#123 無くし物
***
「やはり……やはり、信用するべきではなかったのですね」
ギルドから遠く離れた秘された場所。月明かりの照らす静かな水面。浮かび上がるごつごつとした岩。そして水中に宿る時の光。神秘的な湖に背を向け、ユクシーは眼を瞑った状態ではあるが目の前の『敵』をはたと睨み付けていた。
サイコキネシスもはね除けられ、動きを止めることができない現状で、記憶を抹消できる可能性は格段に減ってしまった。霧の湖の守護者、ユクシーのマルヴィナは、先日此処を訪れた探検隊への憤りとすぐそこにいる圧倒的な力を持つポケモンへの恐れで板挟みになっていた。
傍らには、とっくのとうに倒された幻のグラードン。幻といえど強さも精巧に造ってあったはずのグラードンを瞬殺。その時点でそのポケモンの力は尋常ではないことがわかっていた。
「こんなにも早く……別のポケモンがやって来るとは……しかも、今度は本当に時の歯車を盗みに来るとは……!
やはり、あの者達の記憶は消しておくべきでした」
少しの情に流され、記憶を消さずに返してしまった彼らのことを思いだし、悔しげに歯噛みする。後悔しても遅いことは分かっているが、あの時に戻れたら、とこの瞬間何度思ったことか。
「何を話しているのか分からんが……」
殺気を丸出しにするマルヴィナと対峙する一つの影は、彼女と反対に冷静だった。緑の体色、鋭い葉、冷たい光を宿す黄色い眼、ジュプトルのリハンデ。爛々と煌めく歯車の光を視界に入れながら、動くタイミングを図る。
「お前の話している奴等と俺との関係性は全く以て無いな。俺は、誰かに聞いて此処にきたわけじゃない。俺は、此処に歯車があることを、前から知っていたのだ」
「!?……な、なんで……」
聞いた訳じゃないのなら。どうやって知ることが出来たのだろう。実は何処かから情報が漏れていたのかもしれない。マルヴィナの一瞬の戸惑いを、見逃すリハンデではなかった。
マルヴィナが反応するよりも早く草を操り、リーフブレードを小さな身体に当てた。力は歴然だった。攻撃された場所からみるみるうちに体力が削られるなか、リハンデが軽い動作でマルヴィナの横を通りすぎていく。
「それを……取っては………」
「三つ目の歯車は貰っていく。歯車を取ったらこの湖の時は止まるのは、守護者なんだから流石に知っているだろう。
……早めに、逃げることだな」
リハンデから発せられる警告の言葉が、挑発に聞こえて仕方がなかった。悔しさに身を捩るが、思うように動いてくれない。
颯爽と湖に飛び込んだリハンデが、淡く光る歯車を手にするのを、黙って見ているしかなかった。
リハンデが歯車を包み込むように取ると、光はぴたりと途絶えた。それから数秒後、湖のさざめきがだんだんと止まっていく。霧の湖の時が止まり始めた。すぐに此処は生き物の気配すら感じられない、冷たい灰色の世界に変わるのだろう。
時が、また一つ欠けた。
***
二つ目の時の歯車が盗まれたと伝えられた夜、またもや歯車に盗まれたということも知らず、シズクとケンジは爽やかな日光を浴びながら眼を覚ました。
いつものように朝礼を終え、いつものように依頼を探しそうと梯子へ向かう。
「今日はどうする?」
「いつも通りでしょ」
バッグを見ながら二匹はだらだらとラペットの前を通りすぎた。ラペットは勿論、そんな気の抜けた弟子をじろりと横目で睨み付けるが、彼らは慣れた様子でスルーした。
「そういえば、スティはどうだろ?昨日は来なかったけど」
「まあ、来たければ来るし気分が乗らなければ来ないんじゃない。気まぐれっぽいし」
「シズクも気まぐれだよね」
「あんなのと一緒にしないで」
「ごめん」
「何?どうしたって?ふむふむ………ん、そうか。じゃあちょっと待っててくれ。
おーい!チームガーネットの二匹ー!!!」
突如、見張り番であるリナーとタッグを組んで仕事をしているノンドの大声が室内中に響き渡った。すぐそばにいたのにそんな大声で呼ばなくても、と心のなかで悪態を付きながら、二匹は急いで彼のもとへ駆け寄った。
「何か用?」
「どうしたの?何かあったの?」
「それがどうやら、お前達にお客さんのようだ」
お客さん?とケンジが首を傾げる。自分たちのところにお客さんが来るようなことは何もしてないけれど、なんで?
「なんでよ」
「いや俺が知るかよ!
