#115 新彗星の到来
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目の前に広がるのはのどかで平和な街の風景である。がやがやと賑やかな群衆。盛況している店の数々。爽やかな風に揺れる深緑の葉や花々。楽しそうに歩くポケモン達。事件が起こることすら想像が出来ないほどの、平和で平和で仕方がない風景だ。
種族上足が無いため、空中をふよふよと浮きながら進めば、此方を見ていた辺りが次々にざわめき出す。好奇や憧れの眼を、真っ直ぐに此方へ向けてくる。子供のように純粋な眼差しだ。進みながらも、溜め息を漏らすしかない。
周りに振り撒くは悪意の無いように見せた笑顔。腹の中ではにこりとも笑ってはいない。馬鹿馬鹿しい。ひたすらに騒ぐこいつらを見て浮かび上がるのは、そんな気持ちだけである。
何処までも無垢で、穢れがない。悩みなんて言ったって、世間の色々な騒ぎだのなんだのと、小さくてゴミのようなものなのだろう。本当の『不幸』も、『痛み』も、『死』も、何も知らないような連中だ。全く阿呆らしくて、話にすらならない。彼は一つ、小さく小さく息を吹き出す。
────ここまで手間取ったのは、あの『珠男』が妙な行動をしたからだ。
視線は前方に行きながらも、頭の中では愚痴ばかり溢している。そんなものを言葉にして呟くことなど今の状況では不可能。ただ、考えていることは周りの誰にもバレることはない。
しかし風が涼やかだ。かさかさと歌うように揺れる足元の草もまた、爽やかさを演出している。此処は海が近い街と聞いた。微かに感じる潮の匂いは、きっと海のものだろう。耳を澄ませば、波の音も聞こえてくるかもしれない。頭上を鳥ポケモンが飛び去っていったり。真っ白な雲が優雅に漂っていったり。青い空が頭上一面に広がっていて。暖かい陽光が身体を照らして、下に影というものをつくる。
眩しかった。全てが。
だが、やがてこの世界の『全て』は終わりを迎えるだろう。それも、そう遠くない『未来』に。光は途絶えるだろう。風は失われるだろう。草木が揺れることは、二度と無くなるだろう。太陽は、暖かさを消すだろう。群衆が楽しそうに笑うことも、無くなるのだろう。この世の色は消える。皆が灰色に染まる。美しいものも、輝かしいものも、煌めく何かも、無くなる。
彼はきっと、それらを奪う張本人になる。世界が正しい方向に、いずれ進むべき方向へと誘うために。今、此処にいるのだから。
何もかもが冷たい。そんな世界に進むことこそが、本当に正しいことなのだ。その為に失われるべき命は、さっさと断ち切らなければならないのだ。だから進むのだ。此処も、暗闇に落とし入れる為にの
それでいい。そうなることが正しい。
全てが終わることは、世界の意思だ。自然の摂理だ。それを崩すことは、許されない。
決して、許されないことだ。
この世界に、光は必要無いのだから。
***
「ん起おおぉぉぉぉきぃぃいぃぃいいろおぉぉおおぉぉお!!!!朝だぞぉぉぉぉおおおおう!!!!!」
チームガーネットの部屋では。朝っぱらから耳が痛くなる程の叫び声が響き渡っていた。ノンドの、目覚まし代わりの大声。毎朝恒例のものである。朝からこの日一番の大声を出すノンドの喉も計り知れないが、それを聞く側にもなってほしい……ぼんやりと考えていたシズクだが、ノンドの声によって今の時刻を確認した。ケンジはちょくちょくノンドに叩き起こされるが、大体いつも早起きのシズクがノンドに起こされるのはかなり珍しい。沿線翌日ということで疲れていたのだろう、気付けば今は朝礼五分前だ。いつもなら十分から十五分前くらいに起きていたのに、と少し悔しい気持ちになる。
「…………朝からすっごい煩い…………けど………皆は今どんな感じ……?」
