ウXEルNOエ
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[ Open Self Archives log No.017 - 372 / 197 - Break Away ... Clear ]


 五体満足にせよそうでないにせよ、地上へダイブした人間が俺たちにサルベージされ、母艦へ帰投する確率は実質9割。残る1割は大体においてが死亡だが、その実は戦死よりも現地の疫病にやられてくたばる確率のほうが高いらしい。残るわずかな確率で、地上でそのまま作戦の展開を続けている、装備を捨てて逃げおおせているなど。パーソナルネームはとうに忘れたくせに、僚機のそいつがそんな統計結果を過去に言っていたことだけを、俺ははっきりと憶えている。
 そんなヨタを頭から信じる俺ではなかったが、もしも本当ならばつまり、俺はつくづく運がなかった、ということになる。
 この機体に生まれかわってからの一年間だけでも、状況はめまぐるしく変わっていった。俺が参加した作戦は六つあり、その内で実際に乗せた小隊は二つ。そのいずれの人間もポケモンも重装備で実に強面だったが、中身は穏やかな連中だった。目的の陸地に到着するまでの多少の時間でアルコールとエロ本に手を出すアホなんてリョウタ以外に俺は知らないし、具体的なダイブのやり方と、戦地に向かいつつも味わえる背徳的な快感を教えてくれたのはセイジだった。高高度にポケモンは耐え切れないから、まずは人間だけがダイブ。十分な加速と落下を感じた後、パラシュートを展開して減速。空中でパラシュートを解除したそこから先は翼を持つポケモンの背中を借りて降下。その三つを一度に味わえる面白さをお前は知らないだろうとまるで子供のように笑っていた。ここまで事を運んでおいて人間もポケモンもなるべく無事に戦争を終わらせたいなどと思う奴はまさか一人もいなかっただろうが、そんな体捨ててとっとと退役しちまいなと、アキヒロは俺に遠回しな優しさを押しつけてきた。
 その全員が俺の腹(ハッチ)から飛び立ち、そして二度と帰ってこなかった。遺品すら許されなかった。
 名誉だけは守られているといいね、と、僚機のシンカーはなぐさめにもならないことを言ってきた。
 今になって思うのだが――
 奴らは、生死の狭間という厳しい現実(リアル)から目を背けたくて、それぞれなりのスタイルで自己の安定を図ろうとしていたのかもしれない。


 ということで、具体的にいつの事になるかはわからないが、次のダイブ指示とブリーフィングがあるまで、俺の機内には誰もいない状態がずっと続いた。こうなってしまえばやることの大半がなくなったも同然だが、母艦のデッキでふてくされるのもどうかと思ったため、一時的にでも諜報班への異動を希望。誰も乗せないまま、適当な航路でホウエンの空を飛び続け、地上の情報の収集にあたった。確かに俺はやや古めの機体を割り当てられ、武装も最新式ではなかったが、燃費効率はまだ自慢できるレベルだったし、光熱発電系をしっかり稼働させていれば、一ヶ月は飲まず食わずで飛行し続けていられる。俺が単独で地上へ奇襲をかける勝手などもちろん本部が許さないだろうが、人間の肉眼ではとらえられないほどの高高度でぽつねんといる俺だけを、衛星照準でピンポイントに撃ち落とす輩がいるとも思えなかった。よって俺は、今日もこうして、地上へ降り立った仲間たちの顛末を思いながら、ホウエンの空域のあちこちをトロトロと巡っている。
 果ての見えそうにない戦いが始まってもう三年は経つ。その千日でホウエンの約半分が焦土、もしくは紛争地帯と化し、なおも人間とポケモンたちは陸と海の領域を巡って争っている。俺たちは幸運にも引き続き制空権を掌握しており、奴らの勢力を各地の局地エリアにまで抑え込むことにかろうじて成功していた。仲介ないしは天誅という大それた名義のもと、俺たちは俺たちなりの形で戦いを繰り広げているため、あずかり知らぬ民間人たちやポケモンたちが感じる気持ちは様々だろう。連中からすれば俺たちも一端の戦争屋であることに変わりはないだろうし、事を荒立てる「余計な勢力」と思われるのも仕方のない話ではあった。
 だが、あの少女が俺に対して抱いていた心境は、今でも解析できない。
 あいつ自身もかもしれない。
 今からそいつのことを語ろうと思う。
 それは、たいした目的もなしにヒワマキ「だったところ」あたりの、遙か上空を飛んでいたときのことだ。これほどの高高度となると天候の表情はもはや関係ない。空の青。太陽光と雲の白。その二つのみが俺の色覚センサーを塗りつぶしてくる。「景色を移ろいをゆったりと楽しむ」だなんて豪華な演出への望みは到底薄く、自分が動いているのか、空が動いているのかで麻痺しかかる微妙な感覚を満喫するだけだ。ローターと風切の音、レーダーによる座標データの移動だけが俺の飛行を表す指標だった。
 これほどの上空からでも地上の様子がある程度把握できるのと同様で、ピックアップの要求信号が地上から俺の副脳に届いた。か細く頼りないシグナルだったが、なんとか聞き取れた。
 恥ずかしい話だが、当初はエラーだと信じかけた。地上からの要求信号を受け取るだなんて、二つの小隊をとうに失った俺からすればまるで縁のない話で、あまりの異常事態に動転したのだ。しかし、驚きをなんとか二秒以内におさめ、急いで暗号化を正して何者からのそれかを精査する。FCS内部の探偵屋が告げるに、二度目のダイブで飛び立った、ジュンタロウからのものだった。
