#117 霧隠れのギルドから
***
「なんか………朝から大変よね、あんた」
「………うん。半分シズクのせいだったりするからね。………依頼、減らさない?」
「減らさない。今更変えるのめんどくさい」
「…………うん。分かってた………」
スティリンクルの上から全体重を掛けたような体当たりをもろに頭に受けたため、話を終えたあとまた痛みがぶり返してきたのかケンジはさっきから頭の天辺あたりを擦っている。そんなことにオレンを使ったりはしたくないため、ほっとけば治るだろう、とシズクは見てみぬふりをしている。本人にしては結構笑い事にならないほどの痛さであるが。
普通、上から体当たりなんて受けたりしないからわからないだろうけど、想像してみてほしい。梯子を上ろうとした途端に上からゴン、だ。想像してみてほしい。どのくらいの痛さか。
「…………いたい」
「あっそ」
相手にされないことは分かっている。それでも口に出したのは、彼のほんの僅かな足掻きである。案の定その言葉は踏み潰されたが。
「やっほー☆さっき君達ギルドで会ったね!あの時はぶつかっちゃってごめんね〜♪大丈夫だった?」
だらだらと足を動かしながらトレジャータウンにある倉庫へと向かっていると、丁度話題にのぼっていたケンジの痛みの原因であるスティリンクルがひょっこりと顔を覗かせた。どうやら、トレジャータウンをベントゥの案内により楽しんでいたところらしいのだ。
「あ、プクリンのギルドに所属してる、一番最近入った新入りのシズクとケンジでゲス」
「………あ、えっと、ケンジ・リウェルジーアです。よろしくお願いします」
「シズク・サファイア。まあ、よろしく」
「うんうん、よろしくね!ケンジにシズクかぁ………可愛いねぇ♪あと敬語じゃなくていいからね」
「は、はい………違う、うん。分かった」
「………いこ、ケンジ」
くい、とシズクがケンジのバッグの紐を引っ張る。そういえば、シズクって結構他人が苦手なタイプだった。最近はそこまででもなかったから忘れていたが………それに、成程。こういうタイプも、確かに彼女の苦手なタイプだ。
「かわいーねー、シズク」
「うっさい。行くわよ、ケンジ」
「あっ、あー………うん。オッケー。じゃあベントゥ、スティ、またね」
「んー………あ、ちょっと待って〜」
さっさと行こうとするシズクに引き摺られながら歩いていると、何故かスティリンクルに呼び止められる。何だろう、とケンジは足を止めて振り返るが、シズクはこういう呼び止めに引っ掛かれば更なる面倒を呼び込むものだと悟っているため、無理にでも彼を動かそうとぐいぐい引っ張る。そんな彼女の奮闘も虚しいことになるのだが。
「いやぁ、君達に興味持ってさぁ。依頼に同行したいな〜って」
なんだか聞きなれてしまったその言葉を耳にして、シズクはほら見ろ、と溜め息をついた。どうして自分達はこういうめんどくさい類いのポケモンに捕まってしまうのだろうか。そして何故、皆依頼に同行しようとするのだろうか。満面の笑顔で言われ、拒否権の無くなった彼らはただただ、頷くしかなかったのだが。まあ着いてくるのなら、それ相応の働きはしてもらわないと困る。こうなりゃもう最大限に利用してやろう、とシズクは自嘲気味に嗤った。
「あれ、スティってどんくらい強いの?」
「ん?あー、結構強いと思うよ!君達よりはまだね」
「えー、どうかなー?俺達も強さには自信あるもんねー。ね、シズク!」
「あんたいちいち私に振ってくんのやめて」
依頼に向かおうとしている探検家達が多く利用するため、倉庫はかなり混んでいた。倉庫前には行列が出来上がっていて、並ぶのは面倒臭かったが、倉庫から道具を引き出さないことにはにっちもさっちも行けないので結局並ぶしかない。シズクはそのせいで苛ついていて、さっきから前方を確認するように身を乗り出している。
スティリンクルは、もうトレジャータウンを回り終え、大体の施設は覚えたらしい。といっても、ここにあるのは探検家が使う店、倉庫、銀行という必要最低限のようなものばかりなため、あまり娯楽施設的なものはないし、そもそも数が少ない。この街にある唯一の娯楽施設と言えばカフェぐらいだろうか。その辺りはあとでスティリンクルが勝手に行けばいい話だろう。
