前編 Black tar
 01 ハイスピードオペ


 【忌々しい敵が近くにいるぞ――どちら様だ?】 レッパク


   01 ハイスピードオペ


 臨戦心理を起動。
 目を閉じて、深く想像してみる。

 そうすることで、自分の体を思うがままの場所へと転移させる。
 巡り巡って真っ先にたどり着いたのは、昔は生徒、今は非常勤講師の主人と共に通っているスクールのバトルコートだった。普段ならば気の済むまで転移を繰り返したが、今日に限っては別の場所を要望する気にならなかった。納得とも妥協ともまた違う。理由はうまくは言い表せない。
 毎日毎日壊滅的なレベルでバトルが繰り広げられるフィールド。多分今頃はまた随分と様相が変わっているだろうが、あいにく記憶にあるのはこの状態しかない。場所と同じで、誰でもいいが適当に呼んでみたらバクフーンがひょっこり出てきた。うん、やっぱりお前でいい。一番長い付き合いだもんな。長所も短所もお互い承知の上だろうし。
 頃合いを図ったバクフーンがすっと姿勢を正し、古めの作法で一礼した。
 見届けたあと、こちらも返礼する。
 間合いを遠く置いて、睨みあってみる。

 先手はもらった。体毛を奮い立たせ、三発のミサイルばりを先行。弾道をそっくりトレスし、地を這う低さで真正面を走った。ミサイルばりと自分自身、どちらを陽動と踏ませても差異はない。迎え撃つバクフーンの後手によって如何ようにも万化する二重の伏線だった。バクフーンは足を平らげて開脚。半身となって上体に内息を巡らせる。両前足で二発、ため息の炎で一発、ミサイルばりを防御。本体を本命とみなした瞬間だった。
 ならば望み通り、自分自身で叩こう。上出来な捌き方だと内心で褒めつつも、こっちは左を選択して更に距離を詰め、脇下の隙間へ向かう。十分すぎるほどに接近したら両前足を揃え、地に向けての双掌。力の跳ね返りをそっくり使って下半身を振り上げ、その場で右回りに旋回。遠心力諸共、カポエラーにも負けない蹴りを脇腹へくれてやった。
 諦めが悪いのか作戦の一部なのか、バクフーンは右へと崩れていく最中も、左後ろ足の軸を潰さず、左の拳をずるりとうねらせてきた。ひらけたこっちの足の上――詳細をより述べるなら、肌が軽く触れあうほどの密着具合で太ももへ手を滑らせていき、背中、たてがみ、その更に向こう、後ろ首めがけて毛に潜り、一散に伸びてくる。意念はふたつ。触感をこちらに覚えさせることによる、集中力の阻害。それと、転倒の勢いを利用したダ法を繰り出すための、最初の一手。
 あえて仕掛けにのってみた。首根っこを相当な握力で捕まれると、腕の力が投げの形へと変化(へんげ)してくるのが肌を伝ってわかる。懐へと引き込まれそうになったところで、こちらは前足の蹴りをもう一度利用。向こうの引きの力に、こちらの押しの力を与え、腕の随意を乱れさせよう。前足も地から離れ、握力からも脱出した。全身にひねりを付随させて螺旋を形成。体重そのままに、バクフーンの心窩(みぞおち)へ飛び込んだ。空中からの仕掛けで(こう)の体勢を作れなかったため、中心部は外れた。手加減までは知らん。
 二匹で仲良くもんどりをうち、先に受け身を成功させたバクフーンが間合いから素早く離れた。追いすがるよりも先にかえんほうしゃを張られ、二の足踏みを誘発してくる。出足を整えて、自身に強めの横Gを加え、回り込んでみる。動きを読まれているのか、どこからバクフーンを目視しても炎しか見当たらない。
 それから先は、肉弾戦の間合いを随分と越えた遠距離合戦となった。こちらが大半の飛び道具を封印しているのをまんまと不利に運ばれた。かえんほうしゃを避けに避けたのちに、呼吸の合間を狙って踏み込むも、バクフーンは背中を沈めて首から煙を放出する。えんまくで全方面の視界が断たれた。体内から放出する電磁波でも索敵が不可能。出足はおろか選択肢の大半が消失する。距離を取り直すべきか一瞬だけ迷ったが、勁道(けいどう)の流れがすでに攻めへと転じており、肉を斬らせる取引をしてでも一撃見舞う結果を欲した。再び両後ろ足を天へ振り上げ、両前足だけで逆立ちとなり、そこを軸に独楽のように回って、全方位にミサイルばりを射出。細く鋭い針の一本一本がそれぞれ小さな気流を生み、薄汚い煙を穴だらけに斬り飛ばして

