少し高めの平穏
クァーレンチノ暦七十四年十の月
クァーレンチノ王国東部 石鋼の街シトレンチノ
物語は、ここから始まった。
‡ 第一部 かつて起きたこと ‡
† 少し高めの平穏 †
街全体を包み込むような石炭の匂いがこの街の特徴だった。
クァーレンチノ国領、東の国境に位置する炎岩山、その山中にあるこの街は、昔から炭鉱で栄えてきた街だった。
炎が結晶化して出来たと言われる石、炎岩と呼ばれる石炭の一種が採掘される唯一の鉱山である。
また、炎岩だけではなく、様々な鉱石が発掘することができる。
そのため、数多くの金属細工職人が住む、金属工芸の街としても有名であった。
「おじさーん、持ってきたよ」
扉を勢い良く開けたのは、苔の生したような岩に似た肌を持つポケモン、ヨーギラスの少年だった。
その腕には彼の身体よりも大きな麻袋が抱えられていた。
工房の中はむせ返るほど濃い炎岩の匂いと焦げた金属の匂いがする。
既に慣れたその匂いを意にも関せず、ヨーギラスの少年は工房内に踏み込んで行く。
「ちょうど良いとこに帰ってきた、そこに置いといてくれ」
彼に応えるように工房の奥から野太い声が聞こえて来た。
「はーい、テーブルの上に置いておくよ」
ヨーギラスは抱えていた麻袋をテーブルに下ろすとその場に座り込んだ。
「お疲れ、ヨーラン」
奥から姿を現したのは炎のように赤い身体を持つ小さなポケモン。
そのお腹には黄色い炎のようなマークがあった。
ブビィである。
「うん、疲れたよ、ブレン」
ヨーギラス、ヨーランはそう言って苦笑した。
彼の父、バンギラスのバランは炭坑夫一の力持ちである。
この街特有の風習で十歳を迎えた子供は一人前と見なされる。
つい昨日十歳になったヨーランも、晴れて大人の仲間入りと言うことだ。
今日は、一人前になったと言う訳で今までの倍の量を持たせられたのだ。
今までは数度に分けて運んでいた量を一度にだ。
無理だとは言ったのだが、バランの息子ならと押しつけられてしまい、仕方無しに一度に運んできたのである。
「たしかに、すごい量だね」
ブレンも大量の炎岩を見上げて苦笑した。
それは大人のポケモンでも持ち上げるのは大変な量がある。
それを一人で運んで来たのは、やはり父親譲りの力なのかもしれない。
「父さんなら、これに鉱石もまとめて片手で運ぶよ」
そう言って、炎岩の袋の隣にある、同じくらい大きな袋を眺めた。
こちらは先ほど精製所から運んできた金属や宝石が入っている。
一つの大きな袋にまとめられているのは、炭坑の時と同じ理由であった。
「ブレン、炎岩を取ってくれ」
再び奥から野太い声がした。
「はーい」
ブレンが答え、炎岩の入った袋の口を弛める。
そして、そばにあった石で作られた箱に入るだけ詰め込むと、工房の奥へと消えていった。
工房の奥は窯が設置してある。
金属を加工する時に溶かすための窯だ。
炎岩を燃料とすることで数千度、時には一万度を越す高温を保つことが出来る。
その高温の炎で金属を溶かすのだ。
「ねぇ、おじさん」
取り残されるような形になったヨーランが言う。
「約束、十歳になったら弟子にしてくれるって言ったじゃん」
一年前、ヨーランがこの工房の手伝いを始めた頃の約束を口にする。
ヨーランは金属細工の技術を身に付けたくてブレンの親父に弟子入りを申し込んだのだ。
その時は十歳になったら考えるといっていた。
だから、これまでは工房の手伝いはしているが、所詮雑用でしかない。
奥の部屋に入れてもらったことはないし、窯だって見たこともない。
返事はなかった。
ダメかと諦めたその時、奥の部屋から一匹のポケモンが出てきた。
燃え上がる炎のような色をした身体、その手はまるで砲のようになっていた。
ブレンの父親、ブーバーンのグランである。
「ヨーラン、今日の手伝いはもういい」
彼はそう言った。
その言葉にヨーランは肩を落とす。
だが。
「中に入って見学してろ」
グランはそう続けた。
ヨーランは自分の耳を疑いそうになった。
そして。
「……は、はい!」
元気良く返事をした。
ヨーランは喜び勇んで奥の部屋へと足を踏み入れる。
たった一歩。
ヨーランは一歩で世界が変わったのを実感していた。
熱いのだ。
部屋の温度が、ドア一枚を挟んだだけで跳ね上がった。
それだけではない。
窯に一歩近付くだけで温度が十数度はあがっている。
ヨーギラスの、炎に強い岩の肌とはいえ、これは応えた。
二人の邪魔にならない程度に窯に寄り、様子をうかがう。
熱を帯び真っ赤になった炎岩が燃えている。
高温、それも炎ポケモンにしか扱えないほどの高温を放つのが炎岩の特徴である。
本来なら炎岩は砕いて、石炭に混ぜ込んで使用するのだ。
そうすることで、少量で長時間燃やし続けることが出来るようになる。
炎岩を高純度のまま使用するのは、グランのような炎タイプの金属細工を作っている者だけだろう。
ヨーランは汗が噴き出していくのは感じていたが、汗だくにはならなかった。
周囲の熱気ですぐに蒸発していく。
ブレンとグランはその熱気のなかでも平然と作業を続けていた。
ようやく悟る。
炎タイプを持たないヨーランにとって、工房の熱量は毒であった。
そのため、グランはヨーランを入れたがらなかったのだ。
日没の頃には、ヨーランはふらふらになっていた。
時間にして三時間。
グランたちはヨーランが入る前からいたというのに、まだ平然としている。
「想像以上に……過酷だね……」
ヨーランは肩で息をつきながらブレンに笑いかけた。
「僕達は炎ポケモンだから」
そう言って笑い返す。
「でも、初めて工房に入ったときのブレンよりはずっと良かったぞ」
言いながらグランが豪快に笑った。
「こいつなんて一時間でぶっ倒れやがった、情けない」
ヨーランもつられて笑い声を上げる。
ブレンが不機嫌そうに頬を膨らませていた。