ベントゥは、スティリンクルを案内し終えると早くギルドに戻って依頼選ばなきゃ、と走り去ってしまった。久々の再会とはいうが、スティリンクルがこんな性格の為ベントゥは疲れたのだろうか。しかし、その面倒を何故私たちに押し付けるんだ、とシズクは悶々と思っている。
「ねえ、君達のこと、もっと沢山教えてよ!!」
「え、教えることなんて特に何も………無いっていうか」
「君達探険隊なんでしょ?チーム名とかは?」
「えっと、俺達はチーム『ガーネット』だよ。つい最近………と言うほど最近でもないけど、ギルド一番の新入りなんだよ」
「へえ、ランクは?」
「今はゴールドランク」
「へえ〜!結構いってるんだね!!」
「入門当初に依頼やりまくったからね………今もそこまで量は変わってないけど」
「ふぅん。なんか楽しそうだよね〜」
スティリンクルとの会話は主にケンジが成立させてくれる。こんなとき、ケンジという存在は便利だ。シズクは誰かとコミュニケーションを取るのが少し………否、かなり苦手なのでこういうのを押し付けられる誰かがいるというのは楽なものだ。
そうこう話をしていると、先に並んでいたオオスバメとケムッソのコンビの探険隊が用を終えたようで彼らの前からいなくなる。やっとだ、と前に進み出て必要な道具を取り出し始める。
今日のダンジョンも水場の洞窟に設定しているので、タイプ相性的に苦戦するものではないだろう。だが、とりあえず足りなくなっていた木の実類を引き出し、そこまで使わない聖なる種などは預けておく。聖なる種や復活の種など便利な道具は、今のうちに貯めておいた方がいいだろう。
「………さて。じゃ、あとなんかいるものとかある?」
「ううん。これで大丈夫。足りてるよ」
「探険隊っていっつもこういうのやんなきゃいけないの?大変だね〜……」
「チームごとに毎回持っていく道具の個数とかそれぞれだしね。足りなくなったら補充、いらないものら貯蓄………みたいに。俺達は大体自分が着けてく装備道具とオレン三個、その他行くダンジョンに合わせて他の状態異常回復系の木の実もいれて……あとは穴抜け玉も一個、縛り玉一個、食料の林檎を三個ほど、お尋ね者依頼に行くときは爆裂の種を二個………そんな感じかな。グミはカフェでドリンクにしてもらうぐらいしか使わないしね?」
「ま、そんなところね。所によってカゴだのチーゴだのモモンだの、そういう系を全部一個ずつ持ってったりしてるところもあるみたいよ。用心深いとこはね」
「へー。じゃあさ、僕もその辺をもってればいつでも君達と依頼できる?」
「………何、毎日着いてくるつもり?」
「その日の気分だけど。今日の依頼楽しかったら、人間によるけど」
「はぁ………もう、勝手にしなさい。ただし、私達と同じかそれ以上の実力が無きゃ駄目だからね」
「戦闘は任しとけぇ!!!」
高めな声で宙をくるくると舞うスティリンクル。まるで子供みたいだ、と思うが、一体ジラーチという種族は何年生きているのだろうか。千年に一度目覚めるらしいから、それを繰り返して………ほんと、何年前に生まれたんだろう。
「…………ねえスティ。一体あんた、何年生きてるの?」
「んん、何年だろう。一万年くらいは生きてるかな」
「はぁっ!?いっ一万年!!?それって、ど、どんぐらいなの?」
「どんくらいって言われてもねぇ。だって一万年生きてるって言ったってそのなかで目覚めるのが十回、一回に目覚めるのが七日間だから実質70日しか起きてないんだよ。あと全部寝てたし。
でもさ、一回眠って、次に起きて、その時には、千年前に仲良くなったポケモンもいなくなってるし、世界はすっごく変わってるし。一番怖かったのは、目覚めたら外が騒がしくって………見てみたら、空が赤黒くって、地面が朽ち果てていて、沢山の死体が転がっていて………なんかの戦争中だったかな。とにかく憎悪の塊みたいな世界でさ、おぞましくっておぞましくって、直ぐに七日経ってほしいって祈ってた。勿論、その次に目覚めたらちゃんと平和に戻ってたけど」
「…………やっぱり、そういうこともあんのね。長生きだからって、良い分けでもないでしょうし」
「きっと………キュウコンとかも、そんな思いになるのかもね」
「じゃあさ、あんた、また七日経ったら寝るの?星の洞窟行って」
「んー、どうかな?」
「…………?」
いつもいつも、千年に一度起きて、七日経てば眠りにつくのだろうから、今回もそうなんじゃないか。そう思って聞いたが、なんだかスティリンクルは曖昧な言葉を返す。
