前編 Black tar
 10 よいこホームラン


 【生きて行くこと、そんなに厭なことじゃない】 セブン


   10 よいこホームラン


 こう書いては身もフタもないが、それでもメスガキである。
 もしも上か下に兄弟の一匹でもいれば、こういう複雑な心境にも、あるいはならなかったのかもしれない。

 齢は弐。生は若葉。護は雷。父より授かった字をセブン。母より受けた二つ名を『明星』。あわせて、『明星』のセブン。これが、このサンダースの少女を表す名だ。碧眼の鋭い目つきは父親譲りで、色気に関してはいまいち損をしている。母親からは毛の色を少しもらい、きめ細やかで柔らかな、夕日の色にも近い体毛となった。セブンは二点ともコンプレックスだと思ったことは一度となく、自身を自身たらしめる記号だとそれなりに気に入ってたりする。

 厳格な父親を演じさせることに不服はなく、どちらかと言えば教えを受けることが娘としての望みだったのは確かだ。こころの弾力性をもって、ぐうの音も出ない正論へ言葉なり態度なりで反発することも、セブンなりの思春期だった。しかしどういうわけか、父はセブンが成長すればするほど以前のような持論を通さなくなり、以前のように思い出話にふけることもしなくなった。気は確かだし見た目もずっと若いままだから、耄碌したとは考えにくい。アテをなくし、父と母以外の、冒険をともにしたであろう他の者たちに過去の顛末を訊ねてみても、気むずかしそうに濁すだけで、誰も詳細を述べてくれない。

 物語の真実は記憶の彼方。
 よって、当時のセブンは全員による『でっちあげ』だと解釈した。
 小娘一匹を立派に育てるために打った、大々的な芝居だ。無駄に背景を盛ることで囲みを作り、お前もたくましく生きなさいと訴えたかったのではあるまいか。プレッシャーを感じるどころか涙ぐましい。
 誤解とまではいかないものの、セブンにそういう捉え方をされても仕方のない非は、実はレッパクたちにもある。レッパクが不器用ならばみんなも不器用。つつがなく語ることと省くことの絶妙なバランスを、とうとう誰も見つけ出せなかったのだ。
 そんなこんなで、いつかはセブンも成長するし、いつかは能力も身につける。視野を広めて気づく。こんなにも個性大売り出しのみんなが、雁首揃えて箸にも棒にもかからない「平和主義者」であるはずがないと、次第にセブンも察してきた。ワカバでのんびり一生を終えるだけでこんなポケモンたちに囲まれるのなら、人間の人生は退屈しない。本当に冒険して、したからこそ今があって、自分がいるのだ。芝居という誤解は、ある程度セブン自身の中で解消され、真実味を帯びてきた。

 メスガキだろうとレッパクの娘であり、一匹のポケモン。父親が特に一目置かれるほどの存在なのだとは、なんとなしにわかっていた。
 わかっていたからこそ、わからなかった。
 自分になぜその機会が訪れないのか。
 風呂敷の大きな話を自分へ語っておきながら、なぜ今はそうしないのか。
 牙を抜かれたように、ただ主人と一緒に変わらぬ毎日をなぜ続けるのか。

 あたしがまだ子供だからかな、と思う。
 そうだとしても大人はずるい、と思う。

 血の繋がった親子といえど、こころは別々。レッパクが形あるものないものすべてを駆使し、どれほど切実な思いでセブンに接してきたか、このときのセブンにはまだ知る由もない。


   ― † ―


 ということでセブンは、やろうと思えばいつでもできたことを、ついにやらかした。
 場所はあっていたはずだ。問題はタイミングだった。かなり後れをとってしまったようだ。
 とある法外な手段を用いてイッシュのポケモンセンターへやってきたセブンは当時、腹ペコで死にかけていた。
 そもそもワカバの外へすらろくに出たこともない、鍛錬もそこそこの、筋金入りの箱入りだ。更に地方も違うとなると感覚も盛大に狂い、歩き慣れない地面は体力を呪いのように吸い取っていく。背に腹はと思って探し出したきのみはどれひとつと見たことがなく、美味しかった試しもない。これはイッシュ地方のきのみの特徴であって害意はない。採取したのち、各々特有の「抜き」を施さねば、本来の味とならないのだ。「箱入り」で「よそ者」のセブンは、齢が弐から参となってからも、この話題で仲間たちにからかわれることとなる。しょうがないでしょ知らなかったんだもん――と、セブンは決まってこう言い逃れるのだが、自分の見聞の狭さを蒸し返されているようでちっとも面白くなかった。世は不公平でできている。

