A久T止世界
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 きのみが育たなくなった。
 言葉で表現するだけなら至極単純だが、実際、この現象は深刻の域へと踏み込んでいた。
 もしもこれの原因が、水、土、陽といった、植物をとりまく環境によるものだったのならば、そういう理由なのだと言及できるだけに、まだいくらかは救いようがあったかもしれない。

「やっぱりおかしいな。昨日もちゃんと水をやったし、土も変えたのに。三日くらい前から全然育ってないよなあ」
 風の感触と匂いが変わると、季節の移ろいを意識する。空模様を見る限りでは雲の欠片となく、今後の雨の気配はまるで感じられない。しばらくは青々とした日々が続き、恵みを忘れかけた頃に西の彼方からひょっこりと雨雲の渦を持ち込んでくるだろうと踏んでいる。仕事も本腰を入れねばならない時期だ。四季の変わり目でいつになくこころが騒ぎ始めるのは、差し迫る状況下に置かれた焦燥心の裏返しでもあるのだろう。
 年に四度、ホウエン地方で大々的におこなわれるポケモンコンテスト。その日が指折りで近づくと書き入れ時だ。主人の店もいよいよ活気づいていく。それもそのはず、自慢のポケモンの晴れ舞台をよりよきものとするためには、主役であるポケモンのコンディションが欠かせない。主人の店でふんだんに取り揃えられているきのみの評判は、ぼくが幼い頃から口端に登っている。ポロックにするのにもうってつけの品質だ。もちろん、バトル用のきのみを育てていないこともなかったのだが、コンテスト会場から近いこともあって、それを念頭に置くお客さんが十中八九だ。店と同じくらいの規模の庭園を裏口にどんと構え、陽の光を一日中受けられるような造りにして、毎日楽しそうに水を撒いているのだから、きのみの苗木たちにとっても文句のつけようのない環境だとぼくも断言できる。そんなぼくはと言えば、主人がツチニンスコップを片手に土いじりしているのを遠目に見守りつつ、のんきにひなたぼっこをするのが日課で、一日として飽きたことがなかった。そして主人は一段落つくと、ぼくの首もとにできるフルーツで、ちょっとしたティーブレイクをたしなむのだ。
「ねえ、トロピウス。どうしてだかわかんないかな」
 さあね、皆目見当つかないよ。そんな意思を表すべく、ぼくは首を小さく横に振る。そもそも、理由がわかっていたとしても、それを主人に的確に伝える手段がぼくの中には存在しない。
 数日前、ぼくと主人が異変に気づいたのは、ほぼ同時のことだ。何がきっかけなのか、いまだにさっぱり不明のまま。自慢の庭園に植えられたきのみたちが、とんと育たなくなっていた。
 いや、見たままをより詳細に述べるのならば、いつまでたっても『そのまま』で、一向に変化しようとしないのだ。
 土に植えられたきのみは土に植えられたまま。
 新芽を出したきのみは新芽を出したまま。
 つぼみを作ったきのみはつぼみを作ったまま。
 花を咲かせたきのみは花を咲かせたまま。
 役目を終えて枯れかけたきのみは枯れかけたまま。
 極めつけには、ふかふかの土に植えて水をやり、翌日を待っても、なんとその土が已然としてぐっしょりと湿った状態のままなのだ。
 水はけが悪いのかもしれないと主人は考え、まったく気の毒なことに、大半の時間を費やして土を新しいものへと交換するほどだった。昨日は。主人は一人、くたくたになって夜に眠り、翌朝はさすがにどうだろうと思ってのこの有様なのだから、なおのこと口惜しかった。
「まずいな。もうすぐコンテストだっていうのに、これじゃあ商売あがったりだ」
 凶作の前兆を思った主人はそうつぶやくが、一方でぼくは、少し別の観点からこの現象を重く見ていた。
 このきのみたちには、生を感じられない。
 咲こうともしないし、枯れようともしない。
 そのままの姿で、じっと停止している。
 何かがおかしい。
 その『何か』の正体が何であるのか、うっすらと理解し始めていたくせに、なおもぼくは現実への死んだふりを無意識下で続けていた。早く認めてしまえばずっと楽になれたかもしれないのだが、主人と一緒に悩む姿で己を偽ることにより、策を練る形を取ることにより、事態の好転を愚かしくも祈っていたのだ。


