第三部 鋼牙の意志
祈り捧ぐ歌姫
† 祈り捧ぐ歌姫 †


クァーレンチノ暦七十五年二の月

城塞都市クァーレンチノ



お城での生活は、苦しいものではなかった。
誰もがチルノを巫女として扱い、生活自体も、今までよりもずっと贅沢なものである。
欲しいものはなんでも手に入る。
その代わり、自由ではなかった。


「チルノ……」
リオンが心配そうに向かいの椅子に座るチルノの顔を覗き込んだ。
巫女、とは呼ばない。
チルノ自身が名前で呼ぶよう頼んだからだ。
「外へ、出たいのか?」
リオンが尋ねるとチルノは頷いた。
「ここにはなんでもあるし、ご飯だって美味しいけど……」
彼女の瞳は、ここではないどこかを夢見ていた。
「みんなに会いたい」
そこには、きっと彼女の仲間が、ヨーランやブレンが、彼女の帰りを待っているのだろう。
「……シトレンチノか」
リオンは、前の任務を思い出していた。
祈りの巫女を保護するためとはいえ、街一つ潰してもいいとは、やはりやりすぎではないのか?
そう思ったものの、既に過ぎた時間は戻らないと、軽く頭を振った。
「……シトレンチノまでは……無理だろうな」
小さくつぶやく。
「上に掛け合ってみよう、外出の許可がとれるかどうかはわからんが」
リオンはそう言うと立ち上がった。
「え、リオン?」
「街の中を散策するくらいなら、なんとかしてやる」
それだけ言って、リオンは部屋を出た。


巫女の素養の持つ者が、病気にでもなられてはたまらない。
なんといっても、巫女はこの国の命運を握っているのだから。
言い訳はそんなもので良いだろう、リオンはハルシファムの下へと歩き始めた。


存外、なんとかなるものだと、リオンは驚いていた。
「ずいぶんあっさりと許可を出すな」
リオンはその真意を図り切れず尋ねた。
「構わんからさ、城下町を散策するくらいならな」
ハルシファムはそう言う。
「それに、巫女の世話はおまえに任せたと言っただろ?」
「……子守か」
リオンは自嘲的に呟く。
世話と言ってもやることなどない。
おまけに、身の回りの世話はまた別の者が受け持っている。
リオンの仕事など、せいぜいチルノの話相手になることくらいだ。
鋼牙師団の若きエース等と呼ばれていた彼には物足りない仕事である。
「護衛と、巫女の信頼を得る重要な仕事だ」
ハルシファムはそういうが、リオンにはわからなかった。
「まぁいい、ならば明日にでもチルノを街へ出す」
「あぁ、それまでに護衛をもう一人回す」
できるなら空を飛べるものだ、とハルファムがつぶやく。
「なら、キスティスを連れていく、彼女なら実力も人間性も問題はないだろう」
「あぁ、その人選で正しいと思うならそうしろ、俺には異論はない」
キスティスにその旨を伝えようと立ち上がったリオンをハルシファムが呼び止める。
「……いつのまにか、巫女を名前で呼ぶようになったな、あまり入れ込むなよ」
「本人がそう呼べと言った、それだけだ」
リオンはそう言うと、ハルシファムの部屋を後にした。




翌日、リオンとチルノは城下町へ降りてきていた。
卵のような楕円形の身体に羽が生えたようなポケモン、トゲキッスのキスティスも一緒である。
チルノとキスティスは、始めはお互いに距離をとっていたものの、少しリオンが仲を取り持っただけで打ち解けた。
元々社交的な性格の二人だ、打ち解けてしまえば後は早かった。
「それでね、ここのポフィンが絶品なのよ」
キスティスが街を案内し、チルノはいちいち反応する。
リオンはそれを後ろから眺めていた。
まるで仲の良い姉妹のようにも見えて微笑ましい。
はしゃぐチルノにキスティスが連れ添う。
チルノが言うには、仕事できたことはあるけど、忙しかったから見て回ることまではできなかったらしい。
チルノにはどれもが新鮮だったようだ。


「ねぇ、リオン」
ぼんやりと人の流れを眺めていたリオンは、急に声をかけられ振り向いた。
「ど……っ?」
突然口のなかに放り込まれたそれに、リオンは驚いた。
「……ポフィンか」
「ね? おいしいでしょ?」
チルノは嬉しそうに笑う。
「……そうだな」
リオンはため息を吐く。
「さっすがチルノん、リオンちゃんてば食べず嫌いばっかりなのよ」
馴々しい奴だとは思っていたが、その馴々しさがリオンは羨ましい気さえした。
「キスティスはな、マトマが大好きなんだ」
「えっ、そうなの?」
「違、やーよ、マトマなんて」
焦りの表情を浮かべるキスティスにリオンは笑い声をもらす。
「チルノん、リオンちゃんの秘密、知りたくない?」
「え、なに?」
「……キスティス、嘘を吹き込むのはやめろ」


