52 おまえが森の正体か
【万物は、時の見せる一形態に過ぎない】 セレビィ
52 おまえが森の正体か 残り一秒を惜しみつつ、レッパクは何も考えずに歩く。
半身にねばっこい液体がからんでいる。散々血を吐き出したはずなのに、今になって強烈に口が渇いてきた。声にならない声が喉奥からかすれ落ちて、ふと油断をすれば亀裂が走りそうになる。一歩進むごとに左の後ろ足にぐらつきが伴う。血を出しすぎて、酸素がうまく全身に回らない。そのせいで筋肉が思った以上に早く疲労を訴えてくる。筋繊維の隙間に金属片をねじ込まれるような苦痛。動悸が弱々しい。息は浅く、再々にあえぐ。
真っ黒い死はもう背後まで来ている。怒りや悲しみといった原色の感情はなく、茫洋としたこころにはただ静かな絶望が落ちていた。心臓はそれでもしきりに働いてくれるが、あと何回叩けば止まることか。
幾度となく足がもつれ、ぐしゃりと倒れ伏した。傷口から噴き出す真っ赤な血潮が、太陽を跳ね回るプロミネンスのように美しい弧を描いた。
死ぬことより立ち止まることが嫌で、何度も起き上がる。首をぶら下げている最中、血混じりで半透明の桃色となった唾液が、緩みきった口の先から糸のように長々と垂れ落ちた。
前を目指したい。地面だけは見ないようにしたい。一歩でも先へ進んでいれば、死に対しても前向きになれそうな気がした。
固まりそこねた血液は足を伝い、群青色の草道に赤い斑点を残していく。
― † ―
――ここ、のはず。
そうしてなんとか、レッパクはそこ≠ノやってきた。道のりは複雑だったはずなのに、限界にまで追いつめられたこの体と頭をどう駆使して到着をなし得たのか、レッパクはもうまったく憶えていない。
呼んでいるのか、呼ばれているのかは、判別つかなかった。
「――来たね」
静まり返っていた森が、木の葉を揺らしてざわつき始める。風向きがつむじに変わり、祠に供えられている線香のほのかなにおいがここまで届いてきた。古ぼけた小さな扉が軋みながら左右へおもむろに開かれ、光が生じる。それに伴って、周囲も不思議な色味を帯びて景色に乱れが生まれる。
レッパクの中の何かが、変則的な速度で再び
廻った。
数百年という時を刻んでいそうな祠の中から、薄緑色の何者かが現れた。
「おっめでとー。いやあびっくり。まさかこんなにも早く違った結果を作り出すなんて。愛だねえ」
爽やかに笑うその顔には、まるで敵意が感じられない。夜風に吹かれる羽根のように、小さくて柔らかな印象をたたえている。青い瞳にこころの奥底まで見透かされているような、微妙な気分だった。
「お前は?」
聴いてか聴かずか、そいつは質問を後回しにレッパクのまわりをふわふわと漂う。
そして、うわあ、と一言。
「ひっどいなあ。今まで≠フ中でも相当の部類だよこれ。こてんぱんじゃないか」
けがの具合をうかがってくる。目を閉じてそっと頭に手を当てられ、レッパクは思わず身を引きそうになった。泥と血に汚れたこの醜態をその清楚ではかなげな手で触られるのは気が咎めた。
「何を」
「静かに」
気が散っちゃう、と付け加えられた。
そいつは目を閉じたまま、ぶつぶつとつぶやいている。
「――速めると、出血多量でまずいね」
何がだ。
「ちょっとだけ、戻すよ」
何をだ。
「あんまり戻し過ぎると、現実時間とのズレで拒否反応を起こすから、ちょっとだけ。――あ、もしかして、神経を電流で切ってる? 悪いけどさ、保障できないから解除してくれないかな? 普段の状態に戻って欲しいんだ」
「解除するとショック死起こしかねないんだが」
「大丈夫、あっという間に終わるから」
何がなんだか、さっぱり理解できない。
「――少し、離れてろ」
電圧も血流も、呼吸も弱々しい。傷口を開かないよう、レッパクは慎重に帯電し、足から地へと逃がした。入れ替わりに、痛みがあちこちから立ちのぼってくる。
そいつは再びレッパクの頭に手を当て、
「ごめんね、痛みも逆戻りされるよ、気をつけて」
聞き取りにくい轟音と共に、頭の中で何かが逆廻転した。
「ぁあっ、ぐう!?」