 三角測量でクロスデータを割り出し、発生地点の座標を探れば、そこは奴らの活動領域Dから微妙に外れた101番道路。何もなさそうなところからだ。
 この時の俺の正直な気持ちを白状すると、あいつが生きているとはますます考えられなくなった。親時計の時間を考えるに、二度目のダイブからはかなりの日数が経つし、他の奴らからの応答もまったくなかったからだ。
 ――なんだよ。
 やはりエラーだったのかもしれない。孤独に苛まれた回路が起こす奇怪な現象だと考えたが、傍受ログはしかとFCSに残っている。
 呼び出された以上は、無視を決め込むわけにもいかない。
 決心した俺は航路を変えてその場から離脱。切り詰めていた燃料を速力に回し、その地点へ急ぎ足で向かった。幾何学模様のように広がる薄雲をローターで粉々に切り飛ばし、何層も沈んでいく。向こうも向こうで、俺へ信号が届いていないと思っているのか、数分おきにそれを飛ばしてきた。
 そこで俺は、相手がジュンタロウや他の奴らではないことを確信する。
 俺たちが応答すれば、向こうが携行するデバイスのいずれかに緑のランプがつく。奴らが、そのことを知らないはずがないから。
 だとすれば、さて、鬼が出るか蛇が出るか。長い時間をかけて俺は雲の中を潜り、やがてセンサーで地上の汚れた空気を感じ始める。緑色よりも焦茶色が目立つようになってしまった地上がゆるやかに立ち昇ってくる。サイドンとニドキングの集団が大げんかしたとしてもそうなるまい、陸地の荒れ具合はここからでも視認できる。地図の詳細を徐々に拡大していくように俺はますます降下し、101番道路を目指す。そこにかつて住んでいたポケモンたちの姿など一匹と見かけず、その中心にて、ケシ粒のように小さい生物をついに俺は認めた。
 少女がひとり、そこにいた。
 何から何まで重装の男もそばにいたが、そっちは全身を地上に預け、すでに事切れているようだった。
 少女もようやっと音から俺の存在を見つけたみたいだが、俺は安易に近づかなかった。更に長い時間をかけて大きく周回し、索敵を続けた。それは杞憂に済み、俺一機を袋にするためだけにここまで呼び寄せたわけではないようだ。警戒フェイズを解いた副脳が適当なランディングポイントを見つけ出し、砂と気流を蹴り立てながら、俺は実に数カ月ぶりに地上ヘと着陸した。
「――ホントに来た」
 ローター音が激しい中でも、少女のつぶやきははっきりと聞こえた。手にはジュンタロウの所持していた、小型の携帯デバイスがあった。
 俺は聞こえないふりをして、自動で腹を開ける。その動きから意味を察知したらしい少女は、もぞもぞとじれったい動きで膝をひっかけて乗り込んできた。そして中を見渡す。
「あれ。誰も、いない――?」
 ――ここにいる。
 俺は久方ぶりに、操縦席の背後にあるモニタへ電気を通し、ヒトの言葉で存在を表記した。
 Riser - [ ON ] : ここにいる : [ OFF ]
 少女はわかりやすいくらい驚きの反応を表した。
「えっ」
 Riser - [ ON ] : だからここだ。このガンシップが俺だ : [ OFF ]
「こ、コンピュータ、なの?」
 厳密に言えば違うのだが、細かな説明は省いた。
 Riser - [ ON ] : 多目的ヘリ-372・197-ブレイクアウェイ。パーソナルネームは「ライザー」。別に無理して覚える必要はない。お前は? : [ OFF ]
 少女の表情といったらまるで冷えた硫酸を上からかけられたようで、そのまましばし芯まで固まっており、俺の言葉の意味を頭に染み通らせるのにかなりの時間をかけていた。
「――アスカ」
 俺は機内のセンサーを総動員させ、改めてアスカを見つめた。歳は13、あるいは15。17ということはあるまい。ろくな生活をしていなかったのは火を見るより明らか、服装は下着やツナギのように薄っぺらく単純で、砂埃と硝煙、悲鳴を浴びて生き延びてきたようだ。しかし目の生気だけは不思議と確かで、赤毛のショートヘアは紛争地帯には不自然なくらい鮮明としている。口も聞けるあたり、まだまともなほうだろう。
「ジュンタロウさんが言ってた。あなたも第三勢力?」
 やはりあの男性はジュンタロウと断言して間違いないだろう。
「あたし、どうなるの?」
 そうだな、と俺は思う。
 Riser - [ ON ] : とりあえず俺は母艦に帰る。民間人を受け入れる余裕はないだろうが、一晩くらいは泊めてやれるはずだ。そこから先は知らん : [ OFF ]
 そこで少女は俺の腹から顔を覗かせ、いまだ地上にてうずくまるジュンタロウを一瞥する。死体を見て泣いたり喚いたりしないところは助かるが、ある意味俺よりも淡白だ。何かを言われそうになる前に、先回りした。
 Riser - [ ON ] : 諦めろ。お前にここまで持ち運ぶのは無理だろう。後で誰かに回収に向かわせて、こっちで軍葬する : [ OFF ]
 手短にそう表記すると、ローターの回転を加速させ、急浮上する。そのいきなりの変動と衝撃に耐えられなかったアスカが、ひゃ、と言って尻から派手にすっころんだ。携帯デバイスとは反対の手で持っていた、アナログな敵味方識別指標、ドッグタグが床へこぼれ落ちた。
 Riser - [ ON ] : ああすまん。ここに入ってくる奴らはなんとも思わん顔で乗っていたもんでな。どこか適当に座ってろ。今からもっとうるさくなるから、防音の耳あてを絶対外すなよ : [ OFF ]