「まだまだ起きてこねーぜ。俺が起こしにいっても、フライ以外の男性陣は多分皆二度寝してんじゃねーかな。今朝礼場に来てんのはウェンディくらいだぜ」
「…………そう」
「まあ目ェ冴えたんならケンジ起こしてさっさと来いよー」
適当に手を振りながら、ノンドは部屋からすたすたと出ていく。直ぐに、近くでまたノンドが叫ぶ声と恐らくシニーのものと思われる甲高い悲鳴がシンクロして聞こえ、シズクは頭をはっきりさせるとケンジの方に向き直った。
ノンドの声は聞こえていたようだが、意識がまだ朦朧としているのか起きる気がないのか、藁のベッドに顔をうずめ、毛布を手から離そうとしないので、これは強制的に起こすしかないだろうな、と彼女は結論づけた。まあ、いつものことだ。気にしなくてよい。
「ちょっとあんた、さっさと起きなさい」
毛布を剥ぎ取って揺さぶるも、唸るだけで起きない。ほんとは気づいてるんじゃないか、とは思うが、そこを詮索したって結局は意味がない。
「起きなさいっつってんだけど!」
手を踏みながら少量の電気を流せば、それだけで彼は飛び起きた。ぼうっとした顔で辺りを見回し、手をこすりながらシズクの顔を捉える。
「あ…………おはよう、シズク…………ノンドの声が聞こえた気がするんだけど、気のせいかな───」
「気のせいな訳ないでしょ馬鹿じゃないの?時計見なさいよ、もうすぐ朝礼始まる時間。早く行くわよ!!」
「はえ?あ、ちょ、ちょっと待ってシズク!!引っ張んないで!引っ張ん…………あああああ痛い!痛い痛い!!!」
「うっさい!!」
シズクは、踏んでいたケンジの手を掴みながら引っ張り、外へとずんずん連れ出していく。今までつけた力で通路まで引っ張り出すが、ケンジが痛いと抗議したのと、自分で歩けるから、と彼女を止めて立ち上がったので、二匹で並んで朝礼場にまで歩いてきていた。
結果的に、三番目くらいに朝礼場に辿り着けたのはいいものの、二度寝している弟子達が多いせいで朝礼はいつもより十分ほど遅れてから始まった。ラペットはピリピリしていたが、弟子達や当の親方でさえ別にどうでもいいらしいので、遅れたメンバーは特に叱られることもなかった。まあ、ちゃんと目が冴えてるらしいのはパティ、ラペット、サン、フライの四匹ぐらいだったため、少しくらい遅れてもなんだか大丈夫な雰囲気ではあった。掛け声も、いつもよりは一回りほど小さかった。
そんなこんなで、遠征が終わった翌日からまた仕事は再開。遠征の反省点を述べ合う会議的なものはないようなので、通常の生活が始まるのであった。
「はぁ〜…………今日からまた仕事かぁ〜…………」
「やっぱ遠征次の日ってだるいわね。依頼の数少なくする。三件ぐらいに」
「うん、賛成」
ガーネットの二匹は気だるげに話を交わす。手に持った依頼書からやり残したものを探しながら、依頼書捲ってるのがなんか久しぶり、とそう感じてしまうシズクであった。
やり残しの仕事は一件しかなかったので、二件の依頼を探しに行こうと、掲示板がある上階に向かうため梯子の方に進もうとして───
「シッズクーー!ケンジーーー!!!」
明るくて大きな声に呼び止められた。その声の正体は見なくたってわかる。ふさふさした茶色い体毛のイーブイ、サンだ。相変わらずの満面の笑顔を顔にはりつけて此方の方を向いている。
「…………何?サン」
まあ別に掲示板は後回しでいっか………と、とりあえずサンの話を聞こうとそちらへと歩み寄る。フライもサンと一緒にいて、興味りげに手元の新聞らしき紙束を覗き込んでいた。何がそんなに彼………彼らを意中にさせるのだろうか、と首を傾げる二匹に、サンがフライの見ていた新聞を半分奪い取るかたちで取ってシズクとケンジに見せた。
「これ見てよ!!なんかさ、凄くない!?」
サンが差し出したのは、この世界で主に知られている有名な新聞の一面記事だった。『ポケモン新聞』といういかにもネーミングセンス皆無だと思われるような新聞名が書かれたところの近くに、大見出しがでかでかと書かれている。
