XENOM ASTER
ゼノム・アステル (企画原文)


 あれから、十年の歳月が流れた。


     XENOM ASTER(ゼノム・アステル)


 水の流れる場所がやがて一連の河川となる。
 呼真(コーマ)が先手を奪うのは、それと同じ当然さだった。
 兵法は様々、規範とする所も地方によりけりで、基本的に腕っ節の善し悪しが是とされる辻比武(つじひぶ)において、虚を突く先制は序盤の主導権とも言える。若輩の頃からサンダースとして処世してきただけに、その優位性はより盤石となった。油で潤した床を滑るように地を駆け、相手との間合いを恐ろしい速さで潰しにかかる。頼みとする流派は定石からしてかなり古く、呼真をしごいた指南番は一世代前の武術をこころ得た(つわもの)に違いない。が、それを察せたのは周囲の野次馬の中で一体何名いたことか。
 得物の持ち込みまでいちいち考慮していては見る側も闘る側も興醒めのため、「使いたければ使え」の方針で昔から落ち着いたはずなのだが、あえて呼真は丸腰を選んだ。その身から離すこともしなかった。長くを共にしてきた両刃の剣は呼真にとっては分身とも言い換えられる存在で、それを除けば却って重心が狂うようにまでなってしまったからだ。故に、芥子色(からしいろ)にくすんだ大剣は、今も呼真の背中の鞘に納まってある。
 対する連掌(レンパ)は反応に数手遅れ、その差はゴロンダとしての経験で埋め合わせた。後手は悪手、その考えに則る勇み足は重厚も重厚、呼真の動きに合わせて己の兵法を開いた。荒事を稼業として乱暴に生き十数年、歳を重ねるごとに体の傷は増え、気はいよいよ短くなっていく。ここ流有州(ルアス)では悪名高さでまあ知られる札付きのチンピラである。今でこそこんな喧嘩場の大将として胡座をかくのが関の山だが、その腹をうっかり口にしようものなら腕の一本では済まされなくなる程には魁偉(かいい)だ。
 連掌が五歩、呼真がその三倍近くを進撃しあった時点で、間合いは限界まで詰め寄られた。互いの足が絡みあうようにしてうねり、右に跳んだ呼真からやはり先に出る。体毛の隙間からごく自然と生まれる静電気を弾かせ、乾いた破裂音は何を破壊するでもなく、ただ高音を走らせる。そこに虚実のどちらに意念があったかは呼真次第だったが、連掌には効果が薄く、身の丈がある分、踏み込みの歩幅でもそちらが優っていた。両腕を相手に叩き込む武器として扱えるだけに、連掌が不利を被る道理はない。呼真を確かな足取りで追い、あとわずかの時点で背筋をたわめる。体格差と懐の深さに勢いを任せた右の崩拳(ほうけん)が低く繰り出され、逃げを許さぬ必殺の速度で呼真の喉笛を正面から定める。
 入った。
 が、(つち)を噛む大樹か、はたまた海底に沈む錨か。呼真の体は四肢を一つと崩さずにその場で踏みとどまった。連掌の拳に手応えはなく、肝心の衝撃の一切は呼真の喉笛から後ろ足、後ろ足から地表へと無情にも流れていく。代わりとばかりに、そこから真円形の波紋が怒涛となって地表を攫った。爆音装う土煙が立ち込めて積雲となり、土俵を形成していた周囲の見物客は目と口に入った砂を払うのに注意をそらされた。
 その中、腕を組んだままで瞬き一つせず、濛々たる煙の向こうを半目で見つめるルカリオがいる。後ろ足で上体を支える体型が連掌と似ているだけに、その時紅(シング)が呼真の代わりに挑戦者となっても別段問題なかったのだが、何故今回呼真が前へ出たのかと言えば、単に弾いた銅貨が表を示したからだ。
 ――そんだけか?――
 どう捉えても刃物が原因と思われる、呼真の鼻背にある横一文字の古い傷跡。その先の青い両目が、そう告げていた。
 腕を踏み台に頭を直接叩かれるとでも思ったのだろう。連掌は弾かれた独楽のようにすぐさま引き足で間合いを取り直し、力を奪われて緩みきった右拳を構え直す。が、意識の継ぎ目で呼真は既に姿を消し、刹那が過ぎても、連掌の腕にも肩にも現れない。
 足元。
 電撃。
 恐らく連掌には、それがどこから発したか、まだ判断が追いついていないはずだ。その状況が味方である内に、呼真は思うままにやることとした。連掌の影を死角として、白い(たてがみ)を時計回りになびかせ、地を這う姿勢で旋転。電流で脆くなった連掌の右踵に、渾身の回し蹴りを打ち込む。
 三流芝居の役者も顔負けの出鱈目が起きた。蹴り足に誘導された連掌の軸芯が完全に狂い、左の足までもが地を離れて数寸を削った。ゴロンダの巨体がサンダースの足一本で覆り、数尺も宙を舞う様は、傍目でも信じろという方が難しいかもしれない。
 地へ引き戻された連掌が派手な尻餅をついて跳ねる。落下の際に後頭部へ付随したのは、受け身を取れなかったための、致命打に成りかねない一撃。それでも気絶しなかったのは、連掌だったからだ。
 追い打ちは発せず、連掌が仰向けの無様を晒してからしばらくが過ぎた。戦意の残滓を探るための、呼真なりの空白だった。
 降参すんならここで止めにするが――
 そう呼真が言いかけた矢先、連掌が怒りの蛮声に合わせて曲線状の掌底を突き出してきた。手相は斧、狙うは側頭。
 そこから先、呼真の気持ちはかなり適当となってしまった。間合いを計り直すのも面倒になり、引力が横から働いたような動きで呼真は逃げる。先程よりかは幾分か手ごころを加えた電撃を残し、気が逸れた隙に背後へ回る。
 面倒だから抜いてとっととケリをつけてやろうか――と、ひとときだけ思考する。
 鬣の裏に潜む、背中の鞘を留める金具に手をかけた時点で、しかし気分が壊れた。当初丸腰で挑んだことに幾らかの矜持はあったし、結局得物に頼ったことで見物客が文句をつけ、賭け金が水泡に帰しては意味が無い。そして何より、たかがこんなやくざ崩れに抜刀せねばならないことが中々に不愉快だった。
 考えを初心に戻し、右半身を作る。(こう)にも似た形となり、連掌の背中へ目掛けて自身を真っ直ぐ放る。速度と体重を合わせた発勁で、背骨に直接響く打撃を与えた。
 縦ではなくむしろ横の螺旋が連掌の全身を襲った。痺れの抜けない右足が崩れ、竜巻に取り憑かれたようにその場で不器用に回る。呼真は親におぶさる子として連掌の背中にしがみつき、縮身を正す。体内にある力の本丸が崩壊する急所を目指して、一歩だけよじ登る。
 呼真の右前足に活力が収束する。繰り出す。手相は(こん)、狙うは頭蓋。
 命は殺さず、音を殺しておいた。
 呼真が背を蹴って跳躍すると、連掌は夢遊病もかくやの足取りで前進し始めた。肉壁と成していた見物客は恐れ半分で自然と穴を開き、連掌は途中でやがて膝を折る。そのまま土を食らいつくような体勢で昏倒した。連掌が最後に如何な表情をしていたか、呼真には知る由がなかったし、時紅も教えてはくれなかった。
 呼真が空中で軽く身を畳ませて着地したのは、それから五秒後。
 まあこんなもんかな、とも思う。
 まあこんなもんだろ、とも思う。
 連掌に対してではない。とどめの絶技に対してだ。
「ああそうだ、すっかり忘れてた」
 唾を飲み込む音も聞こえない沈黙の中、呼真はぽつりと呟いた。鉄火場を取り仕切っていた中盆(なかぼん)のヤミラミに、ひどく単純な抑揚で訊ねる。
「こいつの首、幾らだっけ」
 時紅は組んでいた腕をようやく解き、うつ伏せの連掌を一瞥してため息をつく。
「いつもより雑だ」

