第一部 かつて起きたこと
知るには遅い変化
† 知るには遅い変化 †


空気越しに伝わってくる融けた金属の熱に、吹き出した汗が蒸発していくのをヨーランは感じていた。
ここまで温度が上がってしまうと汗だくになることはない。
汗は流れる前に蒸発してしまう。
ブレンが言うには、溶けた金属は炎ポケモンですら大火傷をする程の高温なのだという。
もちろん、ブレンも触ったことなどないのだが。

熱で溶けることはない石鍋は、灼熱した液体金属で満たされている。
ヨーランが操っているのは紅鉄と呼ばれるレアメタルだった。
非常に硬度は高いが、融点が低く加工しやすい金属である。
また、鮮やかな紅い色をしているため、装飾品に人気がある。
「ヨーラン、流し込んで」
ブレンに言われた通りに紅鉄を鋳型に流し込む。
鋳型と言うのは、液体化した金属を目的の形で固める為の道具である。
ちなみに、材質は砂だ。
比較的簡単な加工法ではあった。
鋳型を押さえているのはブレンだ。
グランはその様子を後ろで眺めている。
比較的簡単だとは言え、融けた金属は触れたものを焼き尽くす温度を持つ。
もし手を触れてしまえば、最悪の場合は焼け落ちてしまうだろう。
そのため、金属の鏝で鋏み動かぬように固定している。
ひっくり返しでもしたら大惨事だ。
ヨーランは慎重に紅鉄を注ぎ込んでいく。
「もう少し、もう少し、ストップ」
ブレンの制止に、ヨーランが石鍋を火の中に戻した。
ブレンは数度鋳型を揺らし、振動を与える。
鋳型の内部に偏りなく金属を流すためだ。
中身の形はさほど複雑な物ではない。
複雑であればあるほど金属は巡りにくいのだが、逆に単純な形であるなら容易に巡り渉るのだ。
「あ、それ、火から出してもいいよ」
「う、うん」
ブレンに言われて、ヨーランは石鍋を地面に降ろす。
工房の床は地面がむき出しになっている。
木の床では熱した金属や石鍋で燃えてしまうからだ。
「どう、ブレン?」
「まだだよ、完全に冷めるのには」
真剣な眼差しで鋳型を見つめる。
工房の温度は燃え盛る窯のせいで高く、紅鉄が固まらないのでは、とヨーランは思ったが、ブレンはあっさりと言った。
「もういいみたい」
そう言ってブレンは鋳型を逆さまにする。
注ぎ口を下にしても紅鉄は零れてこない。
「や、やった?」
ヨーランが聞くと、ブレンは首を横に振る。
「上手く金属が流れてないとダメなんだ、こればっかりは開けてみないとわからない」
そんなヨーランとブレンの様子にグランは笑みを溢した。

窯場を出た三人は、テーブルのうえの鋳型を見つめていた。
「ドキドキするね」
ヨーランが不安そうに言う。
これは、ヨーランとブレンの、グランの手を借りていない初めての作品なのだ。
ヨーランが窯場の仕事を始めてから二ヶ月。
時期は既に年末だった。
「じゃあ、開けるよ」
ヨーランが確認を取り、金槌で鋳型を壊す。
注ぎ口より大きい中身を取り出すには、鋳型を壊してしまうしかない。
鋳型が砂でできてるのはこのためだ。
そして、中から出てきたのは……一振りのナイフだった。
刃渡り十五センチ程の、刀身部分だけである。
それにナイフと言っても、実用的なものではない。
ナイフの形の飾り、ナイフの形をした紅鉄と言ったほうが正しい。
ただし、飾りと言っても、その形はナイフそのものである。
「ブレン、これって……」
「うん」
二人が顔を見合わせる。
そして。
「成功だよね!?」
同時に叫んだ。
表面にざらつきがあるが、それは鋳造の性質上仕方のないことだ。
そして、そんなものは仕上げの加工でどうにでもなる。
「おじさん?」
「どう?」
二人は師であるグランを見る。
「……仕上げはこれからだが、ここまでは合格だ」
そう言ってグランは二人の頭を撫でる。
そして、二人は飛び上がるほどの歓声を揚げた。