 小さな頭には大きすぎる耳あてだが、贅沢は言わせない。すっぽりとかぶったのを確認した俺は腹を閉じてロック。主脳で航路を作り、所々のウェイポイントを割り出す。その中で比較的安全なルートを形成した。それに沿って引き続きの上昇と航空を開始。短期記憶野からこれまでの簡単なログを引っ張り出し、母艦とマザーCOMに向けて送信した。果たして向こうがどう反応するかまで、こいつの身柄はそのまま文字通り、俺の腹ひとつで決まるわけだ。
 それまでやれることをやっておこうとセンサーを隈なく走らせ、簡易な検疫チェックを施す。危険物やウイルスを持ち込んでいる気配はなさそうだったが、そこで気づく。
 Riser - [ ON ] : 怪我しているようではないみたいだが、どこか体調悪いのか? : [ OFF ]
 アスカは、瞬きする間をおいてから、
「なんで?」
 Riser - [ ON ] : 体温が平均よりかなり低い : [ OFF ]
 知らぬ間に体をまさぐられていたことが微妙に不満だったらしく、アスカはシートの上でわずかに腰を動かしてそっぽを向いた。少し低い声で、
「おなか減ってるのかもね」
 Riser - [ ON ] : さっき転ばせた謝罪のつもりではないが、水とレーションならそこにある。お前のシートのかかと部分に収納されている。あと一通りの薬剤がお前の隣のバックパックに入っている。今から行くところは恐ろしく高くて空気が薄い。俺が言う名前のやつを全部飲んで備えとけ : [ OFF ]
「れーしょんって?」
 面倒になった俺は逃げた。
 Riser - [ ON ] : 少し古めで、味は保証しない : [ OFF ]
 ほら、言わないことではない。一口ごとにうええうええうええと文句を垂らしながら、しかしアスカは短時間で完全に食い終えた。よほど腹が減っていたと見受けられるが、大人用のあんなシロモノをどういう手順でその小さい体に納めきったのか、俺には謎だった。
 それでも食い物であることに違いはない。空きっ腹にいきなり濃いものは我ながらどうかと思ったが、アスカの機嫌はだいぶましとなっており、自身についてを俺に語ってきた。
 手持ちのポケモンと武装を早々と失い、それでもジュンタロウは命だけは取り留めた。紛争に巻き込まれて間もなく孤児となったアスカを道中で救助し、己の方向感覚だけを頼りに、あちこちを転々としていたそうだ。その足だけで危険領域を脱出し、俺に拾ってもらおうとしたところで、あの土地にはびこる特有の疫病にかかってしまったと。
 となると、遺体の回収は病原菌のために難しくなる。平服でなく滅菌スーツを着た仲間たちに色気のない略式軍葬をされるのは、ジュンタロウとしてもあまり望まない形であろう。ひとまず遺品を回収されただけでも、ジュンタロウは他の仲間よりも一歩だけ幸福だ。俺はそう思うことにした。
 Riser - [ ON ] : ジュンタロウは、最期に何か言ってたか : [ OFF ]
 アスカは無言でうなずき、水で潤った唇をわずかに開ける。
 ――くそ、紫血病(しけつびょう)が目に回っちまった。ということは、俺の逃避行もここまでか。俺も年貢の納め時らしい。さあ、これを使いなさい。俺の指紋とドッグタグで起動して、左下のアイコンをタップすればいい。そうすれば「あいつ」が来るはずだ。そいつは無愛想で俺の死なんてなんとも思わない、きみからすればひどく冷徹なやつかもしれない。だが、もしも生きていて信号を受け取ったら、必ずここまで来てくれるはずだ。あとはそいつに任せなさい。大丈夫、悪いようにはしないはずだから。
 頼んだぞ、ライザー。
 Riser - [ ON ] : そうか : [ OFF ]
 聞き終えた俺は、なぜこいつはその紫血病にかかっていないのかを少し奇妙に感じた。そもそも、いちいち民間人を手当たり次第救護しているようでは、母艦は人であふれかえって、まるごと落っこちかねない。
 Riser - [ ON ] : わかっているだろうが、俺たちの世界は過酷だ。自分の臨終を誰かに見届けてもらっただけでも、あいつはずっと上等だろうな。あの世で今頃自慢していることだろうさ。あいつに代わって礼を言わせてもらう : [ OFF ]
 うん、とアスカは小さくうなずき、
「そっちの番」
 モニタを見つめてくる。
「あなた、何?」
 何とはなんだ。随分なご挨拶だ。
「第三勢力がいるってことは知ってる。ジュンタロウさんが名乗ってた。でも、あなたは、何?」
 俺は答えず、ランデブーポイントに近づいたサインを代わりに鳴らした。
 Riser - [ ON ] : 見えてきたぞ : [ OFF ]
 それは、アスカをピックアップした地点から比較的近めの高高度ポイントにあった。曇りガラスのように汚れきった大気を脱出し、雲より上の空を更に上昇し続けて数十分。俺たち専用の222式暗号を捕捉していれば、やがてその存在が空の向こうから輪郭を露わにしてくる。
 少なくとも万を越える大小様々なプロペラを回転させ、対爆壁で身を固め、超然と浮かぶ機械の山塊。防腐加工の光発電パネルを体のあちこちに貼っつけてエネルギーに変換し、あらゆる箇所のメイン動力としている。ほぼ中心部から水平に切り出して設けた広大なデッキには、数多くの待機(スヌーズ)状態の戦友たちが身を伏せている。