 呼真が辻比武を荒らしてからの数刻。流有州に蔓延する熱気は日没と共にようやく緩み始め、防壁の向こうへと西陽は沈みつつある。見物客として見届け、雑踏に紛れる二匹の背後を付かず離れずの距離から追っていた咲花(サキハ)の読みは的中した。時紅と呼真は、万市(よろずいち)の一角に構える飯屋で卓に着いていた。汗臭い荒くれ共が工廠での日雇いの給金で宵を越そうと騒ぐのにはお誂えの場だった。次はここでおっ始めるつもりかと少しばかりの期待もしたが、どうやら単に腹を膨らませるためだったようだ。それが証拠に、二匹の真ん中にあるのは山盛りの芋饅頭。
「強いのね、あんたたち」
 実際に闘ったのは呼真だけだったのだが、時紅を含めて「たち」と呼んだのは、相方もきっと拳達なのだろうという生半な目算である。本当に技量を見極める程に肥えた目を咲花が持っているという訳ではまさかない。時紅は椅子に浅く腰を下ろしたまま目前の鈴碗に注がれた白湯(パイタン)を静かに見つめ、呼真も倣って高椅子に狛が如く器用に座っており、卓上の木目を目でまじまじと追っている。
 要するに、時紅も呼真も正対しあったまま、若い雌のテールナーにも一顧だにしない。咲花は気にせず続けて、
「だけど調子に乗らない方がいいわ。流有州は広い。たかが一区の辻比武で峰になったくらいでは名は馳せない。鼻にかけてたら今夜にでも闇討ちに遭うのがオチでしょうよ」
 能書きは建前で、近づいてみたかったのが本音だ。
 間近で観察すると、改めて気づく点も多い。若者と呼ぶには薹が立ちすぎている。体中を巡る生傷は百戦錬磨の誉れに違いなく、逆に手入れのされていない毛並みは白みを帯び始めてしばらく以上だろう。
 両者とも、ルカリオとサンダースとしてはおよそ似つかわしくない大剣を所持していた。武器を持つこと自体は別段珍しくないのだが、その大振りさと言ったら、包丁と並べて見せ物小屋に置いたらそれだけで金が取れそうなほどの滑稽さまでも匂わせている。結局抜かれることのなかった呼真のそれは今も木製の鞘に納まったまま背負われている。対する時紅は、着座している今でこそ「座り差し」の形で腰の黒帯に絡め、抜き身を麻布で巻いてある。幼少の時分からちゃんばらごっこに夢中になっていたと見える。小僧が年月を重ねると中年になるのと同じで、傍らにあった棒きれもやがては剣となるらしい。
 喧騒をすり抜け、三者の頭上にある提灯がじじりと鳴いた。
 呼真がようやく顔を上げる。器量良しの女に褒められて悪い気はしないようだが、一定の警戒心は解かない。
「忠告あんがとよ。けどな、別に俺らは名を挙げたいわけじゃねえよ。あんな他流試合のてっぺんに立ったくれえでは本物の比武(ひぶ)に一歩も及ばねえだろうさ。昼から酒を飲むようなろくでなしたちが暇潰しに始めた辻比武ごときでのし上がれたら苦労しねえ。それこそ井の中の世界だろ」
「路銀を賄うのに利用しただけだ」
 適度に熱気が抜けた頃合いだったのだろう。呼真が姿勢を前へ崩し、卓の端に両足をかけてもたれかかる。それでもまだ湯気が濃く立ちこめる芋饅頭に口だけでかぶりつく。右の頬に大きく詰め、咀嚼の隙間からひり出す愚痴が曰く、
「しかし参ったよな。どいつもこいつも、寺銭とあのゴロツキにつぎ込む賭け金だけときたもんだ。いざ結果が狂えば血相変えて塩と適当な金目の物を担保代わりに寄越しやがって。換金するのにまた時間食っちまうぜ」
「あんたたち、ここいらの奴じゃないよね。どこから来たのさ?」
 よもや堅気ではないと見目姿が語っている。流浪の日々を上都(ジョウト)放縁(ホウエン)で繰り返し、徒に過ごしてきたわけでもなさそうだ。行き先々の仕事よりも私闘で体をいじめ、巻き上げた金を旅費にあててきた口だろう。現にその通りだった時紅と呼真は口を揃えて、
「南」
 やはり異邦者か。南からだとしたら森を一つと大きな河川を二つを越えてきたことになるから、相当の日数がかかっているはず。ましてや翼屋に頼らず、その足だけで実直に来たというのならば真面目を越えてただの馬鹿である。
「じゃあ、どこへ行くつもり?」
 今度も同じく、
「北」
「あのねえ、」
「おっと嬢ちゃん、そこまでだ」
 両者とも、剣は抜かなかった。
 二対の擦れた眼差しが、咲花をその場に射止めた。なおも荒くれ共がどんちゃん騒ぎをしている中でも、時紅の低い声はよく聞こえた。
「老いた流れ者の素性を知って何とする。兄弟への土産話のつもりか。然らばこれ以上の詮索はやめて早々に立ち去れ。私たちは先を急いでいるのでな。先刻君が告げた闇討ちを企む輩にたれ込むという魂胆ならば、私たちは更に貴重な時間を費やし、君を胡同(こどう)の闇まで追いつめねばなるまい。それはお互い本意ではなかろう?」
 ――ぷはっ。
 あれほど卓抜した闘いを見せ、しかし根掘り葉掘りされたくないという物言いが無性におかしくて、咲花は奇麗に整った面立ちで笑った。
「違うわよ、違うって」
 腹の内が潔白であることを証明するため、軽く肩をすくめる。
「単なる好奇心よ。あたしさ、辻比武が好きであちこちでよく見物してるの。強い男はもっと好き。益荒男に惹かれるのは手弱女の道理でしょ?」
 咲花は空席に無遠慮に腰を落とす。大胆な挙動だろうと微動だにしない時紅と呼真。水分の飛んだ竹ならばそれだけで火の粉が爆ぜて燃え上がりそうな目線もはばからず、咲花は尻尾にあった枝で芋饅頭を突き刺し、軽業師よろしく着火。焦げ目も甚だしくなったそれに同じく大口でかぶりつく。どちらもがまだ飲んでいなかった濁酒(どぶろく)にすら最初に口をつけた。
 手弱女には到底値しない、場数を踏んできた挙措だった。
 枝を手中で遊ばせ、酒に潤った唇をほころばせる。
「いい質屋、知ってるわよ」