『およそ千年ぶり!彗星と流星群が交わる光景』
「彗星と…………流星群?」
「うん!これ、見れるのは今夜だって。絶対幻想的な光景だよねぇー!霧の湖であんな風景見れてからのこれだよ。運がいい!私達!!」
何度も捲られていて少し脆くなっているような新聞記事からの情報で、サンはきらきらと眼を煌めかせた。しかしそう喜ぶ前に、シズクには引っ掛かる部分がある。
「でも…………彗星と流星群が同時に流れるなんて、そんなことって早々あるもんじゃないでしょ?それこそ…………今日初めてっていうなら分かるけど、たとえ千年と言ったってそんなこと…………」
「それは、確かに。でも彗星と流星群が流れるのは、千年前には本当にあった話らしいよ。その時の文献に残ってるらしいし…………『今日は世にも珍しいことが起きた。夜空が、幾筋もの流れる白い星々と虹色の尾を引いた蒼き光に覆われ、まるで神の世界の様だ』。………現代語訳でそんな感じの本読んだことがある…………確か『星日記』って題名だったと思うんだけど…………古代から現代までの宇宙の様子が書かれた本とかなんとか」
「あんた、よくそんなの知ってるわよね。時事問題とか、咄嗟の頭の回転とか鈍いくせにさ」
「うっ…………当たってるけど………当たってるけど!!」
「なんか理論的でつまんないよ!!すっごい珍しいけど、それ今日見れるんだよ!?千年ぶりだよ!?難しく考えないで楽しもうよぉ!!」
「…………単細胞って羨まし…………」
「へへ、言うねぇ〜」
躊躇いもなくサンのことを単細胞呼ばわりするシズクだが、サン自体そう呼ばれるのは慣れてしまっているようで、明るく返すだけだった。それもサンらしいというかサンらしいが。
「じゃあ、今夜外に出て見る?この彗星と流星群」
「もっちろん!見るに決まってんじゃん!!」
「それって何時頃に見えるの?」
「明け方の三時くらい!って書いてある!東の空に彗星は見えるらしいけど、流星群は何処からでも見えるんだって」
「了解。じゃあ二時くらいに朝礼場で落ち合いましょっか」
「え!?お、起きるの早くした方がいいのかな?それとも夜更かしした方がいいのかな!?」
「二時頃まで仮眠とって彗星と流星群見える時間に起きればいいでしょ」
じゃあどうやって起きよう、とガーネットの二匹が話し合っている中、サンはさっきからフライが全く喋っていないことに気がついた。新聞を見たままじっとしているようだ。いつもなら、呆れながらもちゃんと乗ってきてくれる彼なのにな、と彼女は思う。
「ねえ、フライ?」
「…………………」
「フーーラーーイーー!!!」
「ふぁっ!!?ん!?え!?」
試しに耳元で大声を出せばフライはびくっとして視線をサンに向けた。驚きと苛々が混ざっているような眼を向けられて、サンはえへへ、といつものようにはにかんだような笑いを浮かべる。
「フライずっと黙りっぱなしだったからさー。何かあったの?」
「あー………いや、何も。
それより、見に行くんだろ?彗星と流星群。起きれる自信無かったら、僕が起こそうか?」
「えっ?いいの?」
「嗚呼。僕そこまで眠り深くないし、多分平気だと思う」
「それで寝過ごしでもしたら許さないからね」
「大丈夫だって。二時集合なら、一時半くらいに起こせばいいかな?」
「うん、じゃあそれでよろしく」
とりあえず予定は決まったが、なんだか話題を逸らしたような話し方をしたフライの言動が可笑しかった。気のせい?いや気のせいじゃないだろう。でもなんで?その辺は全く分からない。遠征でもフライの不思議な言動と行動はあったが、一体何なんだろうか?シズクとケンジはそこまで気にしていないようだから、自分も気にしなくていいのだろうか。分からないことを考えていても、やっぱりそれは時間の無駄だろう。そう結論づけたサンは、美しい笑顔を、また見せる。
