#119 独りぼっちの物語
俺は、何を言いたかったんだろう。
整理のつかない頭のなかで、そんなことばかり考えていた。封じ込めていたはずの想い出を、心の奥底を、またほじくりかえされた感覚がしてもう泣きたくなる。なんであいつは来たんだろう。偶然だと言っていたからそんなことを考えても意味なんてないんだろうけど、どうしても意味を探ろうとしてしまう。
もう消してしまいたかったのに。もう、存在すら抹消したかったのに。どうして、そう決意すればするほど俺の過去を知る誰かが現れて、俺の昔話を思い起こさせるんだろう。嫌だ、鬱陶しい。そうは思うけど、周りが正しいんじゃないかと感じるところもある。そう感じてしまえばしまうほど、それはないと否定してしまう。俺の頭のなかは、本当に怖かったかもしれない馬鹿みたいで都合のいいことしか考えていないようだ。どうしたって変えられないんだろうけど。
シズクは、どう思ったんだろう。俺と喧嘩したとき、ランから少しは俺が経験してきたことを話されていたかもしれないけど、それでも詳しいことはまだ全然知らないだろう。でも、俺がどんな道を辿ってきたか、なんとなくは分かっているのかもしれない。シズクと俺は、お互いを知っているようで理解できていないのかもしれない。勿論出会ったときからは随分変わって、通じ合えるというか分かり合えるというか、互いに『パートナー』と認め合えるような存在にはなっている。けど………シズクは俺の過去を知らないし、俺もシズクの記憶が無くなる以前を知らない。そう考えると、なんだか切なくなる。
そろそろ話すべきなんだろう。俺がずっと隠していて、人目に触れないように消していた記憶の跡を。シズクは知るべきなんだ。ずっと一緒にいるだろうパートナーなんだから。俺だって前々から覚悟は決めていたはずだ。ただ、どうしても俺の臆病な部分が買ってしまって口に出せなかった。
あの喧嘩の後、話しても良かったのかもしれないけど、考えてみればそれはまだ時期が早いようにも思えた。否、それすらも都合のいい思い込みかもしれないな。過ぎてしまったことは仕方ないけど、あの時話していれば今はちょっと楽だったのかな、なんて。そんな現実逃避に至るほど追い詰められているのかな、と気づくと、なんだか苦笑いが込み上げてくる。
………ビアンの言うとおりだ。俺は彼女に、言うべきなんだ。このギルドに入ろう入ろうとして結局一人じゃ入れなかったあの頃の俺とは変わったんだって、勇気を出せるようになったんだって、自分で自分に示さなきゃすっきりしない。
それでも。嫌われたらどうしようとか。そんな不安は、ずっと消えない。
夕飯の間もそんな考えが悶々と頭のなかで駆け巡っていた。そのせいか木の実やらグミやらを口に押し込む手もスピードが落ちていたようでサンやノンド、ヘイライに幾度となく指摘された。その度、どこか浮わついた愛想笑いで返していたが、回数が増えてくるとシズクがそんな指摘を宥めてくれていた。いつもなら真っ先に俺を叩く筈の彼女がとった行動に、物凄く感謝した。
やっぱり、シズクは頭がいい。俺がどんな心境なのか、ちゃんと分かっている。いつもとは違う雰囲気で静かに見守ってくれている。なんか、それだけですっごいうれしい。
今は、夜。ガーネット共用の部屋で、毛布やら藁やらを整えていつでも寝られる状態になっている。濃紺の夜空と白銀に瞬く星と、そして神秘的な月が窓の外に見える。シズクは藁のベッドの上にちょこんと座りながら、窓際のサファイアを眺めていた。俺が話し出すのを待っているんだろうか。でも彼女からはなにも干渉してこない。全く、うまいな、シズクは。
「………寝る?」
「ん……んー、どうしよっかな。今、あんまり眠気無いんだよね」
「……そう」
綺麗な深い蒼の眼に見つめられ、ゆっくりと深呼吸をした。言うんだ。言わなくちゃ。多分チャンスは今しかないんだと思う。
「………ねえ、シズク。あのさ」
「何?」
「俺ちょっと、今から話したいことがあるんだけど、いいかな?」
「まあいいけど。そろそろ寝なきゃ明日も早いし、手短にね」
