前編 Black tar
 12 超電磁ストーム


 【暦の中の、幼い魔法】 ツノマル


   12 超電磁ストーム


「セブン、」
 続きを打ち消す、露骨な舌打ち。
「せっかくあそこから出られてせいせいしたと思っていたのに」
 見栄、悪態、憎まれ口の減らず口。最初に漏らす台詞がこのようにしかならない自分を、悲しいとはあまり思わない。
「なんで、どうやって来たのかは訊かない。黙って出てったことは謝らないつもりだし、助けてくれたお礼も今は言わないからね。まだ何も終わったわけじゃないから」
 錦糸のように細く繋がってこようとするレッパクの視線を振り切り、セブンは階段をのぼり、ぶっきらぼうな足取りで大広間を歩く。夜風がそよとも吹いていないポケモンリーグにも、まだわずかながらに電力だけは残っており、虫の命のようにどこかはかなげな電灯は端までの闇を食いきれずにいる。どちらかといえば月の光にセブンは薄く照らされ、中心にまで構わず突き進む。夜空を仰いで鼻ですんと吹く。
「こういう選択したこと、あたしは後悔するつもりなんか絶対ない」
 本心だった。
 残酷でも純粋でもいい。どれほど奇怪な事実と真実であれど、何も知らないまま生きるよりかは、一掴みでも身をもって味わうほうが、セブンにとっては正の要素だった。ワカバからの脱出が叶わなかったら、今よりもずっと貧弱で泣き虫で、何に対しても口だけしか返せない欺瞞の塊であったに違いないとセブンは固く信じている。
 二つの巨大な建造物を背負うように振り返り、レッパクのすまし顔を遠く睨みつけてやろうとして、
 目の前にいた。
 最初から最後までレッパクが自分の影を追い、歩みにそっくりついてきていたことに、気づかなかった。
 レッパクの更に顔がずいと迫り、セブンは影に半面を覆われる。幼い頃から散々聞いてきた「あの声」でいよいよ怒鳴られる――と、目を瞑る。家出した当初から、覚悟していたことだった。

 温かくて柔らかいものが、セブンの額の一点に触れた。
 あまりの違和感に目を開けると、レッパクのきめ細やかなたてがみが眼前にあった。
 いったい何をされたか、その状況と立ち位置を熟慮しなくともわかるはずだ。しかし、『レッパク』という偏見がいまだ強く響いており、額に口づけされたなどという型破りを理解するのに、娘のセブンでもかなりの時間を要した。
 当のレッパクはというと、そんな横紙破りもまったく意に介さず、
「大きくなったな。それに、ミリィに似て随分と綺麗になった。おれの目つきと口の悪いところまでは別に似なくてもよかったのに」
 信じられないことに、どこか照れくさそうに笑っている。自分と同じ黄色い前足で頬をすこしなぞられ、そのまま頭に置かれる。セブンにも意外なほど軽かった。不器用にもぞもぞと動かしているが、撫でている動作のつもりらしい。
「世話の焼けるお姫さまだ、本当に。だから、そんなお前が可愛くて――」
 感触をしばらく堪能して満足したのか、レッパクは前足をやがておろす。湯に溶ける氷のように、引き続き表情を緩やかにほころばせている。耳の側面に、頬を寄せてきた。一年ぶりに聞く、穏やかで優しい、父親の声だった。
「………、」
 レッパク同様、セブンにも『城』がある。仲間や両親はおろか、自分にすらいまだ開けられない、難攻不落の『本心』の部分。
 そして、一瞬だけでも、許してしまおうかと思ってしまった。冷静な部分では、「強がり」なんて擬態はもうとっくに誰にだって見抜かれているのだと自己分析している。ならばいっそのこと、すべてをこの場でかなぐり捨ててしまって、打ち明けてしまって、あらゆることに対して仲直りするのも、一種のハッピーエンドの形だとわかっていた。
 ところが、こころの間隙を狙ってなのか、レッパクがふとささやいてきた。
「お前に会いに来たのには、無事を確かめたかったのもある。それにもうひとつ、あるんだ」
「――なによ」
 目を覚ましたセブンをその場にとどめたまま、レッパクが顎を引いてそっと後退する。鏡のように正対しあう。いぶかしげな表情で見つめ返していると、散漫していたレッパクの気配がみるみるうちに収束していき、セブンは同じ色をしたその目に凝視されて四肢を固定される。
 何を言い出す気なのかとセブンがレッパクの口元を目で追って、

 黄土色?

