#126 秘密の裏側
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ねえ、あなたはどうしてそんなに悲しそうなの?
ねえ、あなたはどうしてそんなに苦しそうなの?
どうして、そんなに泣いているの?何をそんなに、悔やんでいるの?
そして、垣間見えるその憎悪と快楽は一体何?
全部、全部、私のせい?それとも全部、あなたのせい?
どうかちゃんと話してよ。どうか、ちゃんと教えてよ。
あなたのことが知りたくてたまらない私と同じで、あなたも私のことを知りたいんでしょ?
ねえ、私の理解者であるあなた。
話すだけではもうこの気持ちを隠せない。
どうか教えて。___あなたは、誰?
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太陽はもう西の空に姿を隠していた。陽の光の残り火が、淡い水色の空にぼんやりとした橙を残している。薄い雲も、もうすっかり桃色だ。
帰路につく探検隊の面々や、立ち上る夕餉の煙から香る匂いに胸を高鳴らせ家へと帰る子供たちの姿が目につく。もうそんな時間か、お腹すいたなあ、とかすり傷だらけの身体でケンジ、シズク、ナイトの三匹は依頼を終えてトレジャータウンを歩いていた。
バッグから覗く水のフロートの煌めきが、夕日に照らされて地面に光を落としている。依頼達成の開放感、戦いのあとの疲労感、空腹感に苛まれて、今すぐギルドの食堂に飛び込んで腹いっぱい木の実を頬張りたい気分だが、依頼主に会わなければ本当の依頼達成とはならない。特に、今回の件に関しては。
「ナイトさん、今日は本当にありがとうございました!ナイトさんが来なかったら俺達今頃どうなってたか………」
「いえいえそんな。自分が気づいたことで誰かが救えるのなら、率先して行動するのが探検家ですから」
ナイトの受け答えに、ケンジはきらきらと目を輝かせた。かっこいいなあ、すごいなあ、という彼の心の声が聞こえてきそうだ。
そんなケンジの様子に、シズクは呆れたように溜め息をついた。今回のことに感謝はしているしナイトの実力も尊敬に値するとは思っている。けれど、どこか相容れないのは変わらない。そもそも、ケンジの様にあからさまに人を尊敬している態度を出すことが苦手なのだから。性格上仕方ないこともある。
「ラルとルリアはどこにいるかなあ」
「私がトレジャータウンにいた時はカクレオン商店にいましたが……」
「あ……あそこじゃない?」
人混みの中に艶のある水色の尾を見つけたシズクは、そこを指さした。カクレオン商店で探検隊をの帰りを待つ幼い二匹の姿がそこにはあった。
「……あ!!帰ってきた!」
こちらに気づいたルリアが嬉しそうに手を振る。ケンジはそれに笑顔で答える。
「遅くなってごめんね。こんなに待っててくれてありがとう。
はいこれ、水のフロートだよ。どこも傷ついてなければいいんだけど……」
ケンジはバッグから水のフロートを取り出し、ルリアに手渡した。きらきら、と蒼い光を飛ばす。
「ありがとうございます!!お兄ちゃん!水のフロートが帰ってきたよぉ!!」
「ルリアを助けていただいた上に今回もまた……本当になんてお礼を言えばいいのか……本当にありがとうございます……!」