「うん。そのつもりだよ。簡潔にまとめた昔話にするつもり」
蒼い眼が細められて、彼女が柔らかく笑う。その様子に緊張をほぐされて、俺は大分リラックスすることができた。両手を藁について楽な姿勢を取りながら、思い返せば随分前の話になる最初の記憶をよみがえらせる。
「……えっと。じゃあ話そっか」
「…………」
紺碧の星空のもとで。俺は俺だけの記憶を言葉として紡ぎ出す。
*
今から十四年前のこと。俺は生まれた……んだと思う。確かなことは何もわからない。俺が産まれたことを知っているポケモンは、俺の知り合いに一匹もいないからね。俺がうっすら覚えてる最初の記憶は、深い森のなかだった。周りに親戚とか親とかそういうのはいなかった。何も知らなかったし、勿論親の顔も覚えてないし。物心ついたときから一匹ってこと。
完全に孤独だったわけじゃないよ。当時、まだ赤ん坊で何にもできない俺を育ててくれた森に住む穏やかな野生ポケモン達がいたから、俺は今まで生きてこられた。そのポケモン達は、俺の何かを知っていたのかな……。今じゃもうわかんないけど、でも彼らは俺のプロフィールみたいなことを、つまり身の上を……話しては来なかった。ただ、これからこの世の中で生きていくために必要な知識やら力はつけておかないとって言われて、なんか色々と鍛えられていた記憶があるよ。
それでね。なんで俺が自分の名前とか年齢とかがわかったのかっていうと……それは、俺の傍に色々書かれた紙が置かれていたからなんだ。俺は産まれたばっかりの状態で小さな籠に入れられて捨てられてたんだって。ポケモンってさ、卵から産まれてから数分経てばちゃんと自分で動ける生き物だから、そんな状態でも生き延びられたのかな。もうその時の景色が曖昧だけどさ。
で、紙に書かれていた情報っていうのが『ケンジ・リウェルジーア』って名前と『リオル』っていう種族。それと何年何月何日に生まれたかってこと。産まれて直ぐに捨てられたぽかったから、その年から数えてけば年齢は問題なかった。ちゃんと言葉が話せるぐらいになってから、周りのポケモン達に年齢を教えられたんだ。
それからもうひとつ。俺の傍に置かれていたもの。……前にも言ったっけ。なんとなく察してるよね、その顔。うん、情報が書かれた紙の他に、このオパールのペンダントが置かれていた。何故か二つ、綺麗に収まっていたんだ。なんなのかは分かんなかったけど、なんかすごくほっとするような雰囲気があって、俺は気に入ってた。森のポケモン達も気に入ってたみたい。オパールなんて高価な宝石なんだろうけど、ペンダントの形がすっごく単純な造りで吃驚したんだよね。うん、見てみて。だってほら、鉄の板に埋め込まれて麻紐でくっ付けてあるんだよ。こんなに大きなオパールを見たのも初めてだけど、驚いたなぁ。
生まれた時から今まで、オパールはずっと俺の傍にいた。俺と一緒にいた。だから、どんな生き物よりも親近感があったんだ。無機物なんだけど、親というか、友達というか、そんな感じ。あ、勿論今俺が一番大好きなパートナーはシズクだからね。
俺は森のなかで、森のポケモン達とまあそれなりに楽しく幸せに暮らしてきた。木には木の実が豊富に生るし、近くに綺麗な水のある湖畔があったから食糧なんかは困らなかったしお金もいらなかった。森のポケモン達は皆優しくて、俺がちゃんと技を出せるようになると戦い方を教えてくれたんだ。
『俺はずっと此処にいるつもりだから、こんな平和なところで戦うなんてしないはずだし、戦い方は知らなくてもいいと思うんだけど』って言ったら『いずれ必要になる力だから知っておいた方がいい』って返された。
その意味、今になったら分かる気がするな。
うん、話を続けるね。そうやって森のポケモン達と平和に何事も無く過ごしてきた。五、六歳の時点で普通に街で生活しているような市民よりも強い戦闘能力をつけてた……と思う。森のポケモン達との友情もかなり堅く築けてきてた。皆仲良くって、毎日本当に楽しかったんだ。
………そんな日々が続いてたら、俺は今此処にはいなかっただろうね。
