#120 二匹の落とし物
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ギルド内は、静まり返っていた。街の誰もが寝床につき、幸せな夢を見ている頃だ。辺りを照らす光と言えるものはギルドの脇に物静かに立っている松明と、夜空から下界を見下ろす月ぐらいのものだった。
とても、静かだった。
「あ、兄貴ぃ………遠征では見事にやられちまいましたね………うう」
「クククッ………全く、パティには参ったぜ。このままじゃ気が収まらねえし…………なんとか仕返ししたいところだが………。
でも、あのパティが相手じゃぁ、正直お手上げだぜ………クククッ………」
痛くなるほどの静寂を破るものがいた。僅かに擦れた土の音がしたすぐあと、声が聞こえてくる。見るからに毒々しい色を宿す三匹のポケモンだった。彼らは、遠征以来蒸発したと思われていたドクローズである。遠征先であった霧の湖からこのギルドまで来るのに、非常な困難を強いられたようで、体毛が所々茶色く汚れている。それでも三匹は相変わらずの笑みを顔に張り付けてギルド前に現れた。
「ケケッ。それでもなんとか仕返しできないですかねぇ………」
彼らは、霧の湖寸前にて、自分達が騙していたと思っていたポケモンに逆に騙されていて、一瞬で戦闘不能にさせられた上、その場に置き去りにされたことでプライドがかなり傷つけられていた。だが、ギルドの親方であるパティの実力は身を持って知っているため、仕返しをしようにも手を出せない状況にある。だが、何か仕返ししたいという執念のもと此処まで戻ってきたことは称賛に値する。
「へへっ、こうなりゃ腹いせだ。パティの代わりに、せめてガーネットの奴等に復讐できれば…………」
「おっ、それはいい考えだな!」
「ケケッ、ガーネットなら弱っちいしな」
「早速帰って作戦を練るぞ」
リーダーであるスカタンクのミグロが一声放つと、行きよりも更にニヤつきを増した三匹はのしのしとその場を去った。
それを見ている者はいない。月と星でさえ、無機質に佇んでいた。
***
物音で目が醒めた。
空を見てみると、まだ完全に日が昇りきっていない早朝だった。山の稜線の向こうから、ほんのりと青い光が覗いている。早起きの鳥ポケモン達が空を横切って飛び去っていった。
欠伸混じりの溜め息を一つ漏らすと、フライは寝惚け眼を擦りながら上半身を起こした。被っていた毛布がずり落ち、蔦の尻尾がぴょん、と姿を現す。頭をはっきりさせるのにしばらく掛かった。ガタガタ、という音に妙に意識が覚醒されてしまったが、いつもならこの時間帯はぐっすり眠っている頃だ。しかし、一度起きてしまえば二度寝が出来るような体質ではないフライは、目が冴えてきてしまえばずっと起きていることになる。
もう一つ溜め息をつきながら、小さな手をかさかさとした触感の藁に置いた。そして、不機嫌になる。全く、暖かい寝床の中でせっかくいい気分だったのに。苛々としながら、それでも再び寝ようとは思わなかった。
さて、一体自分を起こした物音は何なのだろうか。しばらく経ってから、フライは音の出所を探そうとした。………探すまでもなかった。原因は、サンだ。
チームエメラルド共用の部屋には、フライとサンそれぞれに机が一つずつと、フライ用の小さな本棚が置いてある。フライは、本を読むことを日課にするほど読書家ではなかったが、ここ周辺の歴史や地形に興味を持ち、それに関する本をいくつか買いためていたのだ。他に、伝説に関する本も何冊かあるが、最近はあまり開かれていなかったらしく、どれも埃を被っている。
その本棚から、本が雪崩のように地面に落ちていた。そうしているのは勿論、サンである。というか、サンしかいない。彼女は、後ろ足だけで立って、上から下まで本棚を漁り続けていた。ガタンガタンと本が落ちていき、積もっていた埃は舞い、ページは落ちた衝撃で開く。それを気にすることなく、サンは本を踏みつけながら何かを探していた。
