前編 Black tar
 16 命のマグナス


 【太陽があたしのせいで堕ちていく】 セブン


   16 命のマグナス


 父さん、
 あえてツノマルの前に現れる、その一合すらも罠だとセブンが気づいたのは、あのサンダースの血筋だからか、それとも未熟でただ見守っていたからこそ響く直感か。
 レッパクの首と体が異となった瞬間に目を見開かなかったのも、死んでいないとこころのどこかで確信していたからだ。
 まんまと斬られたレッパクの姿が薄く消え、小さな人形へと変化した。ツノマルの意識をそちらへ一瞬そらしただけでも成功であり、役目を終えた人形もまた瞬時に消える。
「!!」
 幻聴のような笑い声。

 父さん、
 いつ懐を奪われていたのかもわからない。ツノマルの顎を下から撃ち抜く、電磁波付きの跳躍。舌を噛まなかったのは単なる幸運に過ぎない。首から胸にかけてが大きく開かれ、無防備となる。
 父さん、だめ、
 意識をつなぎ止めたツノマルが踏みとどまって周囲を確認しようとしたそのとき、右手の雄剣が手から放れ、どこかへ無くなっていた。
 ツノマルには見えていないだろうが、セブンには見えていた。レッパクがこれから一体何ををしでかす気なのかも、悟ってしまった。そのレッパクは奪ったアシガタナの柄を牙に構え、切っ先を真っ直ぐへ整え、稲妻の速度でツノマルめがけて突っ込んでいく。

 死。

 父さん!!
「だめえええええええ―――――――ッ!!」

 今度はセブンにも見えなかったし、意識できなかった。
 一直線の土煙が、ツノマルの前方10メートル以上もできあがっていた。

 きんっ。
 土煙の晴れる向こう、レッパクが再びツノマルの懐にいた。
 アシガタナにあたったのか、挿しなおした簪が滑り落ち、髭が再び重に従う。その髭の滝へ潜るように、レッパクのつかむアシガタナがツノマルの首に突き刺さっていた。
 ように見えた。
 そこで時を止めたように、静止していた。
 最初にレッパクが流した血よりかは、幾分かましな量におさまった。
 寸前のところ、切っ先だけで済んだからそうなったのか。
 それとも逆に、根本まで鮮やか突き立ったからそうなったのか。
 今のセブンにそれを判断させるのは、残酷なことだった。


   ― † ―


 過剰周波数向上歯車。臨戦心理暴発。制止不可能。寧絶頂感覚。幾千戦闘情報、己勝利条件、相手降参無理強方法、脳内隅々埋尽。故何見不可能。敵苦痛等号我歓喜。我連撃繰返、相手散々嬲。我周辺跳弾、相手場固定。定石展開。腕時計手元無、然心超高速回転。旋律一定間隔体刻。我快楽溺敵惨殺。心渇故血欲。目映敵全員残否排除。
 我刃、我刃也。裂帛之気合。叢雲之牙。雷之化身。稲妻之権化。

 斬首。
 身代。
 無傷。
 出現。
 跳躍。
 直撃。
 雄剣。
 鹵獲。
 走。
 前。
 狙。
 喉。
 髭。
 潜。
 先。
 刺。

 死。

「だめえええええええ―――――――ッ!!」

 叫。
 七。
 娘。

 ――――――――――――――――ッ!!

 すべての色素が流星となる中、誰かの叫び声がレッパクの視界を切り開いた。高速回転していたこころの歯車が、悲鳴をあげて軋んだ。理屈ではなく感覚で電磁場を張り、全身全霊でベクトルの抹殺にかかった。それでもレッパクの体はまだまだまだまだ絶望的な速度で滑り、即死圏を脱さない。噛み付いてくる地面はまるでおろし金のようで、足がすり減ってなくなるかと思う。体中をGで洗われ、あらゆる血液が端に寄せ集められて気が再び遠くなる。噛み締めているアシガタナを一刻も早く捨てたいのだが、歯を食いしばって全身で抵抗しておかねば、自分の体は弾けてツノマルの懐へと飛び込んでしまうだろう。得物を持たぬ丸腰での突進、されど突進。身にまとう電磁波が微細であろうと、このままの速度でぶつかれば、電流は楽勝でツノマルの心臓に届くはずだ。喉と(しん)。そのいずれが両者にとってまともな結果なのか、レッパクにとっさに判別できるかがそもそも怪しい。意識する暇もなかったが、幸運にも臨戦心理が脱臼しかかる衝撃をいずれ及ぶ有害な痛覚と判断し、すべてを電流に染めて地面へと逃がしてくれた。それでも視界の向こうのツノマルが段々と大きくなってくる。自分の感覚が速すぎるのは百も承知だが、ツノマルの回避の応じ方がとにかくのろまに感じられて腹立たしい。止まれ、止まれ! 止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ頼む止まってくれぇ――――ッ!!
 レッパクは視界を固く閉ざすことに逃げた。あらゆる現実の全部から逃げた。
 刺。
 死。
 否、
 止。
 一直線の砂埃が立ちのぼる。
 アシガタナの切っ先が何かに当たり、レッパクの歯に伝わる。それは簪だったのだが、地にこぼれ落ちる音にレッパクはしこたまびびり、恐る恐る視界を開ける。
 髭よりも奥に刺さっているのかいないのか、その手応えすらも憶えていない。刺していないと誰よりも信じたい。

