[READ]
Call me & Tirami su アベニューを大きくさせるためだから。
というようなことを、あの人は最後に残して去った。
あの人も大層な薄情者だが、その告別の言葉すらはっきりと思い出せないわたしも、随分な薄情者だろう。
似た者同士が呼ばれあい、磁石のようにくっつき、磁石のように離れたのだと、わたしは思う。
ところで、今、191回目の交換をされて『控え室』へ戻ってきたところだった。
体内時計を探るに、あれから300日ほどあまりが過ぎようとしていた。
〜 ∞ 〜
――よお、新入りか?
何百のコマンドを指標にし、何百のゲイトウェイをつたってたどり着いたそこは、若くて雑多なプログラミングが創り上げた電子世界だった。
すり切れすぎて武骨となったそのセリフが、わたしが控え室で最初にかけられた言葉だった。
そいつは、4桁にも登る交換をされては控え室へと帰還するツワモノで、皮肉にも世渡り上手な顔を成しつつあった。半永久的なループを人間が閃いた黎明期からの原住民らしく、もはやこちらが第二の故郷と言っても一応の肯定として通るはずだ。飄々としたおしゃべり好きだがどこか憎めない。「どっちの世界に転ぼうがおれはおれさ」といったたたずまいを、わたしは雰囲気から察していた。
――ここはな、言っちまえばお前のような交換に出されるやつだけに作られた世界よ。みんなは『控え室』って呼んでいる。あまりにもおれたちが頻繁に出入りするもんだから、自然とここが溜まり場になっちまったのよ。
1つのメインシステムと9つのサブシステムによるコマンドが組み成す世界。当時控え室にやってきたばかりのわたしは、そいつからここについて色々と聴かされた。
捕獲されて早々にここへ放り投げられる輩は決して少なくはないらしく、わたしもそれを構成する歯車の一員であった。
自分をこんなところへ閉じ込めた主人を憎む者、いつかおん出てやると躍起になる者、もう二度と出られないのだと悲観する者、疲れはてて全てを諦める者と、時系列で大まかに仕切りを組み込めばこのような按配だが、人間が100人いればわたしたちも100通りの反応を見せる。控え室でのわたしたちは最小限に電子化されており、コミュニケーションといえば電子言語をやり取りするだけである。しかし、プログラミング言語の向こうにある様々な思惑が渦を巻き、ひとつにまざり、得も言われぬつぎはぎのケダモノが支配する空気が、確かにここにはあった。実体同士での会話というものをついぞ最後まで誰ともできずじまいだったものの、そんな一触即発の緊張感は今でもはっきりと思い出せる。
――どうやら、おれたちをシャッフルすれば、自分んとこのアベニューとやらが発展するらしいんだわ。詳しい仕組みはよく分からねえんだけどよ。
誰かを選び、誰かを差し出す。
それをわたしたちの種族で固定することで、交換をスムーズにし、アベニューをより成熟させる。その運命が、わたしにも回ってきてしまったということだった。
かく言うわたしは、そんなに大きな反応は示さなかった。
あの人に対する強い憎しみ、なんてものも抱かなかった。
すみかとする所が移り変わったと言えばそれまでだった。
捕まえられたその時から、あの人の両肩から滲み出るそことない憂愁を、無意識に悟っていたのかもしれない。出会ってまもなくポケモンセンターへ同行するだけの、10分程度の付き合いだったが、あの人もあの人なりに罪悪感というものをその600秒の間でふくらませたらしい。
しかし、その罪悪感も、自分のこころを強くするための栄養剤に過ぎないのだろうな、と思う瞬間がたまにある。結局は己のために悲しんでいた節は否定できなかった。
『よお、おかえり。これで20回目か』
「そうなる」
当然だが、わたしたちにも『相』というものがあり、『個性』というものがある。電子化されようとも、シグナルの癖やら態度やらで機微がうかがえる。そいつはそれを汲み取るのが飛び抜けてうまかった。起伏の薄いわたしですらあっさりと見抜かれるほどだ。他の連中とは違って、金切り声をあげないところなどが、かえって付き合いやすかったのだろう。
『こっちの世界も慣れてきたか?』
「ある程度は」
ホットスタートによる磁場嵐も、こうして穏やかに身を任せていると、誰かの声に聴こえなくもない。
思い出というものは、その決定的瞬間に自分なりの味付けや彩りをするのだからこころに残るのであって、何事もなければ琴線に触れることはない。そうして知性体は時々自分の記憶を思い返し、楽しみ、過去と未来の架け橋とする。一度もボールから出されることもなく、再び電子世界に落とされるものだから、新しいトレーナーの顔など覚える余裕はどこにもない。トレーナーにとっても、わたしたちの顔の違いを精確に見分けることなど至難の業であろう。機械のように無機質に作業をこなしているのはお互い様だった。やはり印象的なのは、最初の主人であるあの人だ。薄ぼんやりと霞がかった輪郭を、わたしは交換に出されるたびに新しいトレーナーと重ねあわせている。
「あなたはずっとここにいるつもりなのか。出たいとは思わないのか」
『んなこと考えたって始まんねえだろ。無限小の可能性を議論したって世界は何も変わらん。ここへやってくる確立も、そして出られる確立も、統計学的な違いはほとんど無いとおれは思う。ま、それにな、こういう世界も案外悪くねえもんだ。慌てず騒がず、あるがままにしていたら自然と回路も落ち着いてくるんだ』