 俺たちや人間、ポケモンを散り散りと投下し、空からの奇襲の数々を成し遂げてきた、鋼鉄の空中山脈。流星の民とトクサネの研究員たちが結束して出来上がった、アスカの言う「第三勢力」組織の本部である。グラードンを崇拝するマグマ団、カイオーガを盲信するアクア団。ホウエンを火の海に変えた二大勢力はそれぞれそう名乗っているが、俺たちに正式な名称は用意されていない。かつて、大空を欲しいがまま制覇していた緑色の巨大なドラゴンポケモン。そいつの歴史を背景に持つ一族の末裔が、俺たちの総本山であるらしい。どういった数学と理屈であの塊が俺と同じ空にあるのか甚だ疑問だったが、あれを発明して設計した人間どもがこの上なく狂っていたことだけは確かだろう。
 なるべく周囲に僚機がいないランディングポイントを探し、そっと降下する。着陸モードとなった俺は最低限の神経プロセス以外全てをサスペンドし、エンジンを完全に停止させ、FCSをロックした。
 ドローンの二機、そして頭に改造ギアをかぶったピジョンとレアコイルが俺の到着を感知して出迎えてくれたが、どうやら俺の報告は末端にまで至っていなかったらしく、アスカの姿を見るなりしこたま驚き、それぞれ思い思いの方向へ飛んでいってしまった。
 Riser - [ ON ] : 降りな : [ OFF ]
 アスカは俺の腹に腰をかけ、足を垂れ下げたまま、恐る恐るモニタを見てきた。
「あたし、どうなるの? 変なことされない?」
 Riser - [ ON ] : 俺が決めることじゃない。内部は一気圧に与圧されているから茶くらいは出してもらえるかもしれんが、それ以上の妙な期待はするな。首に自白剤を打たれたくなかったら、これを持っていけ : [ OFF ]
 モニタ下にある端末から、専用規格のメモリーカードを吐き出す。
 Riser - [ ON ] : さっきまでの会話とお前の検査データを記録しておいた。役に立つかどうかはさておき、お前に対する俺の評価も添付している。そいつを渡しておけば、自己紹介する手間は省けるだろう : [ OFF ]
「わかった」
 今にもへし折れそうなくらい不安げで細い腕を差し出し、アスカはメモリーカードを受け取った。胸元でそっと握りしめて降りると、俺の方を何度も振り返りながら、不確かな足取りで本部の奥へと一人歩いて行った。
 何度も、何度も振り返りながら。


 ロトムとポリゴンによる立ち会いのもと、ドローグと不燃コネクタを機体に突き刺して燃料を補給。そうしていると、俺のずっと背後にいた心配症のセイバーが、無線信号を送ってきた。あの子は一体なんなのか、きみはどういうつもりなのか、まさか敵が仕向けてきた特攻兵じゃないのか、などと名誉もクソもない質問を矢継ぎ早にしてきたが、俺からすれば割とどうでもよく、『ジュンタロウからのコールだと思ったらあいつだった』としか言いようがない。それ以上も以下もない。仲間の一人の死を間近で見たこっちの身にもなってほしい。俺は今、ジュンタロウの携帯デバイスをどう弔おうか、FCS内で会議中なのだ。
 不燃コネクタによる回路メンテナンスを終えた時には時刻はすでに真夜中となっていたが、なぜだか休む気になれなかった。俺は本部のマザーCOMと無線交信を続け、今後の作戦についての更新情報を一通り受け取っていた。他の仲間たちが集めたそれによると、戦いの発端となった『あの二匹』が再び眠りについてかれこれ半年がカウントされたとのこと。よほどのことがない限り復活することはないと結論を出したが、俺はあまり真に受けなかった。
 最低限のキセノンランプしか設置されていない、墨を塗りたくったような暗闇を広げているデッキ。ローターを止めている分、風の音が余計に騒がしく聞こえる。母艦や本部、マザーCOMには昼夜の概念はあまり関係ない。そんなものは全て下界の都合だ。だが、こうして、万物を包み込む黒い霧の中を茫漠と待機していると、地獄への方舟に乗せられているような気分が時折俺の思考をかすめるのだった。
 気配。
 重と熱、音をもって誰かが近づいてきているのをセンサーで感じ、腹を開ける。
 戦死して成仏しそこねた地縛霊のように、アスカが闇の向こうからゆったりと現れた。分厚い毛布を一枚身にまとってなおも細っこい佇まいはキセノンランプの光にあぶられて白く見え、その軽い体は高高度の風に煽られるだけで空の彼方へ消し飛ばされてしまいそうなほど儚げだった。
 高高度を維持したままの夜のデッキの寒さはやはり尋常ではないらしく、早々と乗り込んできたあともアスカは大げさなくらい身を震わせていた。
「ただいま」
 Riser - [ ON ] : 早かったな : [ OFF ]
「うん。怖そうな人たちから色々な質問されたけど、無実っていうか、無害ってすぐにショーメーしてもらえた。さっきまでずっと寝てたから、おかげでかなり元気になれたよ。あなたにお礼を言いたいって言ったら、すんなり通してもらえた」
 怖そうな人たちってのは多分、キョウイチやジャックのことだろうな。
 Riser - [ ON ] : そうか。ならどうする。地上に戻りたいならそうしてやるが、どこがいい : [ OFF ]
 アスカはそこで指先を口に添え、しばらく考えた。そして、一番最初に思いついたらしいところを言ってきた。
「住んでたところに戻りたい。マップは表示できる?」
 俺は航空写真にモニタを切り替えたが、わかりにくいといちゃもんをつけられたので、デジタル表示の地図に更にスライドさせる。
 アスカはしばらく目で地図をなぞっていたが、白くて細い指がやがて、画面の一点にそっと触れる。
