01
「ねぇ」
それが自分に向けられた言葉だと気付くのに少しだけ時間が掛かった。
声を掛けてきた相手が知らない女性だった事が理由の一つだろう、その女性がアイドル顔負けの美少女だった事も後押ししているのかもしれない。
恋人いない歴がイコールで年齢、幼稚園時代に隣の家に住んでいた女の子が「大きくなったらゆーくんのお嫁さんになる!」と言っていたのが唯一記憶にあるモテ期だった俺が、路上でいきなりこんな美人に声を掛けられるはずがないのだ。
だが、この場にいる人間が彼女の他には俺しか居ないわけで、それが彼女の独り言でもない限りは俺に向けられた言葉なのだろう。
大学生、あるいは高校生だろうか、あまり背は高くなく顔付きもまだまだ子供らしさを残している、年齢は俺より幾つか下だろう。チェックのコートに白いマフラー、派手さはなく大人しくまとまったコーディネートで、あまり目立ちそうな装いではないはずなのだが、不思議と目を惹くのは彼女自身が持つ雰囲気、こういうものをカリスマって言うのかもしれない。思わずそんな事を考えてしまうような美少女だ。
もう一度辺りを見回してみてもやはり俺以外の人間の姿はない。恐る恐る自分を指さしてみる。これでやっぱり俺のことではなかったら死ぬほど恥ずかしいのだが、彼女はコクリと頷いて見せた。どうにも間違いはなさそうなのだが、心当たりがまったくない。年中モテ期のリア充共ならともかく、俺のようなぱっとしない地味男が「お兄さんかっこいいですね、お茶でもどうですか?」とか誘われるはずだってないのだ。
いったい何が目的だとドキドキしながら、断じて何かを期待してドキドキしていた訳ではない、と言い聞かせながら俺は尋ね返す。
「どうかしました?」
すると彼女は如何にも形容し難い笑みを浮かべて自分の頭を指す。前頭部、額より少し上。満面の笑顔でもなく、穏やかな微笑みでもなく、と考えていたらしっくりと当てはまる言葉を見つけた。苦笑。
「糸くず、付いてるよ?」
「だから何だっつーの!」
ここまでが数時間前の話である。色っぽい展開を期待していたわけでもないし、艶っぽい展開を期待していたわけでもない、ついでに言うと甘酸っぱい展開だって期待してはなかった。本当だ、相手は高校生くらいだ、四つ下の妹と同い年くらいだ、そんな子供に手を出すはずがないのだ。やっぱり年上のお姉さんの方が素敵だ。
何も期待していなかったとは言え、頭にゴミが付いてると指摘されるとは思っていなかった。予想外の言葉に絶句していると「あれ、もしかしてわざと付けてたとか?」なんて言いやがった。もちろんそんな訳はない。オマケにとどめがこれだ。
「変だから辞めた方が良いと思うけど」
そんな奇抜なファッションを取り入れた記憶は元々ない。だが俺は何も言い返せずその場を後にした。別に逃げた訳ではない、全力で走り去ってやったが用事を思い出しただけで、決して逃げたわけではないのだ。涙目にだってなっていない。
「リア充ども爆発しろってんだよな? な?」
相棒のライボルトに同意を求めてみても、こいつはくぁーっと眠たそうに欠伸をするだけだ。愚痴りがいのない奴め。仕方なしに俺は自分の仕事に戻る事にする。
姉崎服飾店、それが俺の実家で職場だった。主にポケモン用のコスチュームを取り扱っている。数日前のコンテストライヴに出ていたピカチュウのドレス、あれも実はうちの店の作品だったりする。まぁ作ったのは親父なんだけど。
鬼のような強面に、二メートル近い長身、筋肉の鎧を身に纏いまるでゴーリキーのような体格の親父から、どうしてあの繊細な作品が出来上がるのか疑問である。俺はお袋似なのであまり親父とは似ていないのだが、手先の器用さと服飾のセンスだけは親父に似たようで、そんな親父の後を継ぐべく現在は修行中と言うわけだ。
そんな修行中の身の俺が作った衣装などをお客さんのポケモンに着せる訳にはいかない、俺の仕事はもっぱら雑用みたいなものである。生地など材料や消耗品の発注、注文の受注や商品の配送、そして空き時間に練習として親父が作った衣装を真似して縫ってみたりする。最近はだいぶまともになってきたので、見本として店内にレイアウトしてみたりもしている。
「まぁこんなもんか」
どうだ、と出来上がったそれをライボルトに見せてやろうとしたが、ライボルトはいつの間にか気持ち良さそうにいびきをかいていた。本当にこいつはいつも寝てるか食べているかだ、前世はカビゴンだったに違いない。
どうせこいつに見せても大した反応は返ってこないのだ、無駄なリアクションを求めるのは辞めにして、店頭にモデルとして飾っておくことにする。我ながらと言うべきか、俺にしてはと言うべきか、なかなかの出来上がりだ。これなら俺がお客さんのポケモンをコーディネート出来る日も近いんじゃないか?