 きのみに胃を焼かれて何も受け付けなくなり、空腹感が立ち消えると、今度は体がだるさを覚える。もう歩きたくない、でも歩かないと、という思考の合間だけをふらふらと揺れ続けて、他のことは頭に入らなくなる。ナンパだろうと縄張り意識だろうとセブンにとってはどうでもよく、行く手を一歩でも遮る野生のポケモンたちには、残った元気を振り絞って10まんボルトをぶっ放すだけ。立ち止まれば今までの疲れがぶり返してくるような気がして、それから逃げるようにまた前を目指す。
 ああ、
 なにやってんだろ、あたし。

 自分の計画性のなさをつくづく恨む。もうちょっと時間を粘って、こころを落ち着かせて、道のりを考えて、タイミングを計らえばよかった。追いかけるよりも先回りして出くわす状況へと運べば、と今になって思いついてしまう。頭の中に現れた父親に冷笑され、一瞬めちゃくちゃムカついたので問答無用で張っ倒す。
 それでも場所はあっていた。方向音痴と無計画をあわせても進行方向を間違えなかったのは奇跡に近い。マイナスとマイナスをかけたらプラスになる理屈を、疲労感にやられた頭でもほんのちょっとだけ理解した。
 道の向こうを歩いている、とある人間の姿をついに認めると、あとは背中へ追いつくのみとなった。あらかじめ格好を覚えていたから、見間違えようもない。が、セブンの体力はその時点でとうに限界で、四つの足でつんのめるように歩くだけで、声もろくに出せない。意地悪にも人間はこっちの存在にちっとも気づいてくれず、陽炎のように遠のいていく。一向に距離は縮まらない。もしかして幻覚を見ているのではなかろうか、なんて怖い思想に陥りかけたが、それがむしろなけなしの体力をかき集める最後の一手となりえた。見知らぬ土地にちっぽけな自分一匹だけという事実が今頃になって去来し、ホームシックにも近い虚無感で胸でいっぱいとなり、これ以上の孤独感に耐えられなくなったのだ。
 幻でもなんでもいいからこっちに気づいて、振り向いて、お願い――と、残り一発分の雷撃をその場にまき散らした。
 幻ではなかった。本物だった。飛び上がるくらい、めちゃくちゃびっくりしていた。
 あはっ、とセブンは枯れ切った顔で一度だけ笑う。

 気づいてくれた。
 よかった。
 こっち、来てる。
 遅いよ、もう。
 あたしね、
 セブンって言うの。
 実はね、
 母さんの、

 そこでセブンは意識の糸が切れ、完全に潰れた。
 狙っていたわけではないが、幸いにも『保護』という形で、セブンはそのトレーナーとの接触に成功した。丸一日ポケモンセンターで養生することを余儀なくされるが、全然構わなかった。出会ってしまえばこっちのもんで、助けてくれたお礼という名目で、このトレーナーのお供となって、今後の手助けを担えるのだ。
 母さんと一緒だ、とセブンは自身の境遇の置かれ方を楽しむ。
 セブンが思っていた以上に、優しい少年だった。
 ワカバの主人にも負けない、立派なトレーナーだった。
 それもそうだろう。
 だって、
 この人は、

