17 マザーイメージ
【毎日あの頃、何が起きたの? 毎晩あの頃、何が起きたの?】 ミリィ
17 マザーイメージ 遠目でも見えるほどの深い傷だったはずだが、戦闘終了が皮切りとなったのか、レッパクの額の出血はいつの間にか完全に止まっていた。今あるのは縦一本の、生々しい斬り傷のみであった。ミリィと同じくやがて目を覚ました少年――そちらへの再びの謝罪ももちろん終えた――によって、一応ガーゼとテープでで応急処置してもらった。主人と同じような、慣れないながらも優しい手つきを、レッパクは額でそっと感じた。もしもというときのため、セブン用に携帯していたキズぐすりたちだったが、こんな事態を自分で引き起こしてしまった以上、頑固にわがままを通すわけにもいかない。レッパクは異論を挟まず、ツノマルにすべてを譲った。ツノマルもツノマルで、無言だった。だが、不思議と気まずいという感じはしなかった。
キュレムに預けていた腕時計を受け取るよりも先に、レッパクはセブンへとゆっくりと歩み寄る。
「――すまなかったな」
― † ―
生死を分かつ叫びからここまで、ずっと茫漠状態だったセブンは、この一言でやっと目を覚ました。
言葉にはしなかったが、「今まで隠していて」という余韻を、レッパクは含めていただったはずだ。
しかし、身もこころも幼いセブンは不幸なことに、意味を完全に履き違えた。
「うるっ、さいばかあぁぁあ――ッ!!」
まさに弾けた雷。レッパクにも負けない怒鳴り声で、セブンは決死のあらがいを試みる。前足も後ろ足も滅茶苦茶に振り回し、とにかくは奴を一歩でも遠ざけようとする。感情そのままに、静電気もミサイルばりも撒き散らす。しかしレッパクはまったく表情を変えず、それらの当たった分だけを受けて微動だにしない。それがセブンにはなおのこと憎らしい。ちょっとした振動だけでとめどなくこぼれるレベルの、大きな涙を、目に湛えている。
「あたしの、あたしの気も知らないで――!」
ツノマルとは別質の、しかし完全な敵意。
引き続きレッパクが、ただこの湿った目を、熱もなく対照的にこっちを見つめ返してくる。それがセブンにはどうしても耐えられなかった。
ここまでの艱難辛苦を共にしてきた、大切な仲間を傷つけてしまったことに対する怒りも確かにあるだろう。そして、それ以上の「何か」が、セブンの中で急激に沸き起こってきている。
レッパクもレッパクで、とにかくはなだめようとしたかったのか。親子という絶対無二の、そして唯一の
縁を頼りに、言葉選びの間を置く。だがあいにく、お決まりの定型句しか口にしてこなかった。
「子供を危険な目には遭わせたくないのは――どんな親だって持つ本心だ」
セブンにとっては、やはり意味のない一言だった。
「あたしにもうそんなに優しくしないでよ!」
たまらず、とうとう体に出た。行き場を失った言葉や感情のみならず、今度は全身が弾け、セブンはレッパクの懐へ襲いかかる。今にも噛み殺してやろうかとばかりの距離、無抵抗のレッパクへとしがみついた。それでも体格差が不幸して、レッパクは後方へと倒れず、むしろセブンがレッパクの足元へすがりつくような形となってしまう。セブンの歪んだ口角からのぞかせる歯は強く締められており、今にも噛み砕かれそうなほどに不穏な音を発てている。
一年前、追いつこう、縮めようとして駈け出した隔たりというものが、よもやこれほどまでとは、思いもよらなかった。
今の自分がもつこの殺意と、こいつの体内にずっと孕む殺意と、一体何が違うというのか。
「う、うわあ、あ、」
殺意は一字一句たがわず殺意なのだ。感情的な怒りからくるものと、本能的な快楽からくるもの。二つの肉人形を用意して、それぞれの意念で倒す――果たしてどちらがどちらの意識を持って殺されたかを、誰が一体見極められるというのか。結果がすべてなのだ。死体がそれを語るわけにはいかないのだ。
「ああ、あ、あああ、ああああ――!」