満足げにそれを見上げていると、唐突に店の扉が開いた。珍しいと思いながら振り向いて小さく呻いた。
「あれ、さっきのアホ毛の」
なんでこんな所で遭う羽目になるのか。そこにいたのは数時間前に出会ったあの女の子だった。
誠に不服であるが、客は客だ。遺憾の意を込めて「いらっしゃいませ」と告げる。誰がアホ毛だ、いつから頭に付いていた糸くずをアホ毛と呼ぶようになった。
しかし彼女も何故か不服そうに腕を組む。
「頭に糸くず付けるセンスはなぁ……」
「どこの世界に好んで糸くず付ける奴がいるか」
さすがに今度は反論した。ホームグラウンドで情けない姿はと言いたい所だが、お客さんに向かって突っ込みを入れるのはどうなのだろうか。少し反省。
「え、でも今も付いてるし」
「え、マジ?」
「嘘」
このクソガキが。反省したのは撤回する。可愛い子は性格が悪いと言うのは本当らしい、実際に性格の悪い美人なんて一部なんだろうけど、こういうのがいるからそんなイメージが一人歩きするのだ。全国の性格の良い美人さん達に謝らせるべきだろう。
「まぁいいや、見るだけならタダだし……」
と彼女が俺から視線を逸らし、目の色が変わった。
「これ、誰が作ったの?」
彼女は俺の目の前のドレスを指差してそう尋ねてくる。あのピカチュウのドレスだ。
「俺だけど……と言うか、店に飾ってある奴はだいたい俺の奴だし」
親父は何故か見本としてでも衣装を飾ろうとはしない。俺だって売り物なら飾ったりなんてしないけど、お客さんにどんなのが良いか選んで貰う為に見本くらいは出した方が良いと思っている。
「……もしかして、あなた意外と良いセンス?」
彼女は心底驚いて俺を見つめる。誉められてるはずなのにバカにされている気しかしないのは何故だろう。
「作ったのは俺だけど、デザインは俺じゃなくて親父だから」
実際にここにある衣装はすべて親父が造った物を真似した物だ。なので、本当の意味で俺の作品とは言えない。親父が考えたデザインがなければ、今の俺にこんな物は作れないだろう。
「なんだ、じゃあお父さんは?」
だから、彼女が親父に話を通そうとするのも当然だ。だが、彼女か親父に衣装を注文するのは不可能だった。別に嫌な客だからと言って受注を拒否する訳じゃない。
「親父なら今はホウエン地方に出てるからいないぞ」
ホウエン地方で開催されるコンテストライヴに出場するポケモンの為に、わざわざ現地に出向いて衣装を作っているのだ。親父はポケモン用の服飾職人としては一流で、遠い地方からも依頼や注文が舞い込んでくる。親父の作る衣装の人気が非常に高いのだ。
そのせいで親父は家を空けている事が多い、親父は実際にそのポケモンを見なければ仕事を受けないのだ。仕事を受ければ絶対に相手のポケモンを自分の眼で確認するとも言える。もし遠い地方から注文が入れば、その地方までわざわざ出向く事すら日常茶飯事だ。親父のそのポリシーは尊敬しているし、俺も見習いたいと思っていた。
「悪いがそんな訳だから注文は受けられないんだ、本当に悪いな」
と言いながらあまり悪いとは思っていない。予約だけ受け付けて親父が戻り次第注文を受ける事も出来るが、面倒でしなかった。親父が帰るのは二週間後の予定だ。
「ふーん、じゃあこの辺りの飾ってるのを──」
「それは売り物じゃない!」
店内の物色を始めようとした彼女を止めようと叫ぶ。半ば怒鳴るようになってしまい、彼女は驚き身を竦めたままこちらを見ていた。