そう、事件、というか。俺の好奇心のせいで巻き起こったアクシデントみたいなものが起きた。今でもそれは俺のせいだと思ってたけど、一概にはそうも言えなかったりしたのかな。いずれ起こることだったとは思う。
六歳とかそこらになると、なんだか妙な好奇心が沸き上がってくるんだよね。いつもとは違う何かをしたい、みたいなそんな気持ち。俺は、今までずっと過ごしてきた森の外がすごく気になった。自分がいつも暮らしてるこの森の外は一体どうなっているんだろう。何があるんだろう。好奇心はみるみる膨れ上がって、今まで満足だった生活がどこかつまらなくなった。
森の外を知りたいという想いは日に日に強くなって、いよいよ森のポケモン達の目を盗んで外に出ようということを思い付いた。簡単にいくようなものじゃないよ。森のポケモン達は、俺が外に興味を持たないようにすることに何故か必死になっていたから。だから俺はバレないように作戦を立てた。数が多いから、目を盗むのすら一苦労だった。俺は、食糧を取りに行く当番になったとき、ペアのポケモンに睡眠の種を食べさせて眠らせて、ペアが生憎眠っているので仕方なく一人で出掛けるという自然なシチュエーションを造ったんだ。
すごく浮かれていた。初めて眼にする森の外の風景を想像しては気持ちが高揚してきた。森のポケモン達は俺がちゃんと大きくなるまで育ててくれて感謝してるし、皆大好きだ。でも、少しは外の世界を見たいし、そのくらい許してくれるだろう。と、罪悪感に少々駆られながらも足を止めることはなかった。
走り続ければ、短時間でついた。それはもう、驚いたよ。森の端から開けた場所には街が広がっていたんだ。俺は今までそんなもの見たこともなかったから、それが『街』だとは分からなかった。でも、すごい興奮した。そこらを行き交うポケモン達に、立ち並ぶ建物の数々。ショーウィンドウに並ぶ見たこともない商品やポケモン達の間を交わる金色のきらきらした貨幣。美しくて、目を見張ったよ。
その街は、なんかの神を信仰している街みたいで、ど真ん中にでっかい教会があった。流石にそこは群衆が凄すぎて入らなかったけど、綺麗だった。蒼いステンドグラスとかが貼られてて、そうだなぁ、シズクの眼みたいにね、綺麗だったんだ。
煉瓦みたいなのが埋め込まれてる石畳の広場にはこれまた大きな噴水があって、大量の水が上から下へ流れ込んでた。そして、そこの広場の端に、一際市民達の眼を集めてるらしい立派な銅像もあった。なんかのポケモンを象ってたんだと思うんだけど、あんまり記憶に残っていない。その銅像に近付いた瞬間に、悲鳴が起こったからだ。
なんだろうって訝しげに思ってた。もし、なんかダンジョンの野生ポケモンが此方に溢れ出してきたのかな、みたいにそうそう無いことを考えて一応戦闘体勢を取っていた。なにかが襲ってきたときに、瞬時に対応できるように。
でも、俺や周りの市民達を無差別に襲った奴はいなかった。誰も何も仕掛けてこなかった。なんでだと思う?………それはね、その悲鳴の対象が、俺だったからだよ。
訳分かんないよね。うん、俺も最初は全然分かんなかった。でも、周りのポケモン達がだんだんと殺気を帯び始めて、俺から離れていったから、そう勘づいた。俺、何も悪いことした記憶とかなかったし、ただ皆と同じように街を歩いていただけなのに。どうして悲鳴を上げられなきゃいけないだろう。
そして誰かが、俺のことを攻撃してきた。鍛練を積んでた俺にしてはただ砂利を投げつけられたような弱々しい攻撃だったけど、それで調子に乗ったらしい他のポケモン達が次々に技を仕掛けたりただ石を投げたり、言葉の暴力を投げつけてきた。………必死に、逃げたよ。もう何がなんだか分かんなかったんだけど、それでも逃げた。時々強い攻撃もあって、かなり傷だらけになって。それで……嗚呼、ごめん。あんま思い出したくないんだけど……大丈夫。続けるよ。