 ツノマルの目には、生気があった。

 がらんっ。
 呪縛のように自分と一体化していたアシガタナがようやっと離れ、簪と同じく髭の滝に流れて落ちる。
「――あっ!、は、はあ、はあ! はあっ――!」
 大口で出さねばならないほどの、レッパクの荒い息遣い。迫真の表情。瞳孔がぎりぎりと絞られ、冷や汗が重油のようににじみ出て全身から流れ落ちる。余熱に蒸される臨戦心理をなんとか閉ざそうと、ふらふらと後ずさり、足腰が先に力尽きて尻を落とす。小便を漏らした童のように、だらしなく足を広げている。興奮冷めやらぬ体を押し殺し、絞りに絞られた肺と心臓を整える一心で、必死の呼吸を繰り返す。むせるとはまた違う、陸上での溺れ。

 きゅる――きゅる――きゅ――る――
 こころの歯車の加速が収まっていく。
 熱した全身の筋肉から蒸気が抜けて霧散する。自制できずに好き勝手暴れさせていた内息がおさまっていく。
 ぐちゃぐちゃに暴走していた臨戦心理を乱暴に閉じようと、レッパクは意識の身の内に潜らせてまだもがいている。

「――殺す気ではなかったのか」
 ツノマルはなおも動かない。自分の命を軽んじる発言では決してない。夢でも見ているような、朧気な瞳だった。
「、こ、殺す気、だったさ。そのつもりで、アシガタナを、最後に奪った」
 ふもとのレッパクを見つめて、
「ひどく矛盾しておる。内なる魔獣に快楽を覚えつつも、誰かの言葉に従い、なおも自分であり続けようとするのか」
 レッパクも、脂汗にまみれる顔を力なく上げて、
「それが、おれが『あの人』から育ててもらった、『人間のこころ』の部分、だ」
「己の存在意義を確かめるのは闘いの道それ一本。それでいて、娘にそのすべててを伝承することは頑なに拒むのか」
「――ああ」
「それでは果たして、セブンの存在意義はどこにあるというのだ」
「おれたちポケモンは、ただ闘って生きるだけの存在じゃないっていう、逆の証明にもなるはずだ。おれは内密にしていた以上、セブンは今、先の見えない道でもがきながらも、がんばってそれを探している最中だ。――おれは、そんなセブンを見守り続けたい。セブンは、おれの『星』なんだ」
「詭弁だ」
「しかし正論だよ」

 そこでツノマルはようやっと、ふもとに転がっているアシガタナを手にし直す。
「なぜ、みがわりが使える」
 表情を変える気力が戻ってきたレッパクはそこでふと笑い、
「なぜもなにも、元から使える」
「ばかな。それではぬしは、五つ以上の」
「おれは10まんボルトは使えん」
 アシガタナを収めようとした、ツノマルの腕が止まった。
「お前、経験に沿って闘った、って言ってただろ。そこを突いた」
 そもそも10まんボルトは派手すぎて、今回のような潜入に向かないと思って忘れたのだ。みがわりはいざというときの潜伏に使える。だが、このような戦闘で実用性を見出す、実直な使用方法はあまり想定していなかった。
 レッパクは一言も10まんボルトを使うとは言っていないし、また使ってもいない。そもそも電気をもって攻撃する技は、自身の狂気を封印するため、すべて忘れた。ツノマルが勝手に思い込んでいただけにすぎない。
 ツノマルは間違いなく強いから。
 経験豊富な「かんろくポケモン」だから。
 最後の最後までこれを温存しておけば、いつか大きな隙が生まれる。もう一匹の自分の心理は、悲しくもそこを狙っていた。

 刀のはばき(がね)を鳴らさないのと同じ。ツノマルはレッパクと静かに正対し、音もなくアシガタナを収めた。安否を確かめるためか、そろそろ体力の限界が近づいているのか、膝をついてこちらの様子をうかがってくる。
「美事、なり」
「いや、こっちの台詞だ。おれのほうもギリギリだった。その学習の速さ、経験に裏打ちされた察しの良さが、お前の本来の強さなんだろうな。見切られる前に勝てて運が良かった」
 レッパクも正対し、自分の知っている中でも一番敬意を表す礼法。耳の角度を一定にし、左右対称に揃える。
「数々の無礼、本当に申し訳なかった。今までセブンを守ってくれて、ありがとう。死ぬことなく耐えてくれて、ありがとう」


   ― † ―


 セブンと同じ目の光をした双眸が、レッパクとツノマルを見つめていた。
「――ツノマル、負けたのね」
「ありゃっ、お姉さん起きてたの」
「ええ、もう大丈夫」
 横顔を見つめ、ならいいんだけど、とキュレムは安堵のため息。
「しかしあれだね、おたくの旦那さん。いろんな意味で強くて、そして弱いんだね。不器用だけど、いい男じゃん」
「ええ、」
 それを聞いて、ミリィも素直に微笑む。
「だから、好きなの。だから、改めてブースターになったの」



水雲 ( 2016/08/26(金) 19:54 )