仮にも相手はお客さんだ、クレームものだ。不味いとは思ったがそれでもそれらは絶対に売るわけにはいかない。
「すまないけれど、店に出てるのは全部非売品だ、俺もまだ見習いだから、親父が帰ってくるまでは勝手に衣装を販売したりは出来ないんだ」
慌てて付け加えた弁明に、彼女は不機嫌そうに衣装に視線を向ける。それでも納得できないのか、あるいは親父の作った衣装がそれほど気に入っているのか、彼女は店を出ていく素振りを見せない。
「物はあるんだから、別に売ってくれても良いじゃない」
彼女はそう言った。
「これ、ピカチュウ用でしょ? うちの子もピカチュウだし全然問題ないじゃない」
その一言が俺の癪に触れた。
「それが問題あるから売れないって言ってるんだよ!」
今度は本気で怒鳴った。自分が店員で相手は客、それでも、いや、だからこそ怒鳴らずにはいられなかった。
「腕回して見ろ」
怒鳴られたせいであろう、彼女は少し怯えた様子を見せながら言われるままに両腕を肩から回す。客を怯えさせるなど論外、接客態度としてはもはや目も当てられないのだけど、構わずに続ける。
「例えば、そこで寝てるライボルト」
俺は相棒のライボルトを指さす。結構大声で怒鳴ったと思うのに、まるで我関せずと言わんばかりに寝息をたてていた。気楽なものだ。
「ライボルトみたいなポケモンの前脚の可動域はだいたいこれくらい」
ぐるぐると回させていた彼女の両手を掴み、右手は上に、左手は下に向けさせる。上と言っても真上ではないし、反対に下も真下ではない。身体より前の方だ。
「ライボルトの脚はこれ以上後ろには曲がらないし、肩を回すような可動域もない、前後には動かせるけど横に開いたりとかは出来ないんだ」
彼女はどういう事かわからずにいるようだった。ポケモンと人間の身体の可動域が違うと言うことを正しく理解出来ていない。
「ポケモンに服を着せるのと、人間が服を着るのを同じように考えるな、粗悪な服や合ってない服を変に着せて関節の動きとかを邪魔すれば当然普段と同じ動きだって出来なくなる」
普段出来る事が出来なくなる。初めてうちの店に来る客は、ほとんどの人が彼女と同じようにその重要性に気付いていない。ただのオシャレとして、デザインにしか眼が向いていないのだろう。
それは、いつかポケモンに大ケガをさせる。
「例えば飛び跳ねようとした時、脚が普段通りに動かなければ上手く跳ねられなくなるし、着地に失敗すればケガだってするかもしれない」
人間だって、肩が上手く回らない服や、膝が曲げられない服を着ていたとしたら普段通りに動くことなんてできないのだから。
「同じポケモンだからって、足や腕、身体周りとか全部サイズが同じ訳はないんだ、手の長さが違う、尻尾の太さが違う、それだけで同じ服は着れなかったりもするんだよ」
実はポケモン用の服が大量生産はされていないのはこの辺りに理由がある。そしてこれが最大の問題だ。
「人間だったらサイズが合わないってただ一言口で言えばいい、でもポケモンにはそれが言えない、トレーナーだってそれ全部を察してなんてやれないんだから」
だから、だ。親父は完全なオーダーメイドの仕事以外はしない。自分の眼で見て、採寸も慎重に行って、人間が着る服なんかよりも細心の注意を払って作る。そして、試着して安全まで確認して見届けるのだ。ポケモンは分かり易く言葉でなんて示してくれない、だから俺達はそこまで責任を持って付き添わないといけないのだと、親父は俺に教えてくれた。