   ― † ―


 だからこの後、『きのみが原因不明のまま一切育たなくなった』という数奇な現象がホウエン地方一帯へ及んでいると知った時も、ぼくはそれほどには驚かず、むしろある種の無感動の境地にまで達していた。
 もちろんだが、目的を持ってきのみを栽培しているのは、主人のような経営者だけではない。かけだしのトレーナーから玄人のトレーナー、あるいは開拓で一発を狙う料理研究家、あるいは菜園が趣味の老人、あるいは森の集落に住まうポケモンもだ。みな等しく豊作を願って、それぞれが思い思いに水をやり、陽を与え、土の中へと還らせる。きのみは食料の一種にもなり、ポロックなどの材料にもなり、バトルの道具にもなりうる。人間とポケモンがともに暮らしていく上では、非常にアドバンテージの高いものだ。生活との接点の多かっただけに、ホウエン各地でぼくや主人のように、首を傾げる者も大勢いた事だろう。その動揺の波紋が、質の悪い流行病のごとくあちこちで蔓延している真っ最中だ。きのみ栽培の文化はホウエンが発祥の地。そのプライドが多少なりとも根付いていたはずだから、助けを乞う前に自力で解決したいという、妙な意地が空気の中へ混ざっていた。

「よお、まだ捕まっていないんだな」
「そろそろ来る頃だと思っていたよ」
 飛来早々、相手にこんな言葉を投げつけるのは我ながら失礼だと思うが、お互いがそれほど気のおけない関係なのだととらえていただきたい。そしてそんなぼくの憎まれ口にも対して反応せず、ネイティオはただ目を細めて笑うばかりだ。ぼくよりずっと年上であるこのネイティオは、サファリゾーンに住まうポケモンたちの中でも古株になりかかっている。獲物を虎視眈々と狙うトレーナーが張った幾重の罠を、するりするりと魔法のようにすり抜け、好みのポロックをあっさり頂戴してテレポートで遁走する様は傍目にも鮮やかだった。ポロックがめっきり撒き餌にされなくなったことで、トレーナー相手に悪趣味を働かせることもできなくなったため、最近ではさぞ退屈な日々を送っていることだろう。
「ここへ来た理由はわかっておる。きのみのことであろう。顔色を見る限りでは、景気は芳しくないのだな」
「話が早くて助かるね。おれも主人も打つ手なしでさ、何でもいいから言葉が欲しくなったんだ」
 ぼくは深緑色の翼を大げさにはためかせて揚力を調整し、扇風で草木を散らし、緑の絨毯へと舞い降りた。
 当然だが、主人のきのみから作られたポロックはここへも使われるわけだから、ネイティオも主人の腕前を十二分に承知している。だからそのことで相談を持ちかけたいとき、ぼくはここへ訪れるようにしている。きのみの栽培だけでなく、何か困ったことがあったときは、決まってここサファリゾーンへ無断侵入することが定石となっていた。あえて辺鄙な土地に住まうことを選び、それでいて様々な知識――有益無益を問わず――を蓄えてきたネイティオに、ぼくと主人は幾度となく助けられてきた。
「先に断っておくとだな、こればかりはわたしにもどうにもならん」
 藁にもすがる思いだというぼくの気もお構いなしに、ネイティオはあっさりと出鼻をくじいてきた。態度もわきまえず見聞をせびることに嫌な顔ひとつとして見せてこなかっただけに、この反応はやや意外だった。
「きのみたちが『そうするよう』になってしまった以上、我々の入り込む余地はすでにない。そして、これからが問題だ」
「困るな。おれはおまえと違ってそんなに頭柔らかくないんだからさ、もうちょっとわかりやすいように教えてくれ」
 いつもは涼しげな態度で語ってくるネイティオが、このときばかりは珍しく、しばらくの間を置いた。
「本質的なところから考えよう。この怪異、おまえはどうとらえておる」
 質問を質問で返され、ぼくもしばしのためらいを見せる。
 何故こうなったのか、ではなく、何が起きているのか。そこから始めたいようだ。
 ネイティオとしても、真実にはまだたどり着いていないのだろうか。ぼくと同じで、いまだに事実関係を模索中なのかもしれない。胸中に秘める答えは相手と同じであれど、改めて口にするのは勇気がこもる。