 レッパクが接近したことにも気づかないどころか、続けてのそれにも、セブンは気づかずじまいだった。どちらかの鼻を垂直へ斬り落とさんばかりの至近距離、セブンの視界の真上から遮断機のごとく降りてきたそれは、ツノマルのアシガタナだった。両の刃渡りは実に三尺五寸。得物の手入れも兵法の手の内として持ち主自らが限界まで研いでおり、かなりの物騒さを含めていても、そこらへんの棒きれよりかはずっと頼もしい。雄剣と雌剣からなる双剣の、人間の文字で彫られた銘はそれぞれ『水明』と『風月』。多くの敵を肉を斬り、なぎ倒し、生き血をすすってなおも鈍く彩る刀身は、このたびもレッパクとセブンの目線をはっきり分けた。一瞬で二分された空気が小さな風となって、セブンとレッパクの顔を一度だけ洗って凪いだ。
「下がれ」
「ツノマル?」
 接近していたことにも驚いたが、あのツノマルが躊躇もなく抜刀していたことにはもっと驚いた。意味もなく抜くような奴ではないとよく知っていたからだ。並々ならぬ声色がそこに拍車をかける。
「お兄さん、どうしたのさ。さっきからそんなに凄んで」
 まるで腰巾着のようにここまでくっついてきた、正体もいまだよくわからないカラカラは、主人とともに遠くの壁にまで一旦退避しており、そこからレッパクへ意味ありげな問いを投げていた。
「え、なに、なに?」
「レッパク、と申したか。セブンの父親よ」
「ああ。そういうお前はツノマルとか言ったな」
「ぬし、なにゆえ自分の娘に対して、それほどの妖気をまとっていられる」
「――えっ」
 セブンがたちまち目を白黒させる。
 自分の家出娘に、会いに来る以外の何の目的があるというのか。


   ― † ―


 そしてレッパクは、セブンに顔を見られていないのをいいことに、アシガタナからツノマルの青い腕へ、青い腕から青い顔へと流し目でなぞり、口元を歪めて薄く笑った。
 これを妖気としかとらえられないのであるのならば、それ以外の言葉を見つけられないのならば、お前が所詮場数の足りない二流なだけだ。これは興奮である。情熱である。真剣である。緊張である。集中である。焦燥である。感動である。あらゆる衝動が束になってうねりを上げる、等身大の気迫そのものだ。
 レッパクは視線をニュートラルに戻すと、もう一度セブンとアシガタナ越しに見つめあう。
 敵影のない、今しかないと思った。
「セブン」
「だ、だからなによ」
 決心して、告げた。
「今ここでおれと手合わせしろ」


   ― † ―


 え?

 言葉の意味がわからなかったというより、脳が言葉の意味を拒否していた。
「おれは確かめに来たんだ」なおもアシガタナ向こうからの、自分そっくりの斟酌しなさそうな声。
「なんなのよその確かめに来たって。出来の悪い不良者のあたしは家出しました、ごめんなさい、でもくたばらずになんとか生き抜いてここまで来てました、目視しました、めでたしめでたしはいおしまい、これで満足じゃないの!?」はっきりしない物言いに対し、セブンもアシガタナへ声を荒げる。
 これだけのつっぱねりで父親を退けることができるのならば、家出なんて苦労しない。現に、アシガタナの下からのぞかせる黄色い前足は、なおも一向に動こうとしない。
「違う」
 更なる否定が、セブンのいらだちを最高点にまであっさり煽る。
 ここは敵の本拠地。それどころではないというのは重々承知のはずだ。それでもこの親父は、こんなところにまで追いかけて、己の技量のなさを批評しにきたのか。闘いには及ばぬ未熟者だとわざわざ言いにきたのか。こいつならば、たとえ娘一匹のためだろうとやりかねないとセブンは強く思う。体験談を背景に、というよりかはむしろ、頑固な性格の部分からくる単純な言動だろうと感じる。
「今は理由は言えない。言えばお前は意識する。余計なことは考えず、全力でかかってこい」
 セブンの炸裂より一瞬早く、
「させぬ」
 ツノマルがセブンとレッパクの合間に無理矢理入ろうとして、セブンだけがその強引さに押し込まれて退いた。
 音もなく雄剣を腕の甲冑へ収める。
「セブン、下がれ。この者、どうやら本当に『ただ会いに来た』だけではないようだ。事を荒立てたくはないが、説得してすんなりと受け入れるような相手ではなかろう」 
 レッパクと違い、ツノマルの言葉の意味は、抜刀したという事実も踏まえて、セブンの中へ徐々に浸透されていった。理解すると同時に、ツノマルがとうとう口にした。
「礼を後回しとしてしまうが、我々の邪魔立てをしてくれるというのなら、ここで斬る。拙者はセブンの仲間だ。ぬしの仲間ではない」
 まずい、とセブンは思う。
 自分の無事を直接知ろうとここまで来るほどだ。自分やツノマル同様、レッパクも目的のためならばあらゆる障害を蹴散らすに違いない。ツノマルを排除した上で、発言通りの行動を強いてくるはずだ。
「ああ、実はお前でもいいんだ。見たところ古株そうだし」ところがレッパクは、薄情すぎるくらいあっさりと標的を変えて、かばんをその場にずり落とした。遠くのカラカラへ向かって投げ渡し、ツノマルに意識のすべてを差し向ける。「むしろ直接セブンに手をくださずに済んで助かる。余計な体力使わせてすまないな。すぐに終わらせる」
 セブンの思考が、ますます混線する。やれともやめろとも口を挟ませない、両者の謎の雰囲気に気圧され、無意識的に距離をとってしまう。
 レッパクの言葉をそのままとらえたらしい。ツノマルも明らかに軽蔑する目で、レッパクを見下ろした。喉元の簪に手をたぐらせる。
「血迷ったか、裂の字」串団子を横へ真一文字に食いぬくような動きで、簪を外す。喉元の長いヒゲがしゅるりと垂れる。三本の黒い爪でつまみ、先端をそっとレッパクへ差し出す。「かのような者を説き伏せるのに、我が分身もいらぬ」