だから、俺が練習用に作った衣装だからとかそれ以前の問題で、彼女のポケモンの為だけに作られた物ではないから、だから売れないのだ。それだけの理由だけど、それだけの理由で譲れないものなのだ。
「ポケモン用の服ってのは人が着る服以上に作りとか、着心地とか、着易さとか脱ぎ易さとか、そう言うのをちゃんと考えてやらないといけないんだ、だから……って、あれ?」
ふと我に返り言葉を詰まらせる。彼女はポカンとして目を丸くしていた。言い過ぎたのだろうかと思っていたら彼女の口からは意外な言葉が飛び出してきた。
「ポケモンの服って凄い!」
なにやら俺の熱弁に感激していたらしい。急に態度を変えられると少し気持ち悪さのような違和感が残るけれど、ポケモンに服を着せると言うことを理解して貰えたのならクレーム覚悟で説教してやった甲斐もあったと言うものだ。
「ねぇ、次のステージ衣装、お願いしたいんだけど」
彼女が眼を輝かせながら言う。想定とは違ったけど、店の客を増やすと言うことには繋がったということで良しとしよう。しかしステージ衣装ってことはコンテストとかやっているのだろう、次の大会までの日にちはわからないけれど親父が帰ってきてからの製作で間に合うのだろうか。
「いや、さっきも言ったけど、親父は今ホウエンに行ってていないんだ、だから注文を予約しておくとしても実際に作り始めるのは二週間、いや三週間は先になっちゃうんだけど」
彼女がポケモン用の衣装を少し理解してくれたこともあって、今度はだいぶ落ち着いて対応出来ていた。さっきまでの接客が酷かっただけかもしれないが。しかし彼女はまた俺を慌てさせる事を言う。
「お父さんじゃなくて、あたしはあなたに注文したいの」
「……は?」
一瞬何を言われたのかわからなかった。頭の中でもう一度噛み砕いて言葉をリピートする。
「いやいやいや、俺なんてまだまだ見習いだし実際にポケモンに着せる服を作るなんてまだやったことないし」
「でもこの辺りの服は全部あなたが作ってるんでしょ?」
確かにそうだ、店に出ているのは全部俺が製作した見本、そう見本だ。だからポケモンが実際に着ることを想定しては作っていない。練習だからと手を抜いたつもりはないけれど、実際にポケモンに着せられる服としては作っていない。ポケモンに着せられる服と、ポケモン用の形をした服では大違いだ。
「お父さんに見てもらってとかならダメなの? 別に今すぐ必要ってわけじゃないし」
確かにそれならばポケモンに着せても大丈夫な服は作れるかもしれないが、もちろんそんな無茶苦茶な注文を店主である親父が留守の間に勝手に受け付ける訳にはいかない。
「別に親父に作ってもらった方が早いだろ、わざわざこんな見習い捕まえてこなくても」
「あたしは、あなたのポケモンとポケモンの衣装に対する熱意が気に入ったんだもの、今までのスタイリストさん達はそんな事教えてくれなかったし」
その熱意に感化されたらしい、彼女は大きく身を乗り出し詰め寄ってくる。近い、あまりのムカつき加減に忘れていたが相手はアイドル顔負けの美少女だ。三つか四つの年の差なんて、学生時代は子供にしか見えなかったが、社会に出てみれば大した差ではないんじゃないだろうか。いやいや、落ち着け俺。相手はあの性格だぞ、でもこうやって話を受け入れてくれる素直な一面もあるってことは悪い子ではないんじゃないか?