「ここ」
 何の変哲もない海の、しかもど真ん中だった。
 作戦展開領域スレスレの。
「大丈夫。ここであってる。あなたの地図でも表示されないってことは、まだ安全なはずだから」
 よもや身投げはすまい。どうせここまでの付き合いだ。俺は黙って従うことにした。離陸免責ログをマザーCOMに送信し、自動で返信される名義データのもと、ローターを回す。音から起動を察したアスカは、今度こそしっかりとつかまって離陸に備えた。
 全翼機である隣のハンターも起きていたらしく、俺に無線信号を送ってくる。
 Hunter - [ ON ] : よお、もう見送っちまうのか : [ OFF ]
 Riser - [ ON ] : おう。ちょっと行ってくるぜ : [ OFF ]
 ハンターはそこでふざけ半分のような文章で、
 Hunter - [ ON ] : くれぐれも駆け落ちすんなよ : [ OFF ]
 なんだそれは。
「ねえ」
 ああもう、同時に話しかけてくるな。
 俺はハンターとのコンマ三秒分の接続を切って、モニタに表記する。
 Riser - [ ON ] : なんだ : [ OFF ]
「さっきの続き。教えて」
 アスカは先ほどと変わらない、おぼろげな表情を見せてくる。
「あなた、何?」
 軽く浮上しながら、やれやれと思う。さっきははぐらかしたが、向こうは憶えていたようだ。少女のくせして――いや、人間の子供だからこそ、大人とはまた違う特有の勘を持っているらしい。無害と証明されたただの少女だ。ここで打ち明けてもどうせ問題にはならないだろうと高をくくり、俺は打ち明けた。
 Riser - [ ON ] : コモルー : [ OFF ]
 アスカはさしたる反応を見せず、どちらかといえば予期していたような表情の移ろいだった。
「元はポケモンなの?」
 Riser - [ ON ] : そういうことだ。俺の元の体は、トクサネのとある研究機関の地下だ。血を人工血液に置き換え、特殊な培養液の中で眠っている。戦いが終わるまではずっとこの機体だ : [ OFF ]
 とっくの昔に、ポケモン各々の持ちうる神経が人間のそれよりも遥かに鋭敏でデリケートだと学説的に証明されていた。
 だからこその開発、である。
 当初はトクサネの宇宙センターが、その極限環境にポケモンも導入するため、この戦争よりも遥か以前からS3機密で極秘に進めていたそうだ。機械と肉体の噛みあわせが、未知なる宇宙へ通用するかどうかを確かめる、どちらかといえば平和的利用のはずだった。ところがこの変災である。方針は否応なく180度変更させられ、倫理観も世論も地平線の彼方にかなぐり捨て、公表と同時にまずは地上での有効性を実証するようになった。有事におけるポケモン独自の戦闘理念を前面に押し出すところ――戦争という形――から実践されてしまったのだから、まったく皮肉なものである。人間は自分の思うように計画を進めるのがとことん苦手らしい。
「あの大きな船といい、とんでもない技術だね」
 Riser - [ ON ] : お前のことを言うつもりではないが、人間は気違いか変態かの大体どちらかだからな : [ OFF ]
「でもなんで? 一緒に戦えって、あの人たちに命令されたから?」
 Riser - [ ON ] : 違う : [ OFF ]
 俺自身がそれを切望していたからだった。
 一種の取引だったとも言える。地上の情勢がどうであろうと俺にはどうでもいい。この大空を好きなように飛べるのであれば、たとえそれが高高度の飛行を長期間維持できるほどに魔改造されたガンシップであろうと、兵士を地上へ投下する死の運び屋であろうと、なんだって良かった。自分の体で自分の思うがまま空を支配できれば、確かにこの上ない至福だが、俺は第一の夢を叶えられたことに限って言えば、今でも十分に満足している。それに、万が一不幸が連なって撃ち落とされたとしても、記憶野に保存していたこれまでのデータの無線送信を完了させておけば、ものの数時間で新たな機体に生まれ変わり、作戦を続行させることも可能とする、不死身の体だ。まあもっとも、俺のような小隊二つを台無しにした疫病神に、そこまでの予備を回してもらえるかどうかまでは知りかねるが。
 薄情と思われるかもしれないが、少なくとも俺自身はこの戦いについて、格別どうといった感情を持ちあわせていない。心理カウンセリングの担当医から「きみは変わり者だね。ある意味誰よりも危険だ」という身も蓋もない評価を下されるほどだ。感情抑制のための心理的薬物損傷プロセスは特例として省略され、通常よりも早めに意識をこの機体へ移植してもらった。三つ巴でドロドロとなった争いの末に立つ者がどの勢力であろうと、結果として誰が死のうと生きようと、あまり気に留めないようにしている。というよりも、俺に搭載された人間の言語というのはまったく貧弱で、この戦いに対して思う機微も、初めて空を飛べたことに対して抱いた感激も、逐一言葉で表現するのは、もともとポケモンである俺にとっては難しいことなのだった。破壊されるか戦争が集結するその瞬間まで、借り物の姿でひたすら空を飛び、更新された任務をこなしていくだけだ。もしかしたら、機体を返却して元の肉体に戻ったとき、しばらくは空はお預けかと嘆くことすらあるかもしれない。
「でも、あたしもわかる気がする」
 アスカは操縦席の窓際によりかかり、いつまでたっても変わらない夜空を見つめ、白い呼吸跡をそっと刻み続けている。