   ― † ―


 心中を明かさないレッパクも、そこでさすがに訝しげな顔をした。
 おいおい。
 まさか。
 それ一本でやる気か。

 この簪が、以前ダイケンキへ進化したお祝いとして少年から贈られたものであることを、当然レッパクは知らない。
 ツノマルがこの簪一本で、加入の洗礼とばかりに新たな仲間に振りかざしていたことを、当然レッパクは知らない。
 同じく当初粋がっていたセブンを、この簪一本で完膚なきまでにどつきまわしたことを、当然レッパクは知らない。

 だから、レッパクには、ただの悪ふざけとしか思えなかった。深く握り込まないのは、勁を爪先から上手く伝えるためだろうとしてもだ。父親である自分を刃で傷つけたくないためだろうとしてもだ。斬撃と峰打ちの間を行く、宙ぶらりんな立ち回りしか想像できなかった。目の利かない素人による剣のえり好みはありがちな話だとは確かに思う。思うが、いくらその先を行く経験と貫禄でも、あの細い棒で何を成しえるというのか。
 それでは困る。
 得物はこの際なんでもいいから、誠意をもって相手してくれなければ、こちらとしては非常に困る。

 そういう形へ流れついてしまうのも、仕方のないことだった。
 心情を丁寧に弁解できず、腕を交えて確かめようとする手段しかとうとう見つけられないあたり、レッパクの口の下手さ、意思伝達能力のなさは相変わらずである。しかも、レッパクは気持ちこそ「真剣」であれど、「手加減」してかかるつもりだったのだから、無作法も甚だしい。それは自覚している。だから、そんな矛盾した雰囲気をツノマルは誤解し、あれ一本で相手を申し出るようになってしまったのだと苦く思う。
 しかし――
 自分は手を抜くが、相手には真面目に闘ってほしい。
 そんなあまりの要求を明言したところで、ツノマルの結果は果たして変わっただろうか。

 だが、実はツノマルはこれでもそれなりに真面目だった。簪一本でも、このダイケンキの手にかかれば、レッパクの要求に十分添えられるほどの武器になりえていた。
 つまり、レッパクの意図がツノマルに曲解されているのと同様、ツノマルの意図もレッパクに曲解されていた。
 侮辱にも等しい、まったくいい加減な世界だった。

 レッパクが、ツノマルの簪を、じっと睨みつける。
 ツノマルが、レッパクの腕時計を、そっと見つめる。
 互いの体がわずかにたわみ、その身に内息が詰め込まれていく。

「来い」
 とツノマルが宣戦布告。同時にレッパクは消えていた。
 ツノマルは目で追わず、右に現れることを予見し、腕を開くように簪を払っていた。



水雲 ( 2016/07/13(水) 20:10 )