 あの時言おうとして言えずじまいだった、この先の真実。
 まだ決心がついておらず、仲間の誰にも語ったことがない。

 かくして、小娘セブンの冒険は、世にも情けない形から始まるのだった。


   ― † ―


 闇の向こうから敵の気配がした。

 ――そこか!
 声を出せば相手にばれる。そのこころがけがまるで缺落(けつらく)するズブの素人とみた。それとも、己への鼓舞、宣戦布告のつもりか。
 叫びに刺激され、セブンの臨戦心理が閃く。怯えていたエーテルと瞬時に目配せ。
 定石、『双騎士防衛陣(そうきしぼうえいのじん)』。
「主、どいて!」
 シャンデラの少女エーテルは足を持たない。自分は足音を抑えられる。主人はどちらも叶えられないが、いなければ意味がない。というわけで、侵入がばれたのは誰の責任でもない。
 セブンはエーテルと左右に並び、主人を守る陣形をとる。敵がどんな奴かも確かめない。臨戦心理が言うには、静音性には目をつむってでも、目の前の敵を排除することを最優先とした。ほとんどヤマカンで弾道を計算し、ミサイルばりを乱雑に撃った。やや遅れて隣から放たれるは、弱気な性格を逆算させて激情としたシャドーボール。
 現れたのは、前衛にミルホッグ、後衛にデスカーン。万斛(ばんこく)のミサイルばりはミルホッグの侵攻をなんとか縫い止め、エーテルのシャドーボールはミルホッグをすり抜けてデスカーンに直撃。運良く弱点を突き、そのまま意識まで根こそぎかっさらえる手応えだったが、デスカーンはすでに後ろ向きな手を打っていた。禍々しい黒に染まる四つの腕をくねらせ、四方からエーテルを襲う。手形は扇。意念は奪。正鵠は魂。上ふたつの手がエーテルの球体を、下ふたつの手がエーテルの腕をひっつかんだ。凶悪な戦意が握力となって収束する。突貫するセブンがミルホッグの図体を突き飛ばして気づいたときにはもう何もかもが遅く、
 デスカーンのみちづれが発動した。
 小さい悲鳴をあげ、エーテルの体がびくりと弾んだ。
 エーテルが墜落するよりも早く、セブンが怒りに吼えた。10まんボルトでデスカーンの全身を撃ち抜いたが、それは敗者への追い撃ち以外のなにものでもなかった。まだ収まりを見せない電圧はあたり構わず爆散し、ミルホッグと、持ち主であったプラズマ団員二名の意識も闇の彼方へ吹き飛ばした。

 呼吸を整える間も惜しかった。臨戦心理を納めようにも興奮が勝り、セブンはエーテルのもとへと駆け寄った。
「エーテル、しっかりして、エーテル!」
 頭と手の青白い炎が、今にも消えそうなほど切なげに揺らめいている。
「……ごめんなさい、マスター、セブン……、わたし、ここまで、みたいです……」
 何も手助けできなかった主人も、己の無力さを噛みしめているらしい。片膝をつき、帽子のつばをつまんで深く下げることで、悔しさを表現していた。
 ――わかったよ。エーテル、ここまでありがとう。先にゆっくり休んでて。後で必ず手当てするから。
「……はい……」
 親友のエーテルがボールへ収まるのを見届けたセブンは、目を閉じて歯をそっと食いしばった。
 残る手持ちは、自分とダイケンキの二匹。
「――主、あたしはまだ闘えるから。一匹でも頑張れるから。ツノマルは切り札にとっといて。ここで全員やられたら、元も子もないもの」
 まだ帽子のつばを下げている主人が、小さくうなずく。気持ちを奮い立たせるためか、右の拳でこめかみをぐりぐりくれてやり、目に力を宿らせた。
 ――よし、行こう。早くここを抜け出さないと。

 チャンピオンロード深部である。
 その先のポケモンリーグにて、とある青年が待ち受けている。
 セブンの今の主人は、セブンと出会うよりも更なる過日から青年と知りあい、会話なりバトルなりで、複雑な関係での交流を続けていたらしい。こころに秘めることは様々だったが、どうしても嫌いにはなれないと、ポツリ呟いたことがみんなの前で一度あった。両者の道は似て非なるもので、友でなければ敵でもない。プラズマ団の頭領という身の上はさておき、ポケモンに対して独特の価値観を持つ、一種の哲学者のような印象だったそうだ。
 その青年がついに宣言通りにチャンピオンを倒し、それをも超える者へ変貌しようとしている。
 青年がチャンピオンになることに不満があったわけではない。才能を鑑みれば、いずれなるべくしてなった形だろうとすら思う。
 それでもなぜ主人はがむしゃらに青年の背中を追うのか。
 ただ単純に、その先に発現される「世界」を拒みたかったからだ。