「ヤッホー」
能天気な声と共に工房に顔を出したのはチルノだった。
配達を始めてからというもの、その帰りにチルノは工房に顔を出すのが日課になっていた。
王都のようにこの街シトレンチノから離れた場所にある街へ配達に出る場合は数日を要する事もある。
だが、近隣の町や村であるなら、チルノでも空を飛べば日帰りで配達することが出来る。
今回は日帰りである。
「お疲れ、チルノ」
ヨーランはナイフを研磨材で擦りながら答えた。
沸点は低いが硬度が高いのが紅鉄の特徴である。
軍では防具に使われるほど頑丈な紅鉄の硬さのせいで、仕上げは一向に進んでいない。
「配達は終わり?」
「うん、まぁ、トルレンチノまでだからね」
彼女は平然といったが、ヨーランはポカンと口を開け茫然としていた。
トルレンチノは山間を北に越えた、さらにその先にある町である。
歩きなら大きく迂回しなければならないため、一週間はかかる。
「お疲れ……」
そのあまりの距離にヨーランは苦笑いするしかなかった。
「どしたの?」
ヨーランは知らなかったが、山脈を越える、つまり直線距離では、一番近い町なのだ。
「それより、ブレンは?」「奥で仕事」
ヨーランは短く答える。
一息ついたが、仕上がりはまだまだであった。
「この間のことだけど」
「うん、年末パーティ?」
三人は明後日、みんなで集まってパーティを計画していた。
「実はさ、明後日、急に配達が入っちゃって……」
「え、そうなの?」
残念そうにヨーランが言う。
「うん、ごめん」
頷いたチルノは申し訳なさそうだった。
「……じゃあ、その次で大晦日とかは?」
「あたしは大丈夫だけど……」
チルノは工房の奥に目をやる。
「じゃあ、ブレンにも聞いてみるよ」
ヨーランはそう答えると窯場に顔を出した。
「ブレン、ちょっといい?」
ヨーランはパーティの日にちにのことを簡単に説明する。
「いいよ、年末年始は工房も休みだし」
ブレンはそう答えて作業に戻っていった。
「大丈夫だって」
ヨーランは笑顔で言う。
その様子にチルノは胸を撫で下ろす。
「大晦日だったら、年越しパーティだね」
「あたしの誕生日パーティでもいいよ」
「考えておくよ」
そう、チルノの誕生日は一の月の一日なのだ。
ヨーランは十の月、ブレンが七の月である。
「やっとチルノも一人前だね」
「もう一人前よ」
そうだね、とヨーランは笑った。

「そう言えば、最近、変な事件が起きてるんだって」
チルノはふと思い出したかのように言った。
「あたしくらいの年の女の子が誘拐されてるらしいの」
「誘拐?」
突然の穏やかではない言葉にヨーランは声を上げた。
「うん、別の街で聞いたんだけど、それがまた不思議なの」
なんでも、捕まった女の子はものの数分で解放されるらしい。
誘拐とは少し違うのかもしれない……
「なんなんだろう?」
ヨーランが聞いた。
「あたしに聞かれても……」
そう言ってチルノは立ち上がった。
「あ、帰る?」
「うん、とにかく気を付けてね、ヨーラン」
チルノはそう言って手を振った。
「って、気を付けるのはチルノでしょ」
被害に遭っているのは女の子なのなら、危ないのはヨーランではなくチルノだ。
「だから、あたしがさらわれないように気を付けるの」
「は?」
ヨーランはわけが解らないと言うようにチルノを見た。
「……うるさぃ、バカ」
ムッとしたように工房を出ていったチルノに、ヨーランは不思議そうに首を傾げるのだった。

一葉 ( 2011/04/20(水) 01:01 )