……ギルドの入口で待ってるらしい。仕事の前に、ちょっと行ってきてくれ」
面倒くささに舌打ちを漏らすシズク。ノンドも、彼らに伝え終わってからは早く仕事に戻りたいそうで、それ以上の質問に答えてくれる様子もない。
「……よくわかんないけど、とりあえず行ってみよっか」
「はあ………わかったわよ」
***
朝日が少し、眩しかった。
空は鳥ポケモンが飛び交っているし、木々がざわめく音はいつだって軽快だ。地面から漂うちょっとした土臭さも、今じゃ日常だ。
俺達は、ノンドに言われた通りそのお客さんとやらと会いにギルドの前に姿を現したところだった。お客さんなんて全く検討が付かなかったから、一体誰なんだろう、と頭のなかで模索しながら進んできた。
今、俺達の目の前にいるのは、あのサンダース、ビアンだった。
そうかもしれない、とは思っていたのかもしれない。けど、かなり驚いた。シズクに過去のことを話したあとだからか、トレジャータウンで最初に会ったときより嫌悪感は強くないが、それでもまだ抵抗がある。
「よお」
「………」
「……?あれ、この前の……?」
一言ぽつりと呟いてから、シズクは何かを察したような表情になった。聡い彼女はもう分かったのかもしれない。俺が心を許せて、かつ意気投合していて、そして喧嘩ともいえないような喧嘩をして、別れたサンダースだということを。
「随分会ってなかったな。何年だ?」
「さあ、な」
「この街で会って、全然話さなかっただろ?だから、ちょっとゆっくり話をしたくて」
「………そっか」
最初よりも、俺の雰囲気が柔らかいことに気づいたのだろう。サンダース──ビアンは、旧友に話すような物腰で言葉を繋げてくる。
………向こうは、旧友だと思ってくれているんだろうけど。
「あんたは、確か……ビアン、だっけ」
「お、俺のこと話してくれたの?ケンジ」
「俺の過去を話すとき、どうしても必要になっただけだ」
「はあ、なるほどね。
しかし……ケンジが探検隊やってるなんて、心底驚いたよ。こんな可愛い子パートナーにしちゃってさ。シズクちゃん、だっけ?スティに聞いたけど」
突然飛び込んできた聞き覚えのある名前に、俺はぱっと顔を上げた。
「スティを知ってるの?」
「嗚呼、昨日、道場で会ってさ。意気投合して、色々教えてもらったよ。君達のこと」
「ふーん、そう」
「え、ビアンさ、まさか俺達のチームに入れてくれって言う訳じゃないよな?」
「え?ぁ、あー、うん。まさかそんなことは」
「だよね」
「入りたいっつっても、あんた電気タイプで私と被るから即却下」
「いや、ぜんっぜん入りたくないですはい!」
別に怒っているというわけではないと思うのだが、いつもと同じく鋭い彼女の蒼い眼に睨み付けられ、ビアンは必死に謝っている。なんだろう、もう関わるのも嫌だったはずなのに、何故だか楽しく思えてくる。
「シズクと俺、二匹だからこそのチームガーネットだからね!」
「……ちょ、くっつかないで、きもい」
「ごめん!」
「………まあ、あながち間違いでもないんだけどさ」
「シズクツンデレ!可愛いね!」
「……やっぱ、お前変わったな」
「え?」
呟いたビアンの低めの声に、振り向いた。まるで子供を見守る親のような柔らかな目線で此方を見つめている。口元に浮かんでいる微笑は、とても優しげで。
「お前、全然こんな感じじゃなかったじゃん。もっとクールでかっこよくて……どうしてこうなった?」
「……まあ一種のキャラ変、みたいな……?この期に」
「何だそれ」
変われる変われないは、つい最近まで俺が気にしていた問題だった。シズクとの喧嘩でもう悩むことはなくなったが、あの性格から変われたのかと認識できると、やはり少し嬉しくなる。
「変わったと言えば、シズクもすごい変わったんだよ!最初俺と会ったときはツンデレじゃなくて最早ツンドラだったけど、今や結構デレてくれて……」
「うっさい」
ぺしんっという軽快な音と足付近に感じる少々ヒリヒリした痛みに、俺は少し顔を歪めた。その光景にビアンは笑っている。
とても平和な、光景である。
***
「ところで二匹はどうやって出会ったんだ?」
「……あー、それは………」
先程のツンデレ……否、性格が変わった云々の話に一段落つくと、ビアンが何事もなさげに彼らに訪ねてきた。ビアンにとっては何でもない質問だろうけれど、それを聞かれるのは二匹にとって………特にシズクにとってキツイ質問である。
答えにくいという範疇ではない。真実を言ってしまえばどうなるかわからない。たとえビアンだとしても、だ。
「………?」
「えっと……」
「あ、シズクさんにケンジさん!」
答えられない質問から反れるチャンスは意外と早くやって来た。どうにかしてでまかせを言おうと開いた口は、突如響いた幼げな声に塞がれる。
声の方を見ると、それはあの兄弟、ラルとルリアだった。小さな身体を弾ませ、息を切らしながら急いで此方へやって来る。