「空を飛ぶのって、気持ちいいよね」
 どういう意味だ――そう思ったが、どうやらその言葉を解釈する前に、レーダーが目的地の範囲に近づいてきたことを示した。月光を浴び、夜空を漕ぐように飛んでいた俺は再び、地上を目指して雲から下へと潜っていった。
 アスカの示した座標ポイントには、アスカの言ったとおり、何かがあった。
 Riser - [ ON ] : おい、あそこに行きたいとか言うんじゃないだろうな : [ OFF ]
 欺瞞システムを立ち上げ、対空レーダーの索敵網をギリギリ妨害できる範囲にまでは近づいてやるも、俺は不穏な気分で訊ねる。
 アスカもアスカなりの否定をしていた。
「違う――」
 そこらへんを絶対に触らないことを約束に操縦席に座っていたアスカは、今の海原のように青ざめた表情で、光と鉄が絡みあったひとつの海上基地を見下ろしていた。
「あんなの、あたしの――」
 喉を震わせるアスカは無我夢中で操縦席から抜け出し、どこにそんな力が残っていたのか、俺の腹を手動でこじ開けた。内外の気圧差で機体ががたつき、耐衝撃体勢でもないアスカの赤い髪が風に踊った。
 Riser - [ ON ] : おいばか何してやがる! 死ぬ気か! : [ OFF ]
 もしかしたら、その気だったのかもしれない。
「あたしの、」
 アスカはパラシュートも装備せず、身を投げ入れてダイブした。
「あたしの島がぁぁぁああぁぁぁああッ!!」


 数日後にハンターやセイバーに教えられたことだが、どうやらマザーCOMは、検査結果からアスカの正体をすぐに見抜いたらしい。何故あの時教えてくれなかったのか、と俺は気分悪く返したが、『余計な感情を持たれると今後の作戦に支障をきたす可能性があるから』だそうだ。大きなお世話だ。
 しかし、美事(みごと)だセイバー。元ネイティオなだけはある。お前の戯れ言にもたまには耳を貸す必要があるようだな。俺たちが『ただの戦闘ヘリ』でないように、あいつも『ただの人間』ではなかった。人間のみに蔓延する紫血病にかからなかったわけだ。
 海に投げ出され、宙で全身を強烈な光に包まれるさまを、俺はしかと見た。アスカの体は光そのままに遷移を始め、一匹のドラゴンポケモンへと、ものの数秒で変貌を遂げた。腕を折りたたむ滑空状態となり、飛沫を上げる浅い溝を海原へ一直線に掘り、速力を全開にした俺よりも数倍も早い速度で基地へ突撃していった。
 気配と異変に気づいた最初の一人へ横から突進。背骨をあらぬ方向に折られ、そのまま起き上がることはなかった。
 小さな爪を閃かせ、背後の二人目に斬撃を入れた。胸を真一文字にかっさばかれたそいつは血しぶきと悲鳴を上げて転げまわり、少しの間だけは生きていた。
 三人目は、奴らの敵である俺ですら口にするのもはばかれるほど、凄絶な最期を遂げた。
「あああぁぁぁああぁぁああああぁぁっ!!」
 両腕を広げ、紅い月に向かって吐き出されたそれは、ある種の嬌声のようにも聞こえた。
 センサーを経由してアスカの姿を見た探偵屋が長い時間をかけてライブラリを検索し、あれは95%の確率で「ラティアス」だと俺に言ってきた。
 残る5%は単純に自信のなさからだろうが、気持ちは俺にも良くわかった。
 ――まさか、嘘だろ。あれが。
 ほどなくして、黄色い煙の尻尾をしゅるしゅると情けなくなびかせて、真っ黒な夜空に溶け込んでいくものがあった。瞬間後、真昼のような数十万カンデラの閃光が夜空全面に走る。夜に紛れていた俺の機体がくっきりと浮かび上がり、存在を確かなものとした。
 俺の副脳が緊急コード133を吐き出した。
 照明弾。
 こちらの位置がばれた。
 ――畜生が!
 俺はこの体になった際、文字を獲得した。しかし、発音装置とラウドスピーカーまでは搭載されていない。アスカに呼びかける手段は、アスカがここを飛び出した時点で完全に失われた。そもそも混沌の発狂状態にあるアスカに何を呼びかけたところで正気を引き出せたかどうか、疑わしいところである。応援を待つ暇もなく、呼んだところで、敵の基地に単騎で突っ込んだ無謀さに怒鳴り返されるのがオチだろう。泣く子も黙るアクア団の海上基地へ、人間の子供とさして変わらないくらいの体長である華奢なメスポケモン一匹と、迎撃ミサイルの搭載もないBVR戦クソくらえな汎用ヘリ一機だけで挑む決死隊が、三千世界のいったいどこにいただろうか。
 異常事態の空気が光の速度で伝播し、一次警報のサイレン音が夜の海原へけたたましく鳴り響く。何本ものサーチライトが夜空に向けて槍のように振り回され、俺の体を数度なぎ払った。
 それ見たことか、と俺は毒づく。やむえず光学神経プロテクトを自力で解除し、FCSに火を入れた。照明弾を撃たれたことを表向きの理由に、戦闘モードを緊急起動。機首の下からチェーンガンを抜き出し、左右のミニガンを懐へ回し、フルオート掃射可能の状態としたが、アスカだけは撃たないなどという器用な芸当は保証できない。そもそもここしばらく使っていなかったし、俺なんかのようなはぐれ者に物理的整備を定期的に回してくれるような人員も余裕もなかったため、弾薬はともかく戦闘システムがシケている可能性も大いにありえた。
 そんなもん知るか、と思った。