「……………サン?」
恐る恐る、フライが呟くように声をかけるとサンはぴく、と動きを止めた。それからフライの方に振り向く。笑顔だった。
「何?」
「いや、それは此方の台詞………というか。………何やってるの?」
彼女は誤魔化すように微笑んだ。相変わらず柔らかい笑顔だ。少し時間を置いたあと、サンが口を開いた。
「……急に、興味を持ったことがあって。そのせいで全然眠れなかったんだよ。それで、そういえばフライってなんか色々本持ってたな〜って思って、探してたの」
「………ふーん……」
そのわりには探しかたが乱暴ではなかったか、そもそも一体何に興味を持ったのか、フライは聞かなかった。というか、聞いてはいけないような気がした。サンの微笑みがそんな感じだったのだ。
「じゃあ、そろそろ私はもう一回寝ようと思うんだけど」
「あ………見つかったの?本」
「うん、まあね。だからもう寝るー」
「あっそう。おやすみ。またすぐ起きることになるだろうけど」
「そうだね」
笑いながら、サンはフライに背を向けて毛布を被った。直ぐに、静かな寝息が聞こえてくる。そんな彼女の寝付きの良さをフライは羨ましく思った。
勿論、今から寝れるはずもない。時計をちら、と見てみれば、今は五時前後であることがわかった。起床時間まであと二時間ぐらいだ。サンを起こさない程度の小さな灯りをランプで灯すと、暇潰しにサンが荒らした本棚を片付け始めた。
なんだか、久しぶりに本を触った気がする。妙な感慨に耽りながら、フライは無機質な紙を捲っていった。
***
翌朝。
珍しく寝坊をしなかったケンジは、シズクに叩き起こされることも、ノンドの大声を浴びることもなく、清々しく朝礼に参加することができた。シズクの機嫌の悪さは相変わらずであったが。
パティによる一言で終わる朝礼と、毎度お馴染みの掛け声をしたあと、弟子たち全員が走ったり歩いたりしながら上の掲示板を見に行く。遠征から帰ってきてからも毎日続く、日常の風景である。
そして勿論、チームガーネットの二匹も今日の依頼を探しながら梯子へと向かっていた。
「おい、ガーネット。ちょっといいか?」
ラペットに声を掛けられた。二匹はめんどくさそうに振り向くと、とりあえず事情は聞いておこうというような態度の足取りでラペットの方に向かった。
「何?面倒事なら聞かないけど」
「………まあ、右に同じく」
「全くお前たち、いちいち失礼だな。一応私は上司なんだから少しくらい敬ったらどうだ」
「上司らしいこと一つもしてないけど」
じっとりした目でシズクがぼそっと呟いた。機嫌の悪い朝に面倒事を吹っ掛けられた際には彼女の頬袋からどのくらい放電されるのだろう。ケンジは、シズクのピリピリした雰囲気を真横で感じながらぼんやり考えていた。
「ったく………まあいい。今日は説教するために呼んだ訳じゃないからな。
さてと、お前たち。ちょっと仕事の前に一つ頼みたいことがあるんだが…………」
「やっぱり面倒事ね」
「で、頼みたい事って?」
「まあな、本当にちょっとしたことだ。カクレオン商店に行って、セカイイチの入荷予定を聞いてきてほしいんだ」
「………セカイイチの入荷予定?」
「カクレオン商店に行って、セカイイチを売り出す予定があるかどうか聞いてきてほしいってこと?」
「そうだ。理解が早くて助かる」
ラペットは満足げにうんうん、と頷く。それを見た二匹は『自分で行けばいいのに』と明らかに不満そうな表情をする。
「ギルドの倉庫には沢山のセカイイチが保管されているのは知っているだろ?」
「まあ、ね。すぐ無くなるけど」
「そうだ。セカイイチを取っても取っても、ちょっとばかり目を離すと親方様が食べてしまい、すぐに足りなくなるのだ。セカイイチが無くなると親方様は………!
