48 ピュアホウオウ
【純真さは、時に相手をも傷つける】 スイクン
48 ピュアホウオウ『嗚呼、久しきかなホウオウ。逢えて嬉しいぞ、と言いたいところだが――ここで一体何をしている』
温容ながらも、哀れみと怒りを秘めた語調。ぎんいろのはねから放たれる光は、ホウオウと肩を並べられるほどのルギアの巨躯を、うっすらとその場に投影した。
「ル、ギア――」
この時、初めてホウオウが羽ばたき以外の動きを止める。思念体とはいえ、その存在感と威圧感はホウオウに勝るとも劣らない。透過されたその身にもはっきりと見える傷跡は、ホウオウの火勢を削ぐ何よりの矛であり盾であった。
――海の神。この者が。
レッパクも自然と呼吸を落ち着かせ、無意識のまま後ずさってゆく。主の横奪、オボロの瀕死。そしてルギアの登場。ジョウト地方の神々がシロガネ山のいただきにて対峙したその絶景を、固唾をのんで見守るしか他はない。ホウオウが硬直したその隙に、ルギアはうつろな表情で周囲をうかがい、友の背にあるレッドと、抜け殻となったゴールドをやがて認める。
『よもや、復讐の使徒を謳歌しているのではあるまいな。よもや、私のためを思ってこのような惨事を招いたのではあるまいな。そのような衝動に身を駆られて何になるというのだ。私のためではなく、もはや自分のためとしか思えぬ。見るがよい、お前に牙を向けたこの者たちを。何故お前に怒りを抱いている。大切な者を奪われたからであろう?』
ルギアの言葉のどれに反応したのか、ホウオウは高圧的な自分を取り戻した。
「――その身で味わったろう。人間は、周囲を傷つかせねば生きていけぬのだぞ」
予想していたらしい。対するルギアは、どこか自嘲するような、挑戦的な笑み。
『諸々を言い伝え損ねたことは詫びよう。私がみずからを幽閉し、何せ百と五拾の歳月だ。お互い、決して短くはない空白だったはず。お前が何をどう思って生き抜いてきたかはこの際問題には取り上げまい。だから、いつかは打ち明けておくべき事だった。――私はな、ホウオウよ、』
そこでルギアは若干の間を置いて、ささやきかけるように言った。
『人間を憎んではおらぬ』
「――なんだと」
うずまきじまの水をぶっかけられたような、顔色のゆらぎだった。
ルギアはなかば自分に説き伏せるように、150年間で築き上げた己の結論を告げる。
『人間に限った話ではないということだよ、過ちを犯すのは。間違いはいつまでも間違いのままでは終わらぬ。そのままでいれば、いつか必ず道が塞がるからだ。故に、自分のおこないを省みる。小さかれ大きかれ、日々そのようなことを繰り返し、成長していく。そうして我々はここまで来られたのではないか。どちらかが欠けてもこの世界は成立しない。お互いが不可分の関係なのだ。そして、そういう点では、人間は我々と一緒なのだ。人間も一歩ずつ、なんどきも、着実なる進化を遂げている』
ルギアの言葉ひとつひとつが、150年間立ち入られることのなかったホウオウの砦へと忍び込む。
古い文献ほど埃にまみれ、遠い歴史ほど曖昧にかすれていく。情勢によって事実が変質するのは今に始まったことではない。だからこそ人は何度となく考えなければならない。想像に身を委ね、与えられし環境から色々な解釈を持ち、立場を問わない視点で、過去を複雑に判断するしかない。それらの考え全てが主観的なものであり、学ぶべきところであり、虚空のものだ。時間を重ねることが、人の知恵と知識の原点となる。
150年前の争いに立ち会ったホウオウとルギアは、歴史に深くくいこみすぎた。
当事者であるホウオウとルギアには、現世の考えなど空想の産物にすぎず、己の確固たる考えを持てあましていた。
「吾が――吾こそが、むしろ過てると? 己が妄想に振り回されて、空回りしていたと――?」