「じゃ、今は依頼見に行こーよ」
「そうね」
そして梯子に向かい始めた四匹は─────また、大声により足を止められることとなるのだが。
「何!?足形が分からないだと!!?どういうことだ!!!」
腹の底から響いてくるような声は、正真正銘ノンドのものだろう。何があったのだろう、とそちらを見れば、見張り穴へ続く場所付近で何やら口論(?)があるようで。ノンドの声に返したのは、まだ声変わりの済んでいない、幼さの残るものだ。
「だってぇ〜分からないものは分かんないよぉーー」
今度のこれは見張り番・リナーのものだ。ノンドの声に対して反論するような困ったような声色が感じられる。何だろう、とギルドメンバーの意識は自然とそちらに吸い込まれることとなる。何だろう、とそこら中で囁かれる中、ラペットが未だギャーギャー騒いでる場所に行く。
「どうした?何かトラブルでもあったのか?」
「それが………足形が不明のポケモンが来てるらしいんだ」
その言葉に辺りがまたざわざわと揺らぎだす。足形が分からないのなら、きっと足自体無いポケモンなんじゃないか、そしたらゴーストタイプか何かか………と一匹でシズクは考えている。
「リナーは他に例を見ない程優秀な見張り番だから、足形が分からないなんてことそうそうあるもんじゃないんだが………どういうことなんだろうか………。
勿論、こういう素人が見張り番とかならそれも分かるんだけどな」
「なっ!?ひ、酷くない!?俺達だってリナー程じゃないけど見張り番くらい出来ると思うんだけど!ね、シズク?」
「………私はあながちノンドも間違ってないと思う」
「うっ………シズクに言われると…………そんな気もしてきた…………」
「でも、そういえば私達が最初にギルドに来たとき、私の足形判別出来なかったわよね?」
「あー確かに!」
シズクとケンジの中ではそんな会話が盛り上がっているが、判別できない足形の主は、何やらリナーと話しているようだった。それに気づき、二匹とも見張り穴の方へ顔を向ける。
「…………え?親方様に会わせてほしいんですか?…………はい、はい………分かりました。えっと、種族は………ヨノワール………?お名前は…………?あ、はい。ナイト・ハガナさんですね。少々お待ち下さい…………」
ベコニンからは間違いなく受け継がれてないであろうコミュニケーション能力を生かして、リナーは相手の名前を聞いていた。その名が穴からギルド内に漏れでた途端、ざわめきがこれ以上大きくはならないだろうと思うほどに騒がしくなった。一体なんだ、と思っているのはきっとシズクとケンジだけだろう。サンは知っているのかどうか外見からはよく分からないが、ただ笑っている。が、フライは逆に恐怖に侵されたような眼をしていた。そこに少し違和感を覚えるシズクだが、何があったのか聞こうとは思わなかった。聞いてもどうせ、フライは話さないだろうと思ったのだ。
「な………ナイトだって!!?」
「ヨノワールのナイト・ハガナって…………!?あ、あの有名な………!」
どうやらナイト・ハガナというポケモンは、とても有名な者らしいが、それが誰かということを知らないシズクとケンジは何かを言うことも出来なかった。せめて何者なのか知ろうとノンドに声を掛けようとするが………その時、件の『ナイト・ハガナ』が梯子の上から姿を現し、盛大な歓声が巻き起こったことにより思考は中断された。
「今日は来てくれてありがとー♪」
「いえいえ!滅相もない!お礼を言うのは此方の方です。かの名高きプクリンのギルドに来れて………誠に光栄です」