「そんな、俺たちは当然のことをしたまでだよ。そんなに頭を下げないで」
「そうよ。それに今回の件は、ちょっと私たちの私怨もあったわけだし……探検隊として当たり前のことをしただけだから」
こそこそと逃げていったドクローズの面々を思い出して憂鬱な気持ちになりながらシズクもそう答える。なんだか先程のナイトの台詞を真似しているような言葉になってしまったが、本心からの言葉がこうなのだから被るのは仕方が無いだろう。
「それに、お礼ならナイトさんに言ってよ。ナイトさんがいなかったら、俺達もきっとやられてた」
「急に飛び出していったのにはそんなわけが……!本当にありがとうございます!」
いえいえ、と少し照れた様子で返すナイトに、カクレオン商店の二匹、ルリア、ラルが尊敬と感謝の眼差しを向ける。
「助けていただいたことに変わりはないです。お礼を言っても言い尽くせないぐらい感謝しています……三匹とも、ありがとうございました!」
もう一度、ラルとルリアがぺこりと頭を下げた。その様子をグーンとピールが穏やかな目で見守る。探検家として生きる醍醐味はここにあるのだなあ、と、いつも思う。
「いやあ、流石はナイトさん、そしてチームガーネットですねえ。実力は噂以上です!」
一通りの会話が区切れたあと、カクレオンのグーンが崇拝の目でナイトとチームガーネットの二匹を見つめながら零した。
噂が多彩なトレジャータウンで、一体自分たちはどのような噂として語られているのか、シズクは少しばかり気になる。
「本当にすごいと思いますよ!今回の依頼もすぐ完遂させたし……それに、以前ルリアちゃんを助けた時!なにがすごいかって、ルリアちゃんが一体どこに連れ去られたかすぐに突き止めて、あっという間に救出しましたし!」
「嗚呼、あの時は本当に、一歩遅かったらって思うと……あんなに早く居場所を突き止めたことは本当にすごかったです!」
いつのことかと思えば、誘拐されたルリアを助けにトゲトゲ山に行った時のことだ。たしかに傍から見れば一瞬で場所がわかったように見えるが、あれはシズクの能力に頼りきっていただけのこと。
褒められることも尊敬されることも嬉しいが、あの謎めいた能力の正体が未だに掴めないせいで少しもやつくのも正直なところだ。
シズクも、「嗚呼……」と少し困った顔をしながらケンジと顔を見合わせる。
「あの時のことは……なんていうか……」
「本当に瞬時に場所がわかったっていうんならかっこいいんだけど……ちょっとちがうんだよね」
「……違うとは、どういう?」
この話題に興味を持ったらしいナイトが、ケンジに先を促す。シズクに「いい?」と確認をとってから、ケンジは話を続ける。
「えっと、ルリアの居場所を突き止めたのは、その時偶然シズクが見た夢のおかげで……」
「夢というか、映像というか?まあ、なんかそんな感じのやつよ」
「夢……映像……それは具体的に、どんな?」
頭いっぱいにクエスチョンマークを浮かべるカクレオン達とルリア達を置いてけぼりに、妙にこの話題に乗ってくるナイトが更に質問を重ねた。どうしてそんなに知りたがるんだろう、と眉を顰めるシズクとは反対に、ケンジは何か思いついたような目をした。
「……あ、そうだ!ねえシズク、ナイトさんならシズクのこの事わかるかもしれないよ!