 文武両道の教えに則らない無法の他流試合が厳しく取り締まられているのは流有州も例外ではなく、事に公僕からの雷は手厳しい。正式な流派にあった道場の門下生とあらば破門はもちろんのこと、閑島(カントー)流しにも等しい面目潰しに遭い、表の通りを歩きにくくなる。端くれながらも稽古に裏打ちされた体力は勤労礼賛の標語に注ぐしか他に方法はなく、余生の盛運はお気の毒としか言いようがない。それでもなお流行病のように毎日ゴタが起きるのは、憂さ晴らしには目の前の奴と拳を交えるのが一番気軽だと皆知ってしまったからだろう――時紅と呼真は、勝手にそう思っている。
 そういった理由もあって、事態のこじれを避けたい時紅と呼真は、必要以上の闘いを控えた。ほとぼりが冷める頃には大きく北へと移っている。当時界隈に流れた噂は陽炎と成り果てるのが常で、枯れすすきを幽霊と見紛うのと同程度の信憑性しか持たない。当事者がいないだけに身も蓋もない風評が蹂躙し、二匹の原型はもはやとどめない。それが寧ろ好都合だった。
 咲花の言葉に嘘はなく、勝手知ったる案内が時紅と呼真を淀みなく導いた。真っ昼間のような明るさと空気の汚れで星空が見えない夜の万市から離れ、今度は露天の並ぶ路地を右へ左へ進む。道は地割れのように入り組んでおり、区画も何もあったものではない。賑わいをかいくぐって見つけ出すは、胡同の隅から生えたようにぽつねんと佇む一軒家。簡素な暖簾と仄かな灯りで客を迎えるその様は、確かに咲花がいなければ絶対に見つけられなかった。
 外見とは裏腹に、店の中は無秩序をそのまま体現したように犇めいていた。雪崩ている骨董品たちに腰を据え、煙管をふかしながら本を嗜んでいた老ドーブルを名は医重(イズー)と言う。時紅と呼真にはてんで使い道のない物品たちを一目見るだけで引き受けた。価値と現金の歩合をかなりの精度で見定め、長い時間をかけて魔窟の奥から銀貨を持ち出し、ゆったりした手つきで袋に詰め、呼真に寄越した。お互い、終始無言を徹した。
 目が高いのではなく、単にボケていたのかもしれない。
 時紅と呼真は失礼ながらもそう思ったが、予想以上の金を得られるに越したことはなかった。
 無意味そうな骨董品で埋め尽くすのは単なる擬態。裏では軍から横流しされている数々の武具を取り扱ったもぐりのハコであることにも、実は気づいていた。もしも口止め料を加算しているというのであれば、この大金にも頷ける。暗黙の了解。
 さておき、かさばる荷物をようやくお払い箱に出来たのが多少利いたらしい。脇腹に下げる銭包の重みに、呼真の機嫌は少しだけ直っていた。
「こんだけありゃ十二分だ」
「しばらくは壁と屋根のある宿で休めるな」
 どんな生活してきたのよ、と咲花は思う。
「どんだけ苦しくても、それらは質に流さないつもり?」
 咲花が枝で指すは、時紅の陽剣と呼真の陰剣。
「――これは特別さ」
「師範の忘れ形見だ」
 少しばかりの寂しさを含んでいたように感じる口ぶりだった。
 つまり、この者たちの親分はダイケンキを示すのだろうか。だとすれば合点の行く部分もある。運良く居合わせさえしたら辻比武の見物をしていた咲花の記憶の中にも、一匹のダイケンキがいた。名は名乗らなかった。老若男女問わず口元から長く伸びる美髯(びぜん)。一対の剣を携え、水の加護を以って勇猛に立ち振る舞う様は威風凛々、実に印象的だった。残念ながら、そのダイケンキは剣を持っていたために時紅と呼真の師とは一致しないだろうし、そもそもその後の行方を知らない。
「ねえ、あんたたち北へ行くのよね。南の森から来たなら余計なお世話だろうけど、ここを放縁して北を目指すのも結構大変よ」
「それはあの山、故か?」
 時紅が北の防壁を見やり、その向こう側から顔を出す山を言葉で指した。
 天を衝く、という表現では正確さに欠ける。三者が目を向ける北の山は峻険とは言いがたく、どうにも半端ななだらかさが目立つ。坂道と山地の中間みたいな、ただの巨大な土塊のようでもあった。
「そ。白牙(ハーガ)山は別名『英霊の園』。昔の動乱で没した戦士たちで築かれた山とも言われてる。自慢じゃないけど、流有州の北側が陰都(いんと)として貧困層で構成されているのもそのため」
 時紅と呼真は、同時に何かを閃き、咲花をよそ目に顔を見合わせる。それぞれの顔には、疑念と確信の間を思わせる表情が揺らめいていた。
「あたしら平民からすればただ邪魔っ気なものよ。北側とは交易もろくに出来やしないし、とっとと拓けばいいのにね」
 他国の情勢まで知らないが、流有州も指折りの底辺だと思っている。貧困層ほどではないにせよ、咲花も相当に苦い肝を舐めてきた身で、文武両道という官衙のお題目を嫌というほど味わってきた。
 あの山がいい例だ。『流有州の過ちは白牙にあり』という戒めを盾に野放しにしているが、貧富の差から目をつむっておきたいという不精さからに決まっていた。あれが無くなれば、貧民街が貧民街である理屈も消えてしまうのだ。もしも本当に過ちがあるのならばそれは今に違いなく、政治屋を金看板に豪奢に暮らしている奴らは一匹残らず斬首されねばならなかった。
「悪いこと言わないから、あそこを渡るのはやめときなよ。自然遺産、ましてや霊地に足を運ぶのは不興を買うとされてる。あんたたちの強さはよくわかったけど、公僕に見つかったら事よ。道中の貧民街で小銭袋をじゃらじゃらさせようもんなら、背中にいくつ目があっても足りないし。ちょっと時間とお金はかかるけど、あの山を上手く迂回出来る道順を組めるよう、そこいらの車屋かヒョウ師に頼めば」
「よお、助かったぜ嬢ちゃん」
「礼を言う」
 は?
「さて、どうする呼真。書室に篭って歴史の勉強でもするか、今すぐあそこへ向かうか」
「んなの決まってんだろ。お偉方の偏った手で編纂された歴史書なんざ、よちよち歩きのメェークルにでも食わせとけ」
 時紅と呼真は再び面を上げ、白牙山を遠い眼差しで見据える。夜の空と昼の地、その絶妙な明るさの中でも、薄く透けた鱗雲を冠とする姿はよく見えた。
「あの日は十年前の、(ひつじ)の月だったな」
「ああ、忘れもしねえ。十年と(さる)(とり)の月をかけて、ついにここまで来たんだ」
 十。
 全く嫌な数字だ、と時紅も呼真も思う。
 これから立ち会わねばならない現実も、それのせいだと思えたらどれだけ良かったことか。
「やっと追いついたぜ、青風(ソーファン)