「どうだか、今回はよく分かんないんだよね。今さ、時の歪みが起こってるじゃん?そのせいで伝説とか幻とかは顕著に………生態系って言うのかなぁ?なんかわかんないけど、とにかく色々可笑しくなってるんだ。
そのせいかもしれないけど。僕、今回は眠らないかもしれないんだ。これからずっと、起きてるかもしれない」
「そ………そうなの?」
「うん。その可笑しな変化が現れるポケモンと現れないポケモンはいるけどね。………でも実際、進化が出来るっていう神秘の森の泉に差す光が途絶えてるってこともあるらしいし」
やはり時の歪みというのは、各地に不思議のダンジョンを出現させるだけでなくポケモン自体にも影響を及ぼしているらしい。どれもこれも、時の歯車が盗まれたということが関係あるのだろうか。時が不安定になってきているこの世界の平和が、いつ崩されるか分かったものではない。
「とにかく、善処することね」
「今の状況じゃなんも言えないからね。俺達はただ、依頼をこなす!それでいい!」
かなりゆっくりと歩いていたせいか、まだトレジャータウンを抜けてはいなかった。このスローペースでいいものか、と思うが、もし出来なければそれはその時で明日に回せばいい。今日はスティもいるし、楽にはなるだろう。シズクの考えていることは、やはり現実的なものだ。
「あれ、シズク達じゃん」
「あ………嗚呼、スティさんも」
と、銀行にお金を預けていたらしいサンとフライに鉢合わせた。二匹もまだ依頼には行っていなかったようだ。サンは相変わらず柔らかな笑顔で穏やかに手を振ってきている。純真無垢で、可愛いな。そう思う。
「えっと、この二匹は………?」
「俺達の二個……だっけ?ベントゥと同じぐらいにギルドに入った、俺達の先輩の探険隊。チームエメラルドのサンとフライだよ」
「サン・シニアディだよ。よろしく〜」
「ふ、フライ・ヒアラス、です。よろしくお願いします」
「あれ、ベントゥと同じ時期に入ったんなら………でも僕、君達のこと見たことないけど…………星の洞窟には来てないよね?」
「うん。多分その時、私達遠出の依頼でかなり遠いとこまで行ってたんだと思う」
「そっかぁ。まあとにかく、よろしくねー、二匹とも〜」
ふわふわとした様子でスティリンクルもぺこりと頭を下げる。それを見てフライがなんかすごく挙動不審、というか慌ててた感じだった。なんか最近フライおかしいよな、とケンジも心の片隅で思っていたが、それは心の片隅に留めておくことにする。どうせ言ったってフライは隠すに違いないと、そう思ったからだ。
「これから依頼?」
「もっちろん。依頼五件……ぐらいだよ。ケンジ達には劣るけど〜」
「依頼八件はこいつへの制裁よ」
全く感情を表していないような真顔でケンジのことをぺしぺしと叩くシズクに、サンはふふ、と笑った。その光景があまりにシュールぇ一周回ってどこか面白い……気がする。
「ねえ、あの」
唐突に、声を掛けられた。本当に突然のことで、ケンジとサンがびくんっと身体を震わせる。そこまでは驚くことのなかったシズク、フライ、スティリンクルは揃って声がした方へ顔を向けた。
「あら、驚かせてしまったかしら、ごめんなさい」
そこにいたのは、二匹のポケモンである。両手が薔薇のようになっていて、柔らかく細められている琥珀色の眼をしている…………ロズレイドと、ふさふさとした真っ白な体毛に濃紺の角がはえていて、真紅の瞳を煌めかせている…………アブソル。二匹の身体には、かなり使い込まれたような茶色いバッグが掛かっている。おそらくトレジャーバッグだろう。となれば、この二匹は探険隊ということになる。
「あ、いえ、大丈夫です。それで…………えと、何でしょうか……?」
「あの、この街の図書館…………って、何処にあるかしら?」
「………図書館?」
図書館なんて、あったっけ。この街に。記憶を手繰り寄せるが、この街にそんな施設があるという覚えがなかった。そもそも、そんなところがあれば、きっとケンジがさっさと飛び込んでいくだろう。そんな当の本人がぽかんとしているのだから、きっとこの街に図書館はない、ということになる。
「この街に、図書館はないと思いますけど」
「あ、そうなの?道理で、探しても見つからない筈だわぁ。諦めなさいよ、シュナイカ」