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『なんでこんなところに来てるんだ!!』『この化け物が!!』『裏切り者の種族!』『この神聖なる街に対しての侮辱だ!』『神を裏切ったくせに』『もうあんなやつ、生きてる資格なんて無いだろ』『殺しても誰も文句は言わないよな』『じゃあ殺そうか』『嗚呼、殺せ!!』『消えろ』『消え失せろ!』『死んじまえ!』
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暴言も酷いものだったよ。『神への冒涜だ』とか、よく知らないのもあったけど。とにかく、街の皆は俺が死ぬことを望んでるんだな、と思うと辛くなった。聞いてるだけで存在意義が分かんなくなってきて、この五、六年、俺は本当に生きててもよかったのかな、本当は死ぬべきだったんじゃなかったのかな、それなら今此処で市民達の手にかかって死ぬ方がいいのかな、そんなことばっか頭ん中駆け巡って混乱して、反撃する隙はいくらでもあったにも関わらず抵抗しないで、避けきれなかった攻撃を何度も受けて息絶え絶えになりながら森に帰りついたんだ。
森のポケモン達は皆心配してて、その不安げな顔を見ると申し訳なさと罪悪感が募ってきた。怒られたし、俺も本気で謝ったけど、皆どこか俺に同情してる風だった。同情、というか、哀しみを湛えた表情。そして、一匹のポケモンが聞いてきたんだ。『街に出て何を知った』って。
俺が外の世界では忌み嫌われていたということ。それを知ってしまった。そう返せば、そのポケモンからは『……お前はいずれ知らなければならないことがあるが………まだ時期が早い。お前は若すぎるんだ。だから今は気にする必要はない。外の奴等に嫌われていようが、此処にいる皆はお前のことを愛しているのだから』ときた。その言葉には、大分救われた。心が軽くなった。それからはもう、森の外に出ようなんてことは二度としなかった。
それから数ヶ月が経った時、あるポケモンが一匹迷い込んできた。綺麗な毛色のザングースだった。あ、トレジャータウンにいる『チームかまいたち』のザングースとは違うよ?かなり小柄だった。そのザングースは綺麗なのに、その身体は傷だらけで泥で汚れていた。最初に見つけたのが俺だった。外に出てあんなことを経験した後だから、恐らく外界から紛れ込んだであろうそのザングースにとても警戒した。その鋭い爪を振るわれれば一瞬で切り裂かれそうだったからだ。でもザングースは弱っていて、敵意とか殺意は感じなかった。
だから俺はザングースを森のポケモン達の所に連れていって、怪我の手当てをした。そのザングースは、街の奴等に攻撃されたからこの森に逃げ込んできたんだって言っていた。俺が街に出向いて、その時襲われていたのを偶然目撃し、当人は何もしていないのに関わらず暴力を振るうなんて生き物として最低だ、って抗議してくれていたんだ。とうとう痺れを切らしたらしい街のお偉いさんが強い軍隊みたいな奴等を仕向けて攻撃してきたんだって、話していた。
見れば見るほどザングースの毛並みは美しくて、見とれてしまった。『綺麗だ』って言ったら、『ありがとう』って笑ってくれた。とても柔らかくて、優しげな笑顔だったよ。
そのザングースとは、数日しか一緒にいないにも関わらず意気投合して、毎日一緒に行動していた。俺達はすごく気が合ったんだ。戦闘でのチームワークも抜群。会話も、どんな些細な話でも盛り上がれる。そんな仲で、その頃が多分一番楽しかったかな。
けど。そんな日は、そうそう長くは続かなかった。
ザングースと出会って二ヶ月くらい経った後のことだ。ザングースとの戦闘鍛練で前よりはまた強くなってて、その頃にはもう一匹で食糧調達を請け負っていた。丁度その日は俺が単独でダンジョンに出掛けて木の実とか採集する日だったんだ。ザングースは、一応俺達の集落の中で『客』の位置にあったから、その客に食糧調達なんて仕事をさせるわけにはいかないって、俺と一緒に着いてはこなかった。俺もその判断は妥当だと思ってたから、特に何も言わなかったけど。