 急いで視界をナイトビジョンに切り替え、独特のシルエットを成すひとつの熱源に『アスカ』とタグ付け。それら以外の動く者へカッターチェーンを撃てる限り撃った。ただ、海上での射撃は地上とまた勝手が違うらしく、気流のうねりと独特の反動に俺の機体はいつもよりも大きくブレた。笑ってしまいそうになるくらい当たらなかったが、生身相手に機銃をぶっ放すめちゃくちゃ加減を向こうも承知しているらしく、足止めの効果は見込めた。俺は持ちうる限り持っていたフレアを景気よくばらまき、敵の注意と誘導ミサイルの気を引き、機銃での威嚇射撃に入った。その隙にアスカがその身ひとつで特攻。正当防衛の片鱗も思わせない、あるったけの暴力を体全体で爆発させていた。爪と念力、そして波動を振り回し、その獰猛な双眸に映る者全員を、几帳面にも、一人一人、一匹一匹と、順番に血祭りにあげていく。
 涙も凍てつく、悪夢のような一時間だった。
 我を失う紅白のポケモンが敵の基地で縦横無尽に跋扈し、高く吠え、ドラゴンとエスパーの力で鏖殺にかかる様に関して、俺の見下ろせる視界というのは、ある意味極上の特等席だったのかもしれない。あのラティアスの少女は今、この争い全てに対する怒りの代弁者だった。望まぬ波瀾に巻き込まれ、見たくもない死を見せつけられ、あらゆる感情を一点に押し込められ、ついに炸裂させた者の成れの果てであったと、後になっても俺は思っている。
 残存勢力ゼロ、と、俺の副脳が残酷にもそう告げてきた。その内のどこまでがアスカの功績で、どこまでが俺の功績なのだろうか。
 海上基地は、元の形の大部分をなし崩しとしていた。手でつかめそうなほどに濃密な黒煙が立ち込め、火花が不服そうに散り交い、どこを見ても人間とポケモンの肉人形しかない。俺は落ち着きのないバランスで機体をおろす。すぐそこには面を下げるアスカが佇んでいて、機銃がえぐったコンクリートのかけらを両手ですくい上げていた。両翼の垂れ具合から漂わせる哀愁はなんとも言いようがなく、体の白いところをも自身の血と返り血で真っ赤に染めているアスカは、まさに殺戮の痩躯の現れだった。
 一方の俺もずいぶんな有様だった。受けた銃弾は数知れず。無反動砲の二発、はかいこうせんの一発を機体にかすめて破損、ミニガンの左は撃ち尽くす前にやられてセルフパージ。EMP(でんじは)でシステムの一部を狂わされ、FCS内の誰かが訳の分からない言語をずっとしゃべり続けている。当分は格納庫(ドック)で入院生活だが、逆に言えば損傷箇所はたったのそれだけ。エレメントを組んでいても生還が怪しかったあれだけの難事を突破できたのは、もはや奇跡に近かった。冷たい刃の上を渡り歩くようなあの一時間のどこかで姿勢制御系をやられていれば、俺の体は海原に叩きつけられて、二度と空へあることを許されなかっただろう。
 Riser - [ ON ] : 無事か : [ OFF ]
 と、義理で一応モニターに表記した。当然アスカには見えていない。
 人間の姿を失ったアスカは、もう人間の言葉を話さなくなった。
『あたしと兄さんの島が――無くなっちゃった――』
 おそらく、泣いていたのだろう。
『ぜったい、大丈夫だって、思ってたのに』
 かける言葉もなかった。
 通信設備を木っ端微塵にしたとはいえ、いつまでもここにいるわけにはいかなかった。
 でも、今のアスカの背中に呼びかける「声」すら、俺は持っていなかった。
『なによ、』
 涙を見られるのが嫌のようで、アスカは背中をずっと向け、両目をしきりにこすっている。
『あっち、いってよ、』
 些細なことが喧嘩の発端だったらしい。
 そうでなくとも、かつて「南の孤島」だったここを飛び出し、人間に成りすまし、ホウエン地方へ遊びに行くことはざらだったという。兄が心配するころには戻るつもりだったというが、本当は自分から謝りにいく時間と気持ちの準備をしたかっただけではなかろうかと俺は推測する。
 そこであの、歴史を貪った怪物とも言える二匹の復活である。
 元の姿に戻って逃げる間もなかっただろう。それほどに全ては一瞬だったことを、当時の俺も憶えている。大地のうねりと大嵐にあらゆるものを引き剥がされ、気がつけばジュンタロウに介抱されていた。敵か味方かもわからない相手に正体を打ち明けるわけにもいかず、緊張状態で体力もろくに回復できず、ラティアスの姿に戻る術が秒単位で失われていく。妹がこうしてホウエン地方を逃げまわっている間にも、アクア団は南の孤島を目につけたというわけだ。さすがに人間どももポケモン同様、世界のあちこちを足二本で渡り尽くしているだけであって、海原も例外ではないらしい。中でも連中は俺たち第三勢力にすら見つけられなかったあの小さな島をずばり我が物としたのだから、いいツラの皮だったろう。それをきっかけにアスカも自身の臨界点を越えて戻れたのだから、なかなかひどい因果だ。
『いつまで、こんなことが続くの?』
 危険領域を命からがら脱出したが、アスカはもう人間の姿には戻らず、憔悴しきった顔で再度機内へと乗り込んでいる。自分で飛ぶ元気も気力もほとんど使い果たしたらしい。初めて出会った時と同じシートに、ぐってりと身を預けている。見ているこっちがもどかしくなるほどの遅さで、じんわりとじこさいせいを施し、傷の治療にあたっていた。
 Riser - [ ON ] : さあな。ともかく、これで片方の痛手となり、悪い意味で刺激が入ったことだけは確かだ。どう転んでも醜い結末がそのうち出てくるだろうさ : [ OFF ]
『あたし、悪くない。悪いのはこんな戦いを始めた人間』
 否定はできなかった。