めまいが頭を一巡りして、体じゅうの筋肉から力が流れ落ちる。視野狭窄の術にはまり、空と大地がひっくり返った気分。全身から骨をすっぱ抜かれたような感覚の喪失、絶崖から真っ逆さまに転がり落ちたような支点の消失。完全に腰が砕け、体内から浮き沈みする衝動に振り回されてぶっ倒れ、顔で地面を舐め、その時傷口に入った砂利の痛みでレッパクは陸にあげられたヒンバスのような不器用さでのた打ち回った。
「な、何を、した!?」
返答によってはぶち殺してやろうかと思う。そのくらい痛い。泣きたい。起き上がることもままならない。
「ちょっとしたご褒美。君の体の時間だけを、少し前の状態に戻した。失った血もわずかだけ戻った。時間を速めて自然治癒させようかなとも思ったけど、それだと今以上に血を流しちゃうみたいだからやめたんだ」
レッパクは腹ばいのまま、呆然とした表情で見上げる。確かめなくても分かった。傷がかなりふさがっている。斬りつけられた跡からはもう血は流れておらず、呼吸も不思議なくらい落ち着いていた。
「お前、何者だ」
そこでようやっと、そいつは名乗った。
「これで何回目になるかなあ、まいっか。僕はセレビィ。この森じゃあ神様なんて呼ばれてるけどね」
身体的余裕は精神的余裕も作ったらしく、ぴくりとも驚けなかった。
「その神様が、おれに何か用なのか」
「あ、その顔、信じてないなあ?」
その二つ名にいくらかの誇りはあるのか、多少は悔しいらしい。
「信じていないというか、今まで散々色んな神様に出会ってきたからな。もう些細なことでは驚かん」
というよりも、いまいちピンと来なかったのかもしれない。密度の濃い状況の推移に浸かりすぎ、先程のショックがとどめとなって感覚が麻痺していた。
落ち着きのなかったセレビィの浮遊が弱まる。じっとりした目つきをよこしてきて、
「言ったね。言ってくれたね。じゃあ沈着冷静なきみでもとびっきり驚くことを教えてしんぜよう」
「はあ」
「用、ってほどのものでもないけどね。むしろ用があったのは今まできみのほうだったし」
いやらしいほどの間を置いて、セレビィは、宣告した。
「きみは本来ならばライコウに負けて、そこで未来は閉ざされるはずだった。そのたびにきみは僕に転生を願ったんだよ」
動揺する元気は、さっき使い果たした。今レッパクの頭に降りてきているのは、すっとした森の冷たさだった。
「……………………、は?」
「そーれみろそーれみろ」
理解が追いつかないが、聴いてしまったからには黙らせるわけにもいかない。レッパクはやっとの思いで起き上がる。
「転生ってなんだよ。おれが何かの生まれ変わりとでも言いたいのか」
「似て非なるものだよ。きみの生まれ変わりは、そのままきみ。ライコウと戦って負けるたび、つまり5年くらいの周期で、きみはきみの生涯を繰り返し歩んできたんだ。タマゴの状態へ戻ったきみを、ポリゴンZが見つけて、きみの主人の元へ届けてきたってこと。だからきみは、ライコウに対して異常な恐怖と闘争心を持っていたんだ。ホウオウよりも、ね」
「通常ならば、おれはあいつに負けていたと?」
「実際、何回もぼろ負けだったよ。時々僕見てたし」
助けろよ。
こころの中でひっそりぼやいたが、顔に出ていたらしい。
「そうもいかないよ。一度決められた運命にあまり『干渉』しすぎると、時の因果律が全部狂っちゃう。それが時を渡る僕に課せられた規範なんだ」
セレビィは少しも惜しくなさそうなそぶりで突き放した。
今までのことを思い出す。最初の出会いと、最後の別れを。ライコウに対する闘争心を思う。死に直面する寸前で、感覚加速をあいつから学んだということだろうか。ライコウは自分の命を奪い、ホウオウは主のこころを奪った。一新された記憶に、本能的に色濃く残されたのは前者であるあたり、自分も結局は自分が大切だということになる。
ひどく複雑な気分になった。
「なあ」
「なあに?」
「訊くのが怖いが、その。おれって一体、何回転生したんだ」
「知りたいかい?」