     ‡


 銀貨が十二枚。
 質屋と山の案内だけにしては不適切すぎるくらいの駄賃だった。色を付けるにしても多すぎる。日常を銅貨で過ごしてきた咲花には持て余す貨幣だ。下手に使えば疑いをかけられて縄を打たれるとまで思う。
 金以上の価値となりそうな類の話は終始聞けず終いだった。それ以降の随伴は断固として受け入れられず、咲花は一足先に追い払われてしまった。河岸を変えて飲み直して適当な男捕まえて朝まで仲良く寝てろとまで言われた。そこに時紅と呼真の気遣いがどれだけ含まれていたかは計り知れないが、生憎咲花には全く伝わらなかった。あんまりと言えばあんまりである。
 不服を胸に募らせたまま、咲花は再び同じ酒家に戻り、酒を女給に無心した。天井近くの壁に打ち付けられた古ぼけの採譜に目を通し、字面からしてもう既に辛そうな料理を注文する。
 あんな山に行って何するんだろ。
 あの二匹の「これまで」には興味をそそられるのに、「これから」には何故か不思議と気乗りしない。
 真上から覗くだけで鼻と(まなこ)を潰しそうな、辛さと熱さで湯気立った赤黒い煮物が咲花の卓上に置かれる。枝先でいじくり回し、欠片にしてからちびちびと口に運ぶ。
 ――こんだけありゃ十二分だ。
 呼真の言葉と、十二枚の銀貨。
 遙か南の国では、十を凶数、十二を吉数とする慣わしがあるという話を、行きつけの飯場のお婆から聞いたことがある。理由も聞いたはずなのだが、詳しくは憶えていなかった。
 ま、いっか。
 煮物を口にした途端に舌に炸裂する辛味を誤魔化そうと、酒を一気に呷る。


     ‡


 国に入ること上都と言うならば、離れて野生に戻ることを放縁と言う。市井(しせい)で職に就くか奔放に生きるか。いずれにせよ自己責任だ。
 時紅と呼真は、いわゆる放縁の孤児(みなしご)である。まさか木の股から生まれたわけではないだろうが、生みの親も育ての親も記憶が定かではない。朧気ながらも思い出の一番底にこびり付いているのは、お互いの幼き姿と渺々たる空腹感、そして仄蒼い森の寂しさだった。そこから先は、全て青風が埋めてくれた。
 青風は雄のダイケンキで、(よもぎ)のように伸びた髭のだらしなさと鼾の五月蝿さといったらなかった。言葉は荒く、目つきは悪く、おまけに食い意地も汚く、夜中に三度も用を足しに起きるくらいに歳をくっていた。
 しかしいくら年寄りだろうが、青風は貫禄ポケモンのダイケンキである以上、剣術を始めとする武術の腕前は素人目にも本物だった。剣の手入れは一日たりとも欠かさなかったし、ただの一振りで星を割り月を砕きかねない威圧感が伴っていた。そして何より――それらしいことは何一つとされなかったが――時紅と呼真が唯一「親」や「師」と呼べる存在だったことも間違いない。
 北を目指す。
 怒涛のスピアーたちから助けてもらった、初対面のあの日、青風はそう口にしていた。
 激情にも近い、突き動かされるような強い意志を以って剣を躍らせる様は、時紅と呼真のこころにしかと焼き付いた。それまで生きる目的すら明確に見いだせなかった両者の本能に、初めて血が通った瞬間でもあった。
 生きる意志を持ったから強くなれるのか。
 強くなれたから生きる意志が持てるのか。
 幼気ながらも自問し、堂々巡りの末に得た一つの解は、精神面と肉体面の強さは等号されるということだった。
 弱肉強食が鉄則の放縁の世界。鬼一口からその身を助けた以上、二匹の命をどう扱うかの権利が青風にはあった。そして、「ついてこい」とも「ついてくるな」ともはっきり言わなかった。青風の剣に一目惚れし、すっかり息巻いた時紅と呼真は、弟子になることを瞬間的に決意した。
 朝から晩までをかけて野を渡り川を越え、国を跨いだ。晩になると腰がうずいてまともに歩けなくなる青風は野宿の支度をし、傍らで時紅と呼真は通し稽古に勤しんだ。リオルとイーブイが型を仕込もうと掛け合う様は、遠目にはじゃれあっているようにしか見えなかったことだろう。行き詰まるたびに惰眠を妨害し、武の教えをせびり、煩わしげながらも少しずつ語られる助言のお陰でやっと形を成してきたのは三年目からだ。四年目からは波導と電撃をも交え始めた。
 何千回と套路を踏み、体に通してきたそのおよそ五年間で、青風が剣を持たせてくれることは、ついぞなかった。
 仮にも年老いるまで生き延びた剣豪である。二匹の小童なぞ、その気であればあの日のうちに置いてけぼりに出来たはずなのだ。だのにそうしなかったのは、子宝に恵まれなかった青風なりの自身への慰めだったのかもしれないし、深く落とし込まれた武術を死して土に還すのが惜しいという意地の現れだったのかもしれない。付き添いの了を気まぐれだけで済ませていたとは思えない。そういう心境を時紅と呼真は何度も何度も考えた。決意と移り気の隙間に潜む奥深い部分に、青風なりの愛情があったのかもしれないと捉えていた。
 だから、五年目の春が過ぎた六年目の夏。未の月。つい昨夜まで野原のそこで寝そべっていたはずの青風が忽然と姿を消したことに対しては、深い失望よりもある種の納得のほうが強かった。置き土産とばかりに、まるで天から落ちてきたように地面に突き立つは、これまで何度せがんでも渡してくれることのなかった芥子色の双剣。
 これ以上はついてくるな。
 青風の最後の言葉だった。
 青風が永年自身の中に蓄え、培ってきたものの「片鱗」に、自分たちはついに足を踏み入れたのだと、前向きな部分では思っていた。
 喧嘩になった。
 生まれて初めての、本気の殺し合いだった。
 昔みたいに、仲良く半分こ――
 それが、どうしても出来なかった。
 双剣が揃って初めて教えの極北に到達すると、無意識にせよ錯覚した。青風の世界を生きるためには、青風の扱う武術の絶招を閃くためには、(つが)いでなければならないと固く信じた。
 時紅は陽剣、呼真は陰剣。それぞれの手と口に託される。お互いが、相手の剣を求めて全く同じ兵法を開く。
 得物の重さが不慣れなのは、当然と言えば当然だった。それでも剣で決着をつけたかった。同じ時を過ごし、同じ飯を食い、同じ師から同じ武を貪ってきた二匹である。相手がどう仕掛けるかなど、自分の方が余程理解している。それ故の判断でもあった。初めて手にする剣の「流れ」のみが、勝敗を明快に分かつ要因だったのだ。