 目の前に拳。

 体のあちこちにミサイルばりを受け、それでもなおの突貫だった。バクフーンの後ろ足は十分に軸芯を確保している。内息の巡りも然り。手形は(つち)。意念は叩。正鵠は額。
 腹をくくった。今更その体勢を崩してやろうとまでは思わない。こっちも後ろ足を振り落として震脚。四肢を土に構えて固定。全身に通電して関節に強度を与えた。体勢は(やぐら)。意念は耐。正鵠は拳。
 額と拳が激突し、お互いの打撃力がそのまま回れ右、全身へと翻り、それでも両者は一歩も譲らないし退かない。

 楽しいな、と向こうが言った。
 そうかな、とこっちは返した。
 想像上での言葉とは裏腹に、現実上の臨戦心理が勝手に熱くなっていく。まだまだここからだと思い、続けてみるが、理想はとっくの前に加速を始めており、真実味から徐々に遠ざかっている。こうだったらいいという理想が先走るあまりに、こうなるだろうという想像がやや追いつけなくなり、詳細の欠けた展開がぽつぽつと並び始める。

 どういう足の運び方かはさておいた。向こうより数手早く拳に飛び乗り、体格差を埋め合わせ、回し蹴りを頬へぶちかました。
 ひるむ隙に視界から逃げ回り、都合のいいことに背後をとった。
 次の一秒だけで考える。
 今度はどう狙うべきか。
 一瞬の油断が命取りではない。
 意識の隙間が命取りとなる。
 次なる一合で使う手はこれだと、矢頃を図って――突っ込もうと、した。

 一足だけで立ち止まざるをえなかった。
 そこにあったのは、すでにバクフーンの後ろ姿ではなくなっていた。
 自分と同じ、サンダースだった。
 同じなのは、サンダースという点だけではない。
 まさにもう一匹の自分。
 臨戦心理がうずき始める。
 待て。これは想像だ。現実ではない。全部まやかしだ。
 それでも、こんなことが起きるのだけは納得できない。
 振り向くそいつはこちらの顔を舐め回すように見つめ、そして笑った。


   ― † ―


 頭の中の映像が乱れ、意識下への接続を弾かれ、ついに強制遮断される。うたた寝からのジャーキングのようにびくりと体を弾ませる。うめきそうになったのを思わずこらえた。
 頑なに閉じていた目をほんのわずかにだけ開ける。細めているとますます不機嫌そうに見えるが、実は平常。今ひとつ表情を作るのが不器用なだけだ。
 まただ。
 またここで終わってしまった。
 今日も消化不良のまま、日課のイメージトレーニングが終了した。臨戦心理を閉じようと、鼻で静かに深呼吸。

 傍目(人間)からすれば眠っているも同然でばかばかしいかと思われるかもしれないが、これはポケモンたちのいたって真面目な精神鍛錬のひとつなのだ。極端な話、『もしも明日宇宙人がこの星を攻めてきたら』なんてテーマでも、時と場合によれば割とマジな仮想敵となる。考えてもみてほしい。自らの体をいじめることをやめ、骨の髄まで平和ボケしきった人間とは違い、ポケモンは今の時代でも闘いの代打ちを請け負って、共に生きている。鉛球を吐き出す銃火器が文字や映像だけの存在となりつつあるのも大変結構なことだが、それだけにポケモンはより有効な力の象徴として、良くも悪くも注目され続けている。包丁で例えるのならば、前者に曰く、料理器具として真面目に使うか。後者に曰く、殺傷能力を実際に試してみるか。
 まあ、そういう人間の観点自体に自分は特に不満ではないし、事実そのとおりだろうし、むしろ望むところでもある。そのためにも常に心身を手入れしておかねば、臨戦心理にも錆が浮かんでくる。鍵が緩むと、日常生活で暴発しないとも限らないのだ。体はさぼればさぼった分だけなまってくるし、こころも然り。
 世界中のポケモンにもこの思想があり、捉え方に大なり小なり差異あるだろうが、特にこいつに至っては、とりわけ戦闘意識が顕著だ。闘う前から抜身を持ち歩くとまでは言わないが、事前から兜の緒を締めるのは別段悪いことではないと今でも意思を貫いている。