ひそひそ話が蔓延するなか、明るげな声が放たれる。それに紳士な物腰で対応するのは、皆の騒ぎの対称となる『ヨノワール』の『ナイト・ハガナ』。いかにもゴーストタイプということが分かるような身体をしている。パティよりもかなり大きく、威圧感満載だが丁寧な話し方をする。身体と性格がどこかちぐはぐな感じだ。ワインレッドの妖艶な色をしている眼はおぞましくも思うが、今はその眼は柔らかげに細められている。
礼儀正しく、穏やか。まさしく『善』という言葉が相応しいような喋りに挨拶。一瞬でギルドメンバーの心を掴んだであろうことは明白である。
「それで、ですね…………」
パティに対し、話を切り出そうとしたところに、ナイトは何か強烈な雰囲気と殺気を感じ取り、ぞくりと背筋が粟立つのを感じだ。注意深く辺りを見回せば、そこにはイーブイの隣に静かに佇むツタージャの姿があった。
「フライ?ナイトさんのこと見てるけど、なんかあるの?」
そのツタージャ…………フライも、どうやらぶっとナイトのことを見つめていたようだ。隣のイーブイが不思議そうに声をかける。ナイトは不可思議な違和感を覚えながらも、フライを見ていることを悟られないようにすっと視線を外した。
(なんだ、あのツタージャは…………一瞬だったがあの殺気はたしかなものだったはずだ…………名前…………フライ…………雰囲気はなんとなくあいつと一致するが、まず種族も………名前すら違う………だがどこか不自然だ。不自然な違和感…………一致する部分があるにはあるが、そもそも瞳の色が違う。翡翠色の瞳をしたツタージャは見たことがない………あいつは翡翠色のスカーフを付けていたが、このツタージャは付けていない。異なる部分も多々ある…………。
しかし、不自然な点を除いたとして…………何故此処にいるのだ………?ギルドにも…………見てみたところトレジャータウンの方にもあいつはいない…………)
にこにこと話をするパティに返事を返しながら、思考は別のところに飛んでいた。周りに知られることは絶対にいけない自分の本心と正体を、知っているかもしれない相手が今此処にいるのかもしれない。そうなれば邪魔されることもあるかもしれないが………此処で絶対的信頼を得ることができれば、それを防ぐことも可能性も浮かんでくる。
まずは信頼を得るため…………そして、自分の知りたい情報を引き出すために、パティの方へ向き直った。
「ねえ、ノンド」
「あ?なんだ?」
「あのポケモンは………一体、誰なの?」
大分話が一段落付いたところで、ケンジは一番の疑問だったことをノンドに聞いてみた。どうやらガーネットの二匹以外は皆知っているようだったし、自分達だけ何だか疎外感………という感じで、居たたまれなかったのだ。
しかし、そのケンジの質問に彼らの周りにいたノンド、シニー、ベントゥは物凄く驚いたようだ。開いた口が塞がらない、と言わんばかりに驚愕の目を向けてくる。シズクも彼同様知らないため、自分達が無知呼ばわりされているような状態に非常に不機嫌な様子になっている。
「お前ら…………かの有名な探検家『ナイト』を…………まさか知らんのか?」
シズクのぎらぎらした視線を感じながらも、ノンドは呆然としたまま質問に答える。シニーやベントゥも同様で、そんな彼らの様子にシズクは眉間に皺を寄せる。
「そんなこと言われても…………ギルドに入ってから新聞取るのやめちゃったし…………」
「まあ、無理もないですわ。知られるようになったのもつい最近ですもの。雑誌なんかでは特集組まれてたりしてましたけど………新聞読んでないのなら、知らないのも当然ですわ。突如彗星の如く現れて、一躍有名になった方ですから。
でも、それほど探検家としての能力は素晴らしいのだと、そう言われておりますわ」
相変わらず不機嫌な様子のシズクだが、まあ一応答えは得られて満足しているようだ。ふん、と鼻を鳴らしている。ケンジも、そんな彼女の態度を宥めようとも思ってないようだ。
「へえー」
「あっそ。でも、最近現れて雑誌乗ったりするほどなんて、相当な実力らしいのね」