「………あると思ったんだが…………まあ無いなら他を当たるだけだ」
穏やかな口調のロズレイドに対し、シュナイカと呼ばれたアブソルは淡々とした静かな口調である。なんかかっこいいな、とサンは思っていたりしている。
「………多分、図書館あったらこいつが真っ先に飛んでくと思います」
「!?シズク!?俺だって飛んでったりはしないよ!?勿論図書館あったら毎夜入り浸ると思うけど!!!」
「お前も、本が好きなのか?」
いつも通り、のように喚くケンジとシズクの会話に、アブソルが質問を入れる。妙に威厳のある佇まいのアブソルに声を掛けられ、ケンジは一瞬固まる。シズクは目も合わせていない。
「はっ、はい!特に伝説とか神話とか、そういうのが好きです」
「………!そうなのか。奇遇だな。私もその辺の類いが好みだ」
「えっ!?あ、本当ですかっ!!?」
「本当だ。今日図書館を探してたのは、そのある伝説の話について調べたかったんだが………」
「ど、どんな伝説ですか!?」
伝説話となるとケンジの反応が凄い。眼を輝かせ、食いつくように質問してくる彼に、アブソルも「まるで尋問だな」と苦笑いしている。
「────『創生と破壊の伝説』だ」
「そう、せい……?」
話の名前を聞いた途端、今まで勢いの良すぎたケンジもぽかん、と口を開けて静止した。どうやら、ケンジも知らない伝説のようだ。珍しい、とシズクは思っている。大体の伝説なら、知っていると思っていたからだ。となると、この伝説はそこまで知られている話でもないようである。
「『創生と破壊の伝説』?………聞いたことないわ」
「………私も、全然。
フライは、知ってる?………フライ?」
一体どういう話なんだろう、と女性陣が言葉を交わす中、サンが意見をフライに振った。だが、フライは反応しない。まるで石のように固まってしまっている。翡翠色の瞳は衝撃と畏れに細められ、ぴくりとも動いてない。
「ちょっとあんた、どうしたのよ」
「フライ?なんかあったの?」
「…………その伝説を、何処で知った」
サン、シズクの問いを聞こえていないようにスルーして、フライはアブソルに問いかけた。いつもの彼の声よりも一オクターブ低くて、何処かドスの効いた声。脅してる?否、確認してる?何を?まって、どういうこと?何が起きてるの?
その場にいるものは、フライの言動と行動に理解が追い付いていないようだった。それでも尚、そんな周りの反応など気付いてもいないようにフライは進める。
「答えてくれ、頼む」
「………?私達のいたギルドに、大きな書庫があるんだが。そこの、全く人目につかないような場所で見つけた。埃被っていて、隠されたようだったから、尚更興味を持ったんだ」
「…………そう、か。
今、ギルドって言ったな。君達は一体、何者なんだ?」
「………嗚呼、あたし達?」
何か納得したのか話題をがらりと切り替えたフライ。その質問も皆気にしていたものだが、それよりもフライの態度が気になって仕方ない。しかし、それを指摘するより前にアブソルの隣にいたロズレイドがフライの問いに対して答えを返していた。
「あたし達はね、霧の大陸ってとこにあるギルドから来たの。大陸間の親交を深めるとかのやつで、此処のギルドの親方さんに挨拶にね。霧の大陸のギルドではあたし達の探険隊が最古参だから、それで此処に来るのに選ばれたってわけ」
「へぇ、そうなんだ。じゃあ此処のギルドからも誰かが他の大陸に行ったりするのかな?」
「うーん、それはどうかなぁ。これは霧の大陸がなんか勝手にやってることだし。君達がそれほど最古参でもなければ他の大陸に出張することはないだろうし………。
あ、でもこの大陸では今時の歯車が盗まれるとか物騒な事件も起こってるんでしょ?だったら、他のギルドとの交流よりもそっちの方に力尽くさないとだもんね」
「そうだよね。早く犯人見つけなきゃ」
「嗚呼そうだ。まだ名前、言ってなかったよね?あたしはロズレイドのヒアナ・ストレイン。で、此方が相棒のシュナイカ・イブキだよ」
「俺はケンジ・リウェルジーア。で、此方のピカチュウがシズク・サファイアで………先輩の、イーブイのサンとツタージャのフライ。あと、今日ギルドに来たジラーチのスティリンクル」
「ジラーチか、珍しいな。昨日の彗星で目覚めたのか?」
「そうそう、正解だよ!」
