57 ゴールドのことば【幻】
【リベンジ・キャンディ】 レム
57 ゴールドのことば【幻】「そうか――」
ホウオウの中で虚しく残響する数多の過去は、レッパクの小さな一言で閉じられる。ジョウトの覇者がいかような懊悩に苦しめられていようと、何も手ごころを加えない目つきで、ぼんやりと見上げている。
「ジョウト地方の神と謳われ、みらいよちの力を手にしたお前でも、未来を変えられなかったか。そうして少しずつ自分を見失って、だんだんと壊れていったんだな。けれど、そんなことではおれたちは納得しない。同情もしない。ふざけるな。今のお前は、妄想に取り憑かれた、ただの自己中心的存在だ」
ホウオウに、しばしの苦悶とためらいが生まれる。
「この150年間、吾がどれほど苦い肝を嘗めてきたのか、お前たちに分かるのか」
「分からねえよ。分かってたまるかってんだ。だから逆に、俺たちの気持ちを分からせてやるまでだ」
グレンゲが、そよ風に揺れるように小さくかぶりを振る。
「友をも捨てた吾を、今更説き伏せられるとでも」
「よせ。やめろ。つまらない意地を張られるのはもうたくさんだ。勇気を出せ。後戻りできないなんて考えるな。自分が傷つくだけだ。お前は、お前の思い出にまで嘘をつくつもりか。そうして全部から背いて、何になるって言うんだ。人間の選んだ道が、おれたちが進む道なんだ。おれたちは人間と一緒にいることを決めてから、ずっと、ずっと、ずうっと、その関係を守り抜いて、守り抜いたからこそ、ここまで来られたんだ。おれたちがついていったのは、人間に言われたから、仕方なかったから、なんかじゃない。おれたちがついていきたかったからなんだ。その繋がりをこんなところで終わらせるだなんてあんまりだ。おれたちが力を貸したのは、戦ったのは、ともに歩いたのは、ともに生きたのは、ただ――ただ、喜んでもらいたかっただけなんだ。それが、おれたちの遺伝子や血に記憶され続けてきた、昔からの人間との足跡なんだ」
だから、だろ。
お前は、自分をも誤魔化したくて、『器』なんて言葉で言い訳しようとしたんだ。
頭を楽にしてみろ。ルギアをいたわる良心の呵責の中には、人間を屈服させようとする野心が入っていない、本気でそう言い切れるのか。そりゃあ確かに復讐だなんて聞こえは良くないし、負の感情から作り出される典型的な副産物の賜物だな。お前は無意識にそこを隠したいがために、体裁を今まで繕おうと、自分の言動を合致させようと、必死になってきたんだ。
永かったはずだ。寂しかったはずだ。だけどお前の中に作られた強い孤独感は、畏怖の念すら伴わせ、この上ない慎重さをきたした。だから、器だの、強き者だの、くだらないことを考えた。150年もろくに会ってないもんな。怖いよな。人間が一人ぼっちで生きていけるわけがないだろ。おれたちが、何にも頼らずに強くなれるわけがないだろ。復讐なんて、とうの昔に忘れたはずだ。人間は嫌いだが、それ以上に仲間はずれも嫌いだったんだ。
お前は純真すぎるあまりに、誰よりも道を間違えやすかったんだ。
そんなお前に、人質を殺す度胸があるだなんて、とても思えない。
「――まあ、だけど、」
見上げながらも、見下すような態度で、レッパクは一度笑う。
「オボロの言ったとおりだよ。今更地に這いつくばって謝ったとしても、おれたちは許すつもりなんか毛頭ない。今日のお前が、昨日のお前のままで良かったよ。本当に、良かった。――感謝する」
これでこそ、こころおきなく戦えるというものだった。自分たちもホウオウ同様に、もう後戻りはできないのだ。
レッパクの謝辞を皮切りに、オボロが翼で風を打ち付けた。徐々に砂煙を呼び起こし、結界の起点を作る。
「カイリュー、NAIL、たつまきとすなあらしをお願いします! 他の皆さんもサポートを! 30秒だけ、時間をください!」
決意の固いドロップが、ここち良い声を張った。有無を言わせぬ態度は、すぐに周囲の理解へといたらしめた。
「了解っ」
「さて、とくとご覧あれ」
カイリューが極太のたつまきを放ち、NAILが磁力で砂を力強く巻き上げた。バトルコートの破片を引き込み、驚異的な威力を獲得した巨大なすなあらし。そのふもとで、ポリゴンZが背負ってきたデバイスのリブートを開始し、RIVAとELESとメガニウムは嵐を守るべく、ホウオウを遊撃する。
天井にまで届き、ますます厚みを増していくたつまきを見上げながら、オボロがカイリューにつぶやいた。
「――なんだ、やるじゃん。あんたのたつまき」
「――? へへ、どうもっ!」
黄土色の砦の内部。カイリューとNAILに後をまかせ、レッパクはソニアとオボロに目配せをした。
何もかもを了解したオボロが爪をかすかに閃かせる。ソニアのお守りを引きちぎり、口を下にひっくり返した。
ビー玉ほどの大きさの飴が6個、こぼれ落ちてきた。
頭を寄せて、それを見つめる。
無常を彩った透明な色だった。