「嗚呼、そこそこ。俺達みたいなギルドで修行してる弟子とかは分かるだろうな………世間に名が知れるまでの努力が。だから、探検家として活動を始める前から、実力はあったんだろう。
そして、これは聞いた話なんだが…………まず特徴的なのは、チームを持たず単独で行動していることだ」
「い、一匹で?」
これには驚かされた。探検隊をやっている身なのだから、チームの仲間がいるということの大切さは理解している。そのことに関しては、シズクだって認めてくれたぐらいだ。一匹で単独行動なんて辛いだろうな。ケンジはそう思っているが、独り好きなシズクはそのやり方にも案外頷けていた。勿論、昔はケンジだって独り好きだったが、最近はこのギルドでわいわいな雰囲気に染められてすっかりその頃の気持ちが抜け落ちてしまっている。
「そうだ。腕に相当の自信があるんだろうな。
だが、もっと凄いのはその知識量だ。世の中のことで知らないことは無いと言うぐらい、様々な物事を知っているらしい」
「へぇー…………物知りなんだね………」
「………ふーん……」
そんなに物事を記憶しているのならきっと頭も良いことだろう。何事も計画を立てて進めそうな慎重で扱いにくいタイプのようだ。となれば、このギルドに来たのも…………何か策だったりするのだろうか。そこまで考えたところで、シズクは頭を振ってその考えを追い出した。たとえ何か企んでいたとしても、それが自分達に関係するわけない。そう考え直すが、何故か猛烈な違和感が心を苛むのである。
「あくまで噂ですわ。でも、その知識で探検を次々と成功させていっている、という実績もあるわけですし………今ではナイトを尊敬するポケモンもかなり多いと聞きますから………あながち嘘ではないと思いますね」
「……そうなの…………。
一つ聞くけど、あのナイト………って、このギルドに来たこと、あったりする?」
「いや、無い。今日が初めてだ。リナーが足形を判別出来なかったぐらいだからな。多分、親方様も会うのは初めてなんじゃないかな………」
「えっ?でも、あんなに仲良さそうに話してるけど?」
「親方様はああいうお方なんだ。初めて会おうが何だろうが、会話に支障は無いだろう」
「ふーん、そう…………」
一方で、彼らが話している内に、パティとナイトの会話もまた進んでいた。話の主導権を握ろうとするナイトを翻弄するように、本題に行こうとしても、世間話やら何やらに会話が移り変わってしまう。そんなパティの雰囲気と態度に僅かながら苛々しながらそれを表に出さないよう必死で愛想笑いに努め、適当とは思われないぐらいに相槌を打ちながら、ようやく目的の情報を引き出すことに成功した───のだが。
「…………なるほど、それは残念でしたね……」
「うん。今回は大失敗♪何も分からなかったよう♪」
彼らの会話のテーマは、今『霧の湖への遠征』について。同情したような、『残念』そうな表情を出しながら、心の中では疑問符が大量に浮かんでいた。
(…………………どういう………?)
「プクリンのギルドが霧の湖に挑戦するとお聞きしたので、その成果を伺おうと此方へ参ったのですが…………」
どうにか話を続けようと話題を引っ張ってみるナイト。相手が嘘をついているのなら、それを暴こうと眼や身体の動きを見て探ろうとするが、さっきから笑顔のまま表情を崩さないパティが嘘をついているのかどうか分からない。眼は相変わらずきらきらと真っ直ぐに此方を見ているだけだし、『嘘をついた』という証拠が見当たらない。それに相手の答えは。
「ごめんね〜♪何もわからなくて〜♪」
この、一言だけだ。
(わからなかった?どういうことだ?…………まさか、此処にいる者全員霧の湖到達したものの記憶を消されたのか………?それとも霧の湖へ辿り着くことすら出来なかったのか………?