 セブンも主人と同じ気持ちである。みんなも同じ気持ちである。
 父の教えだが、人間と一緒に生きることを選択したのは、他の誰でもないポケモン自身だ。血が憶えている、最古の記憶だ。
 理想と真実を語り、駒を配置し、行く手を遮り、それでも突き進もうとする自分たちを、こうして今も上から楽しんでいる。余裕綽々の態度にセブンは我慢がならない。少なくとも、青年の思想と自分たちの思想は一致しない。自らの考えを押し付けるべく、ポケモンの気持ちを勝手に仕立て上げて代弁し、妄言をたらしているだけではあるまいか。

 人間一人がやっと隠れられる場所を見つけた主人が、スプレータイプのキズぐすりをからからと振って、残量を確かめる。
 ――こいつで看板か。セブン、ほら。
「ん、ありがと」
 取るに足らない傷口へ優しく吹き付けてもらい、セブンはなおも思考する。

 目を閉じて、浅く想像してみる。
 伝説のドラゴンポケモンであるレシラムとゼクロムが、果たしてどのような手合いの者なのか、セブンと主人には見当もつかない。数少ない資料や映像から情報を繋げてみるが、実際はそれをも上回る存在感なのは明白である。それっぽい奴を、と思って呼び出してみたが、クリムガンしか出てこなかった。一応、炎と電気を使える奴、とオプションをつける。雲を突くほど無駄に巨大化させてみる。
 それと対峙する自分は、どのような勝算を見立てて睨んでいるのだろうか。とりあえず右から攻めるとして、攻めるとして――
「んんぅ、」
 ――あ、どこか痛かった?
「ごめん、なんでもない」
 集中が軽すぎたのか、接続が弾かれた際の(ねごと)だ。それは半ば、現状への注意も捨てたくないという用心さでもあった。これ以上のイメージトレーニングは時間の無駄だ。情報が乏しいと、具体的な戦略が立てられない。立てられないが、それでも追いかける。勝利以上の説得はないだろうが、青年の凶行を食い止められるのならば、どんな事の運びでもいい。
 こんな時、父ならどうするのだろう。
 五体を酷使してでも闘うのか。世の無常さに抵抗せず、行き着くところまで流れていくのか。自分はどちらを信じるのか。
 まるで我が身のように、父のことばかりを考えている。自分の中に生きるレッパクを見つめては、勝手に悶々としている。

 そんなセブンとて、お転婆の一本槍でここまで無作為に突っ走ってきたわけではない。
 レッパクの綿密な教えがあってか、この主人のもとでの闘いの日々があってかは知りかねるが、セブンはみるみるうちに実力を抬頭(たいとう)してきた。裏返せば、抑え込まれてきた力を解放できる居場所を見つけた、となる。雷、針、磁、足、思。どれをとってもレッパクと遜色ない一級品。みんなからも認められるし、鼻高々である。
 レッパクならばここで「もっと謙虚に」などといったお小言のひとつふたつをこぼすだろうが、弾みのついたセブンはもう止まらない。現に、このチャンピオンロードでの戦闘を、ほぼ無傷でいなしてきたのだ。勇ましく生きる今の自分を見たら、レッパクといえど説教に開けた口を閉ざさざるを得まい、と内心でほくそ笑んでいる。

 主人とみんなとの冒険は、とても楽しかった。シャンデラ、ダイケンキ、ケンホロウ。みんな気の置けない、いいやつらだった。世界の広さに感動を覚え、どこまでも追い駆けたいとすら願った。窮屈だった日々が一新され、明日はどんなところに行こうか、どんなところへ着くのか。どんな強敵が待ち受けているのか。考えを巡らせるだけで臨戦心理がどうしようもなく沸いて、水色の目が光を宿らせて煌めいた。好奇心抜群なのは自信の現れであり、勝ち星をあげるほどこころの輝きはいや増していく。気の引ける軟弱者なんてそもそも足下にも及ばない。真っ向勝負したくば、それ相応の実力と自信を身につけてから同じ戦場に立ちなさいよ――そんな勝ち気さに拍車をかける。