…………その日のことは、その日のことだけは、鮮明に覚えているんだ。一番覚えていたくないようなことなのにね。……食糧は、すごくいっぱい採れたんだ。大量収穫だったよ。そのことで浮かれて、木の実をバッグとか袋に詰め込んで弾んだ足取りで皆のもとへ戻ってきていた。久々の快挙とも言えるような大収穫をザングースに自慢して、笑い話に花を咲かせるいつもの日常が待っているに違いないって。他の可能性を、考えもしなかったんだ。
俺のいた集落は惨状だった。そこら中に散らばる、まだ若々しい葉や根こそぎ切り倒された何本もの細い木。太い樹はざっくりとした傷がつけられていて、木の皮がめくれあがって惨めにひらひらと泳いでいた。
ふかふかとした茶色い腐葉土は、いつものような温かみのある土の色ではなく、吐き気を催すような毒々しい赤に染められていて。まな乾いていない色が、赤く、黒く土に染み込んでそこらにおぞましい血溜まりをつくっていた。
何が起きているのか、分からなかった。一瞬、呆然として突っ立っていた。でも直ぐに理性を取り戻して冷静に辺りを見回してみれば、あちこちに転がっている赤を纏った物体は、俺が生まれた時からずっと一緒に過ごしてきた森のポケモン達だった。あんなに活気に溢れていたのに。あんなに楽しそうだったのに。今じゃそんな雰囲気は微塵も無くて、全員が息を絶やしたまま寝転がっていた。
生きている者が何処かにいるんじゃないか。そう思って声を掛けて回ったけど、応答するものは誰一人としていやしなかったよ。皆息をしていなかった。皆、死んでた。
死体の群れの中で、ただ一匹のポケモンだけが立っていた。死体を見ても表情を崩さず、ひたすらに冷徹な眼で、俺のことを見ていた。返り血を浴びていても、その体毛は木漏れ日で艶々と白銀に輝き、きらりと光を反射した鋼の爪が非常に美しかった。
まるでモルガナイトのような煌めきを放つその桃色の瞳と眼が合って、よく知っているはずのそのポケモンを改めてしっかりと認識する。赤黒い血で体毛を汚したまま佇むそのポケモンはザングース。俺が今の今まで、親友だと認識していた奴。
『な………んで……』
絶望だった。信じたくなかった。唯一信頼しあえた仲間だと思っていた。目の前の事実から眼を背けたかった。でも、どう見てもこの現状は俺がお互い愛し合っていた森のポケモン達をこのザングースが全員抹殺したとしか見れない。
『どうして』『なんで』。そんな言葉ばかり反芻してはぼそぼそと呟いて。泣きたくって仕方なかったな。
『…………此処の奴等は、驚くほど警戒心が無いんだな』
ザングースは俺達森のポケモンを貶し始めた。聞いたこともない禍々しい低い声だった。動こうと思えば動けたはずなのに、俺は金縛りに合ったみたいにそれを聞くことしかできなかったんだ。
『……見ず知らずの俺を、怪我をしているからといってこの集落に連れ込んで。疑うことだってできたはずだ。怪我ぐらいで同情するとは、危機感が足りなさすぎる』
『俺は最初からお前らを仲間だなんて思ってなかったよ。…………なあ、ケンジ。仲間だと錯覚してたのはお前らだけだ。阿呆みたいに腑抜けてんのな』
『こいつらは俺を『客』としてちやほやしていた。此方は最初から全員殺す気で来てたというのに。………俺は、ここより外にある街にいる市民の仲間さ。今までの全ては演技だ。俺は、お偉いさんからの『ケンジ・リウェルジーアとその仲間達を殺せ』という指令で来たんだ』
『お前が出掛けた時を狙ったのは……そうだな。お前がこの集落の中で一番強かったからだ。だから先に他の奴等を殺して絶望したお前を最後に殺る。そんな風に考えてたんだ』
『もう少しお前に力が無かったらなァ。そしたら数匹は逃げられたかもしれねえのに。俺に、こんな計画を考え付かせることもなかっただろうに』
『…………哀れだな。酷い顔してるぜ』
身体の力が地面に全部吸いとられてしまったように無気力だったのを覚えている。ごろごろと転がる死体にはなるべく眼を向けないようにして、ザングースを睨み付けていた。しばらくそうやってザングースの話を聞いていれば、心の奥底からじわじわと炎のように熱く、それでいて毒のように苦しい感情が昇ってきているのを感じたんだ。