土壇場でレッパクは躊躇した。ただでさえぼろぼろで気持ちが浮ついているのに、自分の死にかけた回数など訊いてもますます生きた心地がしなくなるだけだ。
「まあそれくらいなら教えてもいっか。ようやっとケリがついたんだしね。うーん、でも正確な回数は途中で数え飽きちゃったからなー。えっとね、15回くらい」
じゅ、
「むしろ驚いてるのは僕のほう。これでもすっごく少ない回数なんだよ?」
「まるで他に転生した奴を見てきたような口ぶりだぞ」
「案外、身近な存在かもよ?」
まさか、とレッパクは思う。こころあたりが無いといえば嘘もいいところだ。
しかし――
「それくらい転生してたんなら、いい加減おれも望むべき未来を選んでいてもいいと思うんだが」
「勘違いしてるみたいだから言っておくね。逆なんだよ、むしろ」
「――え、」
宙を回るセレビィの動きが、急に憂いを帯び始める。
「あらら、やーっぱり忘れちゃってる。きみが死にかけて転生を申し出るたびに、僕ね、確認してたんだよ? 『基本』は何も変わらないんだって。生まれ変わっても、時間軸が飛んでも、きみのこころの奥の奥の、それまたずうっと奥には、行動と性格の『パターン』が完成されている。どんな遠回りをしても、運命の輪はそうやって再び同じところで循環される。きみはいろんな物事に導かれ、与りしらぬ所での足し算かけ算が波となり、きみの周りに影響を及ぼし、現在のきみがあると思いっているんだろうだけどね、そうじゃないんだ。結局きみは、自分の過去の道順を、また自分でなぞってきただけだ。収まるべきところに収まったに過ぎないんだよ」
ひと呼吸おいて、
「今までの出来事の中で、強烈に鮮明な直感やデジャヴをおぼえたこと、何回かあったでしょ? それね、転生前の記憶がちょっとフラッシュバックされただけ。五感じゃあ説明しきれないものがあるから、第六感に近いね。そして、きみはそのときどんな行動をとった? たかだか20回同じ展開を繰り返されたとき、断言するよ、20回ともきみは同じ行動をとるんだ。下手したら3ケタをこえるかもしれない。そういう意味じゃあ、15回で自分の無限ループを打破できたきみもなかなか凄いんだよ、ほんと」
レッパクの中で、小さな熱の点が灯される。
「お、おい、待てよ。話が変だぞ。おれは未来を変えたくて最初からやり直し、転生したんだろ。記憶が失くなったにせよ、普通は別の未来を選ぶよう行動をとるべきじゃ――」
「そう、そうかもしれない。僕も、できればそうあってほしいと思ってる。でも、さっき言ったとおり、無意識下の生半可なあらがいだと、また同じ運命に帰結される。おかしいよね。間違った道を歩みたくなくてやり直したのに、どういうわけか、同じ手順を踏んでくるようになってくる」
熱が、レッパクの血を再び熱くしていく。
「どう、して、」
セレビィは声のトーンを沈める。
「こればっかりはなんとも言えないけれど、みんな、生まれ変わった後のこころと体のどこかでは、怖がってたんだよ、別の未来を。だからやっぱり、同じところにたどり着いちゃうんだろうね」
熱くなる血に、またしても目がくらむ。
「なんでだ、どうしてだよ!」
耐えきれず、レッパクは声を荒げた。その怒りの大半は、ずるをして死から逃げようとした自分に対するものであったと思う。
「未来が怖いだと、ふざけるな! おれが、おれが今まで何回もやり直してきたことは臆病者の道だったのか! 死ぬこと以上に、みんなと会えなくなる以上に怖い結末なんてあるか!」
「知った口叩くな5000日も真っ当に生きてねえこわっぱが!!」
森が、吠えた。
「そうやって何度もぼろ雑巾みてえに成り果てたのはどこのどいつだ!! 紛れもない証拠ならてめえ自身が今まで散々証明してきたんだろうが知らないとは言わせねえぞ! その『みんな』を捨ててまでやり直すことをてめえは選んだんだ! みんなだけじゃない、全部だ! 自分自身のプライドも! 注いでもらった愛情も! 築いてきた信頼も! 積み上げてきた記憶も、経験も!
次がある? 次こそは? 失敗したからやり直し!?