憑き物が落ちたように、ホウオウは吐露する。気温が下がっていくのをレッパクは感じる。ルギアの言葉がホウオウの胸に刺さっていくのが、肉眼で確認できるようであった。
『そう、人間の進化は素晴らしいぞ。実際、お前はこの150年間、何を見てきた。そして、どう感じた。その点のおいては、私が説明するまでもなかろう。お前が一番よく知っているはずだからだ。我々が手を差し伸べなければ生きられないほど、人間が弱い生き物だということは、私もとうに知っておるよ。今更それを証明しなくとも、な。人間同様、我々もまだ幼い。行く末をお前が決めつけるのには、いささか早すぎるだろう。もう少し、彼らのつながりに、賭けてみようではないか。ゆっくりと、見守っていけばいい』
友をたしなめるルギアの言葉は、鋭利的ながらもホウオウの熱とはまた違った温かみをもっていた。ホウオウはいつしかその熱にのまれ、せいなるほのおが徐々に鎮火していく。神々の様相をうかがうその間にも、レッパクは無意識に集中していく。
予感が、する。
何かが、来る。
ホウオウが押し黙るのを確認したルギアが、最後の一歩を進もうとした。
『私のことは心配に及ばぬ。今ならやり直せる。ここで引けば、全て元に戻せる。お前さえ戻ってきてくれたら、それで良かったのだよ、ホウオウ。また昔のように、お前と』
ホウオウの自尊心は、あまりにも高すぎた。
ホウオウの想いは、あまりにも純真すぎた。
突如として出現した火球たちが空を滑り落ち、ルギアの全身を襲った。グレンゲたちよりも数段素早く反応したレッパクは、二発だけでも雷撃で相殺し、ルギアを守ることになんとか成功。思念波の密度を反射的に濃くしたルギアはかろうじて耐え抜き、映像を大きく乱した。
「きさま、何を!」
「もう、よい。何もかも、どうでもよい」
妄誕を語る食わせ者のようにうごめく口。ルギアの目の前にいたのは、もはやかつての友ではなかった。
たとえルギアが人間を許そうとも、自分の中に沸き立つ人間への感情はどうしようもない。それすらも否定されたとあらば、ホウオウの中には激しい拒絶と葛藤しか生まれない。否定に対する否定、立て続けに降り注ぐ朱色のつぶて。ルギアはおろか、レッパクたちにもめがけて放ってきた。ルギアは両翼を広げ、念力で軌道をそらす。
『ホ、ホウオウ……!』
「あなた、自分の友をも手にかけるつもりですか!」
「吾が友に、そこような人間側に落ちぶれた軟弱者がいた憶えはない。人間が弱く醜い存在と思い知ったからこそ、吾はなんとしてでも粛正してみせる。お前が吾のおこないに首肯しないというのならば、これから先もやはり吾自身で決める。もう、戻るわけにはいかぬ!」
その瞳には、最後の希望であったはずの、かすかな光すら残されていなかった。
冷静さに欠如したのは、ホウオウだけではない。業を煮やしたドンカラスがたまらず煽った。
「いい加減にしておくんなせえっとお! 何ムキになっているんですかい! 空回りした自分がそんなに恥ずかしいんですかあ!?」
それがたとえどんな売り文句だったにせよ、ホウオウは完全に見境を無くしただろう。
一段と大きな火球が
――よせ!
至近距離のドンカラスはあえなく撃墜。ブラックはすぐにボールへとひっこめ、メガニウムも戻し、
――退却だ! あのろくでなしはもう手に負えん!
必死でブラックたちを火球から守りつつ、再度ルギアが友へ呼びかける。
『ホウオウ、』
気弱な目線を真っ向から受け止めることができないのか、ホウオウはただ顔を背けて代わりに炎をルギアへ見舞い続ける。
――早く行きやがれ! お前らがどこで夫婦喧嘩おっぱじめようとンなもん勝手だけどな、オレたちを巻き添えにすんじゃねえ!