 主人の家にてみんなとの昼食を済ませてから、まだしばらくもたっていない。
 先日ブラウン管から薄型液晶へ進化したテレビでは、他の地方の情勢を薄暗い彩りで映していたが、耳を傾ける気にはならない。
 あの闘いを続けていたら、『自分』がどんな行動をとったのか、どうしてもうまく想像できない。意識下だけにとどまらず、夢に見るほど何度も何度も、出会ってきた奴らなら誰とでも闘ってきているのに。
 それなのに、『自分』と瓜二つの姿をした『あいつ』がどう行動してくるかは、なぜかたやすく想像できる。
 あれを『敵』と呼ぶべきかどうかも、またひどく難しい判断だった。
 もやもやとしたものがこころの底に沈殿する。濁っていて、底より奥の深層心理をますます遠ざけていく。

 目を使うことに逃げたくなって、同じクッションに伏せる、隣のブースターの寝顔を横目で見つめた。あずき色の鼻から小さい寝息を立てて、隣の自分が先ほどまでいかな激闘を脳内に繰り広げていたのかもお構いなしだ。
 このブースターとも、もう三年の付き合いとなる。こいつがここへ来てから、自分の寝床とするクッションの大きさもひとまわり変わってしまった。
 すっきりしない接点から始まったが、今のクッションの感触が気持ち悪いと言えばまったくの嘘になる。主人とは別の意味で、この繋がりと温もりが非常に心地よかった。しかし安らぎは思い出の遠く彼方。とにかくは座して、連絡を待ち続けるしかない。

 ――レッパク、起きてるか?
 無意識に片耳がぴくりと跳ねた。
 ポケモンのではなく、人間である主人の声だった。二階にてテストの採点をしていたはずだが、階段を半分ほど降りてきていてそこから呼びかけていた。
 顔向けの反応をとって、起きていることを無言で伝える。
 ――ゼットがお前に用事だって。
 臨戦心理を完全に冷却。さっきまでの思考を全てノイズとして処理し、こころにある一部の心理回路で焼き払った。
 隣のブースターを起こさないようおもむろに立ち、主人の踵を追って二階のパソコンへ向かう。

 久方ぶりのLaC接続。
 古ぼけたモニターにポリゴンZ――ゼットの首が浮かびあがり、左右のスピーカーがそいつの声に変えて話しかけてくる。
『こンにちは、お久しぶりです。お変わりないです?』
「ああ」
 誰に対しても丁寧な口調なのは、コミュニケーションを図る上で語弊や齟齬が生じないよう、言語野にプログラムされたからだろう。
 対するレッパクも主人の椅子にちょこん。相手が誰であろうと、ウェブカメラで見られていようとそうでなかろうと、レッパクは必ずこうする。別段意識しているわけではない。性格の問題だ。
『単刀直入に。レッパク、あなただけこっちへ来ていただけませン?』
 自分の一存では決められない。判断を仰ぐべく、主の顔を見る。
 人間は長年ポケモンと一緒にいると、目や表情、鳴き声や声色で、何を言っているのかが伝わってくる。主人もゼットの言葉を聞いて、しばらくあご先に指を添える。うーん、とあえて考える間を作ることが、「自分は放任主義ではない」という気遣いだというのも、レッパクは知っていた。
 ――いいよ、行ってらっしゃい。「ミリィ」とみんなには、俺から伝えておくよ。
 ゼットと共に礼を言って、レッパクはボールへと戻り、転送装置からパソコンの中へと身を投じた。


   ― † ―


 [ ID:GOLD ---> ID:MASAKI ///: CONNECTION CODE (SNo.OMEGA331 ***-****-**-*) SEND …… DONE :/// ]

 ボールという物理的な壁を超えて、レッパクの肉体と精神はデジタルの波に飲まれる。電子世界、回線の中、ありとあらゆる指向性を持ったコマンドがせわしなく行き交っているのを感じとる。電位の流れに身をゆだね、レッパクのすべては薄く溶け込んでいく。
 転送時に発生し、こころに直接触れてくるようなこの感覚を疎ましく思うポケモンももちろん多勢いるが、レッパクは嫌いではない。人間の主人こそいるものの、レッパクには血の繋がった父もいなければ母もいない。不幸になったとか捨てられたとかではなく、本当に『いない』。だからここが、こここそが、レッパクは胎内に還る気分でもある。
 自分のこころも、ここでフォーマットされてしまえばいいのに。ただの一匹のサンダースとして、ミリィみたいに全部リセットされてしまえばいいのに。
 でも、そんなことでこの呪縛から逃げ切れられるとは、とても思えない。
 そして、主人や仲間たちに対する重大な冒涜であることも、もちろん承知だった。