 時紅の先攻。右払いの初動に隠すは左の発勁。手相は(つち)、狙うは左前足。獲物を逃したとしても、手から発する波導が目に見えぬ激流となって追撃を見舞う。普段なら最初からこんな騙し打ちに任せる時紅ではなかったが、事ここに至っては四の五の言っていられない。あらゆる手段を使わなければ負ける。
 ところが、横殴りの波導を呼真に利用された。体内電流で害意を相殺、運動量に変換して離れていく。速さの違いを歩幅で補い、時紅は踏み込んで呼真の背中へ迫る。振り向きざまの回し蹴りは囮、見切って上体を粘らせてかわす、呼真の体から発せられる無数の針も囮、受け太刀で凌ぐ。呼真の本命は恐らく次。横顔の向こうから閃くのは、振り向きの勢い全てを戦意に注いだ一筋の斬撃。肘打ちでの対抗は無謀と判断。右肩を深く入れる。左腰に溜めた陽剣が鋭い逆袈裟を描き、呼真の退歩を刃が追って懐を潰す。電撃の予備動作も許さない。剣一本での太刀打ちに持ち込んだ呼真としてもここで勝負をかけたかったはずで、陽剣に通していた波導までは即座に化かせないだろう。一合の鍔迫りに勝算を見立てる。
 罠だった。

 逃げ足からの回し蹴りは囮、針も囮。時紅は呼真の仕掛けに乗ってきた。陰剣の威嚇で肘打ちを諦めさせ、誘導した末に時紅が繰り出してきたのは逆袈裟だった。鍔迫りを引き出させ、あわよくば波導を流し込むつもりらしい。退歩でのそれでは旗色が悪く、いずれ勢いで押される。向こうが本命と思っているに違いない、こっちの左払いの横一文字も陽動とする算段を続行。
 柄の食いしばりを解き、いっそのこと陰剣を陽剣の軌道に呑ませてやった。剣を放すのだとしても、上下の歯が砕けるような強打が起きても、これからの反撃を加算し、戦況を負から正に戻せるのであれば悪くない取引だ。
 衝撃。時紅の波導を一手に受けた陰剣は天高くへ弾き飛ばされ、呼真を波導から引き離す。この一連の動作にて、太刀筋を完全に呼真の剣へぶち当てたという見解では時紅の一撃は曲がりなりにも成功と評せたし、意地悪く見ればどこも負傷させていない失策に潰えていた。
 その隙間、残心を取るべきかそうでないかの虚を貰った。
 顎を下から打ち抜かれたように後方へ跳び、鼻先を天に向ける呼真は、またも時紅の勢いを利用。両の後脚を振り上げて天地を一回転。踏ん張りが活かせない分、底力で電撃を飛ばし、格好のついている時紅の姿勢を破壊した。正対して着地するが早いか、逃げから一転して踏み込み、何が何でも一手先んじる。この闘いで呼真が一番恐れているのは、時紅が青風の武術を剣術へ適応させる手立てを見つけてしまうことだ。剣に操られている内に鎧袖一触の一手を手繰り寄せねば、勝機は永遠にやってこない。
 行く。

 剣に固執していたのはお互い様だったが、それでも呼真が自ら陰剣を手放すのは予想外だった。右腕を開いた隙だらけの格好へ電撃が蝕み、時紅はあっけなく姿勢を崩した。陽剣を支えとし、次に目を向けた時には既に呼真が接近し、逃げが間に合わない。
 応じる他はないが、やむを得ないという気持ちもない。
 初めから命のやり取りだった闘いに、今更躊躇する必要はない。
 緩んでいた柄を本気で握り直す。左の肩口に剣を預ける。生きるも死ぬも八卦の担ぎ技。
 それ以上は進ませない。むしろこっちから行く。呼真の出足に自分の前進をかち合せる。呼真の侵攻速度に頼って迎え撃つよりも、自分の足一つで入ったほうがずっと意念に沿った斬撃となるはずと信じた。呼真の五歩より、自分の一歩が要る。行く、行け、
 届け、
 道半ばの見習いである。
 青風が語ってきた兵法を、公には駆月(くげつ)流と称する。神髄は、「敵へ力を打つ」ことではなく「敵の力を抜く」ことにある。
 しかし、その真意を明確な言葉で説かれることはとうとうなかった。ただ相手を打ち負かせればいいと思い、我武者羅に型を通していた時紅と呼真は案の定本質に気付かず、また辿り着けていなかったりする。つまり、拳と脚と剣、それらを操る力の巡りのどこかに未だ嘘が眠っている。「ここをこう叩けば相手はなし崩しとなる」と、なんとなしに感じているだけにとどまっていた。
 拳と剣の食い違い。抜くべき本質と打ち込む意念の食い違い。内三合と外三合の食い違い。生きたいと欲しいの食い違い。あらゆる背反が波濤となって一挙に押し寄せ、内に宿る力が暴発した。時紅は突如として己が信ずる武の「道筋」を立てられなくなり、足の軸芯が折れる。転倒にも近い、深すぎる踏み込みと斬り下ろし。手元が発狂し、ただでさえ不明瞭だった太刀筋の「色」が完全に失われる。時紅の癖を材料としていた呼真も思い掛けず、戦意を感じさせない刃の軌道に一瞬の戸惑いを見せる。回避の判断が追いついていない。