 改めて意識すれば、サファリゾーンへやってくるお客の数も、以前訪れた時より少なくなった気がする。効率のよい捕獲を前提に置くならばポロックもまた然りであり、それを十分に確保できなくなった人間は途端に利用をやめてしまったのかもしれないと伺える。要素の基本的な部分は大きく変わっていないと言うのに、一部が欠けてしまうだけでここまで影響を及ぼしてしまうとは、ぼくも事態の深刻さをまだこのときは軽くとらえていたということか。こうしてサファリゾーンの四方八方を見渡すと、新たな発見が徐々に浮き彫りとなってくる。『ポケモンが住みやすい自然』と『人間が踏み入れやすい自然』をないまぜにした、絶妙なほどに不安定な均衡がそこかしこに潜んでいることがわかる。人間が通るために設計された道も、こうして見ればただ不自然に剥げた一本の地表としか思えない。
「なんていうか、時間が止まっちまった、っていう気がする。それも、きのみだけ」
 荒唐無稽な話だとしても、ネイティオは決して笑ったりはしないと信じている。しかし、こころの奥底を探るようなその瞳に正対するのはどこか居心地が悪い気がして、ぼくはあいまいに目線を逸らす。
「半分はわたしも同感だ」
「もう半分は違うと」
「それも根本的にな」
 それは結局まるきり違うことにならないか。
「そもそもだ、『時間』と『きのみ』の概念があべこべだとしたらどうする」
「おまえさ、話が回りくどくてわかりづらい、って普段から周りにつっこまれてないか」
 年寄りだからな、とネイティオは自嘲し、
「要するにだ、時間が止まったからきのみも止まった、とおまえは考えておるのだろう」
 ああ、とぼくは答える。
「わたしはどうかの。時間など、次元的な概念を一律に揃えるために、後々に定義づけられたものの一種にしか過ぎないと考えておる」
「時間なんて元は存在しなかったと」
「そこまでは言っておらん。ただな、植物が生長したり、物が風化したり、太陽と月が空で入れ替わったりすることと、時が経つのとは、まるで事象が違う。それぞれは、元々あった運動、エネルギーの移ろいを継続しているだけだ。そこから人間を初めとする我々が、節目節目に『時間』という規律を勝手に設けて、それに沿って都合よく生活しようとしはじめた。わたしはそうとらえておる」
 少しだけ、話の奥底から閃きが見えてきた。
 卵が先か、鶏が先か、というやつか。
「身も蓋もなく例えるのならばそうなる」
「で、何らかのきっかけできのみたちが生長を止めちまったから、きのみの周囲の時間も進むことがなくなった。そうなった以上、おれたちに踏み込む余地はないと」
「そこまでは同意見だ。ただ、どうしてきのみたちが育たなくなったのか。元の疑問はいまだに判明していないというわけだ」
 話が逆戻りし、ぼくの気持ちは一段と盛り下がっていく。
 ネイティオはうつむくどころかむしろ空を仰ぎ、憂いを帯びた一言をこぼす。
「わたしに言わせればだ、科学の定義も、もともとそういう『仮定の上』で成り立っているものだから、初めから信用していなかった」
「なんだそれ。なんでいきなり科学の話が出てくるんだ」
「ああすまんな、いつもの癖だ。のう、せっかくだ。年寄りの戯言だと思うて付き合うてくれるか」
 確かにいつものことだ。立場が逆転してしまうが、こういうのも若造であるぼくの役目だ。聞くだけならいいだろう。宇宙の神秘だとか、肉体と魂の関係だとか、このじいさんを相手に、大してためにもならない弁舌をこれまでいくつも聞いてきた。古株ということもあり、ここでも話し相手がさぞかし少ないだろうから、ネイティオとしても思うがままに吐き出したいときがあってもおかしくない。最近では少しボケが進み始めて木を相手にぶつくさとしゃべっているというまことにわかりやすい噂も聞く始末だが、変なところがあったら茶々を入れればいいだけだ。ぼくはそう安請け合いして、うなずく。
 すまんな、ともう一度ネイティオは断ったが、これが「気を悪くしないでくれ」という意味だと知ったのは、聞き終えてしばらくたってからのことだった。
「わたしは超能力が使える。俗に言うエスパー、だな。これは科学でもいまだに判明されていない第六の入力系、第二の出力系、とでも言うべき部分だ。わたしのようなエスパータイプのポケモンがいればいるほど、現代の科学の基礎の甘さがより浮き彫りとなる」
 また難しそうな話となりそうだが、まだ付いてこられる。それで、ぼくは続きを促す。
「一方で、おまえのようなくさタイプやきのみといった植物系統は、光合成をすることによって化学変化を起こし、栄養素を生成する」
 まあそうだな。そう答えかけた矢先、ネイティオは背を向け、太陽に挑むかのごとく、大きく翼を広げた。