――活かすも殺すも、自分次第。
全員が生唾を呑んだ。
覚悟を試す時が来た。
各々の吐く息が震えているのは、武者震いのそれだと誰もが信じた。
最後の最後、念には念をと、レッパクが確認をとろうとする。
「いいかみんな、これは――」
「だあもう、みみっちい話は昨日で終わらせただろうが!」
いきなりグレンゲに頭のてっぺんを思いっきりぐーでこづかれ、レッパクの目の中で星が弾けた。
「グレンゲ――」
照れくさくなった相棒は腕を組み、そっぽを向いて鼻を鳴らした。
「みなまで言いなさんなっての! そうやって能書き垂れるところ、お前さん本っ当に大将に似てるよな!」
レッパクはしばたたいて、つい周りに視線を投じた。
「覚悟の上ですよ」ドロップ。
「とっとと終わらせよう」オボロ。
「ぼっこぼこにしてやるー!」ソニア。
「そういうこと、ですっ!」レム。
確認をとりたかったのは、他の誰でもない、自分のためかもしれなかった。
「――そうか、そうだったな」
レッパクも硬い表情を崩し、自然な笑みを浮かべた。
みんな、本当に大きくなっていた。マグマラシも、ビブラーバも、ムウマも、あっという間に自分を追い越していた。
みんなの目に映る、サンダースの自分は、大きくなっているだろうか。
「おれは、おれはみんなのことが好きだ。誰も失いたくない。死んで守り抜くなんて絶対だめだ。そんな結末、誰も望んではいない。欲しいものを手に入れるぞ。生きて、生き残って、主のもとへ帰るんだ」
グレンゲたちが、無言で力強くうなずき返してくる。
最後、レッパクは静かに息を吸い、怒鳴った。
「主のいない夜は! 昨日でおしまいだ!」
グレンゲたちは雄叫びに近い返事をした。
いっせいに首を叩きおろし、喰らいついた。
なめ溶かすなんて悠長なことはせず、すぐさま奥歯で粉々に噛み砕いた。顎に響く固い音が、体内に眠る闘争心を小刻みに揺さぶる。最後の呼吸と共に一気に呑み下して、腹の中へ投じた。
Huu... U... E He Ha Di Swo Saa...
――飲んで呑まれて、スウィング、スウィング――
――時と共に、世界と共に、命が
廻る――
― † ―
Mie Nar Sti Dah
得体の知れぬ恨みの力で絶えずもがき苦しむ思考の奥底で、ホウオウは気色を変えないまま漫然と思う。
――あやつらは、何をしている。吾は、何をしている。
焚き火のように散り交っては消え行く思索にふけ始める。臨戦心理がホウオウの代わりに戦うことを受け継ぎ、眼下のすなあらしへ向けて無自覚のうちに火球をばらまいた。定石、『
七星屑』。ポリゴンZとメガニウム、リザードンの攻撃は恐るるに足らず、せいなるほのおでかき消す。カイリューの突進にもどうとも思わず、炎を突き破られる前に撃ち落とす。四方八方からの一切を寄せ付けず、巨大な火花を散らすホウオウは、白き羽衣に守られて泣きわめく赤子のようにも見えた。
休む間もなく連撃を当てられ続け、NAILが熱にうなされる。
「ああもう、限界……あんたたち、何してるのよ……!」
25秒が過ぎていた。
これ以上の猶予を与えてはならないと、ホウオウの臨戦心理が唐突に声を張り上げた。その叫びに目を覚まし、ホウオウは明確な意志をもって一掃を図った。
その場にいる全員を軽く蒸発させられるだろう、巨大なだいもんじを胸元へ集める。
来ますよとポリゴンZが呼びかけ、させませんとリザードンが飛び立ち、負けてなるものかとカイリューが返し、受け止めてみせるわとNAILが構え、弾き返してやるとメガニウムが叫び、
すなあらしが内部から爆発した。
400キログラムはあったはずのNAILの巨体が宙に弾け飛び、天井へ
磔にされ、かなり後になって落下した。リザードンとカイリューは翼で軌道を調整する間も与えてもらえず、出来損ないの受身をとった。メガニウムはポリゴンZを腹で受け止め、入口間際にまで吹っ飛んだ。RIVAとELESは、それぞれ左右の壁にめり込んでいた。
ホウオウの身を包んでいたはずのせいなるほのおが、胸元に集中していたはずのだいもんじが、一陣の爆風だけで消え失せた。
遅すぎるほどの間を置いて、轟音がやっとバトルコート内部に跳ね返ってきた。
その場にいる全員の表情が、停止される。
全てを悟ったポリゴンZとメガニウムが、見つめる。
意識を保ったRIVAとELESとNAILが、見つめる。
身を起こしたリザードンとカイリューが、見つめる。
丸裸になったホウオウが、見つめる。
――なんだ、その目は。
― † ―
うずまきじま。
始まったか、とだけ、ルギアは思う。
「友よ。お前がその道を貫くというのなら、それもいいだろう」
信念と信念のぶつかり合い。誰かを信じる者と信じぬ者の戦い。
「だが、私は待っているぞ。お前が帰ってくる日を、いつまでも――」
体にかかる水の冷たさが、少しだけ切ない。
― † ―
Ee Roo Lha...