 斬り下ろしてくることは百も承知だったが、その一合の合間にて、突如として時紅の太刀筋が狂ったのを見た。頭をかち割られる前に何としてでも腹へ飛び込み、自分の脳天を回してダ法を仕掛けてやろうと思ったのに、不意に駆け足が緩んでしまった。放った時紅すら予期せぬ刃の変化を、呼真がどう応じるも出来るはずがなかった。原始的な恐怖が、とにかく避けろと言っていた。
 命には届かなかった。
 呼真の鼻背に、事故とも偶然ともまた違う横一文字が斬り込まれた。おびただしい鮮血が扇面のように迸り、己の赤に興奮した呼真の口先から咆哮が溢れ出た。自身を鼓舞した呼真は迅雷に溶けて姿を消し、天地がまたしても逆転。地から空へ落ちる稲妻へ化け、なおも宙を舞っていた自分の剣を追った。剣が持ち主と再び一体となった瞬間から万斛(ばんこく)の雷電が拡散され、それぞれが術者の意思を持ってうねる龍となる。雨が降るにも等しい無尽さで時紅の四方八方へ穿たれ、そこから一歩も動くことを許さない。

 呼真の陰剣は、空中から時紅を狙った。
 時紅の陽剣は、地上から呼真を定めた。
 星を割る下りの一閃と、月を砕く上りの一閃。
 横と縦が交わり、もはや何が起きてもおかしくない不吉の十文字。
 そして、


     ‡


「おいどうした、時紅」
「いや――」
 こころの古傷が痛む。青風が消えたあの日、己が刻みつけた呼真の鼻背の傷を、何故か今は正視出来ない。
 呼真とはまた違った意味で物怖じしない時紅が、この時ばかりは曖昧に言葉を濁した。目を逸らして隠す表情を察したのか、呼真は正面を向き直す。
「思い出に耽んのは後にしろ。下ばっか見てるとその赤い目を落としちまうぞ」
 流有州の熱気はとうに下界。何万回と踏まれて均されていた地面も放縁するとやがては泥田のように柔らかい黒土なり、そこに傾斜が加わるとなると二匹でも重い道のりだ。低く疎らな下生えを足でかき分け、一応奉っているつもりの祠を横切り、獣道を進む。
 次の言葉でも探しているのか、先を歩いていた呼真は一度立ち止まる。結局やめたようで、泥で汚れていない足の部分で鼻をこすり、おがあと伸びを一つ。
 家鳴りと同じくらいの派手さで背骨が鳴り、ついでに腰ががくんと痙攣した。ルカリオである自分にはわからないが、どうやらまずい部分を痛めたらしい。鞘がかすかに震え、呼真が低く唸っている。
 時紅の一笑、
「老いたな、呼真」
 呼真の舌打ち、
「お前と同い年だよ」
 どうだろう。己の正確な齢すらも知らないくせに、青風と出会ってからどれほど経ったのかははっきりと憶えている。茫漠と過ごしてきた幼少の頃などは死も同然。青風と出会ってからが二匹のまことの生誕とも言えた。十年前、両者を立ち止まらせていた武術の決定的な矛盾も、日を重ねることで解消され始めた。手探りながらも本質を悟った今現在では、意念との同時性をかなり保っている。
 整備の行き届いていない――してもしなくても一緒なのかもしれない――道中では、藪を囲いとする霊園が時々左へ右へ切り開かれており、大小様々な墓石が不均衡に並べられてあった。どれもが雨風を受けて風化し、彫られた名も怪しげな段階にまで入っている。何故そこまでわかるのかと言うと、次の霊園へ行く着くたびに一つ一つを観察しているからだ。山頂が目的地だと、明確な意思を抱いていたわけではない。早く見つけたいが、見つけたくない。相反するもどかしい気持ちで成り立つ内心は次第に動悸を高鳴りさせ、二匹を苛立たせていた。
 が、先程までの余勢もどこへやら、体は正直なもので、呼真は四つ目の霊園にて砂利にどっかりと尻を落とし、天を仰いでため息。
「畜生、いい加減疲れた。ちょっと休もうぜ」
 否定するつもりではないが、賛同の材料もまた不十分だった。時紅は無言で剣を整え、深緑の岩苔にゆっくりと腰を下ろし、同じく天を仰ごうとして両手を後ろへ
 つっ。
 白い痛みと赤い滴りが右手の先にあった。
 起き上がり小法師の挙動で時紅が突として立ち上がる。今しがた尻を預けていた岩苔を睨み、苔はともかく、岩ではないと直感が大声で叫んだ。岩にしてはやけに歪だと、後付けながらも思った。
 血相を変え、手の血を撥ね散らして苔と闘う時紅の異常さから、呼真も瞬時に勘付いた。
 手相は(やじり)、狙うは目前。二匹は揃って緑色の埃を発散し、瞬きすらも惜しみ、一途に苔を払う。
 その向こうから、陶器のような芥子色の曲面と、円錐状の角が現れた。
 もう見間違えようがなかった。
 まともな鏡は愚か、顔が映るほどの水も硝子も数えるほどしか見たことのない半生を過ごしてきた。だからこそか、青風が兜としていた貝の色合いを、角の微妙な曲がり具合を、時紅と呼真は自分の顔よりも知っていた。自分たちが旅を始めるずっと昔から、そこで朽ち果てているようだった。辺りに散らばる白くて小汚い欠片は、まさか白骨のつもりか。
 誰が葬ってくれたのかという、墓を探す上でのささやかな疑問。それが一瞬で解決された。
 引き攣れたような獰猛な笑い声が、呼真の喉から漏れた。前足で小突く。
「おーおー、やっぱここでおっ死んじまったのかこんくそじじいめ。おら、あの世から見てんだろ。俺ぁとうとうてめえに追いついたんだ。剣もこの通り、ちゃあんと持ち歩いてんだぜ? 使いこなしてんだぜ? どうだ悔しいだろ? あ?」
「師範は――」
 苔の少し残った兜を視線でとらえたまま、時紅は片膝をつく。
「あの娘が言っていた動乱の生き残り、だったのであろうか」
「知るか。知ったところで時紅、お前はどうすんだよ?」
 時紅は黙して話さない。
「戦友たちに先に死なれて、自分はおめおめ生き残ってしまった。けど、老い先短いからやっぱり世を儚んで自分から死にに逝きますってか?」
 どんな動乱があったか、孤児で流れ者である二匹には知る術がない。戦に蹂躙され、肉を斬り、骨を断ち、血を浴び、身を焦がした碌でもない光景というものを、青風はかつて味わってきたというのか。数日に一度、闇夜に紛れて暗い表情を落としていたのは、こころの影の現れだったというのか。
「だとしたらなおのこと許さねえぞ。俺たちはあんたに命を救われたんだ。あんたが俺たちの全てなんだ。あんたの進む道が、俺たちの進む道だったんだ」
 二度目の小突き。
「なあくそじじいよお。死ぬなら適当な所で勝手に死んでりゃいいだろうが。妙な部分で見栄張ってんじゃねえよ。どこでくたばろうが、あの世で戦友に会えるって保証はねえだろ。何かっこつけて、死に場所を目指す旅なんか始めちまったんだよ。なんで、なんであのとき、俺たちを助けてくれたんだよ。置いてけぼりにされた苦しみを、俺たちにも同じように与えんじゃねえよ。誰かの命を救った奴が、てめえの命を粗末にしてんじゃねえよ」
 呼真の口から、堰を切ったように罵詈雑言がこぼれてくる。自分で自分の言葉に興奮していく様を窘める権利は、時紅には無かった。
「呼真」
「んだよ」
 舌と感情を繋げられる呼真が、死ぬほど羨ましかった。これ以上一緒にいると自分も気持ちを抑えきれず、体がばらばらになりそうだった。時紅は腰を落とし、砂利を擦って胡座をかく。呼真を見つめ、お互いの矜持を同時に守れる言葉を探す。
「私はここで夜を明かす。お前は離れろ。私に泣き顔を見られるのは癪だろう」
 ちっ、
「お前にじゃねえ。そこのくそじじいに見られたかねえんだよ」
「――そうか」
「特別にだ、その場は譲ってやるよ」
 呼真は踵を返し、木霊に誘われるような足取りで藪の向こうへと進む。
 立ち止まる。嘘のように大きな月を仰ぎ、薄い暗雲を見つめて呟く。
「お前はそこで泣いてろ」
「そうさせてもらう」
 次の言葉でも探しているのか、呼真は苔で汚れていない足の部分で鼻をこすり、
「時紅」
「なんだ」
 最後にもう一言。
「――あんがとよ」
「――どういたしまして」