何かに触れた瞬間に目眩に襲われて、過去や未来の出来事が見えるって感じなんだけど……」
「そ、それは………!」
ナイトが見るからに動揺している。ナイトを完全に信用しきっていないとはいえ、自身のこの奇妙な能力の正体を、少しでも知りたい。そういう思いから、シズク自身もナイトの返答に期待してしまっていた。
「それはもしかして……『時空の叫び』では!?」
「えっ……?『時空の叫び』??」
聞きなれない単語に一同首を傾げる。訳分からん、と面々は頭の中が更にこんがらがっていく。
「ナイトさんは、そのことについて何か知ってるの?そしたら……もしかしたら……ねえシズク、ナイトさんにシズクのこと、聞いてみようよ!知ってるかもしれない!シズクのこ記憶のこと、映像のこと……それに、目の変色のこと」
「そ、そんな偶然……」
あるわけない、と言いたかったが。もしかしたら目の前のナイトが、記憶を失う前の自分を知っていたとしたら。霧の湖で感じたあの不確かな感覚ではなく、事実を知っているのならば。それを知りたいという欲求は、どうしても抑えきれないわけで。
「いいよね、シズク?」
「………ええ」
「ねえ、ナイトさん。少し相談したいことが………」
◇◇◇
ザザァン、と揺れる波の音が静かに鼓膜を打つ。夕焼けに染まった浜辺に、今日はあの幻想的な泡を吹き出すクラブたちはいない。波の残滓が砂浜に銀色の粒をおとしていく中、濃い影を落とす三匹のポケモンが一つの岩のあたりに佇んでいた。
ギルドに入ってからというもの、海岸に来ることが滅多になくなってしまった。始まりの場所である此処に、既に懐かしさすら感じてくる。塩辛い風を嗅ぎながら、シズクはかつて自分が倒れていたところを見下ろしていた。
「……なるほど、ここに倒れていたわけですか」
「そう。丁度……この辺に」
ケンジの指さす先に、当たり前だが既にシズクが倒れていた痕跡は残っていない。
「それであなたはここで気が付き……でも、それ以前の記憶は失ってしまっていた、と。そういうことですね?」
「……ええ、そうね」
「記憶全てを失っていたのですか?例えば名前や……自分の種族、その他の知識など……」
独り言のように質問を零していくナイトは、しゃがみこんで辺りの砂を弄ったりしていた。なかなかこちらに顔を向けない様子を、少し気味悪く思うシズクだが、ケンジは全くそんなことを感じていないでペラペラと喋り続けている。
「いや、名前とかは覚えてた。あと……知識とかもちゃんとあった。それと……自分は人間だったっていうこと」
「……ぇ……人間ッ!?」
まあ普通はそういう反応だろうな。シズクはナイトの驚き様に少しばかり溜め息を零す。こんなポケモンだらけの世界で、人間とだなんて。最初、よくケンジは信じてくれた、とばかり思っていたのは嘘ではない。
「俺もびっくりしたなぁ……いきなりそんなこと言うんだもん」
「しょうがないでしょ。私の中の常識だったんだもの」
不貞腐れたような彼女に、笑顔で頭をぽんぽんと叩く。すぐに手を引っぱたかれるがそれもいつものことだ。
「人間、といっても……どこからどう見てもポケモンの姿ですが……」
「うーん、そうだよね。……あと、もうひとつ聞きたいことが」
「?何でしょう?」
もうひとつの、聞きたいこと。シズクの目の色が変わることについて、彼女自身が話し始めた。青、紫、虹色に光る眼のことを。
「……それについては、申し訳ありません……私は、何もわからない」
「そうですか……」
少しばかり落胆したが、それが普通だ。そんな簡単に、謎が判明するわけではないだろう。
「時空の叫びを持つ人間……か……すみませんがあなたは……名前は覚えていると言いましたね。その名前を……参考までに、教えて頂けませんか?」
「名前?……シズク。シズク・サファイア」
「……!シズク、さん……ですか。
………ありがとうございます」
「………何か、わかったの?」
不自然な間に、ケンジが純粋に聞き返した。しかししばしの沈黙のあと、ナイトはゆっくりと首を横に振る。
「いえ、残念ながら何も……」
(…………あれ)
何か、違和感を感じた。
何だろう。雰囲気?形?なんとなくだけれど。ナイトの顔が、歪んだ気がした。口角が、上がった気がした。確かに、笑った気がした。
一瞬のことだった。それでも違和感は尾を引く。けれど、真剣な眼差しで何かを考え込んでいるナイトの顔を見れば、それは気のせいだとしか考えられなくなる。
(なんか、変だ)
何かが、おかしい。
淡々と続く会話の中、シズクは一人切り離された世界にいるような感覚になった。何かが変だ。でも、何が変だ?わからない。けど、違う。
今この瞬間私は、何か見ていけないものを見てしまった気がする。いや、それとももしかしたら、してはいけないことをしてしまったような気がする。
何故だか、そんな思いに囚われてしまった。