「はてさて、どうしてそう断言できる。おまえたちは本当にあの恒星で光合成をしているのか。水を飲むことで生きているのか。上空一万メートルから同じように呼吸を繰り返して同じ反応をもたらせるのか。そう『錯覚する』ことによって擬似的な成分を作っているだけにすぎないのではないか。何万回もやりつくした実験から結論を定義づけ、次の一回目で違う結果が起きないと言い切れるのか。今この星にある『水』と、別の星にある『水』を電解して、まったく同じ元素だけが抽出されると思えるか。客観性と再現性、それを求めだしてはきりがなくなる。だから人間は面倒になって、ほぼ間違いないであろう結果たちをひとくくりにして『科学的な総論』と仮決定し、世界規模で統一させた」
 今日はいつも以上に舌の回る日らしい。ぼくが言葉の意味を頭の中でぐるぐるとしている最中も、ネイティオは構わずに続ける。
「その『ほぼ間違いない結果』と真っ向から対峙するのが、我々エスパーだ。どれだけ究極的に科学を追いかけたとしても、あの日あの時の状況下で同じ実験は二度と再現できない。もしかしたら数年、いや数百年、数千年後には、まるで違うことが発生しうるかもしれない。その『かもしれない』の部分に、我々は存在しているのだ」
「科学でもいまだに判明されていない部分、か」
 その通り、とネイティオはようやく翼を閉じ、こちらを向き直した。
「別段、人間の築いてきたものを根本から否定しているわけではないのだがな。叶わぬ真理を愚直に追い求める姿勢を笑うつもりは毛頭ない。しかし、神か何者かは知らんが、我々のような『例外』をこの世に生成してしまった以上、科学の終点は消えた。現時点ではオカルトだの超常現象だのといった仮置きのカテゴリに放り込んで後回しにするしかないのだよ」
 これ、哲学にすり替わってないよな、と今更ながらに思う。
 風呂敷が大きすぎるあまり、始めはいまいちピンと来なかったが、遅まきながらも話が見えてきた。きのみのスケールにまで落としこむと、同じ事が言えるというわけか。
 水をやれば植物が育つ。大いに結構。しかしそれは、過去から何度も検証してきて判明された一種の『パターン』。そして、ただそれだけだ。明日、同じように水をやって同じように育つとどうして保証できるのか。無限小の可能性で存在する別の惑星で同様のやり口で育てられると言えるのか。同じきのみを同じ材質と状況で育て、各々に何らかの違いが発生したとして、それをただ環境のせいにしなかったか。
 水が凍るのも、草木が燃えるのも、電気が生まれるのも、ある程度の検証が成された上で想定できる、一種の解でしかない。
 近似値として1を仮称することはできるが、完璧なそれには永遠にたどり着けない。
 それが証拠に、その最たる物が今ぼくの目の前に存在している。
 それと同様に、現実が悩みの種となってみなを苦しませている。
「どうしてこうなっちまったんだろうな」
「きのみたちに訊くがよかろう」
 普段はなんだか達観したような口調で語るネイティオだったが、今回ばかりは、匙を投げたいとばかりの諦観を思わせる、仄かな切なさがあった。
「もう運命は変えられないのか」
「見通しは暗いが、次なる変化を待つしかない。同じ規模とレベルの、な」
 冗談じゃない。
 何一つ解決しないまま、未消化で済ませている場合ではない。こちとら死活問題なのだ。ぼくは今すぐの答えが欲しいのだ。その両目に映る光景を教えてもらいたいのだ。
 きのみたちを、今度こそ『自力』で動かさねばならない。
 何がなんでも、生長する法則を、新たに見つけ出さねばならない。
 言葉で表現するだけなら至極単純だが、『水をあげれば草木が育つ』という固定観念がぼくの中で染み着いてしまっており――トロピウスというぼく自身の科学めいた¢フ質も相まって――このほかに上等だと思える手段が、まったく閃かなかった。
「これから、どうなってしまうんだ。おれたちは、どうなるんだ」
 未来予知のできるおまえなら、あるいは――その一言が、どうしても言えなかった。
 風という概念はまだこの世に生きているらしい。お互いの体を柔らかく突き抜けていく緑色のそれの中、ネイティオは無表情のまま呟いた。
「徐々に別の物体も倣いだすだろうと考えておる」
 つまり、ぼくたちにも、
「ああ。これから、変わらない日常が続くことになるだろう」
 どちらからともなく太陽を見上げ、空を裂いて挿し込む光を直視した。