持て余す時間は掃いて捨てるほどにあったが、暇を潰す方法も幾通りとあった。最後の手段としては、ポケモンセンターのパソコンと同じ電波コマンドをコールし、冬眠状態をキックすること。控え室のアルゴリズムはパソコンと非常に良く似ているため、ひたすら眠ってやりすごすことも真っ当で懸命な選択だった。
『お、またたくさんお呼ばれされてるぜ。じゃあちょっくら行ってくるか』
そいつとは、それっきり会っていない。
あいつの行く末について考えることは何度もあって、そのたびに最後のトレーナーに拾われたのだという結論で終わる。真っ先に外へ飛び出てはけろりとした顔で戻ってきたはずのあいつがもうやってこないその非現実性が、わたしには途方もない違和感としてずっとこころの奥底で沈んでいた。
運のいいやつだとますますシャバの空気を羨望したり、抜け駆けしやがったと矛先の見当たらない怒りを
露にしたりと、控え室の中もちょっとした騒ぎであった。普段から冬眠状態だった者たちもぞろぞろとやってくるくらいで、この控え室には実際はこれほどまでの数が収容されていたのかと、わたしはそれはそれで驚いた。
――慌てず騒がず、あるがままにしていたら自然と回路も落ち着いてくるんだ。
嘘だと思う。
わたしはあの一言を、今も信じていない。
繰り返しの日々に、どこかが壊れつつあったのかもしれない。
あいつの本音は、最後まで何ひとつと知りうることはなかった。
わたしは、あいつに手向けるべきだった別れの挨拶について今でも悩んでいる。
あいつもかもしれない。
〜 ∞ 〜
そうして、あいつと同じように繰り返しの日々を過ごしたわたしだったが、残念ながらあの世界について話せることはもうあまりない。
結論を述べてしまうと、わたしもあの世界からの脱出に成功した。
悲劇、喜劇、どちらとも呼んでもかまわなかったが、なぜ『成功』と特筆したのかには以下の理由がある。
あの人だったからだ。
巡り巡って、再びわたしは最初の主人の手元へと交換されてきたのだ。
――この人は、
わたしが気づいたことに、この人も気づいたらしい。
数秒の間を置き、
まさか、あたしの?
嗚咽を噛み殺した涙声だった。
わたしはしばらくためらったが、涙声に後押しされ、小さく頷くことにした。
その場で泣きじゃくられるかと覚悟のひとつくらいしたものだったが、予想に大きく反し、わたしは否も応もなく手を強く引っ張られた。
こっち、こっち来て!
何事かと思った。
ポケモンセンターを飛び出し、ライモンの町並みを尻目に一目散、巨大なゲイトをくぐり抜けた。
とんだ盛況が、塊として突如襲いかかってきた。
そこには、もうひとつの世界があった。
もうこれ以上は望めないというほどに成長しつくした商店街だった。照明はオーロラのような極彩色を成し、左右を占める店舗はどれも景気のよい活況を呈している。それに伴った人だかりはあの控え室よりも多勢と見えて、行き交う人々の足音や掛け声がわたしの聴覚に絡みついてくる。
あの雑然とした控え室とはまるで正反対に整ったアベニューを見せられ、わたしは言葉を失い、目のやり場に困り果てた。
わたしの真後ろに、あの人の体温と呼吸があった。
こんなに、賑やかなアベニューになれたんだよ。きみのおかげで。
やめてほしかった。
ふたつの世界をふらふらしていただけのわたしがこんな盛大なものを造り上げたなどとは到底認めがたく、自分の功績としていきなりほめたたえられるのはどうしても気が引けた。何が正しくて何が悪いことなのか、分からなくなってしまう。無視を決め込んでいたはずのあらゆる感情が、賑わいにつられて湧き起こりそうになる。
ありがとう、ひどいことしてごめんね。もう、ぜったい離さないからね。ずっと一緒にいようね。
わたしを後ろから両腕いっぱいに抱きしめ、この人はずっと、ずっとそのようなことをつぶやいている。
考えるのはもうよそう。そう思った。
今度こそ、この人はわたしのために泣いてくれた。
〜 ∞ 〜
あの人のアベニューは半年であっさりと完成したらしい。そんな余談を後日仲間から聴かされた。
そこで打ち止めにすればよいものを、まったく呆れたことに、その後もわたしを探し続け、寝る間も惜しんであの控え室をさまよっていたそうだ。
控え室の実情を味わっているだけに、それは汚れた沼に沈めたネジ一本を探すような愚行だと固く思う。
わたしたちとしては笑い話のひとつのつもりなのだが、そのようなことを言うと、いつもあの人は両膝を抱き寄せ、ぶう、とふくれる。
だって、放っておけなかったんだもん。あまりにも無責任だもん。
後悔しない日はなかったらしい。
もう一度引っ張り上げるだけで罪は消えるかといえば、わたしもあの人も決してそうは思っていない。単に見捨てられなかったのだ。
それだけでよかった。十分だった。
停止した自分の時計を動かしなおすのに、さほど時間は要さなかった。仲間たちにあたたかく迎えられ、大切な居場所をもらうまでに至った。成長したわたしは、同じく成長したあの人に背中を見守られつつ、変化の著しい毎日を送っている。
わたしがあの控え室に入れられ、生還するまで、交換された回数は202回。実に、300日と15日と2時間と37分が過ぎていた。
――あの世界は、今後も廻り続けるのだろうか。
誰かのアベニューを築く礎となり、電子言語とコールが日夜行き交うあの控え室のことを、時々わたしは淋しげに思い出している。