たいがいにしやがれ! 何に対してもンなこと考えてる間は永遠に進歩なんてしないんだ! ましてや生涯に用意された命は本来『一度きり』なんだぞ! その意味噛みしめろってんだッ!!」
ひとたまりもなかった。小さな体からほとばしる大声量に、毛が散り肉が弾けそうになる。萎縮に萎縮しきっていた内蔵を握りつぶされる気さえした。正論をまくし立てられて何も返せなくなったのではなく、セレビィの豹変ぶりと歯に衣着せぬ物言いに、地の果てまで追いやられそうなほどびびったのだ。ライコウに負けぬほどの迫力にレッパクは気圧され、ふらふらと後ずさり、しりもちをついた。
言い切った後で、セレビィのほうも「これはまずかった」といった具合に、ほのかに後悔の表情を揺らめかかせた。
こころのかろうじて冷静になれている部分では分かってるはずなのだ。セレビィにあたっても仕方ないと。自分は所詮、一を聞いただけで十を知ったつもりになり、百を語る道化そのものだった。自分が同じ転生を何度も繰り返したという事実を証明する直接的な証拠は何もないが、否定する材料もまたゼロだった。自分の生き返りを肯定する最終的な争点は、己に残ってる感覚だけだった。そして、このセレビィの態度の真剣さを疑う隙はまったくどこにもなかった。
自分は、生まれたその瞬間から、生ある者としての決定的な一線を超えてしまっていたのだ。
忸怩たる思いで、レッパクは鼻先を下にやる。
「――ごめん。命を救ってもらったのに、何も知らないくせに、いつも自分の力で生きている気になっていた。お前に会えなかったら、ずっとそのことを思い出せずに生きていたと思う」
「いいよ、僕のほうこそ、かっとなってごめん。きみを責めてるつもりじゃないんだ。過ぎたことだしね。転生したという事実も、きみがついにライコウを倒したという別の結末も、もう変わらない。だから、きみに必要だったのは、運命にあらがう力なんかじゃなかったんだ。同じ未来の道を歩もうとするきみ自身にあらがう力だったんだ。そして、ついにそれに勝つことができた」
なんだか、嬉しくならない。できることならば、主のこころが奪われる以前に、ホウオウの凶行を止めたかったからかもしれない。
「――どこで、変えられたんだろう。おれは生きることに手を抜いたつもりはない。いつだって必死だった。今までのおれと、何が違ってたんだ」
セレビィが細い腕を組んで考える。時渡りができる者といえど、理解には及ばない点があるらしい。
「んん、前までのきみはサンダーと組んでライコウに挑む、そこは一緒なんだけど――あ、そうそう、ひとつだけ決定的に違うところがあった。レッド、だっけ。あの人のピカチュウがいたってこと」
「ああ、確かにとどめを刺したのはあいつだ。今まではいなかったのか」
「うん。いつもならきみだけがここに落下してきて、ライコウと対峙して、サンダーが味方に来てくれて、それでも負けてた。あの子が今回紛れ込んでたのは偶然なのかな?」
いやでも、偶然なんかではすまされないのが転生だし、とセレビィはぶつぶつと言っている。
「うーん、ピカチュウがここにやってくるには、きみと一緒に落ちてこないといけない。きみの近くに――。ここへルギアに連れてこられる直前は、ピカチュウと戦ってたの?」
「そうだ」
「でもきみならもっと相性のいい相手がいるはずじゃない? 他に戦えそうなのは誰だった?」
「確か、ピジョットとカメッ――」
レッパクは黙りこむ。
急に閉じられたレッパクの口元を、セレビィもなんとなく察して、そのとある可能性に行き着いた。
ニヤニヤとした、妙に馴れ馴れしい口調。
「ね、ねえ、ひとつ、訊くけどさ。きみ、水が嫌いだったり、する?」
「…………………………………………」
「沈黙は肯定の証とみなしちゃうよ?」
「…………………………………………慣れるように一応の訓練はしたがな」
結果、どこまで克服できたかは伏せているが、レッパクのバツの悪そうな顔から成果はもはや語るまでもない。自分のコンプレックスだったものが、最終的に自分の運命を変えただの、皮肉以外のなにものにもならないからだ。けれどそんなこと一切おかまいなしなのか、セレビィはだんだんとおかしくなってきて、
「そっかそっかー、そこからかあ。きみが水を嫌い、仲間にまかせ、あえて護が同じのピカチュウに挑んでいたと。だから、戦闘配置が以前と変わっていた。ホウオウのときもそのペアで戦って、それをルギアがそのままかっさらったから、ピカチュウはきみのそばにいたまま。そして仲良く落っこちてきた、と。ドミノ倒しみたいな奇跡だね」
「そうなる、か――」
そろそろセレビィも我慢の限界だったみたいだが、最後にこれだけはどうしても訊かずにはいられなかったようだ。
「不躾だけどもういっこ。どうして水嫌いになったの?」