『ホウオウ――!』
余力を注ぎ、思念波でブラックたちを包みこみ、飛翔する最後の瞬間まで、ルギアは友の名を呼んでいた。
― † ―
それから、数秒がたった。
伝説のトレーナーと、まいこの人間以外がいなくなったシロガネやまの頂点。力なく地に降りたホウオウも、虚空へ向けて名を呼んだ。
「紫電、赤熱、青嵐」
岩場の暗影。斜辺の死角。森林の隙間。その瞬間まで気配を潜めていた三匹は即座に参上する。屈強な四肢、風格みなぎる質量、不安定な足場。
一切の音を殺して。
ライコウが一歩前へ進み、代表として念を押した。
「いいんですかい? あのお方はホウオウ様の――」
ホウオウはうつむき、体をかすかに震わせていた。見る者全てを虜にする虹色の輝きが、全身から失われている。やがておずおずと振り向くホウオウの顔には、なんとも言えない表情が浮かんでいた。ライコウも決して見たことがなかった、150年前の臆病な部分だった。
「――やれ!!」
― † ―
シロガネの山塊を後にする。ルギアの光に丸く包まれながら、レッパクたちは大空を横切っていた。どれほどの距離を超越しようとも、空は霞がかった色をまったく変えようとしない。翼を使わずして宙に浮く感覚を味わっている暇はなかった。逃げているはずなのに、逃げている実感が少しも湧かなかった。ホウオウの姿はまだ確認できないが、地の果てまで逃げようとも今度こそルギアごと殺しにかかってくると、誰しもが思った。
『かたじけない。私ならば、あるいはと思っていた。己の過ちに気づいてくれると盲信しすぎていた。あやつは、もう私の知っているホウオウではなくなってしまったか――』
こぼさぬよう注意するだけでなく、相手のそれにも深く付け入らないよう取り扱わねばならないのだから、自分の気持ちというものはややこしい。150年前に受けた幾重の傷よりも、今しがた旧友から受けた乱雑な攻撃のほうが、今のルギアにとってはずっとつらいものだったはずだ。手切れの銭があんながむしゃらな攻撃では割に合わないだろう。
しかし、縁を切られたルギアに同情するくらいなら、レッパクはゴールドとオボロのほうをずっと心配した。さしものブラックも焦慮しており、逃走本能に従うがまま叫んでいた。
――謝んのはあとだ、とにかく逃げろ! 距離を取るんだ! アサギまで行って、そこで体勢を
地上から極太の雷が突き上がった。非常に精確にルギアの右翼を貫こうとし、ルギアを包む球形の思念波がそれを四方に散らした。その場にいた全員の身体が弾かれたように左に傾く。爆音が球体の中に響き、激しく振動した。
「逃がすかよお!?」
確かに、そう聴こえた。レッパクには、あいつの嫌らしい笑みが目に浮かぶようであった。
「やめろ、やめてくれ!!」
揺さぶられるせいで、発生地点は特定できない。どこからともなく刺さってくる雷と炎と氷。明確な殺意を感じさせるそのエネルギーたちが球形の思念波に衝突し乱舞するたび、ルギアがひきつれた悲鳴をあげた。衝撃と悲鳴にあらゆる神経を揺さぶられ、狂気を煽られない者はいない。
何を思ってか、ルギアが主翼の力を緩め、体勢を維持したままみずから降下し始める。
最悪の結末が、ルギアよりも先にレッパクの脳裏をかすめた。
『ここまで、か――! もう、もたない――!』
全員の顔が一瞬にして白みを帯びた。冷たい覚悟が胃の腑に落ちた。
刹那、ルギアの思念体は粉々に砕け散った。レッパクもピカチュウも、グレンゲもリザードンも、ドロップもカメックスも、オボロもゴールドもブラックもソニアもレムも、ピジョットもフシギバナもカビゴンも、爆発の波紋に巻き込まれ、出来損ないの火花のように散り散りとなった。