かといって、セカイイチが底をつく度に、いちいち林檎の森に行くというのも面倒だし」
「それで、カクレオン商店で売り出すのならそこで買っちゃおう、という事ね。ま、賢明な判断ってとこかしら」
「いちいちダンジョン潜るの消耗するしねー」
相変わらず上司に対する口調で話さない彼らに、ラペットは内心溜め息をついたが、今は自分が何かを頼む側な為、此処はぐっとこらえることにした。嘴から漏れそうな説教の言葉も飲み込んで。
「まあ、そういうことだ。行ってもらえるか?」
「どーせ道具の補充にカクレオン商店と倉庫には行くし、別にいいわよ」
「ついでか……まあいいが」
ギルドから課せられた仕事をついでにするとは、とラペットは言いかけたが、シズクの細くなった目に思い直した。
「んじゃ、とりあえず依頼受けてから行こっか。ね」
「そうね」
「あ、依頼に行く前に、一回ギルドに寄るんだぞ。もし入荷予定が無かったら………行動するのは早い方がいいし」
「おっけー」
「めんどくさ………」
振り向いて手を振り、了承の意を示したケンジは、前を行くシズクについて梯子を上っていった。
依頼を選び終え、シズクとケンジの二匹はカクレオン商店に向かった。今日もトレジャータウンは楽しそうな空気に包まれている。天気は雲ひとつない快晴だし、気分は上がるものだ。
「………やっぱり、何処もかしこも話題はナイトのことね」
「あー、確かに。ナイトさんの名前、結構聞こえる」
カクレオン商店に向かう道すがら、飛び交う言葉はナイトばかり。ケンジはそれが当たり前だと思っていたが、シズクはそれが少しだけ不快そうだった。
「なんで皆そんなにあいつのことを崇拝するのかしら。意味わかんない」
「でも、なんてったってすごいポケモンだし。尊敬するのは普通じゃない?強いし物知りだし、優しいし」
「………外見はそうなのかもしれないけど…………」
シズクは、ナイトを初めて目にしたときのあの嫌悪感を忘れてはいなかった。そのせいかもしれないが、皆が持っているナイトの印象は全て偽物なんじゃないか、という思いを拭いきれないでいた。
会話をしていれば、すぐにカクレオン商店に辿り着いた。後ろの棚に置かれた不思議玉が、日の光に燦然と輝いている。反射した光で、少し眩しい。
店を営んでいるカクレオンの二匹、グーンとピールは、店の前にいるポケモンと何やら熱心に話し込んでいた。相手のポケモンは、巨体で足がなく、まるでゴーストのようなフォルム………ヨノワールのナイトであった。
「……あ、ナイトさん……」
ケンジの漏れた声に反応し、ナイトがゆっくりと此方を向いた。いかにも誤解されそうな見た目だが、ルビーのように妖艶に光る目元は柔らかく微笑んでいる。
「おお、貴方達は確かギルドの………」
「あ、うん。俺達はチームガーネット。パティのギルドで働いてるんだ。よろしく!」
「………よろしく」
憧れのナイトの前で溌剌と自己紹介するケンジは、なんだか少し浮かれていた。対するシズクは、警戒心丸出しで無愛想に挨拶する。
(………ガーネット……?………いや、このたかが探検隊があいつらと関わっている筈はない…………)
「それで……ナイトさんは何してるの?」
感情をなるべく表に出さないように考え事をしていたナイトは、ケンジの明るい声に、僅かにぴくりと反応してしまった。それを感じたのはシズクだけだったらしい。彼女は眉間に皺を寄せてナイトをじっと見ていたが、やがてその視線もずらしてしまった。
不意打ちには慣れるしかない、と思いながら、ナイトは愛想笑いを顔中に貼り付けた。
「いえいえ。単に、お喋りしていただけですよ」
「あ、私が呼び止めたんですよ!!」
今までナイトと話していた相手のカクレオン、グーンが、話に必死に割り込もうと大声で口を出してきた。かなり自己主張が激しく、身を乗り出していて今すぐ頭から前につんのめりそうだ。
「ナイトさんは有名ですからねぇ。そして少しお話ししていたんですけど、そしたらもうびっくり!!ナイトさん、本当に物知りで!なんでも知ってるんですよ〜」
商売人であるカクレオンの彼らも、普通は知らないようなことを知っているはずなのだが、それを上回るとは、ナイトが物知りという話はどうやら本当らしい。
「………頭がいいなら、誰かを騙すことだって容易い筈だって、どうして誰も気づかないのかしら」
「ん?シズクなにか言った?」
「……何も」
意識せずに口から零れていたらしい一言に、シズクは慌ててその言葉を打ち消した。確証があるわけでもないのに、どうしてこういう考えが次々と浮かび上がってくるのかが全くわからない。それでも何かが怪しいと訴えてくる自分の本能も否定できない。
「それにしても……やっぱり皆が噂してた通りナイトさんって物知りなんだねぇ」