 自分をワカバへ閉じ込めた父に一矢報いたいし、自分の強さをこの世界に知らしめることができる。一石二鳥だ。
 そうとも、自分はあんな『腑抜け』なんかとは全然違う。
 腑抜けから盗んだこの技と力で、どこまでいけるか試してやる。レッパクたちがしてきた「よちよち」の旅よりも、自分がしているそれのほうがよっぽど難事であるというマイナスの自負があった。
 もしも本当にイッシュ地方を救って、立て続けに制覇してしまったらどうしよう。ちょっとくらいはちやほやされちゃって、ジョウトのあの田舎にまで電報が響くようになったら、驚くだろうか。驚いてくれるだろうか。跳ねっ返りを諭してくれるものなら、じゃあやってみなさいよと言い返す。見くびってて悪かった、なんて謝罪だけでは許さない。やっぱりおれたちの娘だな、なんて月並みな褒め言葉でも納得しない。めいっぱいの伏せをさせて、前足を舐めさせる。「父さんでも成し得なかったリーグ制覇をやり遂げたわよどうだまいったか」なんて口上をまくし立てた上で、あっはっはと大笑いする。イッシュのきのみを投げつけ、どうやって食べるのか、目の前で観察を決め込み、にやにやしてやる。どうしてもとせがむのならば、熾烈な激闘をどうなしえたのか、語ってやってもいい。舌が三枚あっても足りない話題をすべて掘り返し、こっちの主人のこととか、みんなとの交流のこととか、自分たちの冒険がいかに波瀾万丈だったか、その世界で自分はどれほどに立派な生き様を描いてみせたか――

 思わずにやつきかけたセブンは、表情を打ち消し、ため息をつく。
 ばっかみたい。
 妄想が過ぎた。
 これではあの青年と一緒だ。
 実現したくば、この状況をさっさとどうにかすべきだ。早くチャンピオンロードを抜けて、早く青年をぶちのめして、早く平和を取り戻すべきだと気持ちを改めた。宴への楽しみは後にとっておこうとわきまえる。

 ――いたぞ、こっちだ!
 げ。
 ――セブン、逃げるよ!

 それよりも幾倍も勇ましい「攻」の反応だった。こっ恥ずかしい考えを遮断し、武勇伝の新たな一ページを記す、セブンの特攻。質のまったく異なる飛び道具ふたつが同時に放たれる。電流をまぶしたミサイルばりは初動の囮、潜む本命は弾足(あし)の遅れるスピードスター。全弾必中を推定して自身も弾道を追う。敵として現れたポケモンはレパルダスで、いきなりのミサイルばりを浴びた挙句にスピードスターもくらった。
 姿勢が壊れたのを見逃さず、セブンは地面を軽くえぐりつつ突っ込む。当たったにせよ避けられたにせよ、痛みがあったにせよなかったにせよ、そこに会心は見込まない。先手を奪ってひるませることに意味がある。間遠(まどお)からの射撃は牽制としての価値があるが、真意は速度を乗せた威嚇にあるとセブンはこころ得る。肉弾戦とは違い、直接的な手応えを判別できない。さすれば、この手の技は威力の添え方も無意識的に雑となり、どこかに嘘が混じってしまうと学んだのだ。ならばいっそのことダメージには最初から期待を置かず、あらかじめ別の役割を持たせておいたほうが作戦も立てやすい。だからセブンは、自分自身も惜しみなく使い、連なりの『武器』となる。すべてをやり通して『一振り』とする。レパルダスの意識がまとまらないうちに、横顔、首、前足の付け根を揃えた靠で、正面から勝負をかける。体重差を補うのは、全身へ絡めた電磁力だ。
 レパルダスの体躯が紙くずのように後方へ吹っ飛び、プラズマ団員の腹へ入った。
 ポケモンバトルにてトレーナーに直接手をかけるのはご法度中のご法度。だが、事ここに至っては甘っちょろいことを抜かしていられない。ましてや相手は法も道徳も捻じ曲げ、エーテルやみんなを痛めつけてきた(にっく)き相手。容赦などしないほうが自身の気持ちのためだ。レパルダスの真後ろに間抜けに突っ立っていたあんたが悪いと決めつける。
 定石、『時計返(とけいがえし)』。
 レパルダスもプラズマ団員も追い抜かし、セブンは背後を奪う。そんなに後ろへ倒れたいのなら倒してやる、と思う。振り子の軌道をもって後ろ足を振り上げると、全身が遠心力に誘われ、空中へ跳ね上がる。後ろ足がやがて12時にまで登る。
 下りへと返される桃色の肉球が、プラズマ団員と重なるレパルダスの首へそっと触れた。
 仲良くおねんねしてなさいね。
 つるべ落としの軌跡を描いて、仲良く地面へ蹴り落としてやった。