とうとう万策尽き果てた。というより、もともとありはしなかった。話の流れからして、誰だって気になるごく当たり前の質問だが、それでもレッパクは不機嫌にならずにはいられない。
「――おぼれて死にかけたことがあるんだよ」
ついにセレビィは腹を抱えて笑いだした。ウバメのもり全域に響くんじゃないかというほどだった。怒ったり笑ったりと表裏の激しい奴である。しかしまあ、宙に浮いたままとか器用な奴だった。腹を抱える姿勢のおかげで、妙な運動エネルギーが働き、その場をくるくると回り、なおもセレビィは笑い続ける。逃げたポッポとピジョンの数だけ秒数に置き換え、ミサイルばりで刺してやろうかと思う。けれど、あまりにも気持ちよさそうに笑うものだから、怒るのがばかばかしく感じてきた。
「――な、なるほど、ね。幸か、不幸か。今のきみのこころに潜んでいた、転生前の意志か。はたまた、偶然なのか。今回のきみは、初めて水嫌いの『特徴』を会得した。今までのきみは、たぶんそんなことなかったと思う。普通に相性のいい相手と戦って、きみだけ落っこちてきたはずだ。みんな重々しいのばっかだし」
狂いかけていた呼吸をなんとか整え、セレビィは持論を述べる。
ひとしきり笑い飛ばされてしまった以上、レッパクも開き直るしかない。強引に話題を変えた。
「どうしておれなんかを助けてくれたんだ。あまり干渉するべきじゃないんだろ」
「どうしてって言われてもなー。僕のテリトリーであるこの森、ましてやほこらの前で死なれちゃさすがに夢見が悪いよ。『この森を焼き尽くすまでの体力はまだ残ってる』なんて、全っ然説得力のない脅しをふっかけられたことも何回かあったし。それに、」
セレビィはちょっと黙った後、
「きみの死に際の顔が、すごく悲しそうだったから」
それを聴いたレッパクも、かつての自分を思った。もし今回負けていたとしても、こうしてセレビィに会いに来たかもしれなかった。記憶を壊し、時間を戻し、前世の欠片をばらまいて、同じ道をたどる自分に鋭い警笛を鳴らしただろう。
「僕は何回も転生の『底なし沼』を身をもって味わっている。無駄だとは思ってはいたけど――でも、それでも。きみの、きみの主人を信じる力に、僕は賭けてみたくなった。さもなくばきみは悪魔とすら取引してしまいそうなほどの雰囲気だったし」
― † ―
話し込んでいるうちにも、セレビィから託された時間は働き続けていたらしい。体がだいぶ治ってきた。血が足りないことを感じ始めた体が、呼吸を再び浅いものとし始めているが。
長居はできない。
「いやあ、笑わせてもらったよ。そんなへんてこな理由から時渡りの結末が変わるだなんて前代未聞だからね。でも、そういうのもいいね。うん、きみのことが好きになれそうだ。僕がきみに力を貸す必要はもうなくなったし、今後貸すつもりもない。けど、なんとなく分かる。今の≠ォみならこれから先も進めるはずだ。やり直す必要のない、ひとつだけの道を。覚悟は――訊くまでもないね?」
「もちろんだ」
礼を言うのがちょっと恥ずかしくなって、
「せっかくだ。こっちも不躾なこと訊いていいか」
「答えられることなら、どうぞ?」
「お前、一体いくつだよ」
セレビィは目をぱちくりとさせたあと、
「ないしょ」
うふふ、と色っぽく笑った。
レッパクは体勢を整え、ようやっと笑顔になった。
「ありがとう、本当に。この恩は絶対忘れない。お陰で目が覚めた。おれの道は、やっぱりおれが決める」
「どーいたしまして。でも気をつけてよ。これまでの転生は全部リセットされた。ここから先は前例のない、『今のきみ』だけが選ぶしかない道となる。だから、今までにはなんの価値もなかった事柄が生きる可能性が出てくる。――そうだね、きみの主人がきみたちに託してくれたものの意味を考えるのもいいかもね?」
「分かった。全てに決着をつけたら、またここに来るよ。供え物でも持ってな」
「うん、楽しみにしてるよ。あ、オボンの実とウバメの葉っぱで作った特製の団子がいいな。あれすっごく美味しいから」
たとえ世界の果てまででも追いかけて探し出してやろうと決意する。
「了解」
ほこらに別れを告げ、レッパクは今度こそ一匹狼となり、出口を目指して歩きを再開した。
――つまるところ、
そして立ち止まり、一度だけ振り返る。
――おれは、今までのおれでなく、最終的には「水が嫌い」という今だけのおれに助けられたのか。
これを予期して自分はあえて水嫌いになったのか、繰り返される生涯の隙間へ偶然入り込んだのか。
傾いた先にあったのは、果たして
利鈍のどちらだったのか。
それは、レッパクにもセレビィにも、もう分からない。
レッパクは、思う。
――結局、何もかも紙一重なのかもな。
セレビィは、思う。
――あーあ、また退屈になっちゃうな。
15回目、だった。