   ― † ―


 通信にかかった時間は実に一秒たっぷり。先ほどは想像上だったが、今度は現実上で転移。ボールの開閉プロセスをゼットに促してもらい、レッパクはゼットの部屋へと現れた。
 最初に覚えたのは景色よりも匂いだ。ポケモンセンターとはまた違う、擦れあう機械がひり出す、微細な塵と薬品の匂い。当初は通電して嗅覚を切っていたが、次第に慣れていってしまった。
 正確な日付は忘れたが、思い返せばここへ来るのも久しぶりだった。
 ゼットが、すぐそばにいてくれた。
 こいつももちろん人間と一緒に生きるポケモンであり、レッパクとも深い関係だ。というのも、レッパクの主人はゼットの主人と昔からの縁であり、技術的な面で様々なサポートをしてくれた。画期的なポケモンあずかりシステムを開発した第一人者やそのポケモンと親密な仲なのは、レッパクの中でもかなり強めの自慢である。

「やあ、どうもどうも。見る限りでは、本当に『変わり』ないようです。何よりです」
「うん、そうか?」
 決して狭くはないはずだが、機材だらけのせいでいささか窮屈に感じる。自室と研究室と書斎を足して三乗したような世界。ゼットは自慢の城だとのたまっているが、レッパクはどれひとつとからくりを知らない。失礼ながらも、ガラクタ同士が交尾しているような、ただの無秩序な物置小屋にしか見えない。特有の反作用で宙に浮いていられるゼットに「床」というものは意味が薄く、通路とモノ置き場の概念を曖昧にする。
 なにもなく遊びに来ることだってある。視覚的な学習のために、数多くの名勝負も見せてもらったこともある。別に主人のパソコンでも見られないことはなかったが、あのポンコツにそこまでの重労働を強いると、一連の映像がレッパクにはまるでコマ送りのように思えて仕方ない。フレームレートだけでなく、画質と音質の維持もレッパクにとってはありがたい。体内電流で神経を刺激すれば、映像と音声をより細かく、精確な情報として吸収できるのだ。そういえば、鋭意開発中のスパトレとかいう、サッカーゲームにも近い何かにも、何度か被験者として付き合ってやったっけ。

 が、今日はそんな場合ではないと、全体的な空気が物語っている。
 そういえば、周囲の機材どもが普段のやつらとは違う。
 ああ、とどこか憂う口調で、ゼットが左右の手をこっちの両頬にまわしてきた。丸くて赤い顔が至近距離にある。
 いつもの軽口はふさわしくないらしい。レッパクは瞳孔をすっと登らせ、わずかな上目遣い。
 優しさをあえて削ぎ、こちらも単刀直入に切り込んだ。
「要件は?」
 頬の感触をしばらく確かめてくるゼットは、やがて体から離れる。後ろを向き、機材をいじり始める。
「ふと、あなたの体を真面目に調べたくなって。前置きもなく唐突ですみませンが、診せてもらえます?」
 ちょっぴり嘘が混ざっている、と思う。
 と言うより、まだ本意が感じられない。
 とりあえず表情ではその言葉に従った。

 想像していたものよりもずっと精密な診察だった。ポケモンセンターとはまた違って、オリジナルメイドのものがあちこち。前足をほぐすように握ってきての触診。目の中、口の中を見られ、試験管三本分の採血。全身のスキャニング。三秒以内に答えなければならない質疑応答。洗濯バサミのようなものに全部の足を食われる。細いコードのついたシールをペタペタ。肉体改造して、人間にでもしてくれるのだろうか。
 交わす言葉は自然と失われたので、レッパクは折り畳み式のストレッチャーに横たわり、用意してもらったポータブルテレビで時代劇をぼんやり見ていた。この悪役の姿勢、火の構えって呼ぶのだったか。剣道で扱うそれだったと思うのだが、真剣でもやっていいのだろうか。刀の鍔あたりがちゃきんと鳴るのは演出で、実際はあんな音はしないしさせてはならないと聞いたことがある。