最初はその感情がなんなのか知らなかった。否、分からなかった。嗚呼、なんだか熱いな、とそんな風に思っていた。その感情は収まることなく立ち上ぼり、メラメラと身体を燃やしていく。怯えからではない震えが、全身を駆け巡った。
その感情が『怒り』だと気づいたときには、もう身体が動いていた。
その時はまだ電光石火を覚えてはいなかったにも関わらず、ザングースよりは一回りほど小さい姿で飛びかかって闇雲に攻撃した。不意をつかれて固まっていたザングースは俺の攻撃をまともに食らっていたが、直ぐに俺のことを突き飛ばした。力が、まるで違かった。
止めを刺そうと近寄ってきたザングースに、俺はバッグに入っていた縛られの種を投げた。丁度口に入って硬直したザングースは、その場に突っ立っている状態になった。そこで逃げようと思えばできただろうな。でも、俺は逃げなかった。怒りの方が勝っていた。
初めて、誰かを殺した。
硬直状態のところで更にふらふらの種を投げて混乱状態にする。主にクロスチョップと噛みつくで相手を傷だらけにしていった。硬直が解けても混乱はなかなか治らない。そんなところに鋭利な牙を食い込ませたり、腹や顔を殴りまくったりして、とにかく力任せに、がむしゃらに攻撃を続けていた。
ザングースの首を、思いっきり噛んだのは覚えている。そのあと、その傷口から大量の血が吹き出てきたのもなんとなく記憶にある。でも、ザングースが倒れていったのは覚えていない。気付いたら死んでいた。気付いたら、息をしていなかった。
ザングースの綺麗な白い毛は、返り血と自身の血によっね赤黒く濡れていて、醜かった。血さえなければ、閉じられた目はまるで眠っているようだった。自分がやったことに気付いてしまうと、今度は罪悪感に力が抜けていった。生き物を殺してしまった。自分の、手で。もう周りに敵はいない。安全な状況なのに、震えが止まらなかった。
そのあと、どうやってあの森を離れて、どうやって生き延びたのか、いまいちよく覚えていないんだ。今思えば、森のポケモン達をちゃんと供養してあげられなかったなって後悔してるよ。
森を抜けて、街も抜けて、いくつものダンジョンやいくつもの危険な場所を乗り越えた。そこからは周りに誰もいない、一人旅というやりは単なる放浪のようなものが始まった。俺がザングースを殺したということは偶然隠れて見ていた子供のポケモンにより街に伝わり、俺は『殺人者』としてお尋ね者扱いされ、探検隊に追われることになってしまった。でももう俺に殺意なんかなくて、あれはすごく動揺していたからこそなってしまったものなのだ。なんて言い訳したところで、今更許されることでもないと思うけど。………うん、分かってる。俺は、ポケモンを殺したんだ。
苦しい日々だったけど、誰かと共に行動するなんてことは絶対にしないようにした。あのザングースに裏切られた日から、俺は他人を信用することが不可能になっていた。信じないんじゃなくて、信じられなくなっていたんだ。他人の言う言葉全てが信じられない。また裏切られるかもしれない、そういう恐怖で他人を遠ざけた。
でもそんななかで、予想外の出来事が起こった。本人の前では言えないけど、多分俺の心を少なからず変えた出来事がだったんじゃないかと思う。俺がダンジョンを食糧調達程度にぶらぶらしてると、大量の敵に襲われて絶体絶命!な場面を見てしまったんだ。優しさというものが消え果ててはいたものの、流石になけなしの人情ぐらいは残っている。俺はその大量の敵をぶったおしてポケモンを救った。
………そのポケモンが、サンダースのビアンだよ。ビアンは俺と真反対の性格をしていた。明るくて元気いっぱいで。それでいて芯の通った、なんか格好いい奴だった。けど、そんなビアンも最初は信用してはいなかった。
ビアンは、自分の兄、姉と共に旅をして此処等に来ていたらしい。あいつは助けてくれたお礼だって言ってその旅の拠点みたいなところに連れていってくれた。否、俺が最初否定してたから、大分強引に引っ張っていかれたんだけど。で、その姉と兄っていうのが……もう気づいたかな。ランとラックだよ。