ひでんの製法を用いた、ふしぎなアメ。
争いの野心とは真逆、150年前よりも昔から引き継がれてきた、人間たちの純粋な想い。ポケモンに秘められた一瞬あるいは無限の可能性を信じ、色とりどりの思いを凝縮させた、英知の結晶。ジョウト地方の神として奉じられているホウオウすらも叩きのめせるほどの力を瞬時に会得できる――などという、そんな大層な効果は元々期待できなかったはずだ。
しかし。
極限状態にまで追い詰められたレッパクたちの枷を破壊するには、十分すぎた。
これまでとはまったく異なる気色に、誰も近づくことができない。轟音はいつの間にか止んでいる。入れ替わりに、異常なほどの静けさがどこからともなく湧いて染みとおった。殺伐とした気配が膨張されてゆき、針で突けば破裂してしまいそうなほどの粛然とした静寂が満ちあふれる。
みんな、憑き物が落ちたようだった。首が据わっていない。いくらかおかしそうに傾いている。赤子を見守る母のように安らかな表情だった。目だけがうつろだった。
再度、ホウオウはせいなるほのおを体外へと宿す。
無意識的に、レッパクたちも殺意をまとった。
レッパクたちは、ホウオウなんて見ていなかった。
これまでの軌跡を振り返らせるべく、アメが一種の幻覚作用をもたらしたのかもしれない。
何の前触れもなく、レッパクたちの脳裏に、まったく同じ風景と、まったく同じ人物が現れたのだ。
アサギが、そこにあった。
ゴールドが、そこにいた。
その人は、こう言った。
――おいおいレッパク、まったく。しょうがない奴だな。いつまでたっても、どうにもならないのか? トラウマとはいえ、何もそこまで水を嫌がることはないだろ。ドロップを見てみな。あんなにも気持ちよさそうじゃないか。
ソニアもソニアだ。オボロやレム、華麗に飛んでいるだろ? 重力にも縛られることなく、地上を俯瞰できる。素晴らしいことだ。ずっと地上で暮らしていたお前も、いつか分かるときが来る。
このアサギの町をよーく、眺めてみろ。
空と、海と、陸がある。
全部揃っている。
オボロたちは、空の世界で生きている。そこには優しい風が巡っている。草木の花粉と種を運んでくれる。ドロップたちは、海の世界で生きている。そこには色んな命が詰まっている。立ち上る雲が、水を恵んでくれる。ソニアたちは、陸の世界で生きている。大地は風と雨の恩恵で緑を広げてくれる。グレンゲたちの炎は、始まりと終わりの象徴だ。死んで行き場を無くした魂は、レムたちの
寿ぎを受けて、安らぎを得る。
命の循環、輪廻転生、ループってやつだ。
哲学は嫌か? まあそう言わずにもうちょっと付き合ってくれって。
全ての命は、いつしかどこかへ還るんだ。そしてまた、星を温める。
いつでもどこでもやり直して、繰り返して、俺たちは進化し続ける。
世界に関係のないものなんて無い。余すところなくこの星の一部だ。
――な、そろそろ分かってきた? だからさ、俺、いつも思っているんだ。俺は人間で、お前たちはポケモンだけど、
太陽が西日となって海の向こうへ沈む/雲が浮く/風が走る/緑が舞う/波が刻む/炎が踊る。
レッパクたちは、頭に浮かんだ幻の世界──アサギの砂浜で、ゴールドと一緒にそれを遠望している。
アサギの全部が色彩の奔流となり/引き剥がされ/呑み込みあい/集中線を作り/やがて太陽に向かって凝縮されていく。
何もかもが失われて、闇が残される/遠くの一点で、光がささやいている。
答えは、初めからそこにあった。
ゴールドが、笑った。
――違いなんてどこにもないんだ。
みんな、ひとつだろ。
ばしんっ!!
静寂を引き裂き、何かが乾いた音を立てた。
ホウオウの爪が全て、根元から完全に割れていた。
「なっ――」
その一瞬を、決して見逃さなかった。表情をこわばらせた。目に色が宿った。今まで抑え込んでいた感情が、火薬庫のように次々と引火する。
レッパクが、
グレンゲが、
ドロップが、
オボロが、
ソニアが、
そして、レムが、
身の内に湧き立つ戦意を振り絞り、この世の全てを吹き飛ばすような勢いで絶叫した。
うぅうううぅうううぅうあああぁぁぁぁあああぁぁぁぁああああぁぁああああぁぁあああぁああぁぁあぁぁあぁぁああああ――――――――――――――――――――――――ッ!!
ジョウト全域がおびえて鳴動した。地殻を駆けめぐる不屈の闘志。生命力の大喝采。無敵のウォークライ。
ホウオウに殺到していく、最強の勇者たち。
定石、なし。