打ち負かす手段をことごとくレッパク自身に奪われたセブン。残されたのは、ただ泣き叫ぶことしかない。これほどに接近しても代わろうとしないその無表情に苛立ちを煽られ、思いの丈を泣き声に変えてひたすら叩きつける。
レッパクの優しさとはセブンにとって、セブンへの否定に限りなく同義だったのだ。
自分と同じ顔をしているこいつ。
かつてから今まで、自分には抜刀はおろか柄を握ることすらしてくれなかったあの『長髭』を、こいつは出会ってしばらくだけでいとも簡単にねじ伏せた。
こいつは、
こいつは、
獣。
化物。
妖怪。
異常者。
魑魅。
悪魔。
鬼畜。
死神。
しかし、的確に形容をできる言葉を、とうとうセブンは見つけられなかった。見つけてしまったとき、その娘である自分が何者であるのか、考えるのが恐ろしくなったから。
教えて欲しかった。
縛るのだったら、自分の道は、一体どこにあるのか。どこを向かっているというのか。
口先だけでは話の尽きることのないこの父親だから、なるほど、血を継ぐ自分も強いと信じていた。当初は自分も同じく、その世界に挑みたいと言う無謀な野心も少なからずあった。
そう、自分は強いのだ。現に、サンダースとして金星をこれまでに何度も上げられたし、それに、本当に楽しかった。片時もじっとしていられなかった。こっちの世界の主人が喜ぶ顔を見ると、それが嬉しさに直結した。そのこころの持ちようはレッパクと同じだろう。それどころか、これなら今や腑抜けと化した父親すら越えられると信じてやまなかった。
腰抜けの父親の娘は腰抜けではないと、誰よりも自分自身に教えこませたかった。
それほどとは誰よりも信じていたけれど、ここまでとは誰よりも信じたくなかった。
この父親は、自分の父親は、やはり、腑抜けではなかった。
安心した。
安心したどころか、とても嬉しい。
嬉しいのに、どうして、
涙が止まらないのだろう。
声が溢れてくるのだろう。
どうして――
どうしてそんなにも強いのに、今まで自分には何も教えず、ただ平常を保って優しく接してくれるだけだったのか。
別に良かったのに。
倒す以上の何かを、教えてくれても。
それが父親の本当の道なら、自分はそれでも全然良かったのに。レッパクの恐れる、「その先の正体」がなんであれ、面と向かって教えてくれることを何より望んだのに。父親の言葉をあるがまま欲したのに。全部受け止めたかったのに。それができないのなら、中途半端にしか父親面ができないのなら、いっそのこと最初から突き放してくれたほうが、優しくない父親を演じて憎まれ役を徹してくれていたほうが、今よりもずっとずっとしあわせだった。
セブンは、母親の前であることも、主人の前であることも気に留めず、ぐしゃぐしゃの顔になって、ずっと大声で泣き続ける。
嬉しさと悔しさと、自分の未熟さでこころが複雑な色合いを帯び、もうなにがなんだかわからない。
勘当されたわけでもない、自らの出奔。頼まれたわけでもない、イッシュの命運握る闘い。今に追い越せると信じて、頭で考えるよりも体を動かして、ずっと逃げ続けていたのは誰だったのか。背中に追いついてやると意気込んていて、こんなところまで逃げ込んだのは誰だったのか。助けなんかなくともと思いつつも、借り物の力と体を振るっていたのは誰だったのか。
そして、誰のためにそんなことをしたかったのか。
活躍できる居場所が欲しかったという上っ面の建前に潜む、奥の奥。
叫ぶがまま自身の深層心理を切り開き、ついにセブンはそこに辿り着いた。
レッパク『
に』褒めて貰いたかったのではない。
レッパク『
を』褒めて貰いたかったのだ。
自分の力ではなく、それを教え支えてくれて、今の自分を築いてくれた父親の力を、証明したかった。
――それでは果たして、セブンの存在意義はどこにあるというのだ――
まったくである。
これでは、家出した意味が塵も残らず消えてしまう。
とうとう自分は、レッパクに「無視すらされていなかった」ことを、思い知らされた。