その三匹は、今まで出会ったどんなポケモンとは違う雰囲気を纏っていた。お尋ね者として名が知れている俺を、なんの疑問も持たず拠点に入れてもてなしてくれた時点でおかしいとは思ってたけど。俺が何処から来たのか、とか何者なんだ、とかそういうことは聞かれなかった。俺もその方が楽だったから、口出しなしないで付き合っていた。
ランとラックとビアンに俺が今まで経験してきた過去を話すことができたのは、それを知られて困るようなことはなかったからだろうと思う。多分自棄になってたんだろうな。もうなんだかどうでもよかったんだ。今は後悔してるけど。
俺とビアンは、まるであのザングースのように気が合っていた。けど、それを認めるとまたあの事件の二の舞な感じがして、ビアンと一緒に冒険しながらも仲間と思うことを避けていた。向こうは仲間だと思いきって信頼していたんだろうけど、俺は違うと心のなかで否定していた。
ある日、俺とビアンは冒険に失敗して帰ってきた。俺が信頼していないから故起こったような些細な事故だった。でもビアンはそれで俺を問い詰めてきたんだ。『お前は俺のことちゃんと仲間だと思っているのか、信頼しているのか』って。それに俺はこう答えた。『別に、仲間だなんて思ってないよ。信じてもないし』
それを聞いたビアンは、勢いを折られたみたいで『そっか……』みたいに呟いてそのまま寝床に入っていった。ビアンがどう思うとどうだっていい、って思ってたけどなんか気まずくて、此処にいられなくなった。思えば此処にずっと居座る理由もないんだし、そろそろ出るべきだと思って、その夜荷造りして何も言わずにその場を去った。
それからはまた、独りぼっちの旅だった。俺がビアン達と一緒に過ごしていた時に、俺の凶暴性が否定されてお尋ね者の手配書はは廃棄されてたみたいだ。だから顔を晒していても捕まることはなかったけど、でも俺は結構ビクビクしてた。
この大陸に繋がる船に忍び込んでトレジャータウンまでやってきた。最初はこのまま静かに暮らしたい、と思っていたんだけど、街を歩いている探検隊を見て憧れて、自分もなりたいって思った。元々お尋ね者なのに、なんで探検隊なんかになりたいって思ったか?うーん、それはね、多分、命を奪ったことがあるから、それ以上に救うのもありかなって。そう思ったんだ。
でもさ、かつて探検隊に追われたことのあるから。手配書が廃棄されたかといってまだ不安だった。自分の正体がバレることが。だから、あの見張り穴で自分の種族言い当てられたことにはビビったんだよね。その頃の俺は、一番弱くて臆病だった。
で、諦めかけていた頃に、シズク………君が、現れたんだ。奇跡だと、そう思ったよ。君と話をすればするほど、昔の自分と重なって、まるで過去を見ているみたいだった。シズクみたいな性格の時期があったから、どういう風に当たっていけばいいか、なんとなくわかった。だからね、君なら信じてもいいかな、って、そう思えたんだ。一回信じるのをやめた俺だけど、君のおかげで、また信じることができたんだ。
今こういう性格になれたのも、こういう話ができるのも、全部君のおかげだよ。
***
「……ど、どうかな」
自分の過去を一通り語り終えたあと、ケンジはそっとシズクに聞いた。話す前は不安だったのに、いざ話してしまえばどうってことない。シズクは少し俯いていたが、すぐに微笑を浮かべて顔を上げた。
「………まあ、そうね。まるでなんかの物語みたいな過去」
「うん、そうかも」
「過去を振り返るのも大事かもしれないけど、ほんとに大事なのはそのあとでしょ。今更うじうじしてたってしょーがない」
「そうだね。それを気付かせてくれたのシズクだけど。あーほんと、シズクに会えてよかったー!」
「あんたはなんでそういうことを恥ずかしげもなく言えんのよ!」
そんな雰囲気ではないのに、二匹の顔には笑顔が見られ、部屋は密やかな笑い声で満たされた。
退けるのではなく、受け入れてくれる。そんなパートナーに出会えたのはある意味奇跡でもあった。ケンジは藁のベッドの上に仰向けになりながらそう思っていた。
ケンジの心は、完全に晴れることができていた。