「ところで……ケンジさん達はどうして来たんですか?あっ、もしかして何か買いに来てくれたとかっ!?ワクワク♪」
「嗚呼、えっと……とりあえずオレンと睡眠の種を二個ずつお願い」
「はいはい、かしこまりー♪」
陽気に音符を飛ばしながら、グーンはケンジに頼まれた物を後ろの棚から取り出した。ケンジが代金を払い商品を受け取ると、シズクが口を開いた。
「それと、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「はい、なんでしょう?」
「セカイイチが此処に入荷する予定って、ある?」
「あー、それはー……少々お待ち下さいな」
少し悩む様子でグーンは紙束を取り出し、一、二枚めくり始めた。きっと入荷予定のリストなんだろうな。とシズクは考えていた。やがてグーンは紙束を仕舞い、困ったように話し出す。
「申し訳ありませんね〜……うちの店でセカイイチを入荷する予定は無いんですよね〜」
「そっかぁ」
ラペットが聞いたら頭が地面にめり込むほど落胆するだろうが、セカイイチ関連のことは彼らには関係のないことだ。林檎の森での失敗(実質彼らのせいではない)があってから、セカイイチ調達にはできる限り行きたくはないのだ。
「ま、残念ね」
「心にもないことを……」
「ルリア、早くー!」
「お兄ちゃん待ってよー!」
五匹がちょっとした会話を交わしていたとき、幼くまだ舌足らずの声が聞こえてきた。青くて丸いボールのような身体をした二匹の兄弟、マリルのラルとルリリのルリアだ。
「あれ?ラルちゃんとルリアちゃん!」
「あ!グーンさんにピールさん!」
「ケンジさん達も!」
急いでいるようだったが、グーンの声に呼び止められ、二匹はブレーキをかけて此方に寄ってきた。きらきらとした無垢な笑顔だ。幼い子は嫌いというシズクでさえ、僅かに微笑んでいる。
「そんなに急いで、どうしたの?」
「それが、僕達ずっと落とし物を探していたんですが………」
「落とし物?落とし物って………前、会ったときに探してたやつ?」
シズクとケンジが最初にラルとルリアに出会ったとき、その落とし物を探していたが故にお尋ね者に騙されてしまったのだ。チームガーネットの初めてのお尋ね者討伐はそれがきっかけだった。今思い出せば、大分昔のように思えてくる。
「そうです。『水のフロート』っていう道具なんです」
「水のフロート?それはまた、とても貴重なものですね」
そんなものをこんなに幼い子供が持っているのか、という驚きのため、ナイトの口から言葉がぽろりと出た。それに反応したラルが、目を輝かせて頷いた。
「はい!ですので、僕達もずっと探してたんですが、なかなか見つからなくて………」
「そしたら!今日海岸で水のフロートを見たって誰かが!」
「それで今、海岸へ急いでいたんです」
「………?」
誰かの視線を感じてナイトが周りには分からないような動きで目を少し動かすと、視界の端に笑みを隠しきれないような顔で走り去る三匹のポケモンの姿が映った。見るからに毒々しい色を宿すその三匹だ。
(……この平和な街にも、チンピラのような輩はいるのだな………)
特に気にすることでもない、そう思ったナイトは目先の話題に戻った。
「そっかあ!見つかったんならよかったね。また騙されたりしないようにね」
「はい!」
「うん!」
元気に返事をすると、ラルはルリアの手を引いて、海岸へ向けて走っていった。
「………あの二匹の落とし物、ちょっと気になってたけど、でもなんか見つかったようだしよかったね」
「そうね」
「それにしても……水のフロートって一体なんなの?グーン、ピール、何か知ってる?」
「それが、水のフロートは私達も知らないんですよ〜……」
商人であるカクレオンの二匹も、『水のフロート』という未知の言葉に思わず首を傾けた。普段聞き慣れないようなワードだ。
「ナイトさんは何か知ってます?」
「水のフロートというのは、ルリリの専用道具なんですよ。貴重なお宝を繰り返しトレードすることで手に入れることができます。とても稀な道具と言われているんですよ」
「ひゃー!そうなんですか!!商売している私ですら知らないんですから………相当珍しいものなんですねぇ〜。
そんなものを私の店に入荷するなど一生無理でしょうね………」
自分の言葉で自分が傷つきながら、グーンは悲しそうに項垂れた。一方、そんなことを全く気にしなかったケンジが、グーンの『入荷』という言葉が頭の中で引っ掛かっていた。
入荷………入荷………?
「そうだ!思い出した!セカイイチのこと、ラペットに報告しなくちゃ!早くギルドに帰って依頼行かなきゃ!
それじゃ、グーンさん、ピールさん、ナイトさん、またね!」
三匹に手を振って、二匹はギルドに向けて足を急がせた。