 それからしばらくは、お互い沈黙を保つ、非常に静かな航空が続いた。先ほどの大惨事に関する始末の付け方と、セイバーやマザーCOMへの言い訳、空の見えない窮屈な格納庫での修理時間を考えると頭が痛くなりそうだったので、全部向こうに回した。それよりも俺は飛行能力に問題がないか再三とチェックするのに必死で、それに関してはアスカも少しは反省しているらしい。きな臭くなった俺の機内にケチをつけてこなかった。機体損傷率45%を越えたのはかつてのロックバード作戦以来だ。あの失策はマザーCOMが深刻なプログラムエラーに食われ、精度のはっきりしない作戦と会敵予想時刻を示したからだと公式には声明を出している。しかし、敵対勢力の戦力を低く見積もりすぎていたこと、陽動へ割いた者たちに針穴のような人事的ミスを仕込んでしまったことが主な原因だと俺は密かに睨んでいる。勧告があと五分と遅れていたら何もかもがだめになり、人間もポケモンも住めなくなる有史以来最悪の大惨事を招き、あの地域一帯が向こう十年は有毒物質に侵されることとなっていたはずだ。
『あたし、アーラ』
 出来る限りのじこさいせいを終えたアスカが、頃合いを見つけてつぶやいた。
『アスカっていうのは人間の偽名。本当の名前、アーラっていうの。兄さんはヒンメル。あなたは?』
 五秒だけ考え、俺は答えた。
 Riser - [ ON ] : ヴォルケ : [ OFF ]
 うん、とアーラは顔を綻ばせる。
『あたし、ヴォルケのこと、忘れない』
 その笑顔は自然なものだと俺は思う。
『ここで、お別れでいいよ』
 俺は言われたとおりその場で停止し、ホバリングする。
 Riser - [ ON ] : これからどうするつもりだ : [ OFF ]
『兄さんを捜す。島は無くなったけど、兄さんはどこかで生きてるって信じたい。あんな人間たちに殺されるような兄さんじゃないはずだから』
 Riser - [ ON ] : そうか。俺に止める権利はない。好きにしろ : [ OFF ]
『もしも兄さんに会えたら、あたしも兄さんを捜してるって教えてくれる? それと、ごめんなさいって代わりに言ってくれると嬉しいな』
 Riser - [ ON ] : 悪いが、できない約束はしない主義だ : [ OFF ]
 返事を曖昧に濁して腹を開け、アスカを同じ空へとうながす。
 Riser - [ ON ] : 気流に巻き込まれんなよ : [ OFF ]
『うん。今まで、ありがと』
 どうやらいらぬ心配だったらしい。ラティアスに戻ったアーラの周囲には独特のエネルギーがついてまわっており、ちょっとの気圧差の風に押し負けるようではなかった。
 真横へのダイブを見たのは初めてだった。籠から放たれる小鳥のように、アーラはゆらりと飛び立つ。危なっかしい軌道で正面へ回ってくる。
『今度会えるときがあったら、戦争が終わってからのほうがいいよね』
 生きていたらな、と思う。
『そのときは、ちゃんとあたしみたいに元の姿に戻って、ボーマンダに進化しててね。あたしと兄さんとあなたで、一緒に空を飛ぼう』
 ああもう、さっさと行けよ。
 ほら。
 鬱陶しく俺がライトを点滅させると、その意味をアーラはどう解釈したのか、緩やかな速度で俺に接近してきた。
『約束――、だよ?』
 アーラは俺の鼻のあたりにぶきっちょなキスをよこすと、やや後退。首をひるがえし、一瞬で加速して去っていった。
 俺はその後ろ姿を、レーダーでとらえられなくなるまで、見つめていた。
 ――まったく。
 できない約束はしない主義だと言ったろうに。


 この戦いがいつまで続いて、いつ終わるのかは誰にも見当がつかない。
 俺なんかには知る由もないが、ひょっとしたらマグマ団もアクア団も党首をとっくの前に失っており、形骸化された争いが収拾つかずに延々と長引かされているだけなのかもしれない。俺も第三勢力も、その事実に気づかないだけで、奴らと一緒に着状態の中を無駄に踊らされている可能性がある。
 いずれせよ、どうやら俺は下手な形でくたばることを封じられたようだ。
 人間がお許しを出さない限りは、俺は自身の意で前線を退くことはできないし、退役することも叶わない。第一、この戦争の経験だけを肉体に戻したところでいきなり進化を望めるわけでもない。
 まあ、いい。任務という優先事項は変えられないが、あの少女と約束してしまった以上は、それを新たな希望にしておくことにしよう。
 さて、今回の記録はここまでとする。マザーCOMに検閲されると俺の主観に対して余計な校正がされてしまい、俺の感じたありのままが薄められてしまうため、この草稿もパーソナルメモリにのみ保管しよう。そっちの方が早いので、他の記録に関しては俺の印章でライブラリ検索をしてほしい。


 さようなら。


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■筆者メッセージ


 ポケモン小説スクエアさんの、「覆面作家企画5」に参加させていただきました。テーマは「空」。オブジェクト・シンドロームの空verな気持ちで書きました。
 まずサブタイトルですが、わたしの好きなゲーム、ゼノブレイドクロスのマップBGMタイトルを参考にしました。
 マップ「夜光の森」のBGMタイトルが「N木ig木ht木L」で、それに大変感動したので。
 ウ ル エ=空です。XENOはお馴染み。
 あと372 / 197はコモルーの図鑑ナンバーです。
 アーラとはラテン語で「翼」、ヒンメルはドイツ語で「空」、ヴォルケはドイツ語で「雲」です。

水雲 ( 2016/07/04(月) 20:22 )