 ネイティオの言うことは、本当に回りくどい。だからぼくは、『続く』という言葉と『戻ってくる』という言葉の違いすら、このときは聞き分けられずにいた。


   ― † ―


 残念ながら、ぼくも主人も万策を尽くしきれず、コンテストには間に合わなかった。時期の早くてすでに収穫されていた、ごく少量きのみだけでも買い求めてくるお客さんは大勢いて、その日は惜しまれつつもあっという間に店を閉めることとなった。
 早いもので、このミステリーには様々な仮説が立てられた。
 きのみだけにかかるウイルスが突然変異で発生したのだとか。
 化学物質に頼りすぎる余りに生長に支障をきたしたのだとか。
 生物全体が次なる進化に入り、きのみがその筆頭なのだとか。
 時の神様の寿命が近く、終焉の日が訪れる前触れなのだとか。
 そしてどれもが、完全に証明されることはなかった。
 前半はさておき、後半にさしかかるほど宗教やオカルトめいたものに感じられるあたり、人間と科学の限界を思わせる。けれど、ネイティオの話を組み込んだ後では、ある意味ではそちら側の方がよほど聞き取りやすく、ぼくの中では説得力が失われていない。うんちくと背景で固めた理屈を押し並べるよりも、未知のものを未知のものとして直感的に処理してしまったほうが、語り手と聞き手、両者の精神衛生的にも余裕ができるからだろう。
 きのみが育てられず、ポロックが量産できなくなった。そんな事態を認めざるを得なくなると、コンテストの主催者側も方針を露骨なほどに急転換させた。締切直前になって参加枠を更に一つ設け、『ポロックを使用していない』のポケモンでのエントリーを可能としたのだ。これによってポケモンは素の状態で参加することとなり、まったく何にも頼らない、己の才能という一本槍だけで観客のこころを惹きつけられるよう手振り足振りするわけだ。
 突如としてこのような事態に陥ったのにも関わらず、まるで予定調和のごとくこのような例外を持ち込んできたのだから、人間がこの時代まで生き延びてこられたずぶとさとタフさを、皮肉にも感じられる。ポケモンもポケモンで、永く付き合ってきた歴史の中で人間の柔軟さが浸透してしまったらしい。己のかっこよさやうつくしさに沿ったアピールができるよう、独自の開発へ挑み始めた。きのみという概念が止まってしまった以上、何か打開策が発見されない限りは、今後もホウエン地方のポケモンコンテストではこの方式が主流となっていくのだろう。そのうちに科学は解明に疲れ始め、きのみの文化は衰退し、いずれポロックは過去の話として処理されるのかもしれない。主人のようなきのみを生業とする店も、後々、適当にディティールを踏み砕かれ、『過去の実在した職業』みたいな具合に適当にくくられ、適当にメディアに載せられるのかもしれない。
 そう、思っていた。

『本日のポケモンコンテストは、これにて終了です。次回も、皆々様のご参加を、こころよりお待ちしております。三ヶ月後にお会いしましょう』
 ぼくは主人の目を盗んで庭園を抜け出し、コンテスト会場の屋根に降り、ドーナツ上に大きく開いた部分から、こっそり様相をうかがっていた。自分には縁のない話となるかもしれないと考えつつも、結局、終始見届けてしまった。ポロックによる調整をおこなっていないことを鑑みると、やはりどこか寂しいものを感じてしまう。
 また、不思議に思えたことがある。突如としてポロックが使いにくくなったのにもかかわらず、今回のポケモンコンテストは、異常なくらいスムーズに進行したのだ。ポロック使用の有無、どちらの参加方式も滞りなく始まっていた。閉会式のアナウンスすら淡白にとらえられる。
 所詮きのみやポロックは、コンテストを盛り上げるための調味料にしか過ぎないということだろうか。やりきれない気持ちとなり、複雑に絡む感情を抱く中、ぼくは店に残してきた主人の事がふと気になった。置いてけぼりにしてきてしまったから、そろそろ心配し始める頃だ。過去最悪の売上を記録してしまったのだから、これで機嫌がいいはずがない。そう思い、『何も変わらない』青空を横切った。