一通り自己紹介を終えたのち、ケンジはどうやらシュナイカが『調べたい』と言っていた伝説の話について、もっと知りたい、というような素振りを見せた。霧の大陸のギルドの実力者らしいし、さっき会ったばかりででしゃばった真似は出来ない、と思い直したらしい彼は、先程より少し控え目だった。
「………『創生と破壊の伝説』、もっと知りたい?」
「あっ……うん、知りたい!」
「私もちょっと………興味あるかも」
「あ、私も!」
「僕も聞きたいかな〜」
シュナイカがバッグから覗かせた本に、一同が反応した。フライだけ何も言わなかったが、それを気にしたポケモンは実際いない。だがフライ自身興味はあるそうで、そちらへと視線を向けていた。
かなり古びた本だった。図書館とかには絶対に無いだろうな、と思えるほど、埃っぽくて汚れていて、そんな本だ。くすんだ赤色の革表紙に刷られている金文字の題名は、掠れているがまだ読める。『伝説集【秘】』と書かれていた。恐らく、他の伝説も一緒にまとめられている本なのだろう。シュナイカがぱらぱらとページを捲っていく。その紙も、黄ばんでいて端がぼろぼろになっているものもある。一体、どのくらい前のものなんだろうか。
「………これ、発行日ってのは」
「分からない。どうやら書かれていないようだった」
「………そう」
そんなこと、あるのだろうか。なんか不思議な本である。伝説や神話を集めた何処と無く神秘的な本だって、こんな風にはなっていないんじゃないだろうか。
「あった。これだ」
ぱらり、とそのページが開かれた。どんな伝説なんだろう、とそこを覗き込むが、知りたいと思っていた伝説の話は、何処にもなかった。
「…………………え?」
「見た通り、だ」
『創生と破壊の伝説』。
細々と書かれた題名の下、二、三文の文字を残してその伝説のページは全て破られていた。どうして、なんで。驚きと衝撃に、一番動揺したのはケンジだろう。
「え、なんで?なんで破られて………」
「さあな。私が見つけたときは既にこうなっていた。此処の数行の文を頼りに………私はこの伝説について調べている。だが、今のところそれといった手掛かりは見つかっていないんだ。大陸の有名な図書館や古本屋を渡り歩いたが、まだ何も」
「…………偶然破れたって言っても、不自然よね。『創生と破壊の伝説』以外のページは、脆いけどまだ残ってる」
とりあえず、残された数行の文を読んでみようか。そう思いサンやケンジ、シズク、スティリンクルがまた覗き込む。だが、やはり物語の序盤だからか全く意味が不明である。
『今から約8000年程前の話である。赤い月と青い星がまだ夜空に浮かんでいて、ほとんど体毛を持たない生物が生存していた頃のことだ。とある大陸に、真紅の破壊神と紺碧の創生神がいた』
「…………確かに、全く分かんないね」
この数行を読んで内容が理解できる天才はこの世にいないに違いない。本当に、全く分からない。まず約8000年程昔の話、という時点で現実味が無くなってしまう。伝説というのは不確かだし、全く有り得ない話も時々ある。これも、きっとその類いなのではないか。全員がそう思っている。
「この『破壊神』と『創生神』らしきポケモンは、いるんだけどね」
「は?なにそれ、充分手掛かり見つかってんじゃない」
「いや。まずそのポケモンという確証がない。調べてみたが、この伝説に当てはまるような事柄は何もなかった。ディアルガやパルキアのように世間に知られているポケモンでもないようだし…………真紅と紺碧、という色と破壊と創生、という力だけが合っているようなものだ」
「それでも充分だと思うんだけど」
「…………そうだろうか。私は違うと思っていた」
「………あのさ、じゃあそのポケモンって………どんなポケモンなの?」
数回、残された行を繰り返し読むも理解できなかったケンジがシュナイカに尋ねる。シュナイカは『まだ分からないが』と首を僅かに傾げながらも、推測した二匹の『神』を弾き出す。
「……………………破壊神がイベルタル。創生神がゼルネアス。今のところ、そう仮定している」
「………ゼルネアスと…………イベルタル?」
聞き覚えもない種族名に、ケンジ、サン、スティリンクルが疑問符を頭のなかで巡らせた。イベルタル、ゼルネアス。聞いたこともない。本に出てきたこともない。どういうポケモンなのだろう。