     ‡


 水の流れる場所がやがて一連の河川となる。

 声を押し殺すのに必死だった。慟哭を、呼真に聞かれたくなかった。
 時紅は胡座を崩さないまま、腰に差していた師範の陽剣を抜く。麻布を解き、両逆手に持ち替え、地に突き刺す。それを上体の支えとし、両腕の間で顔を伏せた。小刻みの揺れを抑えようと、力を込めれば込めるほど体の震えはいや増し、赤い双眸から滴る生温い雫が視界を曖昧に滲ませる。垂泣の間に吐かれる息は白く漂い、風に吹かれて夜空に舞い上がり、霧散していく。

 声を押し殺すのに必死だった。慟哭を、時紅に聞かれたくなかった。
 呼真は金具を外して鞘を落とし、師匠の陰剣を抜く。後ろ足を伸ばして地に伏せ、もたれかかる形で抱きしめる。あまりの鋭さにそれだけで肉に刃が埋まり、生血が溢れてきたが関係無かった。この剣に関わる思い出の全てが愛おしかった。青い双眸から込み上げる生温い露が視界の色素を溶かし、綯い交ぜにする。歪んだ口角から剥かれる牙は、月光で白く照らされている。


     ‡


 ――呼真、まずいよ。スピアーたちが近くにいるよ。
 ――大丈夫だって。さっと行って、さっと取ってくるだけだよ。僕、足には少し自信あるから。時紅もあれが食べたいんだろ?
 ――う、うん。
 ――じゃあ決まり。ちょっと待ってて。
 ――あ、い、いや、僕も行くよっ。ねえ呼真っ。
 ――わ、ばか! 大きい音出すなよ! あっ、


     ‡


「時紅、起きてるか」
「ああ」
 呼真は藪から無遠慮に体を突き出す。時紅の腰にあったはずの陽剣が、兜の前に刺さっていた。時紅なりの弔いのつもりらしい。ガラでもねえことを、と呼真の胸の裏側が少しだけくすぐったくなり、同時に嫉妬した。
「その様子じゃあ、俺と同じで泣き明かしか」
 間合いを必要以上に保ったままだった。それより歩み寄ることを、呼真はしない。
「俺、一晩かけて考えたよ。いや、師匠の行方を追うと決めた時からの十年間、ずっと考え続けてた。いつか必ず訪れる瞬間だとは覚悟してたんだがよ、更に先を想像出来なくてな。今日まで先延ばしにしちまった。だけど、お前と旅をし続けて出した結論は、これ以外にありえねえんだわ」
 呼真が鬣の裏へ手を探らせ、金具に添える。
 薄々気付き始めただろうと呼真は時紅に対して思ったし、自分が気付き始めたことに気付きつつあるなと時紅も呼真に対して思った。
「なあ、時紅」
「なんだ」
 かちり、と小さな金属音が、両者の間で鳴った。
 通常ならば、呼真の鞘は重に従って滑り落ちるはずだった。
 しかし雷声。解かれたと同時に鞘は電の力で質量を翻され、空中へ弾け飛んだ。電流の残る木製のそれが内側から破裂し、それでも無傷の陰剣がその身を現す。宙を縦に舞い、致命の勢いで呼真の額へ落下する。
 呼真は一歩として動かず、軽く頭を振るう。陰剣の柄が顎で横ざまに受け止められた。片刃は昨夜誰かが流した血で黒く染まっていた。
 水平に構え、歯の隙間から言う。

「やっぱそっちの剣も俺に寄越せ」
 呼真は本気だった。

 時紅は、視界の外で何が起きていようとも大山の如く動じず、青風の兜を見つめていた。なおもそこから視線を一寸と動かさず、目前の陽剣を順手で握る。月日が巡るような弧を上空に描き、右に開く。切っ先の延長は、確かに呼真の眉間を狙い定めていた。