いや、それにしては遠征期間がどう考えても短すぎるだろう。仮にも大陸を代表するようなギルドだ。名誉を傷付けないためにも何日間かその場に留まることが普通な筈だ。それを『何もわからなかった』で終わらせ、すぐにギルドに帰還………これはきっと、霧の湖で何かを見つけたが故に戻ってきたからなのかもしれない………そうでなければこんな短い遠征はないだろう。
もし霧の湖で何かを見つけ戻ってきたのなら、それは『時の歯車』でまず間違いはないだろう。そしてそこにいる湖の守護者………ユクシーには少なからず会っているはずだ。だが記憶を消されていないのなら………ユクシーに歯車についての口止めをされ、そして戻ってきた………そう考えるのが正しいか。
とすればこいつらは遠征先で歯車を見たことになる。となれば、まだそこには歯車はあるという訳で…………リハンデは手を出していないということか………)
「いえいえ、いいんです。それよりも、これもきっと何かのご縁。私はしばらくトレジャータウンに滞在する予定なのですが…………その間に、時々此処へお邪魔しても構わないでしょうか?此処は新しい情報が入りやすい場所なので、私の探検にも役立ちそうなのです」
「それなら!全然オッケー!!ここは他の探検隊も普通に出入りしているし、もう大歓迎だよ♪
と、いうわけで皆!!このナイトさんが…………しばらくはトレジャータウンにいると思うから、よろしくねー♪ナイトさんは有名だし物知りだから、皆も相談したいこととかあると思うけど、そこはあまり迷惑かけずにお願いね♪」
パティの呼び掛けにメンバー達は元気に返事をしている。珍しく、いつもの彼とは違うリーダー的なところが覗いているようである。
「…………なんか。紳士的だよね。優しそうだし」
「優しそう?なんか考えてるっぽくない?私あんまそうは思えないんだけど」
「それはシズクがそう思ってるからだよ。礼儀正しくて強くて物知りなんて、凄いな…………」
ケンジはナイトのことを尊敬し始めている様だった。それに対しシズクは、先程感じた『なんか企んでるんじゃないか』という考えも忘れていない。なんか違う、そうじゃない、とケンジと話しながらそう思っていた。彼女は、ナイトを最初見たときに嫌悪感すら感じていたが、それも少し噛んでいるようだ。別に種族差別とかって訳じゃないけど、でもなんか嫌な感じ。
「皆!!有名だからといって、間違ってもサインをねだったりしないようにな!」
「…………いえ、サインぐらいお安いご用ですよ。
私の知識など拙いものですが、それでも皆さんのお役に立てれば幸いです。何か相談があれば、遠慮なく聞いてくださって構いませんよ」
「こ、光栄でゲス!!」
「こちらこそよろしくですわ!」
自分がそうやって協力を申し出たりするだけで嬉しそうに笑う彼らを見て、ナイトは血や痛み、本当の恐怖を知らないこの世間を嗤っていた。此方に向けられる尊敬と憧れの眼。きらきらと輝く純粋で無垢な瞳と声。嗚呼、なんて馬鹿らしいのだろう。この甘さを嘆くが、これはナイトにとって都合の良すぎる状態である。
先程のツタージャだけである。一番気になるのは。皆が皆盛り上がるなかで、彼だけが、ナイトが浮かべているような愛想笑いの類いのようなものを作りだし、周りの話に加わっている。年齢、種族…………異なるところは多いものの、一致するところもまた多い。
(そのことについてはまた、後で調べてみよう)
とにかく第一段階はこれでいい。今は丸っきりナイトに有利な状況だ。この流れを変えることのできるものはもはやいないだろう。
嗚呼、本当に、
嘲笑えてくる。
***
(くそっ…………ついに来やがった、あの野郎!!!このギルドに来るとは思っても見なかった…………!僕に気づいていたのか?いや、それにしては反応が薄すぎるだろう、あれは…………くそ、どういうことだ!!あの方はまだ此処に来てはいないが…………近い内に訪れるかもしれない!そうなれば状況は最悪だッ………!よりによって明日の三時に彗星と流星群…………どういう偶然だ、こんな状況…………!!
もういっそ、一旦ギルドを抜けて探しに出掛けるか?いや、そんなことしたら自分から答えを晒しているようなもんだ!
どうすればいい…………?熱水の洞窟でのあいつらもこの世界にいるし………クラウの奴も心配だし…………ここでどっちも重なってくるとは思ってなかった…………一体どうすればいいんだ…………!
今はあいつが…………リハンデが時の歯車を全て集めるまで待たなければッ!そうしなければ下手に行動できない…………それまで、なんとかしてあの方を見つけ、そして守り抜くんだ………。
僕は…………どうすればいいんだ。護るべき方々が周りにいるのに、力がない…………!騙すための頭脳もない………探さなければならない人もいる…………どうすればいいのか…………教えてくれませんか…………………?
ゼルネアスさん……………………………!!)
彼は、心の痛みに、悩みに、形のない涙を流す。