 着地するが早いか、セブンは押っ取り刀で主人に追いつく。知らぬが仏というやつで、意識下がさっき拾っていた言葉を再生するに、主人は応戦よりも逃走を選んだらしく、セブンがさっきまで何をやらかしたかに見向きもしなかったようだ。
「主、大丈夫? 怪我ない?」
 ――え? うん。
 あたしが頑張らなくちゃ。
 セブンはそう思う。


   ― † ―


 連戦で騒ぎ過ぎたのが悪運を呼び、体力に負けて撤退を余儀なくされた。その気になれば敵兵の一人や二人は撒けるものの、主人を置き去りにはできない。埋まる石塊にけつまずき、乱雑な草むらに足を取られ、それでも一人と一匹は出口を目指して走る。荒々しい呼吸を必死でこらえる主人の体力を気遣いつつ、セブンは懸命に先行する。木霊する足音は主人のものだと信じたいが、背後に迫ってきている者たちを意識すると、それは何十人という軍隊のものにも聞こえた。
 右か左か。
 右を選んだ。
 奥まで伸びる一本道は、無駄なことを考えずに済むだけにわずかな楽を見るも、逃走の果てに挟み撃ちされては意味がないと意識がおそれ、傍らにひらける穴ぐらを選択した。セブンの考えを信じたのか、主人まで内部へ連れ込んできてしまった。
 ギガイアスが先日までねぐらにでもしていたのか、そこは主人の足でも奥まで百歩と満たない小部屋だった。
 ハズレクジを掴まされた悔しさにひたる余裕はない。
「主、お願い、ツノマルを!」
 もちろんそのつもりだったのか、主人は腰のボールから最後の一匹を繰り出した。正体は、首から胸元にまで伸びる長いヒゲを一本の(かんざし)にまとめたダイケンキ。『長髭(ながひげ)』のツノマルは主人の最初のポケモンであり、セブンすら正直に評価する古株の参謀だった。しゃべり方がやや古風なのは世を往来して歳を食ったからだろう。
 ツノマルは左腕の甲冑から即座に抜刀。右の逆手に持ち直したアシガタナが青くたくましい右腕にぴたりと沿う。肘打ちの延長となった切っ先が、目で追うのも不毛な斬撃を広げる。ツノマルの目に映るものあらかたが斬り崩されて瓦礫となり、小部屋の入り口を塞いだ。それでも安心しきれないのか、ツノマルは残勁冷めやらぬ上体を持ち上げ、両の前足でしっかと支える。強大な暴力に揺るがされ、ツノマルの腕が懸命となっているのが、暗闇の目でもわかる。

「――セブン、どこかに抜け道はないのか、作れないかッ」
「む、無理よ! あたしが代わるから、ツノマルが壁でも斬って拓いて!」
「それこそ無謀だ、軽いぬしなど一瞬で吹き飛ばされてしまうぞ」
 この際だ、ここを背水として、二匹で迫撃に転じる――セブンが決意するのにあまり時間はかからなかった。が。
 外から複数名の悲鳴があがった。
 衝撃のあまりか、びり、と岩肌が震えた。
 瓦礫を押さえ込んでいたツノマルの力が、水に溶けるように引いていく。
 何かが、聞こえる。