「断る。『これ』は私のであり、『それ』も今から頂く」
 時紅は本気だった。

 その返答をどこかで期待していたらしい。得たりと呼真は一度だけ笑ってみせた。
「決まりだな。師匠が消えたあの日の決闘、ここでケリをつけようじゃねえか」
「上等よ」
 行きたい所は全て行った。
 見たいものも全て見た。
 聞きたい話は全て聞いた。
 認めたくない事も全て認めた。
「俺たちの道は、どこまで行っても一本しかなかったんだな」
「左様。手を取り合って進むには、いささか狭すぎたようだ」
 残るは、なりたい姿になるだけだった。
 青風が昔語るに、南の国には十を凶数とする慣わしがあるらしい。
 道を違えた者同士がいずれ衝突し、その後も和解することなくそれぞれの方へ進んでしまうこの数字を忌まわしきものとしていた。十一でも足りず、それでは「干」と「土」、すなわち「干からびる」か「土を這う」かにとどまってしまう。どう直しても「正しく」はなれない。今でこそ当たり前の月と時を十二で区分し、「王」の根底としたのも、そこからの名残なのだ、と。
 お互いに過ごした十年という数字の、厄を祓いたい。
 あの日、お互いで象った十文字に、二画を加えたい。
 一つでは足りない。
 二つの剣が必要だ。
 相手の剣が必要だ。
 戦意と殺意が風に絡め取られる。両者の間を中心として大きな渦となる。時紅は波導を、呼真は電圧を剣に注ぐ。陽剣は波導を取り込んで超振動し、周囲の空気が次第に高熱を帯びる。陰剣は電圧を取り込んで白刃となり、そばを過ぎった木の葉が一瞬で砕け散る。
 性格同様に不器用な口使いで、呼真が先に告げる。
「大好きだぜ、兄弟」
 ああ、と時紅も少年のように笑う。
「私もだよ」
 顔こそ老けているものの、その仕草にはかつての面影と幼さが確かに残っていた。
 記憶が飛躍し、あの日が蘇る。
 異なるのは、そばで師が見守ってくれているという点だった。
 生きても死んでもよかった。
 死して相手に己が形見を奪われるのだとしても、全幅の信頼を置いているそいつに後を託せるのであれば本望だった。骸と成り果てても、そばに青風がいてくれるのならば何も恥じることはない。霊園が戦場になるなど、何の後ろめたさにもならない。
 否応なく軍場(いくさば)に駆られ、自分に嘘を語らず全力を尽くし、それでも負けたのだから死ぬしかない。そういう覚悟を持たざるをえない世の中が、昔には確かにあったのだろう。死期迫る最期の最期で、青風が自分の命を軽々しく扱えたのも、そういう理由だったのかもしれない。
 駆月流、第二路。未完成ながらも独自に昇華されあった兵法が静かに展開される。それぞれ足の裏を平らげ、右へ動く。螺旋をゆっくり形成しあいながら、音を殺して擦り寄る。一足一刀の間合いに詰め寄った瞬間から、お互いの体がその場から消え去る。
 千に変わり万と化す一合に、今度も己の全存在を注ぎ込む。


     ‡


 ええい、猪口才な。
 もうよさんか。
 そんなにわしの剣と髭が珍しいか。これ、無闇に触るでない。しまいには望み通り、剣で斬り捌いて(わた)まで食っちまうぞこの餓鬼どもが。
 ぬしら、見たところ孤児のようだが、助けたのは単なる気まぐれに過ぎんわ。わしは北を目指して歩いていただけだ。ついてこようが、何の得もありゃあせんぞ。命からがら手に入れたその木の実で、今日の餓えと渇きをせいぜい凌いどくのだな。明日がどうなってもわしは金輪際知らん。
 はっ、馬鹿をぬかすな。
 わしのやっとうを間近で見たのであろう? それで骨身に染みたはずだ。わしが本気を出せば、この肌に触れてきたその細い腕の重を、そのまま倍以上にして叩き返すことも容易いのだ。もしもわしの不意を突いてこの剣を奪おうとしてみろ。わしの体から漲る張力が剣を伝い、その手足の肉を無残に弾き飛ばすぞ。
 ぬう。
 弱ったな、このわしもとうとう焼きが回ったか。
 昔は威圧しただけでその辺の雑魚を一蹴したものだがな。今ではぬしらのような幼子も追い返せんとはのう。
 わかったわかった。もう一度見せてやる。今から抜いてここに突き刺す。しかしだ、それを見るだけにとどめよ。努々(ゆめゆめ)触るでないぞ。そこに映る自分の顔を見て満足したら、とっとと自分のねぐらへ戻れ。良いな?
 ああ、これ。
 ほれ見い、言わんことではないか。
 やれやれ、話の聞かぬやつらだ。そんなに派手にすっ転べて満足したか? 柄を持つわしの力が、剣を通じてぬしらに流れたのだ。はよう起き上がれ。ああ、血だ? 生きてるだけでも感謝せんか。わしは確かに歳をくった老いぼれだが、気はまだ確かだし、嘘を言った憶えはないぞ。触るなと再三告げたはずよ。
 くどいぞ。わしは北へ行くのだ。そこにな、かつてを共にした戦友たちがわしを待っておる。久々に顔を合わせ、昔話と洒落込もうかと思うているのだ。郷土の飯のこと、練兵に明け暮れた日々のこと、初めて契った女のこと。陽を三巡させても話題に尽きんこと請け合いよ。だからわしは急いでいるのだ。ぬしらにくれてやる時間なぞ一刻もありゃせんわ。
 何だと?
 ふん、痴れ者め。
 いくら生きる目的もないその日暮らしだからと言うてもな、老骨の長旅に付きおうたところで、碌な目に遭いはせんぞ。わしは道半ばでくたばる気はないし、ぬしらにこの双剣をくれてやる道理もない。
 ああ、勝手にせい。せいぜい足掻いて、わしの道を遮ってみろ。柄を握らせてみよ。間もない命を短いままで終わらせたくば、そうするが良い。ぬしらが力尽きても、わしは決して振り返らんからな。
 己の身は、己で守れ。
 強くなりたくば、死に物狂いで精進しろ。
 欲しいものは、自力で手に入れろ。
 それでも、来るというのか。
 ――そうか。
 つくづくかける言葉もないわい。
 ん、
 ああ、わしか。
 先祖より授かった本名はとっくの昔、ここより南西の国の山で坊主に葬ってもろうた。名もない放縁の集落に生まれてからの半生、方々の国をいくつも流れ、様々な字名をまじなってもらって生きてきたよ。ここ数年では、青風と名乗っている。
 どれ、ぬしらは見たところ、幼名を受けたまま今日日生きてきた口であろう。
 いい加減、ぬしらでは不都合だろう。名乗るが良い。
 時紅。
 呼真。
 そうか。わしと同じ、頭と尻尾を「天」と「地」でくくっただけの旧式の算命術じゃな。ならば話は早い。略式だがまじなってやろう。戦に明け暮れた恥多き生涯、多くの生と死に立ち会ってものだが、誰かの幼名に咒文を唱え、天地を祓ったのは久しい。
 ああ、しかし参った。
 あいにく墨が無い。
 止むを得ん、わしの血で代用する。手首のでいいだろう。剣を抜く。
 ――。
 ほれ、そわそわするでない。乾かぬうちに塗ってやるから、おとなしく額を寄越せ。
 よし、これでどうだ。
 何じゃ。
 わしのまじないがそんなに嬉しいのか。
 あ? 抜刀の方だと?
 まったく――
 妙な奴らに好かれてしもうたのう。
 こんな所をあやつらに見られたら、あの世でどう弁明すればいいものか。
 ぬ。
 何でもないわ。

 さて、思わぬ道草を食うてしもうた。
 ゆくぞ。



水雲 ( 2015/02/15(日) 00:28 )