 そういえば、今日はまだ陽が高い。
 気がする。


   ― † ―


「おかえり、トロピウス。さあ、きのみを育てよう」
 む。
 ただでさえ先行き不透明な景気で不穏な中、無断で長時間抜け出したのだから、きっと小言のひとつやふたつは言われるのだろう、と腹をくくっていた。しかし主人は意外と穏やかなものだった。
 そして、あまりにも聞き慣れたせいで、後半の言葉にとっさに反応できなくなってしまっていた。
 どのような逆境でも諦めず、いつでも前向きなのは主人のいいところだと信じていた。
 だが今回は、苦しい局面に立たされているという陰りを、ぼくにすら一切見せてくれない。
 それが逆に、途方もなく恐ろしかった。

 漠然とした不安が執拗にこころへ絡みつき、夕べはあまり寝付けなかったが、どうにかして翌日を迎えた。
 主人はもう仕事場に向かったようだ。むしろ、ぼくが少々寝坊した按配か。
 気が重いと体まで重くなるらしい。うああ、と顎が外れそうなくらいのあくびをこぼしてから起き上がる。のそのそと寝床から庭園へ行こうとした際、リビングのテレビがつけっぱなしなことにふと気づく。
 やれやれ、珍しい。そう思って眠気の隙間からくすりと笑みをこぼした。主人の抱える心配が形になっていることが少し嬉しかったから。昨日はあれほどに明るさで取り繕っていたというのに、やはりこれからのことが気がかりなのは一緒らしい。
 このまま最悪の展開を迎え、店をたたむこととなっても怖くない――そんな勇気が、途端にぼくの中で湧いた。
 確かにきのみを育てる主人の腕前は一級品だった。自分の店を持つことが夢だったはずだ。長年継続してきたそれを、こんな『わけのわからない現象』で諦めるのはぼくとしてももちろんこころが痛いが、何もそればかりが生き方ではない。
 勇気が熱となって、体の一点に灯る。
 きのみがだめでも、別の道があるはず。もしかしたら、きのみを育てること以上に、素敵な才能を見つけられるかもしれない。
 熱が意気込みに化け、活力が充実していく。
 バトルでもなんでもいい。ぼくはとことん主人の可能性に賭けよう。これまでの経営難も、そのくらいのプラス思考でどうにかやってのけた。停滞したこの世界が今更どうだというのか。
 いつものテンションを取り戻したぼくは、蛍光灯の紐を口で引っ張って電気を切る。テレビは消せないので、ついたままだという意図を主人へ伝えるべく、リモコンを、
『おはようございます。ここミナモシティでは、早くも多くの出場トレーナーたちが集まっております。待ちに待ったポケモンコンテストへ向け、ポケモンとともに現地で調整をおこなっている最中のようです』
 くわえようとした。
 脳が言葉の意味を拒否していた。
 テレビのアナウンスが目に見えぬ矢となり、ぼくの影をその場に縫い付けてぴたりと固定した。
 ぼくの顔から、笑みが消えた。
 フローリングへ落としたリモコンから電池がはじけ飛び、それぞれどこかへ転がっていった。
 あれほどに体を満たしていた情熱も、一瞬のうちにどこかへ霧散していた。