 私がやろっか?
 いや、おれにやらせてくれ。

 ポケモンの声だった。

 安心しろ、おれは敵じゃない。そこにいるなら離れてろ。今からぶっ壊す。

 勘のよさはかんろくポケモンだからこそ。退いて主人とセブンをかばうと同時に、なけなしの瓦礫が爆発した。そこに主人がいたならば大怪我をし、セブンがいたならば怪我をしたであろう破片の雨を、ツノマルがその身とアシガタナ一口で受け止めようとし、
 それらはツノマルに降り注ぐ前に、電撃の与圧によって内側から破裂し、次々と形を失った。
 何事か、と主人は思う。
 何事か、とツノマルは思う。
 立て続けの劈きに耳をやられかけたセブンは、かばってもらっているツノマルの体の向こうへ、恐る恐る目をやった。

 小部屋に響く鋭い音の隙間をすり抜け、その声は、今度こそはっきりと届いた。
「セブン、いるのか? お願いだ、返事をしてくれ」
「うーん、間一髪だったみたいだね」
 一年前に別れたサンダースの声だった。
 会ったことのないカラカラの声もした。
「――父さん?」
 そして、
「ミリィもいるぞ」
「セブン!」
 一年前に別れたブースターの声がした。
「か、母さん!?」
 そのブースターの正体はやはりミリィで、こっちへ駆け寄ってくる。有無を言わさず、その赤い前足で頭を抱きしめてきた。黄色のたてがみに顔を押し込まれ、溺れて息が詰まる。レッパクに向けて叩きたかった憎まれ口を、セブンはあっという間に忘れる。
「ああセブン、セブン……!! 良かった、無事だったのね、本当に、良かった……!」
 一年ぶりの熱さと匂い。涙声が伝播して、決意が揺らぎかける。こっちも思わず涙腺が緩みそうになる。
 視界の外で、レッパクがゆっくりと歩み寄ってきているのが嫌でもわかる。感情そのままのミリィと違って、落ち着いて迫ってくるその冷静さがいちいちセブンの気に障った。
 ミリィのたてがみから離れたすぐその先に、自分と同じサンダースの顔があった。
 一年前と何も変わらない、父の顔だった。
 一切を言わないのは、こっちの言葉を待っているかららしい。
 ならばとは思うものの、鬼一口から救ってもらった礼をすべきか、余計なことをしなくても平気だったと見栄を張るべきか、セブンはその一瞬、強烈に迷った。
 その一瞬を奪い、状況を理解できずにうっかり発言した者が、二名いた。

「ミリィ、と申したか? そこのブースターよ」
 ――今、ミリィって、ミリィって言ったよね?

 セブンの表情が、不安に陰る。
 呼びかけに反応し、ミリィだけが、主人とツノマルのほうを一度ずつ見る。
 その場の人間が、サンダースが、ダイケンキが、サンダースが、ブースターが、そしてカラカラが、心筋梗塞で仕事中に倒れた画家の一枚絵のように、そのまま身動きもせずに固まった。
 静寂を破るように、当のミリィがぽつりと、

「――ご主人?」

 ミリィのこころの頭蓋に、亀裂が走った。心臓の跳ねる音がここまで聞こえた。姿勢がふと崩れる。頭をかばわずに地面へ激突し、苦悶で恐ろしく顔がゆがむ。頭痛を打ち消すべくか、何度も何度も側頭で地表をこすり、顔半分がいよいよ土に染まっていく。のたうちそうなほど全身が痙攣し、嘔吐寸前の咳込みがその場にいる全員の狂気を煽る。
 レッパクが、セブンが、叫んだ。
「ミリィ!」
「母さん!」



■筆者メッセージ
 ついにセブンが短編以外で正式に登場しました。ここまで長かったです。
 エーテルとの仲の良さについては、短編「Se7eN」のほうが詳しいです。

 次の投稿日は6/11なのですが、前編の残りの書き溜め、別の企画作品などを仕上げたいため、お休みするかもしれません。
水雲 ( 2016/06/01(水) 19:49 )