「よかった、お仕事へ行く前に間に合って………」
「えーと……どちら様?」
「えっとね、俺達が依頼で助けたことのある兄弟だよ。マリルの方がラルで、ルリリの方がルリア」
「おお、友達?俺はケンジの旧友のビアン」
「あ、ケンジさんのお友達ですか!」
「……で、どうしたの?」
逸れかけた話を元に戻すため、シズクが冷静に話の軌道を戻す。ビアンに挨拶をしていた二匹は、はっとしたようにシズクの方に顔を向けた。
「………実は僕達、チームガーネットにお願いをしに来たのです」
「お願い?」
「そうです。どうか水のフロートを、取ってきてほしいのです!」
「水の……フロートを?」
依頼の違和感に二匹は眉をひそめる。
「水のフロートってたしか、君達が探してたものだよね?ナイトさんが言ってた、貴重なやつ……。
でも、海岸に落ちてたって言ってたよね?それならどうして……」
「そうなんです。街の人に聞いたから、皆さんと話したあとすぐに海岸に向かったんです。
ですが……水のフロートは既に無くて、代わりにこんなものが……」
ラルがバッグから取り出したものは、文字の書かれた紙だった。おそらく手紙、だろうか。受け取った紙は磯の香りが漂ってくるものの、海岸にあったわりには濡れたり湿っているような形跡は残っていない。ラル達がこの手紙を見つけるすぐ前に置かれたものなのだろうか。
「これは……紙切れ?何か書いてあるけど……」
「読んでみせて」
「うん。分かった。……
『海岸にあった水のフロートは、我々が預かった。取り返したかったらエレキ平原のの奥まで来い。
しかし力の弱いお前達に、果たしてそこまで来ることが出来るかな?ククククッ無理ならせいぜい頼もしい仲間に頼むこったな。ククククッ』
……だって」
「……脅迫みたい、というか脅迫じゃねえかこれ!」
「そうだね。……まあ、んー………」
明らかに脅迫状。しかしこんな小さな子供に大の大人が脅迫しているという事実には正直あきれる。それに、ケンジとシズクにはこの脅迫状を書いた犯人に、心当たりがあった。その意味も含め、二匹な目を見交わす。
「これ、絶対……」
「うん、あいつらだよね………」
独特なあの笑い声をそのまま文に書くというのにも笑えるが、それは逆に手掛かりになる。こんな可笑しな笑い方をするなんて、一匹ぐらいしか知らない。
あの小癪な探検隊、ドクローズのリーダー、ミグロだ。
「これがあいつの書いたものだとしたら、『せいぜい頼もしい仲間に頼むこったな』というところも分かるわね。きっとあいつらはラル達と私達の話を何処かで聞いていて、私達の関係を知った。ラル達に何か困ったことがあったら私達のとこに来ることも。
つまり実質の狙いは私達ってことね。……ほんと、どこまでも救えない奴等」
呆れながらはあっと溜め息をつく。
「……知り合い、なのか?これを書いた奴等と」
「うーん、知り合いっていうか……因縁の相手、みたいな。なんだかわかんないけど俺達に目をつけて嫌がらせしてくるから……うざったいったらありゃしない。
何にしろ、君達は絶対に行っちゃだめだよ」
「で、でもっ……!」
行くのが危険だということは、わかってはいた。理解しているはずなのに、ラルは抵抗するように二匹を見上げている。
「水のフロートは、とっても大切なものなんです。だから絶対に取り戻したい。けど、ルリアを危険な目には合わせられないし………」
「ルリアも、一緒に行くって言ったんだよ!」
「お前はまだ無理だよ。怖い目に合わせたくないんだ。
なので、僕一匹でエレキ平原に行ったんです。でもあそこは電気タイプのポケモンが多く相性も悪くて……それにレベルの高いダンジョンだったので、ろくに戦闘訓練もしていない僕なんかが太刀打ちできるはずもなく………だから何度行っても倒されちゃうんです。
僕は弱い自分が悔しくて……」
心底悔やむように涙目でこぼすラルを見て、二匹の気持ちは決まっていた。あの脅迫文を見たときから決まっていたようなものだ。ケンジは優しく彼らを見下ろす。
「大丈夫。俺達が、必ず取り戻して見せるから」
「ほ、ほんとですか!?」
「勿論!だから、もう泣かないで」
「はい!うっ……でもすみません。ありがとうございます……!」
「もう、泣いたり喜んだりで顔がくしゃくしゃだよ」
「……そんなに大事なものなのね」
貴重な物だからこそ、取り戻したい訳ではないのだろう。きっと水のフロートという物に、彼らの思いがこもっている。それを無下に踏み潰すドクローズは、相も変わらず最悪なチームだ。
「それじゃあちょっくら、バトってきますか」
「一発殴らなきゃ気が済まないわほんとに」
水のフロートを取り戻すという口実を元に、もう一度奴等に一矢報いたいという執念のある彼らは、妙に好戦的な気持ちを胸にエレキ平原へと向かっていく。