第三部 鋼牙の意志
鋼の牙と巫女
† 鋼の牙と巫女 †




クァーレンチノ王国首都城塞都市クァーレンチノ



目を開けて、初めに見えたのは、透明な硝子が蝋燭の灯を浴びて輝いている姿だった。
数秒間、呆然とそれを眺めてから、チルノは跳ね起きた。
見渡す部屋は、まるで絵本のお姫さまのお部屋だった。
薄い紅色のカーペット、真っ白ながら見事な彫刻の施されたチェア、硝子が輝くシャンデリア。
鉄格子のはめられた窓からは、きれいな街並が広がっていた。
シトレンチノにはなかった広い通りには、シトレンチノとは比べものにならない数の人と露店があった。
その先には、高い壁のようなものが見える。
「……クァーレンチノ?」
彼女も何度か訪れたことがある。
この国の首都。
城塞都市クァーレンチノ。
メインストリートの様子も、街を取り囲む防壁の姿も、おぼろ気ながらチルノの記憶にあるそれと違いはない。
そして、チルノの記憶の位置関係と、目の前の風景を照らし合わせるなら、ここは……

「お城?」
チルノは窓から離れると室内を見回した。
クァーレンチノに来たことがあるとはいえ、当然だが城に入ったことまではない。
ここが本当にクァーレンチノ城なのかはわからなかった。

扉には外から鍵がかけられ、窓には鉄格子。
外に出ることは叶わず途方にくれていると、突然扉が開かれた。
「お目覚めになられましたね、巫女さま」
その姿に、チルノは凍り付く。
緑色の身体、両手の鋭い鎌。
忘れるはずがない。
チルノを誘拐したポケモン、ストライクのハルシファムだった。
鋼牙師団々長、赤鋼のハルシファム、それが彼の肩書きで、彼女もそれを耳にした事くらいはある。
ようやく、チルノも彼の正体に気付いた。
それほど高名な騎士が、なぜ誘拐などしたのか。
「……どういうつもり?」
「どういう、とは?」
ハルシファムは笑いながら答える。
「寄らないで」
チルノが叫んだのを見てハルシファムは苦笑する。
「おやおや、巫女さまに嫌われてしまったようで」
そう言って扉の外へ手招きをする。
「紹介しましょう、巫女さま」
そこから現われたのはリオルだった。
「巫女さまの世話係となります、リオンです、どうぞ」
リオンが一礼すると、ハルシファムは「嫌われ者は退散するとしましょう」と言い残し、部屋の外へと消えていった。

「……あの」
リオンと部屋に取り残されたチルノは戸惑いながら声をかける。
「どうした……いや、どう、されました?」
あまりにぎこちなく返事をしたリオンにチルノがきょとんとする。
「な、なにかおかしいか? いや、おかしい……でしょうか?」
慌てて言い直したリオンの様子に、チルノは吹き出してしまった。
「ごめんなさい、でも、なんかおかしくて」
そういったチルノにリオンは不満そうに顔を逸らす。
「ねぇ、あなたも鋼牙師団の人なの?」
「あぁ……そう、です」
慣れない言葉遣いでぎこちなく話すリオンの様子はやはりおかしかった。
「もういつもどおりにしゃべったら?」
チルノがそう言うと、リオンは顔を緩めた。
「……それで良いのなら、そうさせてもらう」
その一言で、チルノは空気まで弛緩した気がした。
「ところで、リオンくん?」
「リオンでいい」
「じゃあ、リオン、あたしはどうしてさらわれたの? 巫女って何?」
チルノが尋ねると、リオンは目を閉じた。
少しだけ、言葉を選んでから、リオンが口を開く。
「……祈りの巫女、はわかるか?」
「アルトセリア様のこと?」
チルノは、いつかの仕事で訪れた街で聞いた名前を思い出していた。
この国の歌姫。
祈りの巫女とも呼ばれる偶像。
国境に面しているとはいえ、シトレンチノは交易の街ではないから人の出入りは少ない。
そのため、シトレンチノではあまり有名ではなかったが、クァーレンチノ国内では絶大な人気を誇る歌姫だ。
「……アルトセリア様はただのアイドルではない、この国の神に仕える巫女だ」
「巫女?」
チルノは知らなかったが、歌姫が祈りの巫女と呼ばれているのは、本来の役職のことなのだと言う。
元は巫女であったが、歌声の美しさからいつの間にかアイドルに祭り上げられていたのだとリオンが説明した。
「それで、アルトセリア様とあたしに何の関係があるの?」
チルノが聞くと、躊躇いながらリオンは答えた。

「アルトセリア様は病気を患っておられる、跡継ぎが必要だ」

「跡継ぎって……まさか?」
チルノが恐る恐る自分を指差すと、リオンは頷いた。
「なにそれ? それって誘拐してまですることなの?」
「さぁ?」
国王が何を思いこんなことをしているのかリオンには計り知れない、だが、チルノはそれを勘違いした。
「って、リオンに言ってもわからないか」
チルノは知らない、気絶してしまっていた彼女が覚えているのはハルシファムの姿だけだ。
だから、リオンが誘拐犯の一員だと知らなかった。
リオンはチルノが誘拐されてきたことさえ知らないのだろうと、そう勘違いしていた。

何も知らないなら帰りたいと駄々を捏ねても仕方がない、それよりもこれからの事を考える。
「じゃあ、これからどうなるのかしら?」
「おそらく、次の巫女になるための修行を積むことになる」
チルノは修行という言葉を聞いて顔をしかめた。
「えー、やだなぁ……それってあたしじゃなきゃダメなの?」
「巫女には資質がいる、誰でもいいというものではないらしい、詳しくは知らんが」
チルノは頬を膨らませながらそれを聞いていた。
「巫女がいなくなるとどうなるの?」
「わからん、巫女が絶えたことなどないと聞いた、だが、伝説によるなら国が滅びるらしい」
あっさりとした口調にチルノは驚いていた。
「や、やっだなー、冗談でしょ?」
「さぁな、昔の巫女の言葉にすぎんが、試すわけにはいかんだろう」
そりゃそうだ、チルノはそう思った。
それで本当に国が滅んだら笑い事ではない。
「……とりあえず、巫女になることを考えてくれ、この国のために」
リオンの言葉に、チルノは頷くしかなかった。

一葉 ( 2012/01/24(火) 02:53 )