「いきなりなことを訊きますが、レッパク。自分の寿命を意識したことはあります?」
 実は結構ある。元々は数多の闘いへ血を支払って生きてきた身。寿命を縮めるほど心臓に悪い出来事にはこれまで何度も遭遇してきた。
「ボクもかなり心配でした。ここ最近はそれも気にしていました。肉親のいないあなたの出自は非常に特殊ですから、他のポケモンよりも平均して遺伝子に短く設定されていないか――そンなことまで考えていました。ですがむしろ、なンです」
 ゼットに促され、首をひねってパソコンに目をやる。サンダースのシルエットをした、3Dグラフィックのパスが表示されている。投影機の口からホログラフィックが浮かび出てきた。いやはやたいした時代になったものである。かつて、こいつ一匹造って貰うのに違法賭博のコイン9999まいというべらぼうなコストがかかっていた理由が、今ならなんとなくわかる。立体映像としてそこに漂うのは、様々な解読不能の標識。赤と青、そのほかの球体が繋がっていて謎の螺旋を描いている。ちんぷんかんぷんだったが、ゼットの視覚センサーには一体何が映って見えるのだろう。

 やはり、と呟いた。
「あなた、まだ幼いというか、若すぎるンです。(よわい)は今年で八のはず」
 ここでいう齢とは、ポケモンの年齢の通称を指す。八歳のレッパクは、人間で換算すれば三十代前半に相当する。いつも一緒にいる主人たちではなく、時と間を置いて顔をあわせるゼットだからこそ気づく部分でもあった。
「已然としてあなたは、ほとンど肉体的に老いていく様子がない。それどころか、なおも活力みなぎっている。原因は解明できておりませンが、考えられるとするなら、あのタイムトンネルでうまれ、『時間の波』にさらされ続けていた影響がいまだ色濃く残っている、ということでしょう。ですから――ええと、」
 躊躇いの先を、レッパクが奪った。
「おれが普通のポケモンじゃない、と」
 ゼットは黙することに徹した。
 相変わらず優しいやつだ、とレッパクは思う。そんなことくらいなら、自分だっていつでもどこでも考える。死ぬまでまとわりつく宿命の議題なのだ。
 ゼットは机に向かい、訳の分からない機械からこれまた無造作に生えたボタンを叩いている。それが「適当に」だということくらいは、レッパクが理解するのにも時間は要さなかった。続きの言葉をプロセッサーの中から探しているのだろう。こういうランダム制御的な部分があるから、ゼットに限らず、ポリゴンたちは機械というよりも自分たちと同じ生物にずっと近い印象がある。
 ストレッチャーから降り、ゼットの背中に問いかける。
「確かめたかったのはそれだけか?」
 機材いじいじ。
 呆れてため息。
「おれ自身にそれを明言してもらいたいがために、お前の科学的好奇心にケリをつけたいがために、わざわざ呼んだのか? 違うだろ?」
 いじいじしていたゼットの右手が、やがてUSBコードに触れる。10セカンド以上の空白を置くのは、ゼットにとっては特異過ぎることだった。

「――セブンが、見つかりました」

 音もない転身。返事も聞かずゼットが即座に振り向き、手にしたUSBコードを抜刀の要領で力任せにぶん投げた。より具体的に描写するなら、「セブンが」でUSBコードをひっつかみ、「見つかり」で体の中心を軸に時計回りし、「ま」でレッパクとの距離と、「し」で角度と、「た」でタイミングを高速演算し、考えうる限りの素晴らしい速度で投げた。
 避ける意識もなかった。
 レッパクは距離を潰し、ゼットの眼前まで寄っていた。その挙動は、歩くとも走るとも、滑るとも跳ぶとも違った。

 レッパクに向かってまっすぐ投げた。
 ゼットに向かってまっすぐ進んだ。

 直線上、それぞれの要素を重ねればUSBコードがレッパクにぶち当たることが確定のはずだ。
 しかしそれが着弾したのは、レッパクのはるか背後の壁だった。あらゆる物理学のひとつもレッパクを捉えられず、壁より向こうへ突き抜けていった。
 なぜ当たらなかったのだろうという疑問すら、ゼットは思考回路の外へ閉め出したようで、表情はそれほど変化していなかった。またレッパクもだった。瞳孔とその光、そして呼吸が、一段と力強さを添えていた。胸につかえる感情全てをまとめてひねり出したのはただ一言、
「どこだ」
 投げたのは敵意があったわけではないと、お互いが強く認めている。本当に肉体的に衰えていないか、ゆさぶりをかけて知りたかっただけだ。レッパクが一呼吸置いたのを見計らって、
「イッシュ地方、です」



水雲 ( 2016/04/01(金) 00:28 )