一方で、シズクは何とも言えぬ違和感を感じていた。イベルタルと、ゼルネアス。その名前を脳内で反芻すればするほど、その違和感は強まってくる。その名前は、聞いたことがない。聞いたことがないはずなのに、なんか知っている気がする。状況は違えど、霧の湖のベースキャンプで感じたことと少し似ていた。知っているけど、知っていない。もしかして、記憶を失う前の自分が、何か本で読んだりして知っているのかもしれない。そういう考えに至る。
「まだ分からないことだらけだが、少しずつでも手掛かりが見つかればいい、と思っている。何か分かったら、お前達も『霧の大陸 チルタリスのギルド』宛に手紙でも出してくれないか。霧の大陸では有名なギルドだし、そう書けば届く」
「うん、分かった。情報が得られたら、そうする」
そんな約束を交わす。他のギルドの探険隊との交流なんてそうそうないことだから、今回のこれは結構レアなシーンだったりするのだろう。
まだシュナイカが開いたままだった伝説集を、シズクは勝手にぺらぺらとめくりだす。世間に知られていないような伝説も、この本には載っているのだろうか。そういう好奇心による行動だ。シュナイカはケンジと話しているし、別にバレてもなんにもならない。シズクは適当に眼を通していると、見覚えのある伝説に辿り着く。
『天空の卵の伝説』
「………あれ。ねえ、サン」
「ん?なあに?」
「『天空の卵の伝説』って、結構知られてる話よね?」
「うん、そーだよ」
「それなら、こんな人目に全然触れないような本じゃなくて、ちゃんと本屋とかにも売り出されてる本に書いてある筈よね………?」
「嗚呼、『天空の卵の伝説』。他の本にも勿論書いてあるんだが、此処にも載っているのは………多分、これのせいだろうな。あんまり人目につかないようにしたかったのだろう、この本を書いた誰かは」
シズクとサンが『天空の卵の伝説』について話していると、それに気付いたシュナイカが、題がかかれている所から三ページほど捲ったところを開いた。そこには、平べったい麻袋が貼り付けられていた。あまりに平べったくて、普通に本を閉じている状態でも目立たない。シュナイカはその袋を開け、中身を取り出す。白くふさふさの手に乗せられたその物体は、小さな銀色の欠片だった。
「…………これ、って」
そこで、フライも興味を示したらしく覗き込んでくる。シュナイカの手に乗っている銀色のそれは、日光によりきらきらと輝いている。『天空の卵の伝説』のページにある、銀色の小さくて薄い欠片。それが何かは、なんとなくわかった。
「まさか………『天空の卵』の殻の欠片?」
「…………当たり」
神秘的だった。有り得ないと思った。伝説に出てきた物体が、今目の前にある。………否、しかしこの場には、その『天空の卵』から産まれたというサンがいる。それでも、なんだか非現実的だった。
「………本物か」
「多分」
殻の欠片に、サンがすっと手を伸ばす。まるで魅入られたように、眼を離さない。欠片に触れたサンは、なんだかとても静かだった。
「サン………?」
「…………………」
「本物が付いてるのは多分これだけだ。大部分の殻は何処かへ消えたらしいし、今のところ残っているのはそれだけ」
サンの手から、シュナイカが柔らかく銀の欠片を引き取り、また袋の中に入れる。サンは、どこか一点を見つめたまま動かない。不自然、というほどではない。自分が産まれたという卵の殻と対面したのだから、当たり前の反応だ。
「さぁて、と。ねえシュナイカ、そろそろギルドの方に向かわないといけないんじゃない?」
「そうだな。じゃあぼちぼち行くとするか…………。
じゃあな、お前達。ケンジ、伝説の話、楽しかったぞ。なにか分かったら連絡してくれ」
「シュナイカがお騒がせしましたー。また会うかもしれないし会わないかもしれないけど、とにかくさよなら!」
「うん!じゃあね!色々話せて楽しかった!」
さっさと本を片付けて、ヒアナとシュナイカは立ち去る。これからギルドに向かうらしいが、依頼から帰ってきたらもういないだろう。
「じゃ、私達も依頼にいくとしますか」
「そうだな。おいサン、いつまでぼーっとしてんだ。依頼行くぞ」
「ん?んー、わかった!」
ふわっと、煌めくような笑顔を見せると、サンとフライはシズク達に手を振りながらその場を立ち去る。シズクとケンジも、そんな二匹を見ながら依頼場所へ向かっていく。