「お、俺が勝手に決めていい事じゃないから、とりあえず店主である親父に相談して、それで許可が出たら……」
そこまで口に出して気付く。仕事を迫られているだけで、別に交際を迫られているわけではないんだよな。微妙にがっかりしている自分がいることがショックだった。
「とりあえず、予約って事で受付票だけ書いてもらえるかな?」
カウンターに戻り受付票の用紙とペンを取り出すとそれを彼女の手渡した。必要項目、と言っても名前と年齢、連絡先、それから服を作るポケモンの名前くらいのものだ。
「はい」
彼女はさらさらと記入欄を埋めて受付票を提出する。少し小さめで綺麗な字だった、微妙に丸みがかっていて女の子って感じがする。海鳴英里莉、とりあえずその五文字は眼に焼き付けた。
「……ん?」
「ん? 何か書き方間違ってる?」
間違っている訳ではないと言うか、別に大した事ではないけれどちょっと驚いたと言うか、まぁ他にも確かに正しくはない部分はある。
「ポケモン、ピカチュウって言ってたよね?」
俺が尋ねると彼女も自分のミスに気が付いたらしい、彼女はポケモンの名前の欄をニックネームで埋めていた。少し顔を赤くして「直すから」と言った彼女に俺は大丈夫だからと返す。
不思議なもので、一度可愛く見えてしまうと何をしても可愛く見えてくる。彼女の仕草一つ一つに見蕩れそうになっては、仕事中だと自分を戒めた。
「とりあえず親父には連絡してみるよ」
「うん、期待してる」
親父に電話を掛けようとした俺に彼女はそう言って笑顔を見せた。あまり期待されても困るんだけど。結局俺が見習いだって事には変わらないんだし、親父に頼んでも許可が出るかなんて保証は出来ないんだから。
「善処はするよ」
最初は物を販売するのも嫌だったはずなのに、今は彼女の為に頑張っても良いと思っている。うん、これはもしかしてもしかすると惚れてしまったのだろうか。有り得ないと思いたい所だけど、そんなに悪い気持ちではない。
「あ、もしもし親父?」
運が良いことに親父はすぐに電話に出てくれた。仕事中なら繋がらない事もある、仕事中以外でも繋がらない事がある、そんな親父なのでこれは運が良い方である。
とりあえずお客さんに説教をした事実は伏せながら事の顛末を伝える。俺自身がどうしたいか、と言うのは口にしなかった。正直に言うと彼女の為に俺の手で衣装を作ってあげたい気持ちと、まだ見習いの俺がお客さんのポケモンに衣装を着せる不安は半々だった。
きっと上手くやれる自信があったならやらせてくれと頼んだだろう。だから内心では半分くらい親父の許可が下りないことを期待していた。失敗して彼女のポケモンにケガをさせたり、彼女に失望させるよりはずっと良いはずだと。
しかし親父は存外簡単に「良いんじゃないか?」と返してきた。親父に信頼されている、と言うことで良いのだろうか。だが正直に言うならやはり自信はない、だから幾つかの条件を出す。
「採寸や試着には親父にも立ち会ってもらうし、所々監修を入れてもらう、それで良いなら、俺がこの仕事、受けるよ」
その条件に親父も彼女も二つ返事で頷いた。この仕事を受ける、それはそのまま俺の初仕事と言うことになる。そう自覚したら相手が彼女と言うことに関係なく緊張が湧き出してきた。
「よかった、これで一安心ね」
むしろここからが安心できないところなのだけど、彼女の嬉しそうな顔を見ていたらそんな不安で水を差す事は出来なかった。
「えーっと、じゃあそうだな、デザインとかはどうする?」
正直に言うなら店内にあるデザイン、つまり親父のデザインから選んでくれるなら失敗は少ないだろうと思う。お客さん用に作るのも初めてだけど、零から新しくデザインする経験も限りなく足りていない。
「うーん、お任せしても良いの?」
「まぁ、希望とかがあれば考えやすいとは思うが」
あまり変な希望を出されてもハードルが上がって困るのだが、なにもないところから考えるよりはマシかもしれないとそう尋ねてみたけれど。
「じゃあ可愛いのがいい」
何の指針も得られずにハードルだけがさらに跳ね上がった。