「おはよう、トロピウス。さあ、きのみを育てよう」
 転げまろびつ庭園へ飛び出したぼくに、主人はいつもの笑顔を突き刺してくる。いつもの太陽。いつもの庭園。
 いつもの。
 いつもの。
 確信にも近い推測が、ぼくの中で徐々にうごめいていた。
 ぼくが声をかけようか迷っているのも気にせず、主人はいつものようにホエルコじょうろに水をくみ、いつものように庭園の端へ向かい、いつものように順序良く水やりを始めている。そして振り返り、棒立ちのぼくへ呼びかけてくる。
「ほら、見てみなよ。このオボン、とても綺麗な花が咲いているよ。もうすぐ収穫時だ。コンテストに間に合えばいいな」
 待って欲しい、主人。そこにあるのは、数日前から開花したままの、オボンだ。数日前、主人が苦労して土を取り替えたではないか。ぼくの時間感覚が正しければ、もう枯れてしまってもおかしくないのだ。
 気づいていないのか。
 気づいていないことであってほしいと、こころのどこかが絶望的な悲鳴をあげていた。
 でも、主人がいつどこに何を植えたのか、忘れるはずがない。
 とすると、
 つまり、
 もしや、

『変わらない日常が続くことになるだろう』
 ――あのやろう。

 この期に及んで、ネイティオの話を反芻する。そしてたどり着いた、冷たい理解が腹底へ沈んだ。
 ぼくや主人にとっても、そう遠い話ではなかった。
 きのみだけではない。ぼくたちの活動そのものまで、『何も変化せず』に時間から切り離されてしまうということか。
 目を覚ませと翼でひっぱたいたところで、主人は何事かと驚くだけだろう。主人にとっては、『昨日の次にきた今日』を生きようとしているだけだ。
 再度ネイティオのところへ殴り込みに行っても、多分あいつも機械的に返答するだけになっているだろう。
 いずれぼく自身も、抵抗するしないに関係なく、体のどこかから徐々に明日への活動をやめてしまうのか。
 開け放しにした扉、背後から聞こえるテレビのアナウンスが、まるで狂信者の祝詞のようにリビング中で乱反射する。
『本日の天候も晴れ。予報ではここしばらくは爽やかな気候となるそうですので、開催当日も絶好の日和を迎えられそうです』
 自然現象であるはずの雨すら、永遠に降らないかもしれない。
 この星を旋回するはずの太陽も、永遠に青空に縛られるのかもしれない。
 丸いお月様を最後に見たのは、いったいいつのことだったろう。
 この場で狂っていないのは、ぼくだけだった。
 逆説的に言えば、ぼくだけが狂っていることとなる。
 どちらがこの世界にとって正しい活動なのか、今頃問い始めても何にもならない。

 腹が減らない。
 喉が渇かない。
 眠気が消えた。
 太陽を温かいとは感じるが、光合成をしている感覚はない。
 狼狽するあまりに、まとまっていない思考がますます乱れ始める。
 このぼくの、体の、フルーツの、翼の、四肢の、思考の、トロピウスという概念の、どこからどこまでを自分と思えばいいのか。
 大地を踏みしめる感触の、陽気の暖かさの、風の心地よさの、水やりの音の、どこからどこまでを感覚と思えばいいのか。どこからどこまでを事象と思えばいいのか。

 主人。もうきのみは育てられないんだ。
 主人。もうポケモンコンテストの日はやってこないんだ。
 主人。もう明日そのものがやってこないんだ。

 主人。
 主人。

 主
 人

 しゅ
 じ


   ― † ―


 おはよう主人、今日もきのみを育てよう。
 次のポケモンコンテストも近いから、直に忙しくなる。
 綺麗な花を咲かせよう。
 明日もたくさん実って、たくさん売れますように。



■筆者メッセージ


 別サイト企画、「ツタ本2014春企画 〜ひややっこくんのお花見読書会〜」にて投稿させていただいた作品です。銅賞をいただきました。ありがとうございます。お題は「開花」でした。

 タイトルに少し悩みました。AQTC世界にすべきかこれにすべきか。前者だと意味がわかりにくく、やはり高橋哲也氏を尊厳したいと思い、ゼノギアスに倣ってこうなりました。読み方は「えーきゅうてぃーしせかい」、「えいきゅうていしせかい」、どちらでもお好きにお読みください。
 反省点といたしましては、情景描写の少なさと、いまだかつてなかったほどの誤字ラッシュ。アルコールが多すぎたのか足りなかったのか。まるで関係ない科学の定義を持ち込むのも少し無理がありました。

 個人的縛り:「感嘆符、疑問符、三点リーダ使用不可」「ルビー・サファイアに登場するポケモンのみ使用可」

水雲 ( 2014/05/24(土) 20:53 )