その後も、三人はクァーレンチノ内を廻った。
「それでね……リオン、どしたの?」
ふいに、それまで喋りっぱなしだったキスティスが口を閉じた。
「……キスティス、チルノを連れて城へ戻れ」
リオンが静かにそう告げる。
「どうしたの?」
チルノが問い掛けるが、リオンは首を横に振った。
「また、散歩くらいなら連れてってやる、だから……」
リオンの真剣な様子に、チルノは頷くと飛び上がった。
キスティスもチルノに寄り添うように飛んでいく。



そして……


「装備はないが、構わんか……」
リオンは呟くと振り向いた。
街をゆくポケモンの流れのなかに、真っすぐにこちらをにらみつけるポケモンが二人。
ボールのように丸く青い身体に、手足と耳が付いたようなポケモン、マリルと、背中にいくつもの針を背負ったポケモン、サンドパンがいた。

「……知らん顔だな」
だが、リオンは感覚的に理解していた。
それが敵であると。
「さすが鋼牙師団次期団長候補といったところか」
マリルは言う。
「ここで暴れたくはないのはお互い様だろ、付いてこい」
リオンには付いていく義理はない。
それどころか、ここで暴れずに二人を撃退する自信があった。
それでも、二人に従ったのは単純な理由だった。


「これだけか?」
周囲を取り囲むポケモン達を見回し、リオンは言った。
数は十人ちょうどである。
奴らの正体は、反王国軍、紅蓮の牙だ。
罠があるのもわかっていた。
どうせなら仲間まで潰してしまおうと付いてきたのだ。
「ずいぶんと余裕振るじゃないか、この水星ことマ……」
「おまえらほど暇じゃないんだ、下らんお喋りならあの世で続けろ」
リオンが言う。
苛立たし気に顔を歪ませるマリルを制してサンドパンが出る。
「お相手願おうか、砕撃、参る!」





二人は無言で城を目指していたが、ふいにチルノが羽を休めた。
「チルノん、急いでよ」
「……うん」
誰かに呼ばれたような気がしたのだが、チルノは頷くと城へと羽ばたいた。

街からは出ていないのだ。
城へはすぐに着いた。
二人は城門へと降りていく。
その時、また呼ばれたような気がしてチルノは空を見上げた。
今度は、さっきよりもはっきりと聞こえていた。
城の、西の塔。
一つだけ開いた窓。
チルノと、チルノを追うキスティスはその中へと入っていく。


そこに、彼女はいた。


薄いベールのような紫の不思議な羽。
三日月の化身とも言われるポケモン、クレセリアの……
「……アルトセリア様」
そう、現在の祈りの巫女。
チルノが継ぐべき力を持つポケモンだった。


「あら、あなたは?」
アルトセリアは優しげなほほ笑みを浮かべた。
しかし、その笑みは、今にも消えてしまいそうなほど儚い。
ふと、チルノはリオンが言っていたことを思い出した。

──アルトセリア様は病気を患っておられる。

「チルノです」
チルノは素直に名乗った。
嘘を吐く必要はないし、何よりも見透かされてしまう気がした。
「聞いている、わ新しい巫女の子ね」
「……はい」
チルノは小さく頷く。
「でも、祈りの巫女ってなんなのか、あたし、わからない」
素直にそう言った。
誰もが祈りの巫女を必要としていて、チルノにしかそれができない。
自分がやるしかないとわかっていても、何をすればいいのかまではわからない。
だから、チルノは巫女になることを了承できずにいた。
「そう、みんなの支えになること、それだけよ」
彼女はそう答えた。
それだけではない、チルノもそう思ったが、それ以上は聞けなかった。
「それともう一つ、祈りの巫女という存在を引き継ぐこと」
アルトセリアはそう付け加えたが、チルノにはよくわからなかった。
だけど、アルトセリアが何か大切なものを背負っているのはチルノにもわかった。



やがて、キスティスに連れられチルノは自分の部屋へと戻った。
そして、夕方になりやっと戻ってきたリオンに、ただ一言だけ、こう伝えた。





「あたし……巫女、やってみる」
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一葉 ( 2012/04/20(金) 00:21 )