「まぁ、幾つかデザインを考えてみるよ、その中から気に入ったのを選んでもらうって形で良いかな?」
幾つか考えておけば、きっと一つくらいは気に入るのがあるだろう。全部センスないとか言われない事を祈るばかりだ。
「デザインが完成したら連絡すれば良いかな?」
「うん」
彼女がはにかんで頷く。それだけで緩みそうになった頬を、なんとか引き締めると「出来次第連絡するよ」と返した。
「じゃあ、連絡待ってるからね」
去り際の彼女の一言にドキッとする。仕事の、の一言が抜けるだけでまったく違う意味に聞こえてしまうのだから怖いものだ。
俺以外の誰もいなくなった店内で彼女の余韻に浸っていると、くぁーっとライボルトが大きな欠伸をした。やっと起きたのか、いや、それよりも、居たのか、おまえ。
半身を起こしたライボルトにこの気持ちを聞いて欲しくて話しかける。
「やべぇな、完全に惚れたかも」
しかしライボルトは相変わらずの様子でもう一つ大きく欠伸をすると、そのままごろんと横になった。まったく、なんて付き合いの悪い奴だ。
仕方なく、俺は手元の受付票、唯一の彼女との繋がりに目を向ける。驚いたものだ、あの見ためでまさか、俺より一つ上だとは思わなかった。
「あにぃ!」
余韻を引き裂いて突然飛び込んできた騒々しい客に眉をしかめる。いや、客ではないか。
「珍しいな、里佳、おまえが店の方に来るなんて」
姉崎里佳子、四つ下の妹で、見た目が高校生くらいで俺よりも年上だった彼女と違い、正真正銘の現役高校生だ。親父に似ず俺と同じでお袋似の妹は、俺と違い手先までお袋に似て不器用なのだ。雑巾一つ縫えない為、店の方に顔を出すことはめったにない。ちなみに可愛げもない。
「そんなんどうでもいいから、それよりこれ見て!」
里佳子が自分の携帯を突きつける。画面はなにかのサイトのようだ。
「なにこれ?」
「エリーのつぶやき!」
つぶやき、ソーシャルなんとかって奴か。
「俺、あんまりそう言うのやらないんだけど」
「別にあにぃに友達いないことくらい知ってる!」
別にいないわけではない、確かに多くはないけど。だが妹相手にムキになって訂正するのも面倒くさい、せっかく人が良い気分に浸っていたのだから早くお帰り願おうと横やりはいれないでおく。
「エリーってあのコンテストアイドルの?」
アイドルとか芸能人とかあまり詳しくはない。今をときめくトップアイドル、歌って踊ってポケモンコンテストも出来て、テレビでも引っ張りだこ、ならしい。
「そのエリーが、なんでうちの店のこと呟いてるのよ!?」
「はぁ? そんなことあるわけ……」
妹の携帯をよく見ると、確かに絵文字混じりの文で、何故か姉崎服飾店についてのコメントが投稿されていた。
今日、姉崎服飾店って言うすごく良いお店見つけちゃった。アホ毛の店員さんがポケモンとポケモンの衣装に対してすごい熱心に取り組んでるお店でちょっと感激しちゃった。
それでコンテストの衣装注文したから、間に合えば次のコンテストでチュカに着せてあげられるかも。楽しみ。
「……あ」
投稿者のアイコンを見て思わず声を上げた。そりゃあ美少女なわけだ、並のアイドルなんか相手になるわけない。そこには、さっきまで目の前にいた美少女がピースをしてピカチュウと一緒に写っている。
コンテストアイドルのエリー、本名海鳴英里莉。
さらに新しい呟きが投稿される。これからはあのお店で衣装作って貰っちゃおうかな。まさしくトップアイドルのお墨付きだった、まだデザインすら上がっていないと言うのに。
こうアイドルに絶賛されると衣装の注文も増えるだろうし、彼女のファンが押し寄せるかもしれない。忙しくなるな、どう考えても。なおも騒々しく喚き立てる妹から目を逸らし気持ちよさそうに寝ているライボルトを見る。のんびりとした姿が羨ましくもあり、妬ましくもある。
いつまでかはわからない。だが、それを悪くないと思う自分がいるのも確かだった。幼く見える年上のあの彼女に振り回される生活が、ほんの少しだけ長く続けばと、心の中でこっそり願った。