いたげな顔でシズクが顔を顰めた。初めて見たら皆そんな反応をする。ケンジだって最初はそうだったのだから。
「俺達、探検中にお腹空くことよくあるじゃん?大体皆林檎とかグミとか持ってきてるけど、それが足りなくなることもよくあることなんだよ。
森とか草原とか、洞窟とかもそこそこかな、そういうダンジョンには林檎とかいっぱい落ちてるけど、こういう砂漠のダンジョンにはあんまり落ちてないんだよ。
それで、お腹空くと技を使うエネルギーが枯渇するわけだから……敵ポケモンにしてみると格好の的なんだよね。そうなったらもうほとんど命は無いというか。
だから、そのため……というにはあれなんだけど、そういう時にベトベタフードを食べるんだよ。砂漠にもよく落ちてるからね。ただ、見た目の通り美味しくない上に、お腹が満たされる代わりになんらかの状態異常になるんだ。
救済措置ではあるものの、代償が大きいというか……まあ、俺はそんなことが無いように願うけどね……」
「へえ………。こんなもの食べる馬鹿いるわけないと思ってたけど、事情はあるものね……」
食糧は大事だ、と改めて二匹は思った。空腹で死ぬか、ベトベタフードで死ぬ思いをするか、どっちがマシかと聞かれても上手くは答えられないだろう。死ぬのは嫌だが、だからと言ってベトベタフードを食べるくらいなら死んでもいいと言うポケモンはそこそこにいるのではないだろうか。
そうこうしつつ進むと、目の前にあの見慣れたガルーラ像が現れた。ということは、中間地点だということだ。敵が来る心配のない場所で、少しほっとして身体の力を抜く。
「ここが中間ってことはまだあと半分あるのか……長いダンジョンだね」
「そうね。ここで体力溜めておかないと」
二匹は近場の岩に腰掛け、林檎は勿体ないとの一致した意見に基づいて拾ったばかりのグミを二、三個齧る。十分な栄養補給になるものの、林檎と比べればやはり物足りない。
だが、ベトベタフードの存在を知ったため、食糧を節約したいという思いがかなり強くなった。
少しの休憩を取り、またすすみだす。
中間地点を抜けると、ポケモン達が皆少しずつ手強くなっていた。目の前に現れたバンギラスやヒホポタスがそれを体現している。
「シズク、無理しないでね」
「あんたもね」
シズクはバンギラスを見据え、繰り出された悪の波動を軽々と避けた。同心円状に広がる真っ黒な攻撃は、シズクの避けた場所まではギリギリ届かない。
素早さではこちらが勝っている。シズクは電光石火で背後に潜り込むと、アイアンテールで首根っこを叩きつけた。
首はどんな生き物でも急所になりうる。ふらついたところに十万ボルトで追い打ちをかける。倒れたか、というところで急に振り返ったバンギラスは、その鋭い歯でかみついてきた。
「っつ……!」
完全に避けきることは出来ず、肩のあたりにざっくりとした傷ができた。鋭い痛みが襲うが、今は考えてはいけない。狼狽えることなく次の攻撃を横っ飛びで避け、尾をばねにして飛び上がる。空中で十万ボルトを当てると、今度は倒れてくれた。
着地して、すぐさまオレンの実の汁を傷に垂らした。ひりひりした痛みの後、すぐに楽になる。
ケンジは、素早くないヒホポタスの周りを電光石火で駆け回り、的確に攻撃を当てに行っていた。
ヒホポタスの厄介な技は砂地獄だ。流砂のようなものが足元にぽっかり現われ、飲み込まれそうになった時は戦慄した。流砂のように、下に何がある訳でもない。飲み込まれたらどうなるかわからない恐怖に、下に向かって思い切り波動弾をうって飛び上がり、難を逃れることが出来た。
着地したところで、また波動弾をヒホポタスに向けて打つ。ほぼ一撃必殺だった。避ける間もなくヒホポタスは吹っ飛ばされ、岩にぶつかり意識を飛ばす。
そして、そこから進んだところすぐに、階段を見つけた。ほっとして進むと、明らかに空気が違うところに出た。
ダンジョンの最奥部だ。ダンジョン内とは全く違う、ひんやりとした、澄んだ空気。なんだか、神聖な感じだ。
上から垂れ下がっているいくつもの鍾乳洞が、ぽとりぽとりと雫を落としている。それが湖や水たまりにおちる軽い音がいくつも鳴り、洞窟に反響している。
その中央には、大きな湖があった。水晶のように美しく、サファイアのように青い湖は、鍾乳洞から落ちる雫で揺れる波紋を創り出していた。その波紋も銀色で輝いていて、綺麗としかいいようがない。
「……シズク、あれ………」
「……ええ、そうね」
湖の真ん中に、ドームのような青緑色の光があるのが見えた。あの光は前に一度だけ、見たことがある。霧の湖の、時の歯車があった場所だ。
間違いない。ここが、時の歯車の隠し場所。
ここにまだ歯車があるということは、盗賊アルファの手は及んでいないということだ。二匹はほっと息を吐き出して、歯車をもっと良く見ようと近くまで寄ろうとした。
その時、火が吹き消されるように……辺りが、ふっと暗くなった。